14.料理同好会は大忙し
それから私は、学園での勉強に、魔法陣の研究に、料理同好会の活動にと、さらに忙しく動き回っていた。
さらにその合間に、魔導士の塔に足を運んで、読書にふけったりもした。
正直かなり難しい本ばかりだったけれど、魔法陣の研究に役立ちそうな様々な知識を得ることができた。
そんなこんなで、余計なことを考える暇すらなく、ただ毎日が充実していた。前世のことすら忘れそうなくらいに。
「こんにちは、料理同好会です!」
「おやつの差し入れに来ました!」
今日も今日とてそんな掛け声と共に、他の同好会を訪ねていく。私たちが手に手に提げたバスケットからは、さっき焼けたばかりのマフィンのいい香りがしている。
「あ、ジゼル……」
「差し入れ持ってきたよ、アリア」
演劇同好会のところを訪ねていったら、アリアと出くわした。彼女はどこの同好会に入るかぎりぎりまで悩んでいたけれど、結局ここにしたらしい。
アリアは舞台裏の片隅にある大きな机に向かっていた。その上には、金属の箱が置かれている。
ノートを広げたくらいの大きさの箱の表面にはあれこれと模様が彫り込まれていて、あちこちがぴかぴか光っている。変わった見た目だし、それ以上に用途が分からない。
ナフキンに包んだマフィンとあつあつの紅茶が入ったカップを手に、そちらに近づいていく。
「はいこれ、マフィンとお茶。で、あの……その箱、なに?」
「……操作盤」
マフィンとお茶を受け取りながら、アリアはそう答えた。
「舞台って、役者以外にもたくさんの仕事があるの。衣装や、舞台に出すものを作る人とか、照明や音を操作する人とか……」
「アリアは裏方なんだっけ」
「うん。目立つの、嫌だから。これは魔導具の一種。舞台の照明を変えたり、様々な音を出したりすることができるの。これを使って、舞台の演出をするのがわたしの担当」
「へえ、そうなんだ……」
操作盤に意識を集中すると、確かに魔法の気配がする。でも召喚魔法しか使えない私には、それ以上詳しいことは感じ取れない。
「これ、魔法が使えなくても大丈夫なの。操作を覚えれば、誰でも使えるから。……このマフィン、おいしい。すごく」
マフィンを頬張って、アリアが小さく微笑んでいる。ちょっとはにかんだような、年相応の愛らしい笑顔だった。
「気に入った? なら、また作るわ。レシピもらったから。……料理同好会の秘伝のレシピなんだ」
「うん、お願い。あ、そうだ。ちょっとそこに立ってみて。マフィンのお礼」
マフィンを食べ終わったアリアが、すぐそばの舞台を指さす。
私がそちらに移動すると、彼女はおもむろに操作盤に触れた。両手をしなやかに動かしてあちこちに触れているさまは、まるでピアノを弾いているようでもあった。
「これ、海」
次の瞬間、私は青い世界に立っていた。
床には青い光がゆらめき、壁には明るい空の青が広がっていた。どこからか、ぱちゃん、ぱちゃんと波の音もしている。上からはまぶしい光が降り注ぎ、床の青がきらきらと輝いていた。
「うわあ、すごい……」
「ここをこうすると、嵐の海になるの」
さらにアリアがあれこれと操作をすると、周囲の様子が一変した。
床はまがまがしくうねる藍色に、空は重くよどんだ灰色に。辺りを満たしていたまばゆい光は消え去り、ばあん、どおんという荒れ狂う波の音と、吹き荒れる風の音が響いていた。
目を真ん丸にしたまま、辺りを見渡す。すごい。
演劇なら両親と見にいったことがあるけれど、今アリアが操っている舞台は、そういった本職のものに少しも劣っていなかった。
「アリア、まだ演劇同好会に入ってそんなに経たないでしょう? それなのに、もうこんなことができるの?」
「わたし、覚えるのは得意だから。それにピアノも、小さい頃から習ってたの」
珍しくもどことなく得意げなアリアが可愛い。それはそうとして、また周囲の光景が変わっていた。
今度はどこかの屋敷の中だろうか、白い漆喰の壁に美しい石張りの床、そこにシャンデリアの明かりが映り込んでいる。またしても、アリアが一瞬で切り替えてみせたのだ。
わあ、と歓声を上げていると、何だかやけに視線を感じた。辺りを見渡すと、みんなが私を見ていた。ちっちゃな妹を見守る兄姉のような、そんな顔で。
なんだか急に恥ずかしくなって、両手で顔を隠す。とても温かい笑い声に包まれながら、こういうのも悪くないな、と思った。
これは前世の私が一度も体験したことのない、とても優しい時間だったから。
「さあ、今日は魔法研究会に差し入れよ」
ある日、エマが張り切ってそう言った。今日の差し入れは、焼きたてのバゲットに切れ目を入れて、薄切りのハムとチーズをはさんだものだ。
ハムとチーズは専門店で買ったものだけど、バゲットは私たちが焼いたものだし、塗ってあるバターはハーブやサワークリームを混ぜ込んだ特製だ。
料理同好会は、本当にたくさんの秘伝レシピを持っている。
おかげで両親は、日々私の手料理を食べては歓喜の涙を流すのがすっかり習慣になってしまった。ちょっと大げさだなとは思うけれど、料理同好会に入ってよかったなとも思う。
いつものようにエマを先頭に、バスケットを抱えてみんなで歩く。さっきからちょっと気になっていたことがあったので、彼女に尋ねてみる。
「あの、魔法研究会ってどこでやってるんですか? 魔法同好会なら、学園の中にいますけど」
「ああ、ジゼルはまだ知らないのね。この学園って、二年生から六年生の生徒は『同好会』に入って学園や寮で活動するけれど、七年生から九年生の学生は『研究会』に所属するの」
私たち貴族の子供は、六歳から十二歳までこの学園に通うことが義務付けられている。
けれどそれ以降も、希望すればもう三年間、さらに高度な教育を受けることができる。それが七年生から九年生、高等科の学生だ。
「研究会では、研究生なんかと一緒に、より専門的な、高度なことを自主的に学ぶのよ」
そして高等科を卒業した後も、たまにさらなる学びの探求のために学園に残る者がいる。
初等科や高等科の子のように授業を受けるのではなく、思い思いに研究を進める、そんな彼らは研究生と呼ばれている。
エマの説明に続いて、上級生たちがてんでに言葉を付け加えていく。
「だから研究会の活動場所は、学園の中に限られないんだ。剣術研究会なんか、帝城の練兵場にいるんだぜ」
「騎士が手合わせしてくれることもあるんだって。すごいよね」
「魔法研究会は、魔導士の塔……はさすがに危なくて入れてもらえないから、その隣の倉庫兼作業場の建物にいるよ」
「魔導士と学生と研究生がごちゃごちゃになってて、すっごいよね、あそこ」
「別名『変人たちの巣窟』だしなあ」
魔導士の塔は入ったことがあるし、その横の建物にも見覚えはある。でもそちらの建物については、中に入ったことはない。そんなにとんでもないところだったのか、あそこは。
身震いした時、ふとある疑問が浮かんできた。
「でも、それならわたしたち料理同好会じゃなくて、料理研究会が差し入れにいくんじゃないんですか? 年の頃も合いますし、もっと豪華な料理を作れそうですし」
私の言葉に、みんなが一斉に首を横に振った。エマが残念そうに、言葉を付け加える。
「料理研究会はないのよ。貴族の子女には全く必要のない技能だから。私たち貴族の子女は文官や騎士になることはあるけど、料理人になることはない」
「でも、俺たち本気で料理を愛してるんだ」
「だから秘蔵のレシピをどんどん改良して、代々受け継いでるの」
「こうやってあっちこっちに差し入れしているのも、実は私たちの腕を認めさせるためでもあるのよ」
「いつか陛下に、料理研究会の設立を直訴するのが私たちの夢なの。学生や研究生の中にも、賛同者はいるから。元料理同好会の先輩とか」
みんなは熱っぽい口調で、そんなことを言っている。子供らしいその熱意が、とってもまぶしい。
心は大人で、そして国の統治ということについても知っている私には、たかだか十歳程度の子供に変えられることなんてそうそうないのだと分かっていた。
でも、みんなを応援したいとも思っている。それに、あの陛下なら……案外面白がって、許可を出してくれるんじゃないかな、という気がする。
私の肩の上で堂々と立っているウサネズミのルル、彼が背負っているリュックの中身を思い出しながらそっと微笑んだ。
「さあ、着いたわよ。今日も私たちの料理で、みんなをうならせてあげましょう!」
エマの号令で、私たちは足並みそろえて行進していった。魔術師の塔のすぐ隣にある、背の低い建物に向かって。
まさかそこに、あんなとんでもないものがいるなんて。当然ながら、この時の私は予想だにしていなかった。




