16.研究の成果をちょっとだけ
そうして、私はだだっ広い空き地に立っていた。遠くには魔導士の塔と、さっきまでいた建物が見えている。
この空き地は、魔法の練習や実験のための場所だ。
魔法が暴発した時に備えてかなり広く場所を確保してあるし、空き地のすぐ外には魔法でぐるりと防壁が張られている。それもとびきり頑丈なやつだ。
それにここは魔導士の塔からよく見えるから、万が一大きな事故になったとしてもすぐに魔導士たちが駆けつけてくれる。
私の後方には、わくわくしながらこちらを見ている一団がいた。
料理同好会のみんなと、魔法研究会のみんな、それにもちろんカイウス様だ。彼らを守るように、魔導士が魔法の防壁を張っている。
これから私は、みんなに召喚魔法を披露するのだ。正直気乗りがしないのだけれど、みんなに押し切られてしまった。
学園でも有名な天才少女が、魔導士見習いの地位まで与えられていた。
ずっと隠されていたその事実を知ったみんなは、お願い、ちょっとだけでいいから魔法を見せて! と大騒ぎを始めたのだ。
まあ、私の研究も結構進んできたし、その成果を確認すると思えば……。できれば、観客のいないところでやりたかったのだけれど。
背後からの熱い視線をつとめて無視しながら、考える。さて、どんな魔法陣を描こうかな。
せっかく人に見せるのだから、ありきたりなものは面白くないかも。研究の成果を詰め込めて、見た目に楽しくて、危なくないもの。
うん、あれにしよう。両手を挙げて、指で空中に魔法陣を描いていく。右手で右半分を、左手で左半分を。
魔法陣はほぼ左右対称だから、慣れればこんなこともできる。魔力の制御が上達してからでないと、一気に魔力を使ってしまって倒れたりするみたいだけど。
「おっ、思ったより大きい魔法陣だな!」
カイウス様の楽しそうな声がする。後ろの観客たちの中で、唯一彼だけは私の魔法を見たことがある。
今私が描いているのは、その時の魔法陣よりはずっと大きいものだった。とはいえ、私が両手を広げた大きさよりは小さいし、客観的に見れば小さいほうなのだけれど。
きっとみんな、大きめの召喚獣が出てくると思うんだろうな。こっそりと笑みを浮かべながら、魔法陣を起動させた。
とたん、中から白く輝く柱のようなものが噴き出してきた。予想外だったらしく、後ろからざわめきが起こる。
「何、あれ? 水かしら」
「いや、もっと軽くないか? 小さな何かが集まっているような……」
「花びらみたいにも見える……すっごくたくさんあるね」
その白い何かは空中でぶわりと広がり、大きな蝶を形作る。
私の身長よりずっと大きな輝く蝶が、優雅に宙を舞っていた。たくさんの歓声が、一斉に聞こえてくる。
私が学園で魔法の研究を始めてから、身につけたことがいくつかある。
まずは、魔力の消費を抑えて効率よく魔法陣を描く方法。大きな子を呼ぶためには、必須の技術だ。
でもそのためには、小さい子をちまちま呼んでいても駄目だ。ある程度まとまった魔力を使う練習をしないと、いつまで経っても魔力の無駄遣いが直せない。
かといって、私はまださほど大きな魔法陣を描けない。今開発している方法が完成すればもっと大きな魔法陣を描けるのだけど、それにはもう少しかかる。
なので、小さい子をまとめて呼ぶ練習をしたのだ。これなら魔法陣はそこまで大きくなくてもいいし、魔力もたくさん使うこともできる。
とびきり小さい子を、無数に。それが、今使ってみせた魔法だ。もっともこの魔法陣には、他にも工夫がしてあるけれど。
「この子たちは危なくないから、近くで見ても大丈夫ですよ」
振り向いてそう声をかけると、真っ先にカイウス様が駆け寄ってきた。他の人たちはちょっと戸惑っているのに、彼だけは少しも動じていない。
そうして彼は大きな蝶に顔を寄せて、なるほど、と感心したようにつぶやいていた。
「ああ、小さな蝶の群れだったのか。まるで真珠のような、美しい羽だな」
子供のように無邪気な顔でそう言って、彼は蝶の群れに手を伸ばす。
数匹の蝶が群れを離れて、彼の手に止まった。コインくらいの大きさしかない、純白の蝶だ。
「はい、そうなんです。今までにもハトやウサネズミたちに整列してもらったことがあるんですが、ハトたちは何度も一緒に練習しましたし、ウサネズミはルルが指揮をとってくれてました」
そんなことを話している間にも、蝶たちはどんどん群れを離れて、私やカイウス様の頭や肩に止まっていた。
「初対面の子に統率の取れた行動をとってもらうのは難しいんです。なので、制約の魔法の代わりに『こんな感じで動いてもらえると嬉しいです』って書きました。わたしは『お願いの魔法』と呼んでいます」
そんなことを話していたら、ようやく他の人たちも集まってきた。おっかなびっくり、蝶に触れている。
それを横目で見ながら、さらにカイウス様と話し込む。
「しかし、『お願いの魔法』か。ゾルダーあたりが聞いたら目をひんむくぞ」
「わたし、召喚獣に命令するのは嫌なんです。友達みたいなものですから」
きっぱりとそう答えると、カイウス様は口を閉ざしてふっと微笑んだ。やけに切なげな表情に、ちょっとどきりとする。
「……カインさん?」
「ああ、気にするな。だが、どうかお前はそのまま……優しいお前のままでいてくれよ」
初めて会った時から、彼は皇帝にしてはちょっと変わったところのある人物だと思った。
こうして話していると、やっぱり彼は変わっていると、そう確信できる。
ちょっと魔法が得意なだけの子供である私をわざわざ帝都に呼んで、しかも忠誠の首飾りを与えてしまった。たった四歳の子供に。
あの時の陛下は、皇帝らしく威厳に満ちた口調ではあったけれど、同時にまるで父母のような、とても優しいまなざしを向けてきていた。
まだ十六歳だったとは思えないくらい、大人びた表情だった。
そして今、十九歳のカイウス様は、七歳の私にやはり優しく微笑みかけている。けれどその微笑みは、何だか前のものとは違うような気がした。
何だろう、いまいちはっきりしないのだけれど、父母や兄姉のような、年上の者が年少のものに向ける慈悲に満ちた表情とは違っている。
そう、もっとこう……親しい友人に向けるような、あるいは憧れの相手に向けるような、そんな目をしているように思う。不思議なくらいの親しみと、その中に見え隠れする切なさ。
でも、どうして彼はそんな目を私に向けているのだろう。
私は彼より十二も年下で、私の頭は彼のお腹のところにある。
前世の記憶がある分、精神年齢は私のほうが上かもしれないけれど、でも彼はそのことを知らない。彼にとって私は、ただの少女でしかないのに。
不思議に思いながらも、カイウス様の目、いつもの金色ではなく晴れ晴れとした青い目をじっと見返していた。
周りでみんながはしゃいでいる声が、やけに遠くから聞こえてくるように思えてならなかった。




