18.彼の秘密と私の秘密
前世って、信じるか。カイウス様のそんな言葉に、とっさに何も言えなかった。
信じるも何も、私は女王エルフィーナの生まれ変わりだ。少なくとも、私はそう思っている。でもそのことは内緒だ。
かつて私が治めていた王国は、今ではこの帝国の一部になっている。もしかしたら近くに、女王エルフィーナを憎む者がいるかもしれない。
だから、めったなことでは前世のことを明かすことはできない。
カイウス様は信用できる人だと思う。でも、どこからどう情報がもれるか分からない。秘密は、知る人間が多いほどばれやすくなるのだ。
どうしよう。思い切って私のことを話そうか、それとも知らんぷりをしておこうか。
口ごもっている私に小さく笑いかけて、カイウス様は遠くを見るような目をした。行き交う人々を愛おしげな目で眺めながら、かすかな声で言う。
「俺には、カイウスとして生まれるより前の記憶、もっと別の自分だった記憶があるんだよ」
このにぎやかな人ごみの中で、彼のささやき声は不思議なくらいにはっきりと、私の耳に届いていた。
そうして彼は語り出す。かつての彼の、もう一つの人生を。
「前の俺の故郷は、帝国のど田舎の、全然ぱっとしない村だった。俺はそこの、貧しい農民の子として生まれたんだ」
ちらりと見上げた横顔には、とても懐かしそうな表情が浮かんでいた。
貧しかったと言ってはいるけれど、彼の前の人生は、少なくとも私のそれよりは幸せだったのだろうな。だって、あんな風に笑えているのだから。
「物心ついた時には、もう農作業を手伝ってたよ。家族みんなで、猫の額みたいな農地を耕して暮らしてた。気候のいい地域だったのが、唯一の幸いだったな。おかげで、何とか飢えずに済んだ」
普通の人なら到底信じないような、とんでもない打ち明け話。でも私は、それが真実だったのだと素直に思えた。
「貧しかったけど、幸せだった。親父がいてお袋がいて、弟たちもいて。祭りの日なんかは、さっきの菓子をよく食べたよ」
柔らかかったカイウス様の声が、不意に暗く沈んだものへと変わる。
「でも、俺が十の歳の時、たちの悪い風邪が流行った。たくさん死んだよ。……俺たちの両親も、近所のおじさんおばさんも。子供は、割と生き残ったんだが」
たったの十歳で両親を失う。その大変さは、少し分かるような気もした。前世の私も十四で父王を失って、それから国の立て直しに必死になってきたのだし。
けれどカイウス様の次の言葉は、私のそんな予想をはるかに上回るものだった。
「両親を失った俺と弟たちは、ちっちゃな農地すら奪われた。何がどうなってるか理解するよりも先に、領主に持ってかれた。土地も、家も。その地では、そういう法律になっていた」
驚きのあまり、えっ、という声がもれた。この帝国は、全て皇帝の統治下にある。名目上は。
でも、地方にはそれぞれ領主がいて、皇帝の代わりにその地を統治している。うちの両親なんかも、その領主の一人だ。
そして領主は、必要に応じて法律を作ることができる。自分の領地内だけで通用する、特殊な法律だ。
これにより、それぞれの地方の実情に合わせた、より適切な統治が行える。
もっとも、その法律は帝国法に反しないものでなくてはならない。
まさか、民から土地を巻き上げるような法律を作る領主がいるなんて。帝都から思い切り離れた田舎なら、そういうこともあるのだろうか。
「仕方なく俺は、弟たちを連れて村を離れ、町に移り住んだ。といっても、家なんてなかったけどな。そこの貧民街で、同じような境遇の子供たちと一緒に、その日暮らしをするようになったんだ。町になら、子供にできる日雇いの仕事もあったからな」
話はとても悲惨だというのに、彼の目はやはり懐かしそうに細められていた。
そんな苦境でも、彼はきっとたくましく前向きに生きていたんだな。そんなことを思った。
「一日一日を必死に乗り切っているうちに、俺は自然と子供たちを束ねるようになっていた。俺たちは弱かったから、そうやって寄り集まらないと、自分たちの身を守れなかったんだ」
「……みんなに囲まれたカインさんの姿、想像できます。きっと、とっても頼られてたんだろうなって。カインさんが、みんなを守ってたんだろうなって」
「ありがとな。お前にそう言ってもらえると、本当にそうだったのかもしれないって思える。……でもさ、そんな生活もそう長くは続かなかった」
くすぐったそうに笑っていたカイウス様が、ふっとうつろな目をした。今までに見たことのない表情に、思わず目が釘付けになる。
「あれは、俺が十四になってすぐのことだったかな。うっかり馬車の前に飛び出してしまった小さい子をかばおうとして、自分が馬車にはねられたのは」
衝撃的な内容に、理解が追いついていかない。けれどその間もカイウス様は、淡々と語り続けていた。私を置き去りにするように。
「領主が乗っていたその馬車は、一瞬たりとも止まることなく、そのまま屋敷に帰っていったよ。俺はそのさまを、石畳に横たわったままぼんやりと見ていた」
胸が苦しくなって、ぎゅっと両手で心臓の辺りを押さえる。そんな、そんなのって。
「痛みは感じなかった。俺を囲んで泣き叫ぶみんなの声が、どんどん遠くなって。景色が、どんどんぼやけていって。ああ、俺、このまま死ぬんだなって思った」
彼の声が、どんどん弱くなっていく。苦しそうに、震えている。
「でも、死ぬ恐怖よりも、みんなが泣いていることのほうが、よほど辛くてさ……」
ひんやりとした感触が頰を転げ落ちていく。たぶん、私は泣いているのだろう。
「泣かないでくれよって、最期に俺はみんなにそう呼びかけた。ちゃんと声になってたかどうかは、怪しかったけどな」
「きっと、聞こえてたと思います……」
「ありがとう、ジゼル。俺もそうだと信じるよ。で、眠気に耐えかねて目を閉じて……次に目を開けたら、ものすごく豪華な天井が見えた。何とびっくり、俺は皇族の赤子に生まれ変わってたんだ」
私の時と、同じだ。意識が途切れて、目が覚めたら生まれ変わっていて。それも、あまりにもあっけなく。
生まれ変わってきた人間ということなら、セティもそうだ。もっとも彼には、死んだ時の記憶がない。以前の自分が誰であったのかということも。
けれどカイウス様は、本当に私と同じだ。前世の記憶も、死の記憶も、全部持っている。
ほのかな仲間意識を感じて、カイウス様を見上げる。夕日で逆光になった彼の顔がひどく寂しそうで、思わず手を差し伸べてしまう。
彼は私の手をそっと握って、大きく笑った。悲しそうに眉を下げたまま。
「……なんてな。よくできた作り話だろう?」
そう語る彼の声も表情も、もう元通りの軽やかなものに戻っていた。
どうして彼が前世の話をしてくれたのかは、分からない。
ただこの様子からすると、彼はその話について私の意見を聞きたいとか、語り合いたいとか、そういうことではなさそうだった。
とすると、本当に彼はただ話したかっただけなのか。
そして彼は、今の話については忘れてくれても構わないと、そう言外に匂わせている。
カインさんと一緒にお菓子を食べて、彼が気まぐれに作ったおとぎ話を聞いた。今日のことは、そんな思い出にしてくれればいいと。
そんなことをぼんやりと考えてから、カイウス様に向き直る。自分のものよりずっと大きな彼の手を、捕まえておくかのようにしっかりと握り返した。
「わたしは、本当にあったことだと思います。でもきっと、誰も信じないでしょうから、内緒にしておきます。……それで、いいですよね?」
「ああ。お前がそう思いたいなら、それでもいいさ。……ありがとう、ジゼル。お前に話してよかった」
カイウス様は泣きそうな顔で微笑んで、両手で私の手をすっぽりと包み込んできた。
夕暮れの通りの片隅で、私たちはそのまま見つめ合っていた。
普通ではない秘密を共有しているという事実が、私たちの距離を近づけてくれているように思えた。
と、カイウス様が不意ににやりと笑った。
「……いかん、話し込んでいたらもうこんな時間じゃないか。こうなったら、お前をきちんと家まで送り届けないとな」
どことなくわざとらしいその言葉に、すっと血の気が引いた。家まで送り届ける。すなわち、カイウス様が私の家に来る。
「あ、いえ、大丈夫です。何なら、召喚獣を呼び出して一緒に帰りますから。その、オオカミとかの大きな子を……」
「それは心強いが、町人たちには刺激が強すぎるな。今日は素直に、俺に送らせてくれ。お前はこれ以上、目立ちたくないんだろう?」
カイウス様はにっこりと笑って、私の手を取って歩き出す。私は呆然としながら、引きずられるようにして彼についていくことしかできなかった。
私の両親は、皇帝カイウス陛下の顔を知っている。三年前に私が帝都に呼ばれて陛下に謁見した時に、両親も一緒に来たから。
エメラルドグリーンの髪に明るい金色の目の、古めかしい口調でゆったりとふるまっていたカイウス陛下。
黒い髪に青い目の、ごく普通の青年、それもまだ少年の名残を残した青年のように生き生きとふるまっているカインさん。
この二人が同一人物だと、両親に気づかれたらどうしよう。大騒ぎになっちゃうかも。どうにか、他人の空似で押し通せればいいのだけれど。
「お前が何を心配しているかは分かるが、まあ大丈夫だ、気楽にしていろ。俺の演技力は見事だろう?」
少しずつ暗くなっていく中を、カイウス様は堂々とした足取りで進んでいく。
「それにお前の両親も、普通ではないからなあ。謁見の間で会った時も、あの二人は我にひるむどころか、そちの魔法に感心し、喜ぶのに忙しいようだった。見事な肝っ玉と、ひそかに感心したものよ」
「……申し訳ありません、うちの両親はわたしのこととなると、ちょっと見境が……」
「だからこそ、今回も大丈夫だろうと思うんだよ。お前は堂々と、俺のことを友人として紹介してくれればいい」
「……友人、というには年齢差が……カインさん、十二歳も年上じゃないですか」
「はは、大丈夫大丈夫」
やけに自信たっぷりに笑うカイウス様を見上げながら、こっそりとため息を押し殺す。
本当に、この人といると退屈しない。良くも悪くも。




