第0話
所謂歴史小説ではないので史実や名称などには突っ込まないでください
第0話 思惑雑多
天下分け目の関ヶ原から15年、伊達政宗が所領をここ仙臺に移して1
4年が過ぎ、城下町も整備され他の所領からも人が移り住み活況が出てき
た。
ここ数年、特に戦などもなかったので、政宗は領内の治世に力を入れて
いた。関ヶ原で活躍した家臣たちも例外ではなく、戦以外で各々活躍して
いた。片倉小十郎の懐刀」と呼ばれた柳井由蔵もその一人で、今は刀をそ
ろばんに持ち替えて勘定方として日々努めを果たしていた。
その由蔵がここ数日、落ち着きのない日々を送っていた。由蔵は今、1
つの事に心を奪われていたのだ。それは息子、真影についてで、彼はひと
月後に出発する、イスパニア国王に謁見する使節団の一員に選ばれたのだ
が、普通ならば誉とばかりに喜ぶべき事なのだろうが、真影は元服したと
はいえまだ15で父としては手放しで喜べない所であった。
真影が片倉小十郎が長子、頼永殿の小姓となって半年、まだ体も出来て
ないし、何より武芸の鍛錬がまだ終わっていない。過保護と言われるだろ
うが、それが親というものなのではないだろうか。
「あなた、また庭の松、剪定なさっているのですか?」
「ん?松の剪定は最近やっておらぬぞ」
「そう言って昨日も剪定をしようとなさったではありませんか」
「・・・後ひと月か」
遡る事4年前、イスパニアからの特使・セレステ・スコンティが江戸城
にて徳川家康に謁見した。貿易の許可とキリスト教の布教の許可を得る為
で、その上、特使をイスパニアまで送り国王に謁見させたいとまで言い出
した。体のいい朝貢である。貿易はイングランドとネーデルラントとすで
に行っているし、キリスト教の布教を許すと侵略の可能性が出てくる。ま
してや朝貢など冗談にも程がある。家康は割に合わぬと、この申し出を断
った。
この一件を聞きつけた片倉は、徳川が特使を送らないのなら我々が代わ
りに特使団を送り、イスパニアの技術を学ばせ、最新の技術を取り込もう
と進言した。この提案に政宗は乗り、特使派遣の為、出国の承認を家康か
ら取り付けたのだった。かくして使節団が組織され領内の若き才能が多く
選ばれた。真影もその一人で片倉家一門の一人として軍や操船技術を学ば
せる為に選ばれたのであった。
片倉家の庭先で真影は一人、憂いた表情で佇んでいた。
それを見かけた小十郎が真影に歩み寄る。
「浮かぬ顔をしているがどうしたのだ?」
「いや、浮かないというか・・その・・」
真影の父由蔵と小十郎は米沢の頃からの付き合いで、共に戦に赴き共に
死線を潜り抜けてきた仲でもあった。
小十郎が政宗の側近となってからは専ら由蔵が片倉家家臣を束ね、多く
の戦場で先頭に立って働いてきた。
ところが由蔵は関ヶ原の折、腕に負った傷が原因で左腕が上がらなくな
った為に戦に赴けぬようになってしまった。
その事に小十郎は非常に落胆した、なにせ幼少の時より切磋琢磨してき
た兄弟のような存在が働き盛りに働け無くなった。何たることかと。
小十郎はその日から柳井家を常にそばに置き、その家族まで大切にして
きたのだ。真影が生まれた時には我が子のように喜び、息子たちには兄弟
のように接しさせた。
そんな真影だからこそ、成長を期待して年齢が少し足りなかったが主君
に熱く説得して得た使節団の席が、本当は必要ないものだったのだろうか
と己に問い返していた。
「この度の遠征について何か不満でもあるのか?」
すると真影は少し考えてから神妙に答え始めた
「不満などありません。私は元服して間もなく、さしたる武勲を上げてい
いのに遠くに離れてしまい、小十郎様の為に働くことが出来なくなり
ました。」
真影は家族と離れる事よりも何よりも自分のために働けなくなることを
憂いている。小十郎はこの少年を改めて愛おしく思った。
「真影よ、この度の遠征は目先の事を考えての遠征ではないのだ、これか
ら何十年、いや何百年も伊達家を続かせる為に大切な遠征なのだ。だか
らお主は胸を張って行って良いのだ。」
更に小十郎は真影に熱く説いた
「イスパニアに行くことは新たな知識や情報を得る事となる。それを持ち
帰り知識を広めていけば伊達家が強くなれる。何年かかるか判らないが、
戻ってきたら伊達家のため片倉家のために働いてほしいと。そして頼永を
支えて欲しい。」
真影はこの遠征の真意を聞き、何十年後の事まで見通す小十郎に対し、
改めて不世出の名参謀と言われる所以を垣間見た。
それからひと月、秋風が肌寒く感じるようになって来た頃、イスパニア
特使のビスコンティは晴れ晴れとした表情で船を眺めていた。
日本に来て4年。途中で船が座礁して沈没するというアクシデントに見
舞われ、新たに船を建造しなくてはならなくなってしまった。ここ数年は
船の建造に携わる一方、奥州各地を見て回り、多くの物を集めてきた。
「この数年間は日本に足止めを喰って碌に商売が出来なかったが、帰国し
たらこいつで一稼ぎしてやろう。」
彼は帰国後の新たなビジネスチャンスを夢見て、心が湧きたっていたの
だ。この多くの宝の数々を本国に持ち替えれば、少なくとも英雄視される
し、宝を売ればひと財産になるだろう。これを喜ばない訳がないじゃない
か。
一方、今回の使節団の特使に任命された宣教師ルイ・コルサは不安に駆
られていた。布教活動は禁じられるは、行動に制限掛けられるはで殆ど軟
禁状態だった為に、さしたる成果を上げられず、帰国後にどのような言い
訳を考えようかと試案の日々だったからだ。それに元々船が苦手で日本に
至るまでの航海で、心が休まったことが無かったのだ。ここより停泊地ま
での数日また不安の日々が続くことがたまらなく嫌だったのだ。
真影は乗船する前、家族に出発の挨拶をした。今生の別れの言葉ではな
く新たな門出の言葉でである。母と姉は泣き通しだった。
「ここまで来たら、もう何もいう事は無い。しっかりと学んで帰って来
るのだ。あと、体は労われよ。」
なんだか父の肩が小さく見えた。小さい頃はあんなに大きく見えたのに
ゆっくりと船が月の浦の岸壁を離れていく。
見送りに来た人々に手を振りながら、
「しばしの分かれ、そう、たかが数年の別れなのだ」
真影は自分に言い聞かせた。
涼やかな秋風が真影の頬を撫でる。
「ちょっと寒いな、中に入ろう。」
船は南に向かっている。仙臺は冬に向かっているが、これからは暖かい
場所に行くらしい。どんな所なんだろう。
数刻が過ぎ陸地が見えなくなって、新たな土地の事に思いを馳せた時、
真影はちょっと心躍っている自分に驚いた。