第16話 こじつけの部活動 +神様からの告知
どう考えても海棲有袋類っていないと思う。
「デモ ナンデ オナカ ノ フクロ ノ イリグチ ハ sphincter デ トジル コトガ デキル デス?」
さて、色々と事が終わった後、エレノアはちょっとした疑問を口にした。ようやくここまで来てそこに疑問を持つのかよと周りは思ったのだが、まあ口には出さない面々であった。
「ネット デ ミタ カンガルー ノ オナカ ノ フクロ ノ イリグチ ハ ヤワラカソウ ダッタ デスヨ」
「ああ、それは我輩が答えよう」
知識をひけらかす局面を虎視眈々と狙っていた坂東先輩がすかさずしゃしゃり出る。
「オネガイ シマース」
「じゃあ、坂東先輩。トイレから部室のほうに戻りませんか? さすがにいつまでもトイレの中で話し続けるのもなんですから」
「神賀の言う通りだよな。今の男子トイレは個室ばかりで小便器が無いから俺の感覚だとなんとなくトイレっぽく感じないけど、トイレはトイレだからな」
「ですね。有恩先輩の言うように、小便器のように便器がむき出しになっていないから、昔の男子トイレに比べたらそれほど汚いところという感じがしないですし」
「まあ、言われてみれば確かに今の男子トイレとか、昔の女子トイレというのは便器が個室の中に隠れているから、我輩も汚さを連想しにくいというのは分からないでもない。なるほどなるほど」
なんて会話をしつつTS研究会のメンバーとエレノアは男子トイレを出ると、文芸部が部室として使っている教室へと引き上げていった。
「……というわけでだ。神様情報によると、並行世界の有袋人類というのは大型の肉食獣を避ける為および食料を得るために海岸とか大きな湖の畔とかといった水辺で暮らしつつ進化したらしい。その際水の中に入ることもあったろうが、育児嚢、お腹の袋の中に水が入ってこないように袋の入り口を括約筋で閉じることができるようになったということだ」
坂東先輩はそう言うと、私物のタブレットを操作して現生人類であるホモサピエンスが水辺で進化したというアクア説を解説するページを開いて、エレノアに見せるのだった。
「このアクア説というのは証明されていない仮説でな、従来の学会からはほぼ無視されているんだが、神様情報で有袋人類は水辺で進化したということが明言されていたことから、ホモサピエンスも実は水辺で進化したというアクア説は正しいんじゃないだろうかと注目されているのだよ。ま、日本国内においては、だがな」
どうだね、理解できたかね? といった表情で坂東先輩はエレノアを見つめる。するとそこには困惑した顔をしたエレノアがいた。何やら思い悩むところがあったらしい。
「エレノアさん、なんだか難しい顔をしてますけど、何か分からないところがありましたか? 坂東先輩の説明でわからない言葉とかあったなら解説しますよ」
「カンガ サン チガウ デス。セツメイ ハ ゼンブ ワカッタ デス」
「じゃあ何が問題なんだ?」
「……」
有恩もエレノアが何に思い悩んでいるのか聞いてみたのだが、エレノアは沈黙したまま固まっている。どうしたものかと坂東先輩に神賀、そして有恩はお互いに顔を見合わせた。すると何かに気が付いたのか、尾歩都がうんうんとうなづきながら話し出した。
「先輩たち。佐夢はエレノアさんが何を思い悩んでいるのか、たぶん分かっちゃいましたよ」
「ほう、尾歩都よ、我輩には分らなかったが、分かったのか。すごいな」
「尾歩都君、エレノアさんが何に思い悩んでいるのか教えてください」
「こら、尾歩都。じらさないで早く言えよ」
「ふふふ、じゃあ言っちゃいます。エレノアさん、あなたは日本の神様が進化論を認めたことに対して混乱しているんじゃないですか?」
さて、例の神様が天皇家に渡した神様情報満載の本には、確かに有袋人類が水辺で進化したという記載があった。日本人たちはそれを読んで、『ああ、なるほど』としか思わなかったのだが、神様による天地創造説を信望する人たちにしてみれば、驚愕の事実ということになる。
世界にはいまだに進化論を否定する人々がそれなりの数で存在するのだが、少なくとも日本の神様は進化論を肯定している。お墨付きを与えているということになった。
確かに日本の神話においては、神が人間を創造したということにはなっていない。国生みの神様は国土を産み、様々な神々を産んだが、人間を創造してはいない。
日本神話では、大地がまだ脂身のように漂っているときに、わずかばかりの泥の中から葦の芽が自ずと萌え出たとある。どうやらこれが人間の祖先とされているらしい。つまりなんとなく生命が自然に生まれて進化して人間になったという理解が出来なくもない。
「ソウデース カミサマ ガ シンカロン ヲ ミトメル ナンテ シンジラレナイ デース」
「いや、まあ、もしかすると日本の神様と、キリスト教の神様とでは違う見解かもしれないし、エレノアさんがそこまで悩むほどじゃないんじゃないかな」
神賀はそう言ってエレノアを慰めるが、これもまた日本人の独特の宗教観と言える。日本では基本的に多神教の考え方が根付いているので、日本の神様たちの他にキリスト教の神が別にいてもおかしくないと考える。それどころかイスラム教の神様が居てもいいし、インドや中国の神様も並列して存在していてもおかしくないと考えている。
しかし一神教の文化で育った人間は、極端な話、キリスト教の神様を認めるならイスラム教の神様の存在は認められないということになる。まあ、キリスト教の神様もイスラム教の神様も、もともとはユダヤ教の神様と共通なので同一【神】物ということになるのだけれど。
「ワタシタチ ノ カミサマ モ デテキテ クレレバ ヨイノニ……」
「ま、それはそれとして、エレノア君。我輩の説明が分かったというなら、有袋人類のお腹の袋は括約筋で出入り口を閉じることができるというのは理解できたということでよろしいな」
「ハイ ナントナク ナットク デキナイ キモチ ハ アリマス ケド セツメイ ハ ヨク ワカリマシタ」
とりあえず自分の信仰と今の話の折り合いを着けたのか、エレノアはまた元の表情に戻っていた。
「それにしても海岸とか水辺とか言うけど、実際の地名はどこなんだろうな」
「有恩君、そこまでは神様情報には書いてなかったそうですよ」
「我輩が思うに、並行世界の有袋類はこちらの世界の有袋類よりも広く世界に分布していたということだから、何処とは特定するのは難しいだろうな」
「ですよね。でも佐夢としては熱帯地方の暖かい海のあたりだと思うんですよ。冷たい海よりは温かい海のほうが入りやすそうですし」
「ウミ ト イエバ ワタシ ウミ ヲ ミタコト ガ ナイ デス。イチド ウミ ヲ ミテミタイ デース」
その瞬間、TS研究会のメンバーだけではなく、文芸部の女子たちも含めて部室として使っている教室内がザワッとした。
「エレノアさん、海を見たことが無いんだったら、日本にいる間に見に行くしかないでしょ。ねえ、男子たちもそう思うでしょ!」
そういったのは文芸部の部長、庵手絹子であった。エレノアたちの話を教室内で耳をすませて聞いていたものの今まで話には加わっていなかったのに、やけに喰いつきがいい。
「そういえばそろそろ海開きの時期だったかな」
「そうなのよ神賀くん! エレノアさんが日本に居る間に是非とも海を見てもらいましょう。文芸部の部活動の一環としてもいいわ。海に行った感動をエッセイでも小説でも短歌でもなんでもいいから書いてもらえれば部活動として認められるし」
庵手部長は神賀にそう主張すると、文芸部の会計を任されている小荒阿良子を振り返った。
「確かにそうすれば海に行くことも文芸部の部活動ということになりますから、来年度の部費を申請する実績作りにはなりますね」
「でしょ? ねえ、海に行こうよ。良いでしょ。神賀くん」
「ウミ 二 イケル ノ デスカ? ワタシモ イキタイ デース!」
庵手部長と神賀の会話を聞いたエレノアは心に秘めた本国からの任務のことも忘れて純粋に海に行きたい気持ちを表した。こんなところは年齢相応の女の子である。
「しょうがないですねえ。じゃあ来週の土日のどちらかにでも近所の海に行きますか」
「良し! みんなも良いわよね?」
庵手部長が純粋な文芸部の部員に聞いてみる。
「私は良いですよ」
「部活動ってことならあたしも行くわよ」
「美須美ちゃんが行くなら僕も行こうかな」
答えたのは小荒阿良子に武宇羅美須美、そして御厨修武である。
「僕たちのほうも良いですよね」
神賀もTS研究会のメンバーに聞いてみる。
「我輩ならOKだぞ。大学受験前に最後の息抜きとして海に行くというのも悪くない」
「俺も大丈夫かな。ていうかこのナイスバディーをまわりのギャラリーたちに見せつけてやりたいからな」
「佐夢もOKですよ。坂東先輩が行くなら僕も行きます」
「モチロン ワタシ モ ダイジョウブ デース」
なんとなく急に決まった海へ行っての部活動というイベントはおおむね皆に好評であった。
「ツイデニ オナジ リュウガクセイ ナカマ ノ ジェイコブ モ サソッテ イイデスカ?」
「もちろんいいわよ。さあてこうなったらそれまでに皆、ちゃんと水着を買っておいてね。ボクもだけど今まで持っていた水着は着られなくなってるでしょ? ちゃんと有袋人類用の水着を買ってくるようにね」
そうなのである。有袋人類へと体が変化して、男子はかつての女子のような外見へと変わってしまったのだが男子であることには違いが無くて、胸におっぱいは付いてるしお腹に袋はあるわだが、股間にはしっかりと男性器も付いているのだ。
これでは女子たちから昔の水着を貸してもらったり、あるいは譲ってもらうということはできない。
まあ、無理して着ることもできるが、股間のもっこり部分がはみ出してしまわないか心配だ。
対して女子たちの股間にはもちろん男性器は付いていないが、出産管という有袋人類特有の女性器が付いているので、股間はもっこりしている。だから以前の男性が着ていた男性用水着を普通に着ることができる。
だからと言って男子たちから前の水着を中古品としてもらうという選択肢は無い。上着やズボンとかならまだいいが、股間に直接密着するような衣類の中古品は普通の感覚なら遠慮したいからだ。
しかしまあ神賀に恋している庵手部長なら神賀が前に着ていた水着を喜んでもらうかもしれないが、たぶん使用方法が他人と違うと思う。
「というわけで神賀くん。水着、期待してるわよ」
きらりと目を光らせてそう言う庵手部長は下心満載の表情をしていたという。
さて、日本政府中枢部の某所では、青く光る柱として顕現されている神様を相手に会話が続いていた。ちなみに星や宝石のようにきらめいている光点を散りばめた黒い闇の柱の神様は静かにその会話を聞いていた。
外国に関する話なので餅は餅屋ということで海外担当の神にすべてを任せるつもりらしい。
「それで、神様。いったいどうやって脳肥大化ウィルスを何とかするのでしょうか?」
「やはり神様の力で、パッとウィルスを消滅させるということですか?」
『いやいや俺も神ではあるが、既に存在しているウィルスを、それも父神様の神力の結果としてこの世界に存在しているウィルスを消滅させたり毒性の無いものに変化させるというのはちょっと難しい』
「難しいということは、不可能ではないということなのでは?」
『もちろん不可能ではない。ただ、その為には500年ほどの時間が必要なのでな』
「本質的には不可能ではないが実質的に不可能というわけですか」
『うむ、なので俺の権能を使って脳肥大化ウィルスを可能な範囲で世界からかき集めて日本に隔離するという方法を取らせてもらう。ふふふ、まあ任せておけ』
「可能な限りということは、完全に隔離は出来ないということじゃ……」
『大気中や水中に漂うウィルスは俺の権能で隔離できるが、既に人間や動物たちに感染している体内のウィルスは隔離不可能だ』
「……そうですか」
『なに、今の人間の医療技術の進歩具合を考えれば、数十年程度の時間があれば脳肥大化ウィルスを無効化する方法ぐらい開発できるだろう。その時間を稼ぐためのウィルスの隔離というわけだ』
「なるほど。理解しました」
『ほほほ、では理解したところでこやつが海外諸国に直接告知するタイミングを見計らって、脳肥大化ウィルスを日本国内に隔離するということを通達してもらおうか』
「承知いたしました」
『ウィルスを隔離する為には世界中の風と海流の流れをいじらねばならん。俺としても地球環境への悪影響が無いようにするためにはしばらく時間が欲しい。そうだな10日ほど後になる』
『では妾は、4日後に迫った新月の晩に日本の国土に棲む獣たちをすべて有袋類へと変化させるので、その件はすぐにでも国内に告知して欲しいのう』
「ははーー。神様方の仰せのままに」
そしてすぐさま日本政府から神様からの告知であるとしてアナウンスされたのが下記の内容であった。
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全日本国民へ
日本人を有袋人類へと変化させた神様の妻神様より知らされた内容を告知します。4日後の新月の晩に日本国土に存在するすべての有胎盤哺乳類の動物は、神様の力によりそのすべてが有袋類へと変化します。
野生動物、家畜、ペットを問わずすべての有胎盤哺乳類の動物が対象です。但し今回は海外在住の日本人が飼っているペットは対象外となります。ご注意ください。
その際、元の姿と極めてよく似た種類の有袋類へと変化するそうです。一例を挙げれば犬はフクロオオカミのような有袋類から家畜化された犬によく似た有袋類へと変化するとのことです。
なお別件ですが、今より10日後、日本国内だけではなく全世界に対して極めて重要な情報が告知される予定です。特に危険を伴うような内容ではありませんが、国外在住の邦人に置かれましては可能ならば帰国をお願いいたします。
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この内容を受け日本国内はもちろん海外諸国もまた震撼することになったのであった。10日後には、いったいどういう内容の情報が告知されるのかと。
もう少しだけ続くんじゃ。




