1.哀れな女王の最期
私を殺せと、叫ぶたくさんの声。私を捕らえている、冷たい金属の手かせ。
ひゅん。
私の首めがけて、刃が振り下ろされる音。それが、最期に聞いた音だった。
ことの始まりは、七年前だった。先代の王である父が急死し、私が跡を継いで女王となったのだ。
父は、自分が命を狙われているのだという妄念にとらわれていた。よその国が攻め込んでくるのだと、いつもそんなことを口にしていた。
どうしてそんなことを考えるようになったのか、いくら尋ねても一度としてまともな答えは返ってこなかったけれど。
そうして父は、ひたすら軍事のみに力と金を注ぎ込んでいた。重税に苦しむ民の姿も、荒れ果てていく国土も、父の目には見えていないようだった。
私は幾度となく、父に頼み込んだ。これ以上民を苦しめないでください、このままでは国が滅んでしまいます、と。でも父は、私の言葉を全て無視していた。
いつまで、こんなことが続くのだろう。ただ嘆くことしかできなかった日々は、突然終わりを告げた。
ある日、父は眠ったまま息を引き取ったのだ。そうして私が、女王としてこの王国を背負うことになった。父がぼろぼろにした、息も絶え絶えの国を。
私は寝食を惜しんで、ひたすらに働いた。国を、民を救うために。気づけば、七年が経っていた。
その頃には努力のかいあって、ようやく国も持ち直してきた。民も少しずつ富み始めてきた。あちこちから上がってくる悲惨な報告に、歯を食いしばりながら執務をこなすこともなくなってきた。
これまで耐えたかいがあった。これから、きっと民も幸せになっていくだろう。そう、思っていたのに。
そうしてほっと胸をなでおろしていた私のもとに、突然恐ろしい知らせが舞い込んできた。
民が、反乱した。自分たちを苦しめる女王を打ち倒すために、内乱を起こした。そんな知らせだった。
王国のあちこちで、同時に民たちが立ち上がった。彼らが目指すは王宮、狙うはこの私。
けれど民の生活を立て直すため、私はほとんどの騎士を解雇してしまっていた。王宮の守りなんて、二の次だった。民の行き来を阻む関所も、最低限のものを除いて廃止していた。
豊かになり始め、そして自由な行き来ができるようになった民たちは、手に手を取って、私に牙をむいたのだった。父へ対する恨みを、そのまま私に向けるかのように。
あっという間に、民たちが王都に押し寄せてきた。というより、王都の民もまた私の敵に回っていた。
残り少ない騎士たちを王宮の守りにつかせたけれど、どうやら彼らも民たちを止めることはできなかったようだった。少しずつ、荒々しい物音が近づいてくる。
「いたぞ、女王エルフィーナだ!」
そんな声と共に、玉座の間の扉が乱暴に開く。ああ、とうとう民たちはたどり着いてしまった。
質の悪い剣や、手作りらしい槍、農具。武器と呼ぶにはあまりに質素なそれらを血に染めて、彼らは怒りもあらわに叫ぶ。
「あんなに重い税を取り立てやがって、俺たちが飢えて死ねばいいと思ってたんだろ! 先王みたいにな!」
違う。私は父とは違う。私は取り立てた税を、より貧しい地域を救うために使った。
そうしてそちらが持ち直してきたら、また別の地域へと。餓死者が出ないように、一生懸命に調整して。
「しかも、あれこれと厳しい法律を定めたじゃないか。どれだけ俺たちを苦しめるつもりだよ」
それも違う。父は自分を守るためだけの、好き勝手な法律をいくつも打ち立てていた。だから私はそれらを廃して、まともな法律を作り直そうとしただけで。
「あげく、たくさんの人間を処刑して……血も涙もないっていうのは、本当だったんだな」
だから違う。父は軍事以外の執務を全て放り投げていた。そのせいで、わいろを取っていた役人や、こっそりと法を破っていた商人などがはびこっていたのだ。
私が処分したのはそういった人間ばかりであって、いわれなく民を虐げた訳ではない。
そんな言い訳を全部のみ込んで、私はただ立ち尽くしていた。さっきまでとは違う絶望が、胸を真っ黒に塗りつぶしていくのを感じながら。
私の努力は、全て無駄だった。国のため、民のためと思って死ぬ気で頑張ったのに、民には私の思いが全く届いていなかった。
彼らはどうやら、私を殺したいらしい。その目的のために、民たちは今までにないくらい団結していた。
私の死は、きっと彼らに希望を与えるのだろう。だとしたら、それを私の最後の仕事にしよう。
もう、疲れてしまった。もう、民のために頑張るだけの力は残っていない。絶望し切った、こんな抜け殻のような私の命が役に立つというのなら、好きにするといい。
何一つ抵抗することなく、私は民たちに捕らえられた。そのまま王宮の地下牢に放り込まれる。
そして次の日の正午、私は処刑された。民たちの歓声の中で。
(……はず、だったんだけどな)
天井を見つめて、一人つぶやく。その言葉は、あうあう、というあいまいな甲高い声にしかならない。何度試しても、同じだった。
首に冷たい刃の感触を感じて、意識が途切れて。そこで終わるはずだった私は、なぜか終わっていなかったのだ。
次に目を開けたら、ぼんやりと天井が見えた。断定はできないけれど、ここはおそらく貴族の屋敷か何かだろう。
処刑されたはずの私は、どこかの屋敷のどこかの一室に寝かされている。訳が分からないながらも、そっと身を起こそうとした。
(あれ、おかしいわね……?)
動けない。手足をじたばた動かすことはできるけれど、身を起こすことができない。
混乱しながらさらにもがいていると、ぼやけた視界に自分の手が飛び込んできた。顔の近くまで手を持ってきて、まじまじと見つめる。
(これって……赤ちゃんの手!?)
そういえばさっきから、赤ちゃんのあうあうという声が聞こえている、というかこの声を出しているのも、私だ。
もしかして私、赤ちゃんになってる? まさか、そんな。
もう少し、周囲の状況を確認したい。せめて寝返りが打てないかなともがいていたら、部屋の扉が開く音がした。続いて、人影が二つ入ってくる。
「プリシラ、ジゼルが目覚めたよ」
「まあほんと。可愛いわねえレイヴン」
「私たちの子なんだから、可愛くない訳がないさ」
やってきたのは若い男女で、私の寝床のところにいそいそと歩み寄ってきて、私の顔をのぞきこんできた。二人とも、とても幸せそうに笑っている。
金の髪に茶色の目の、おっとりとした雰囲気の男性がレイヴン。明るい茶色の髪に紫の目の、元気な雰囲気の女性がプリシラだろう。
「ほーらジゼル、パパでちゅよー」
「ママもいるでちゅよー」
……そして、ジゼルというのが今の私の名前らしい。どうやら私は一度死んで、そうして生まれ変わったようだった。そしてこの二人が、新しい両親。
それはまあ、分かったのだけれど……。
(パパ、ママ、その赤ちゃん言葉やめて。恥ずかしいよ)
そう呼びかけてみるものの、やっぱり私の口から出るのはあうあーという音だけで。
「まあレイヴン、今この子私たちに話しかけようとしたわ」
「そうだねプリシラ。こんなに可愛くて、しかも賢いだなんて……将来は学者かな、皇妃かな」
「魔導士になるかもしれないわ。ああ、とっても楽しみ」
そうして、二人はひとしきり大はしゃぎしてから出ていった。にぎやかな人たちだ。
それからも両親は、日に何度も私のところにやってきた。
甘ったるい赤ちゃん言葉に辛抱強く耳を傾け続けているうちに、いくつかの事実を知ることができた。
まずここは、前世の私が暮らしていたあの王国ではない。『皇妃』という言い方をするからには、ここは皇帝が治める帝国だろう。
王国の隣に帝国があったけれど、もしかしてあそこだったりするのかな。
そしてもう一つ、この帝国には魔導士がいるらしい。
前世の王国には、魔法の知識はほとんど伝えられていなかった。当然、魔導士もいなかった。よその国に、そういった存在がいるらしいと聞いていただけで。
そんなこともあって、前世の私にとって魔法はひそかな憧れだった。
いつか王国が安定したら、他国の魔導士を客人として招待し、魔法について話を聞きたいなと、そんなことをこっそりと夢見ていた。結局、それはかなわぬ夢だったけれど。
でも私はもう、女王エルフィーナではない。どこかの貴族の娘、ジゼルだ。もう国のため民のために身を粉にして働かなくてもいい。
今度こそ自分のために、好きなことをして生きよう。あまりにも空しかった、前の人生の分も。
子供らしく遊ぶのもいい。魔法について調べてみるのも楽しそう。恋愛だってできるかな。ああ、やりたいことがありすぎて困ってしまう。
「あうー!」
片手を突き上げて、元気よく叫ぶ。これが私の決意表明だ。今度こそ、幸せになるんだと。
そんな私を見て、両親はそれはもう幸せそうに笑み崩れていた。