27.差し伸べられた手
ずっとスライムに押さえ込まれていたことに腹を立てたのか、それともさっきのルルたちのふるまいに腹を立てたのか、ドラゴンがいきなり火を吹いた。
そしてその炎はまっすぐに、私とセティに襲いかかってくる。
「えっ!?」
「きゃああ!!」
セティが持っているのは機械弓だけ、私が使えるのは召喚魔法だけ。
時間があれば、水や氷を使える召喚獣を呼び出すこともできる。でも、どんなに急いでも数秒はかかる。こんなに激しい炎を、すぐにどうにかすることはできない。
せめて顔だけでも守ろうと、目を閉じて両手で顔を覆い、座り込む。隣のセティも、同じようにかがみ込んでいるようだった。
死にさえしなければ、魔導士が後で回復魔法を使って何とかしてくれる。それでも、熱いのも痛いのも嫌だ。怖い。
前世では一瞬で死ねたから、まだましだったのかもしれない。恐怖の中で、ふとそんなことを思う。
震えながら、じっとうずくまる。炎に包まれるまでの一瞬が、まるで数十秒のようにも感じられ……あれ、熱くない? むしろ、ひんやりしてる?
おそるおそる目を開けようとしたその時、生き生きとした張りのある声が響き渡った。
「やっぱりこっちに来て正解だったな。俺の勘、よく当たるんだよ」
「カインさん……!?」
運動場の出入り口に立って、こちらに手を突き出していたのは、なんとカイウス様だった。全速力で走った後のように、肩で息をしている。
髪と目の色こそ黒と青に変えてはいるものの、着ているのは研究生の制服ではない。貴族の……というより皇帝の普段着だ。
上着は脱いでいるしスカーフなどの小物も外しているけれど、とても上質な服であることは隠せていない。
さらに驚いたことに、私とセティは身長の倍ほどもある高い氷の壁に守られていた。ドラゴンの炎にあぶられたらしく、端のほうが溶けてなめらかになっている。
私とセティは、ぼけっとしたままカイウス様を見つめていた。突然の、しかもまったく予測していなかった事態に、頭がついていかなかったのだ。
「あの、どうして……あなたが、ここに?」
「お前たちに何かあったら大変だから、様子を見にきたんだ。間に合ってよかった」
カイウス様は人懐っこい笑みを浮かべて、こちらに駆け寄ってくる。
「……今、帝城には複数体の野良召喚獣が侵入している。騎士も魔導士も、みんなそちらにかかりきりだ」
肩にかけられた彼の手の重みに、ほっとする。まだドラゴンはそこにいるけれど、もう大丈夫だと、そう思えて。
「報告によれば、ここに現れたドラゴンは見ての通り小型で、危険度は低い。それに室内に逃げ込めば、ひとまず安全は確保できる。だからこちらは、後回しになった」
その言葉に、スライムと取っ組み合いをしたままのドラゴンが不服そうにうなっている。突然現れた氷の壁におそれをなしたのか、少し落ち着きを取り戻したようだ。
ドラゴンに目をやって、カイウス様がふとうつむく。
「……大臣や騎士、魔導士なんかと比べると……お前たち生徒の優先順位は、どうしても下がるんだよ」
私の肩にかけられた彼の指に、力がこもる。
「子供が死んだら、また産めばいい。実力や運に恵まれた子供なら、自力で生き延びるだろう。そう考えがちなんだ、この帝国の上のほうは」
力こそ全て。強き者こそ正しい。昔の帝国には、そんな風潮があったと聞いている。
とはいえここ十年ほどで大きく方向転換していて、五年前にカイウス様が皇帝となってからは、さらに様変わりしていた。
貧しい者、病める者、身寄りのない者。そういった者たちを助けるための法律や施設が、次々と作られていった。昔とは大違いだって、以前に両親がそう話していた。
カイウス様はふうと息を吐いて、それから勢いよく顔を上げた。
「だがもちろん、俺はそんな考え方には反対だ! だから、大急ぎでここの様子を見にきたんだ。お前たちが自ら進んで厄介に巻き込まれにいっているような、そんな気もしてな」
彼の言う通りで、何も反論できない。隣のセティをちらりと見たら、彼も困ったように苦笑していた。
「だったら、もしかしてそこの氷の壁は……」
「俺の魔法。言ってなかったか? 俺、氷の魔法は得意なんだよ。他の属性の基礎魔法は一応使える、って程度だが、氷ならそこらの魔導士には負けないぜ。詠唱も省略できるしな」
属性魔法は、召喚魔法とは違い魔法の詠唱が必要だ。でも練習を重ね熟達することで、詠唱を省略して魔法を発動できる。そういえばさっきの氷の壁も、突然現れた。
「……すごいです……ぼくたちを助けてくれて、ありがとうございました」
「助かりました。でもカインさん、魔法、使えたんですね……」
目を真ん丸にしている私たちに、カイウス様がちょっと傷ついたような顔をする。
「……一応、魔法研究会所属なんだけどな、俺。それはそうとして、その描くだけ描いてほったらかしの魔法陣、どうするんだ?」
そういえば、炎と氷に気が動転してすっかり忘れていた。
私のすぐ横には、淡く光る帰還の魔法陣が浮いている。消えてもいないし傷んでもいない。これなら、まだ使える。
カイウス様になら、私がやろうとしていることを話しても大丈夫だろう。声をひそめて答える。
「実は、この魔法陣であのドラゴンを帰還させられないかな、って……」
そう打ち明けると、カイウス様はとっても興味深そうに目を見張った。
「理論上は可能、実際には不可能。そう言われてるやつだな。さすがは我が帝国が誇る天才少女、またとんでもないことに挑んでるな。いったいどうやって、その魔法陣を編み出したんだ?」
「編み出したのではなくて、これはルルたちが提案してくれたものなんです。この魔法陣でいいのかは分からないんですが……ひとまず、これをぶつけてみようと思います。やれることはやってみたいので」
「よし、じゃあやってみてくれ。駄目でもともと、気楽にな」
カイウス様は私の緊張をほぐすかのように朗らかに笑って、ドラゴンに向き直る。
「だったら、あのドラゴンにもっと近づく必要があるな。俺も援護するぞ。頼りにしておけ」
効くかどうか分からない、というよりおそらく失敗するだろう魔法陣を使うために、よりによって皇帝その人が魔導士見習いの少女の護衛に回る。
私のやろうとしていること以上に、こちらのほうがとんでもないと思う。
もっとも、カイウス様が規格外なのは今さらだ。それに、彼がいてくれれば助かるのも事実だ。戦力的にも頼りになりそうだし、いてくれるだけでも安心できる。
「……それじゃあ、お願いします。セティは動けそう?」
「はい。カインさんの氷の壁のおかげで、矢を拾い集めることができました。少しの間あなたを援護するくらいなら、十分可能です」
機械弓を構えたセティと、指先に魔法の氷を浮かべるカイウス様。そんな二人に両側を守られて、私は走る。魔法陣を掲げて、ドラゴンに向かってまっすぐに。
スライムは体を薄く延ばして、拘束衣のようにドラゴンの全身にからみついている。さっきの炎に驚いたのか、ドラゴンをよりしっかりと捕まえようとしているらしい。
ただドラゴンも、おとなしくしてはいなかった。首をぶんぶんと振って、口を押さえ込まれることだけは阻止していた。
そんなところに私たちが突っ込んできたものだから、ドラゴンは怒ってまた火を吹いた。
「甘いな!」
すかさずカイウス様が氷の盾を掲げて、炎を防ぐ。ドラゴンがまた口を開けかけたところを、セティの矢が妨害する。
二人のおかげで、私は足を止めることなく進むことができていた。
あと少し。あと三歩。あと……よし、今だ!
魔法陣に両手を当てて、全力でドラゴンのほうに押し出す。いつも帰還の魔法陣を使っている時と同じように、魔法陣に魔力を注ぎ込みながら。
「お願い、もとの世界に、帰って!!」
魔法陣がドラゴンに触れると、そこからまばゆい光がほとばしった。




