第8話 白昼の疾走
僕は今まさに、指を切られようとしている。
本部長がナイフのような刃物を取り出し、僕の人差し指の付け根に当てる。
背筋が凍る。
篁「切るぞ」
と、言う前に刃を入れる。
吉「イッた!くない...」
指が取れる。断面は白い。
竹「あれ?ここに来るまでに色々説明受けてない?」
吉「何がですか?」
篁「実は里見のとこのやつが担当だったんだが、なにも教えてないみたいなんだ」
竹「そういえばあいつももう班長やってるんですね」
篁「もう6年目だからな」
本部長は竹中さんの指を切りながら思い出話を始める。
篁「お前が初めて班長になったときの班員だったな」
竹「そうですよ。最初は融通の利かない奴だったのに、後藤が消えたショックでなんかイイ奴になりましたね」
篁「あの事件か、懐かしいな」
昔話に花を咲かせているが、切って比べるだけならもう終わってるはずだ。
吉「あの~、早く結果を教えてくれませんか?」
篁「相変わらず生意気だな。だが、そうだな。竹中より魄量が多いな」
竹「マジかよ、こりゃ有望だ」
吉「え?褫魄隊でも上位ですか?」
篁「そりゃそうだ。東京の上位10人に入ってるんじゃないか?」
吉「おー、すげー」
篁「じゃ、指返すよ」
渡された指の切り口同士を合わせ、くっつけるイメージをする。
変な感じだ。なんだか指も伸びた気がする。
魄量が多いことに喜んだけれど、第五の人たちも魄量の上位5人という訳じゃないらしいし、寿命も負傷の頻度による。魄量は大した指標にならないのだ。
篁「17時頃に大隊長が集まる。それまで自由にしてくれ」
竹「まだ昼前か、時間あるな」
吉「時間があるなら第四大隊の所に行ってもいいですか?」
篁「そうだな、それがいい。暇そうなやつに案内させよう」
吉「ホントですか!ありがとうございます」
篁「帰りは第四の大隊長に送ってもらえ」
吉「わかりました」
竹中さんは周りを見渡し、また視線を落とす。居心地が悪そうだ。
竹「俺は暇が嫌いなので、もう帰りますね」
篁「島津が寂しがるぞ。昨日も話せてないだろう」
竹「いやいや、いいですよ。どうせ元気でしょ」
篁「いつ散るかわからないんだ、少しくらい待ってもいいだろう」
竹「羽田(空港)も大変なんです」
篁「この本部長が言ってるんだ。休暇と思えばいいじゃないか」
竹「もし本当に休暇でもアイツと会ったら休暇になりませんよ」
篁「そのときは俺が止めよう」
竹「ほんとですか?」
篁「実は頼みたいことがあるんだ。その代わりに手合わせを止めよう」
竹「それって、俺が今から帰れば僕にメリット無いですよね」
篁「お前にしか任せられないことなんだ」
竹「あーもう、ズルいっすね」
本部長は笑顔になり、竹中さんは少しだけ不満そうだ。
竹中さんは何か特別な役職に就いているんだろう。
2人は何かを話し合いながら去って行く。
見ていると大隊長が途中で消え、また現れる。
広いフロアの端にいた三代さんがこっちに歩いて来る。
三「昨日ぶりですね」
吉「あ、昨夜はどうも」
三「さっきの試験、見ていましたよ。練習もナシであそこまでできるなんて凄いですね」
吉「なぜ出来たのか分からないんですが」
三「ひとえに、才能ですよ」
吉「死んでからも才能に振り回されるんですね」
三「そうですね。でもみんなが同じなんて、とてもつまらないでしょう」
吉「好きなものの才能が無い人は絶望するしかないんですが、それでも才能は存在するべきと思いますか?」
三「ええ、才能は存在するべきですよ。人の事は知りません。いろんな人が居る世界の方が私は楽しいので。才能が無い人も無いなりに努力をすればいいんですよ。努力も出来ないなら、きっとそこまで好きじゃないんです。才能の問題じゃないですよ」
吉「魄の量とかってどうしようも無いじゃないですか」
三「それは運命というか、決まっている事は諦めるしかないですね。どうしても未練があるなら、魄が少なくても出来ることはありますから。神仏会に入るとか悪霊になるとか。個人的には才能の無さに甘えて神なんて存在しないものに縋る人よりも、諦めきれずに堕ちて悪霊化する人の方が好印象です」
吉「神仏会はそんなことできるんですね。でも、悪霊化の方が良いなんて言っちゃって良いんですか」
三「良いんですよ。宗教に入るってことは敵対されるってことですし、この『貫』の字も自分の正義を貫く意味を持っていますから。私は言いたいこと言うんです」
吉「なんだか冷たく感じますね」
三「世界はきっとそういうものですよ。もっと割り切らないと。才能が無い人を憐れむなんて傲慢だし苦しいだけです」
吉「三代さんもですが、褫魄隊の人ってサバサバしてますね」
三「そうかもしれませんね。でも自分の正義に素直なだけですよ」
吉「正義、ですか」
三「思想に近いかもしれませんが」
吉「それが善ならイイですが」
三「善悪の判断も正義によりますから、堂々巡りですね」
吉「そうですね」
少し無言の間ができ、三代さんが口を開く。
三「さて、研究所に向かいますか」
吉「はい、よろしくお願いします」
三「東大の近くにあってちょっと遠いですが、ちょうどいい機会です。走り方も教えますね」
吉「ありがとうございます。班員の皆さんも来るんですか?」
三「そうですね、私の班は基本的にここの守りですが、竹中さんもいますし、用なしでしょう」
篁「おいおい、そんなに卑下するな。今すぐ動けて、教えるのが上手いからだ」
三「わかっていますよ。ちょっと揶揄いたかっただけです」
篁「俺は気にしぃなんだ。そういうのはやめてくれ」
吉「気にしぃ、ってなんですか?」
篁「関西の言葉で、小さな事が気になって仕方ない人の事だ」
吉「はえー、関西出身だったんですね」
篁「いや、生きてた頃に左遷でな。本社に復帰してすぐに死んだが」
吉「あ、すみません。立ち入ったことを聞いてしまって」
篁「構わない。だが、生前の話を嫌う人もいるからな。これからは気を付けてくれ」
三「じゃあ、お話はそのくらいにしてそろそろ行きましょう」
篁「お前もしっかりしてきたな」
三「おかげさまで」
篁「おい、しっかりし過ぎだ」
本部長は竹中さんの元に戻り、また話を始める。
きっと本部長は多くの隊員から愛されているのだろう。いい上司って感じだ。
僕もこの世界に長く残れたなら、ああいう風になりたい。
三「じゃあ出発前に簡単に走り方を教えますね」
吉「お願いします」
三「まずはその場で腿上げをしてください」
吉「はい」
僕は普通に腿上げを始める。
三「もっと早くです」
吉「いや、今で結構限界です」
三「それが限界ですか?私のを見ててください」
三代さんが腿上げを始める。めっちゃ早い。間違いなくオリンピック選手よりも速い。シャシャシャっと空を切る音が聞こえる。
吉「どうなってるんですか」
三「体の制約はもう無いことを理解する必要があるみたいですね」
三代さんが僕の目の前に来る。
三「だんだん早くしていきますから、同じように動かしてください」
吉「頑張ります」
三代さんが僕の全力の速度で腿上げを始める。だんだんと早くなっていく。僕も必死に足を上下させるが、遅れ始める。
すると、三代さんの髪が僕の太腿に巻き付き、三代さんの太ももにも巻き付く。
三代さんが足を上げると僕の足も上がる。
三代さんの足が下がると僕の足も下がる。
チクチクと痛むが文句は言えない。
三「じゃあ、速度上げますね」
三代さんは笑顔でそう言い、またシャシャシャという音がし始める。僕の足も同じ速度で動く。すごく気持ち悪い。足の付け根が歪み始めている気がする。ダメだ、これはまずい気がする。
三「足を意識して!」
吉「そう言われましても」
弱気になりながらも超高速で動く足を意識する。
1分ほど続けたあと、三代さんの髪が緩み、足が解放される。
三「いいでしょう。止まってください」
凄い速さで動く足を止める。自分の物じゃないみたいだ。
三「おそらくこれで付いて来られます」
吉「足が取れるかと思いましたよ。やっぱり髪を使うんですね」
三「取れかけてましたね。でも私が居れば大丈夫です。髪で縫い付けますから」
吉「凄く器用ですね」
三「できるようになりたいですか?良ければお教えしますが」
吉「いやぁ、遠慮しておきます」
三「そうですか、残念です。では、もう一回やってみてください」
もう一度腿上げを始める。確実にさっきより速くなっている。でもさっきの音が出るほどの速さが出せない。
三「さっきのを正確に思い出してください」
そうは言うが、思い出すも何も考えるよりも速く動かすなんて不可能だ。これは反射じゃない。この体に慣れたらもっと動くようになるのだろうか。無理だ。
吉「もう無理です」
三「無理じゃないです。うーん、そうですね。リズムに縛られていそうですね。なら、ドラムロールってわかりますか?結果発表とかで使う小太鼓をダダダダダダダダ、ダン!てやつです。あのダダダダの部分を足でしてください。」
吉「無理ですよ」
三「無理じゃないですよ。口でドラムロールをしてください」
吉「ええ?」
三「腿が低いのはダメですよ」
吉「なんだか恥ずかしいんですが」
三「恥と速さ、どちらが大事ですか?」
吉「なんか、時々怖いですね」
三「そういうことは本人に直接言うものじゃないですよ」
吉「正直なもので」
三「デリカシーが無いって言うんですよ」
吉「そこはポジティブに捉えて頂いて」
三「なんだか昨晩の方がいい子でしたね」
吉「そういうことは本人に直接言うものじゃないですよ」
三「早くドラムロールをしてください」
吉「...わかりました」
フロアには20人弱の人が居て、視線がチラチラと刺さる。僕は今から口でドラムロールを演奏しながら足を動かすのだ。いや、考えるのはやめよう。足が速くなればヤバい状況から逃げ出せる。ここは必死になるべきだ。少しの恥くらいなんてことない。
ふっ、と息を吐き、ドラムロールを始める。
吉「ダダダダダダダダダダダダダ」
三「いいですね、さっきより速くなってますよ」
吉「まだですか?」
三「まだまだです」
吉「ダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダ」
これだけ続けても足も疲れず息も切れない。便利な体だ。
三「足は速くなってきましたが低いですよ。もっと高く上げてください」
無茶を言ってくれる。こっちも必死だ。今の速さでも水上歩行できそうなくらい速く動かしている。さっきのは宙に浮けるんじゃないか?浮けなかったけど。
ドラムロールは鳴りやまず、視線も集まっている。
どうすればいいんだ。
三「蹴ることをイメージしてください。上げるときは地面を蹴る、下げるときは膝で空を蹴るイメージです。力強くしてください」
つま先で地面を蹴って、ヒザで空を蹴る。これで上下の動きがだいぶ早くなった。
ドラムロールも上手くなった。
三「いいですね。あとは慣れたら早くなるでしょう。そのまま第四に向かいましょう」
吉「ありがとうございます」
やっとドラムロールから解放される。足を止め、もう一度してみる。
明らかに速くなった。
三代さんについて歩くが、ゆっくり足を動かすのがなんだか気持ち悪くなる。
結界から出て階段から降りる。
吉「わざわざ階段を下りてますけど、飛び降りたらどうなるんですか?」
三「着地のイメージを間違えて魄散した人もいるので止めた方がいいですね」
吉「落下ダメージがあるんですね」
三「自分が死ぬリアルなイメージをしてしまったからですね。どうやっても越えられないイメージの壁もあるのです」
外に出る。相変わらず人が多い。
空を見る。晴れ渡っていて広い。昔は狭く感じていたのに。不思議な感じだ。
三「さ、実践です。走りますよ。人を避けるのは慣れの部分が多いですが、私の場合は髪を伸ばして空いてるスペースを探していますので、全力で走り抜けることができます」
吉「なんかズルいですね」
三「訓練すれば誰でも出来るのでズルではないですよ」
吉「髪の他に何か使っている人はいますか?」
三「います。かなり少ないですが。全身から細い針を出して距離を測りながら移動する人も多いですね。でも、見た目気持ち悪いですよ。近づきたくもないです」
吉「毛虫みたいな?」
三「ああ、ちょうどそんな感じです」
吉「それは気持ち悪いですね」
三「髪よりも習得が容易で、戦闘時もアドバンテージになる点で習得する人がたまにいます」
吉「は、はえー、また気が向いたら考えてみます」
三「はい、髪の使い方ならお教えしますよ」
吉「まぁ、いつか、よろしくお願いします」
三「では行きますか。付いてきてください」
吉「頑張ります」
三代さんが走り始めるが、いきなり凄い速さで僕を置いて行ってしまう。
追うために必死に走るが、人の壁に阻まれて上手くスピードを出せない。
まさか三代さんがこんなに慈悲の無いスパルタだとは。
しばらく走っても三代さんは待っていない。
20歳も越えてるのに迷子になって泣きそうだ。
乾「班長がすみません。あの人は散歩のときの犬のように走り去るのでいつも本部に繋がれているんです。本部長も三代さんに任せるなんて何を考えたんだか。あ、第三大隊第三班、三代班長についている乾風です。乾くに風と書きます。」
吉「あ、どうも。吉末です。末吉を反対に書きます」
乾「運が悪そうですね」
吉「いえ、人生の終わりが吉なんです」
乾「じゃあ、今はどうなんでしょう」
吉「いやぁ、どうなんでしょう。現状じゃ悪そうですね」
乾「きっと魄で生きる人生も終わりが近づくと吉になりますよ」
吉「だと良いんですが。あの、代わりに案内して頂いてもいいでしょうか」
乾「はい、そのために来ましたから」
吉「ありがとうございます」
乾「第三大隊は見回りをするのが仕事なんですが、心配で見に来たら案の定でした」
吉「三代さんはすごく優しくて大人しそうなんですが、あんな人だったとは」
乾「意外ですよね。でも走り出したら自分を忘れちゃうみたいで。操髪術、髪を操る技も、気持ちよく走るために習得したらしいですから」
吉「すごいですね。走るのがそんなに好きだなんて」
乾「生前にいろいろあったみたいです」
吉「なるほど」
乾さんに付いて第四の研究所まで走ることになった。
三代さんは別の班員が追っているらしい。そんな風に走りに取り憑かれるようになった過去はとても気になったが、本部長に釘を刺されたように、生前についての質問はしない。
乾さんは僕と年が近く、少しだけ太っている。真面目なようで、すぐに打ち解けて喋るというのは難しそうだ。しばらく無言の時間ができる。本部に来た時と同じかそれ以上の速さだが、余裕で付いていける。
少し暇になったときに考えてしまうのが、家族や友人たちの顔と両親の涙である。
暇と言う名の毒におかされて死んだ人も多いが、魄体となった今でもその毒は力を失わないようだ。走るのに集中して道を覚えよう。頭からネガティブなものを追い出そう。
乾「女子大とか通っちゃいますか」
僕がネガティブと戦っているときになんて提案をするんだ。
まったく。けしからん。
吉「いいですね。入る機会なんて無かったですから」
やっぱり女子大の雰囲気と言うものは気になる。大学まで共学で上がってきたため、未知の領域だ。たぶん何も特別なことはないだろうが、経験としてちらっと見ておくのはアリだ。
乾「こっちの方が近いんです。こういうことに抵抗があったら申し訳ないので一応聞いてみました」
乾さんもやはり優しい。褫魄隊は優しい人ばっかりで、まだ入隊初日だがとても居心地がいい。中には悪魔みたいな人もいるが、入ってよかった。
その後もいくつか道を選ばせてもらい、遂に研究所に到着した。
その外観は普通のアパートだ。周りには日当たりのいいアパートだらけなのに、ここだけ日当たりの悪い所にあり、なんだかジメジメしている。
吉「廃墟とかじゃないんですね」
乾「事故物件らしいです。なんだか気味が悪いですよね」
吉「まぁ、そうですね。人が住んでるのは大丈夫なんですか?」
乾「それは問題ないですね。人は夜中も昼間も居ないので、その時間使えれば良いですから」
吉「はえー。大胆ですね」
乾「まあ、違う次元に住んでますから、良いんじゃないですか?」