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21.にぎやかな食卓を囲んで

「よう、子供たち。まっすぐ帰ってきたみたいだな。偉いぞ」


 明るく笑いながらうちの屋敷の玄関に現れたのは、なんとカイウス様だった。


 黒い髪に青い目、今朝がた別れた時と同じ研究生の制服をまとっている。カインさんとしての姿だ。


 状況に全くついていけていないセティとアリアは、口をぽかんと開けたまま完全に黙ってしまっている。


 ひとまず一歩前に出て、カイウス様に話しかけた。


「……あの、カインさんが、どうしてここに?」


 カイウス様は晴れやかに笑って、胸をどんと叩いた。


「お前の両親、レイヴン殿とプリシラ殿は、昨日の夕食がよほど楽しかったみたいでな。よければ今日もいかがですか、と誘われてしまったんだ。家で一人黙々と食事をとるのも飽きたし、遠慮なく誘いに乗ることにしたんだよ」


 カイウス様は、前世では貧民街の子供たちを束ねていたのだという。その日暮らしではあったけれど、彼らは互いに助け合い、強いきずなで堅く結ばれていたらしい。


 そんな日々を覚えているのであれば、皇帝として暮らすのはとびきり孤独で、そしてどうしようもなく肩が凝るだろう。


 だからこうやって私たちと一緒に過ごすことで、カイウス様は気分転換しようとしているのかもしれない。


 そんなことを考えながら、今度はセティとアリアに向き直る。


「えっと、この人が……今朝話したカインさん。気さくで楽しい方だから……うん」


「どうしたジゼル、何か含みのある言い方だな?」


 相変わらず楽しそうに笑っているカイウス様に、ちらりと流し目をよこす。


「……二人には、あなたの正体を話しました」


 びしりと言い放つと、カイウス様はほう、と言って目を丸くした。明らかに面白がっている。


「うちの両親はともかく、こっちの二人はまたカイウス陛下に会うこともあるでしょうし、うっかり謁見中に気づいたりしたら、ものすごくびっくりすることになりますから」


「まあ、それもそうか。じゃあ改めてよろしくな、セティ、アリア。ただの研究生扱いしてくれて構わないぞ。というか、そうしてもらわないと困る」


「は、はい。……目と髪の色が変わるだけで、こんなに雰囲気が変わるんですね。いえ、立ち居ふるまいもかなり……違うような……」


「皇族の証しであるあのきらきらした緑の髪を隠せば、かなり印象が変わるからなあ。……人間とは案外、ものを見ているようで見ておらぬのだ。もっとも、我には好都合なのだが」


 一瞬だけ皇帝としての落ち着いた雰囲気をまとっていたカイウス様が、またすぐに楽しげな顔になる。


「そして軽やかにふるまっていれば、もう誰も俺が皇帝陛下だなんて思わない。感づかれそうになっても、にっこり笑いかけてやれば他人の空似で済む。おかげで、素晴らしく自由だ」


 くるくると表情を変えているカイウス様に圧倒されたように、アリアがそろそろと私の後ろに隠れた。


「う……やっぱり、本当に陛下なんですね……どうしよう……」


「そう気にするな。俺が怖いか? だったら……そうだな、年の離れた兄とでも思っておけばいい。俺としても、妹ができたら嬉しい」


 カイウス様は身をかがめて、私たちと目線を合わせる。


 アリアは息をのんで震えているようだったけれど、やがてこくりとうなずいたのが触れた体越しに伝わってきた。


 どうにかこうにか、顔合わせも終わった。その気配を察したのか、メイドが一人そっと近づいてきて、私に耳打ちする。


「あの、わたしママの料理を手伝わないと。……カインさん、セティ、アリア、悪いんだけど適当にくつろいでて。応接間に案内するから」


「きみのお母様は、料理をするんですか?」


 セティが不思議そうに首をかしげた。料理同好会のような子供のままごとならともかく、伯爵家の当主の妻が料理をするのはかなり珍しい。


「うん、親しい人を招く時だけ。うちのしきたりなの」


 それを聞いて、カイウス様がふと何かを思いついたような顔をした。あ、嫌な予感。


「ただ待ってるのもなんだし、ちょっと面白いことを思いついたんだが」




 屋敷の厨房に、母プリシラが立っている。母は上機嫌で、食材を刻んだり煮込んだり、くるくると忙しく立ち働いていた。


「ふふ、こんなに早くあなたと一緒にこのシチューを作れるなんて思わなかったわ。ご先祖様も、喜んでおられるわよ」


「わたしだって、料理同好会の一員だもの。ママ、シチューが吹きこぼれそう。火を弱くするね」


 母と私は、シチューを作っていた。我が家に代々伝わる、秘伝のレシピの一つだ。


 昔々、うちのご先祖様は料理同好会に所属していたらしい。


 そうしてすっかり料理にはまってしまって、自己流にアレンジしたレシピを一冊の本にまとめ、子孫に遺した。


 さほど凝ったものではない、でもあったかい料理の数々は、親しい友人なんかをもてなす時に出される。


 だからうちでは、当主夫婦は料理を覚えることになっている。


 私も、もう少し大きくなったら料理を教わることになっていた。もっともそれを待ちきれなくて、料理同好会に入ったけれど。


 セティ、アリア、カイウス様。私にとって大切な、親しい人たちが集まっているのだから、今日の夕食にはこの料理がふさわしいと思う。


 それはいいとして、一つ大きな問題があった。


 シチューが焦げつかないようにゆっくり混ぜながら、ちらりと背後をうかがう。


 大きな作業机は、とてもにぎやかだった。そこでは、やはり秘伝のレシピに基づいてパンを作っているのだ。


 セティとアリアがパンに入れるナッツを砕いている。私から料理同好会の話を聞いているからか、二人ともとても楽しそうに作業していた。


 それはいい。そこまではいい。問題はここからだ。


「君、中々筋がいいな。君の家でも、こんな風に料理をするのかい?」


「昔、ちょっとだけやったことがあるんですよ。自分で自分の食べるものを作るって、楽しいですね」


 父レイヴンがカイウス様と談笑しながら、せっせとパンの生地をこねている。


 カイウス様は、それはもう慣れた手つきだった。今までに何度もこのパンを作ったことのある父よりも、カイウス様のほうがうまい。


「そうだろう。今日のパンは、とびきりおいしいものになりそうだ」


「俺もそう思います。招待してくださって、ありがとうございます」


「君なら、いつでも大歓迎だよ」


 そこに、母がすかさず口をはさんだ。


「私もよ。ふふ、つい昨日初めて会ったとは思えないくらい、あなたといると落ち着くの」


 母よ、昨日が初めてではありません。そんな言葉をのみ込んで、シチューに向き直る。背後からは、両親とカイウス様の明るい話し声が聞こえてきていた。


 ……やっぱり、仲がいいなあ。普段なら、客がいようとお構いなしに私を甘やかすことを最優先する両親が、今はカイウス様の相手をするのに忙しいようだった。


 何というか、通常私に向けられている注意と愛情のうち幾分かが、カイウス様のほうに向かっているように思えるのだ。


 カイウス様は不思議と他人を惹きつける人だなとは思っていたけれど、ここまでとは。


「……あの、ジゼル。もしかして寂しかったりしますか?」


 セティがそっと作業机を離れ、私のそばに来てささやきかけてきた。彼も、両親の様子に気づいたのだろう。


「どっちかっていうと、助かってるかも? ちょっとの間自由になれるし」


 うちの両親はいい人だ。前世のことを思えば、とっても素敵な人たちのところに生まれることができたとは思っている。


 ただ、私のことを甘やかして甘やかして甘やかすのだけはどうにかしてほしかった。七歳の子供ならともかく、私の中身は立派な大人なのだし。


 ともかくも、カイウス様が私の家にすっかりなじんでしまっていることは確かだった。


 ……彼の正体を両親が知ったら、どんな反応を見せるかなと思わなくもなかったけれど。




 そうこうしているうちに、料理が全てできあがった。


 あの秘伝のレシピの料理をふるまう時だけは、配膳も自分たちでやるというしきたりになっていたりする。本当に、料理同好会の活動と似ているかも。


 なので、自分たちで料理を皿によそって、ワゴンにのせて隣の食堂まで運んでいった。ちょっと不思議な感じだけれど、これはこれで面白い。


 いつもは私と両親の三人だけの食卓を、六人で囲む。みんなであれこれとお喋りしながら、シチューとパンの質素な食事をとった。


 じっくりと煮込んだ滋味たっぷりの、こくのあるシチュー。


 男性二人が力いっぱいこねた生地に、セティとアリアが丁寧に砕いたナッツを混ぜ込んだ、歯ごたえのあるパン。


 いつもの食事よりずっと質素だけど、心がぽかぽかするような、そんな料理だ。


「……懐かしいな」


 隣のカイウス様が、ぽつりとつぶやいた。私にだけ聞こえるような、かすかな声だった。


 他のみんなに気づかれないようにそっと彼のほうを見ると、彼は目を細めてちらりとこちらを見返してきた。今は青いその目は、ちょっぴり泣きそうに揺らいでいる。


「また、みんなでこれを食べましょう。他のお友達も招いて、みんなでにぎやかにしてもいいですし」


 悲しそうな彼の姿を見ていたら、自然とそんな言葉が口をついて出ていた。カイウス様は目を細めて、弱々しい声で言う。


「……いいな、それ。やっぱり俺は、一人で食事するのは嫌いだからさ。昨日と今日で、つくづくそれを思い知った」


 皇帝である彼は、いつもたくさんの使用人を従えてはいるけれど、食事は一人きりだ。


 というか、皇帝はこの帝国の頂点に立つたった一人の存在だから、親しい友人なんて作れない。……こんな風に、変装して脱走でもしない限りは。


 前世ではたくさんの仲間に囲まれて、貧しいながらもにぎやかに暮らしていたカイウス様。そんな彼にとって、今の皇帝という立場はとても窮屈で、寂しいものなのだろう。


 だったらせめて、私にできることをしたい。こうやって家に招待して、一緒にお喋りして。そんなことでも、彼の慰めにはなるはずだ。


「……お前に打ち明けて、よかったよ」


 カイウス様の言葉はとても短かったけれど、そこにはとてもたくさんの思いが詰まっているように思えた。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] ご両親のカイウスへの好意の高さが気になる 前世のカイウスが束ねてた貧民街の子供たちのひとりだったのかな
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