26.傷つけたくないから
「……あの、あれ……何ですか?」
「スライムよ。あの子はとびきり大きな個体なの」
呆然としているセティに、小声で答える。よし、大成功だ。そんな喜びにうきうきしながら。
私が普段呼んでいる召喚獣は、比較的普通の獣と似た姿形をしたものが多い。それもウサネズミたちのように、比較的可愛らしいものがほとんどだ。
ところが目の前のスライムは、獣というよりもお菓子に似ている。夏場に冷たい井戸水を使って作る、青い花の汁を入れたゼリー菓子にそっくりだ。
「あのスライムが、ドラゴンを足留めしてくれるんですか? 戦えるようには見えませんが……」
「大丈夫よ。ほら、あんな感じ」
そんなことを話している私たちの目の前では、一風変わった取っ組み合いが始まっていた。
スライムは体をぐにょぐにょと変形させてドラゴンの手足にからみつき、動きを封じている。それが気持ち悪いのか、ドラゴンはしきりに抗議の声を上げていた。
「スライムは体を再生するのが得意だし、見た目よりずっと力が強いの」
ドラゴンは必死に首を曲げてスライムを食いちぎろうとしているけれど、思いの他スライムが固かったらしく失敗していた。
さらに猛り狂って、がじがじと一生懸命に食いついている。スライムには痛覚はないらしいけど、あんなにかじられているのを見ているのはさすがに辛い。
ごめんね、あと少し頑張ってと口の中でつぶやいて、きょろきょろと辺りを見渡す。
この騒動が始まってからそれなりに時間が始まっているし、そろそろ騎士か兵士が来てくれてもよさそうなのに。
「遅いですね。いい加減、誰か様子を見にきてもいい頃合いですが……あとはスライムに任せて、逃げましょうか」
「もう少しだけ待って。まさかこんな一大事が周囲に知らされていないなんてこと、ないと思うし……」
セティと二人で困り顔を見合わせていたら、足元に小さい影が駆け寄ってきた。偵察に出したウサネズミたちだ。
私の肩に乗っていたルルがぴょんと飛び降りて、他のウサネズミたちと顔を合わせた。まるで話を聞いているかのように、うんうんとうなずき合っている。
それからルルは私の前にやってきた。腰のベルトにつけた小さな旗を二つ手にして、さっさっと振っている。
ルルはウサネズミたちのリーダーで、そして知性も高い。
最近彼は、こんな風に旗を使って私と対話することを覚えたのだ。今も、他のウサネズミたちが調べてきたことを私に教えてくれている。
召喚主と召喚獣は、ある程度意思疎通ができる。でも召喚獣たちは言葉が話せないから、それはあいまいな、大まかなものに留まる。みんな、そう思っていた。
というか、召喚獣は普通の犬猫や馬なんかより少々賢いくらいの知性しか持っていないというのが通説だったのだ。
ところがずっとルルと一緒に暮らしているうちに、この子がかなり賢いことに気づいた。ルルは間違いなく、私の言葉をきっちりと理解していたのだ。
ならばとこっそり手旗信号を教えてみたところ、彼はすぐに習得してしまった。難しい言葉はまだ無理だけれど、簡単な文章なら問題なくやり取りできる。
このことを魔導士たちに報告したら、間違いなく大騒ぎになる。そしてその騒ぎの中心になるのは、私とルルだ。
もうこれ以上、目立ちたくない。というか、ルルがごくまれな例外なだけかもしれないし。
そう考えた私は、このことをセティとアリア、それにカインさん……というかカイウス様にだけ話して、それからは何事もなかったように過ごしていた。
両親には内緒だ。あの二人にばれたら、きっととんでもない大騒ぎをしてくれるだろうから。悪気はないのだけれど、やっぱり恥ずかしいし。
それはそうとして、今ルルが手旗で教えてくれた情報は、大変ありがたくないものだった。
「ジゼル、ルルは何と言っているんですか? ……ぼくも、手旗信号を覚えてみようかな」
「……騎士たちの到着、遅れるみたい。別のところでも、同じような騒ぎが起こってるんだって」
その報告に、セティは眉間にきゅっとしわを寄せる。
「同じような騒ぎ、ですか?」
「うん。帝城の反対側にとっても大きな野良召喚獣が出て、騎士たちと魔導士たちはそっちにかかりきりになってるみたい」
「そうですか……ということは、ここはしばらくこのままということに?」
「たぶん、そうなると思う。……困ったわ。あのスライムは強いけれど、長い間ドラゴンと戦うのは難しいかも……」
スライムは再生能力が高いけれど、いつまでも再生し続けていられる訳ではない。それに、攻撃能力はほとんど持たない。
ちょっとだけ足留めを頼むつもりで呼び出したのに、どうやら頼みの綱の騎士たちは中々やってこないようだった。
召喚獣を戦いに巻き込んでしまったことを今さら後悔しながら、ドラゴンとスライムの取っ組み合いをひたすらに見守る。
「大丈夫かな……」
祈るように両手を組み合わせてつぶやいていると、隣からためらいがちな声がした。
「……でしたら、もっとたくさん召喚獣を呼んで、ドラゴンを倒してもらう、というのは……」
「できなくもないけど……できれば、保護してあげたい」
野良召喚獣は、可能な限り生け捕りにする。魔導士の塔には、そのための魔導具もある。
召喚した本人以外が召喚獣を異世界に帰すのは難しいけれど、そのまま飼うことはできる。
保護された野良召喚獣は、召喚獣に対する研究の一環として、ここから離れた研究施設に集められているらしい。
とはいえ、保護された野良召喚獣はあまり長生きすることはないのだとか。それでも、ここで倒してしまうよりはいい。
「困りましたね……眠り薬か何か、あればいいのですが」
「ひとまず、わたしたちだけでも逃げるしかないのかなあ……スライム、大丈夫かなあ……」
そうして二人でうなっていると、ちょんちょんと靴下を引っ張られた。そちらを見ると、妙に得意げなルルと、ウサネズミの群れがいる。
目を見張る私とセティの目の前で、ルルはもったいぶって旗を振っている。その後ろでは、きれいに整列したウサネズミが、きらきらした目で私たちを見つめていた。
「えっと、『だったら帰ってもらえばいい』って……」
ルルの提案に、ぽかんとする。他人が召喚した召喚獣を異世界に帰してやることは、理論上は可能ではある。
「でも、あのドラゴンがどの異世界から来たのか分からないし……」
召喚獣を帰すには、帰還の魔法陣が必要だ。
この魔法陣自体はとても簡単だ。適当な大きさの丸を描いて、その中に帰還の魔法と、帰るべき異世界を指定する魔法を刻めばいい。
召喚獣たちは、あちこちの異世界からやってくる。同じ種類の召喚獣でも、それぞれ違う異世界から来ているのが普通だ。
そして、召喚獣がどの異世界から来たのか知っているのは召喚主と召喚獣本人だけだ。
あのドラゴンは野良召喚獣だろうから、おそらく召喚主はもう死んでいる。これでは、どうしようもない。
ルルたちにそう説明すると、彼らは一斉に鳴いて、そのままドラゴンとスライムに向かって飛び跳ねていった。
危ない、と止める暇すらなく、彼らはちゅちゅと鳴きながらドラゴンの頭の上に集結してしまった。そのまま、まるで会話でもするように鳴き続けている。
はらはらしていると、彼らはまた私の足元に集まってきた。それからさっきと同じように、ルルが手旗を振った。『帰還の魔法陣の、最初の丸を描いて、地面に』と言っている。
訳が分からないまま、ひとまず言われた通りにしてみた。そうしたら彼らは丸の中に入って、長いしっぽで線を描き足すような動きをし始めたのだ。
「えっと……その線を描けばいいの?」
そう言うと、彼らは同時にうなずいた。楽しげに跳ねるウサネズミたちに指示されるまま、どんどん線を足していく。
最後にルルが、『帰還の魔法、できた』と言った。ご機嫌なのか、ひげがぴんと立っている。
そうしてできあがった帰還の魔法陣は、今まで見たことのないものだった。
宙に浮かび上がらせて、じっくり見てみる。この模様がどこの異世界を指しているのか、やっぱりまったく分からない。
「……いちかばちか、これであのドラゴンを帰還させてみようと思うの。それが一番平和な解決法だと思うから」
隣でじっとなりゆきを見守っていたセティに、そう説明する。
「スライムが頑張ってくれているうちに、近づいてみる。セティ、あなたも援護をお願い」
「ええ、もちろんです」
二人でうなずき合い、ドラゴンたちのほうに一歩進み出る。ところがそのとたん、ドラゴンがこちらを向いた。
明らかに怒り狂った顔で、大きく口を開けてぎゃあぎゃあと叫んでいる。ずっと拘束されているからか、かなりいら立っているようだった。
そうしてドラゴンは、私たちめがけて火を吹いた。




