第5話 トウソウの苦悩
魄体の人達は人が多い場所を嫌うものだと思っていたのに、本部は人しかいない場所、新宿にあった。数年前から地価の高騰やリモートワーク化で、広いテナントが空いていることも多く、新宿は本郡に最適な立地らしい。幽霊の口からリモートワークと聞くのはなんだか笑えた。
栄田さんと新宿東口まで走って5時間。もうすっかり日も暮れた午後7時。途中で何度か“支部”と呼ばれる場所に寄った。どこの支部も空きテナントを勝手に利用していた。やけに遠回りをしながらだったので変だと思っていたが、ようやく意味が分かった。
染「少しお話いいですか?」
40代だと思われるイケてるオヤジが目の前に現れ、話しかけてきた。恰好から察するに神に仕える聖職者である。おそらく、この人たちを避けて移動していたのだ。
染「聖神仏協議会新宿支部副支部長の染島と申します。宗教などに入っておられませんでしたか?」
栄「ちっ、どうやってここまで来た」
染「どうやってもこうやっても、歩いてくるしかないでしょう」
栄「毎度毎度ネズミのように現れやがって」
染「ネズミとは心外ですな。それに私が話をしたいのは隣の方です」
栄「黙れよ。こいつは宗教なんて興味ねぇよ」
染「いやいや、よく話してみれば興味をお持ちになるかもしれません。数分だけでいいのです。お話させてくださいよ」
緊張した空気が流れている。思わず身構える。
栄「すぐに走れる用意しとけ」
栄田さんが小声でつぶやく。
直後、後ろから栄田さんと似た格好の人が5人程度急に現れた。
?「早く行け」
栄「第二が来た、行くぞ」
栄田さんが後ろを向くので僕も後ろ向くと、第二大隊と思われる人たちがさらに5人ほどいた。栄田さんの走りが早すぎて、ついていくのに必死であったが、ちらりと後ろを見ると混戦状態になっていた。聖神仏会?の人たちも、いったいどこから現れたんだ?
周りを見ると同じ方向に走っている人たちが見える。
栄「安心しろ、アイツらは第三だ。このまま本部まで突っ切るぞ」
栄田さんはしっかり僕の事を見てくれているようだ。でも、どうやって?
大きなビルの前に到着した。
栄「ここだ、階段も駆け上がれ」
栄田さんはそう言い残し、乱戦になっている方へ走り去って行った。
僕は言葉通りに階段を駆け上がった。いつまで上がればいいんだ。階段が永遠にも感じる。階下で怒号が聞こえる。14階に登ったところで聖職者っぽい服装の女性と鉢会った。なんで上にいるんだ?
古「そんなに逃げなくてもいいじゃん。殺そうって訳じゃないから。」
怪しい笑みを浮かべる美しい女性は自己紹介をしてきた。
古「私は古志って言います。聖神仏協議会の新宿支部長をやっております」
ヨ(吉末)「はぁ、吉末と申します。何が起きてるんですか?」
古「日常ですよ。お気になさらず。そ、れ、よ、り、私たちがやってること興味ないですか?」
ヨ「まぁ、こんなに戦っているんですから、興味はありますね」
古「それは良かった、一緒に来ませんか?」
島「ここで宗教勧誘とは大胆だな」
50か60代に見えるガタイの凄いオジサンが現れる。
古「島津さん、またあなたですか。もう何度目ですかね」
島「それはこっちのセリフだ。こう何度も侵入されちゃ面目丸つぶれなんだよ、そろそろ成仏しやがれ」
古「でしょうねぇ。でもこんなに出入り自由な建物ないですよ?」
島「ふん、学者気取りのクソマッドがよ」
古「死に損ないのジジイは口が悪いですねぇ」
島「おい、お前、吉末だな。早く行け。上に結界域がある」
ヨ「はい」
古「行かせないですよ」
島「通すと思うか?」
何かわからなかったが、2つの大きなエネルギーのようなものが衝突しているのが見えた、気がする。僕は後ずさりし、階段を駆け上がった。
柿「こっち!」
柿本さんだっけ?に呼ばれ、その部屋に飛び込んだ。その部屋は非常に広く、ワンフロアを半分ぶち抜いた作りであった。
篁「よく辿り着いた。歓迎しよう。大和守褫魄隊東京本部本部長の篁だ」
吉「あ、吉末です。よろしくお願いします」
めちゃくちゃにデカい人が現れた。さっきの島津という人よりデカい。とても強そうだ。でも、チビるほどではない。年が読めない。40代?見方によっては70代にも見える。
篁「ビックリしたろう、すまないな。でもこれも試験の1つと思ってもらいたい。どんな状況でも落ち着いた対応ができることは重要だからな」
彼は笑いながら言う。
吉「なんで急に戦争みたいなことが」
篁「ま、質問はあっちにしてくれ」
彼はどこも指さずに「あっち」と言い、作戦本部らしき所へ戻って行った。
結界内に4人の人たちが戻り、指示を受け、走り去った。
人の出入りが激しい。落ち着かない。
三「私が案内しますね」
凄くきれいな女性が声を掛けてきた。20代後半だろうか。床に付きそうな長い髪が印象的だ。
吉「あ、よろしくお願いします」
三「三代と言います。第三大隊の第三班の班長です。騒がしいお出迎えになってすみません」
吉「いえいえ、大丈夫です。毎日こんな感じなんですか?」
三「器が大きくて素敵ですね。モテていたでしょう」
吉「いや、まったくそんなことは無かったですね」
三「あら、こんなに素敵な男性を放っておくだなんて。自分を表現するのが苦手だったんですか?」
吉「そういうことにしといて貰えるとありがたいですね」
三「ふふっ、謙虚なところも素敵ですね」
吉「ああ、えっと、毎日こんな感じなんですか?」
三「質問に答えていませんでしたね、すみません。若い人はいつも争奪戦なんです」
吉「あー、なかなか若くして死ぬ人もいませんもんね」
三「あと、お葬式でほぼ魄を失わなかった人も人気ですね」
吉「葬式で成仏する人もいるんですか?」
三「ええ、満足して消えてしまう人もままいますね。でも多くの人は残りますよ」
吉「なら、なぜ、僕が」
三「普通の人は雰囲気に流されて溶魄します。魄が溶けると書いて溶魄です。大体は泣くことで溶魄しますね。でも吉末さんは全く溶魄しなかったようですね」
吉「幽霊でも泣けるんですか?」
三「普通は泣きますよ。吉末さんは、自己を強く持っていて、周りに流されない、何か、そう、強い芯を持っている、というのがわかりますね」
吉「なるほど、えっと、褒められてますよね?」
三「もちろん、褒めてますよ。自分なりの正義を、時間をかけて見つけてください。長生きしてくださいね」
吉「よくわかりませんが、長生きは頑張ってみます、できるだけ」
三「ふふっ、前向きなところも素敵ですね。他に聞きたいことはありますか?」
吉「入隊の試験はすぐ始まりますか?」
三「さすがに、この騒動が落ち着いてからですよ」
吉「こういう戦争みたいなのは日常茶飯事なんですか?」
三「まぁ、そうですね、結構な頻度かもしれません。若い新人が来るときとか、あとは本部の人が少ないときに襲われたりするかも。今日みたいにあちらの幹部がたくさん来ることは珍しいですが」
吉「結界の中に閉じこもればいいんじゃないですか?」
三「結界は破られるものです。3人くらい犠牲になれば人が通れるくらいの隙間ができると思います」
吉「そんなもんなんですね」
三「それでも、とてもすごいものなんですけどね」
吉「基準がわからなくてすみません」
篁「なんだぁ?俺の結界に文句か?」
本部長は遠くにいたはず。なのに一瞬で目の前に現れ、凄んできた。
吉「い、いえ」
チビりそうになりながら否定する。
三「すみません本部長。ちゃんと説明しておきます」
篁「頼んだぞ、三代くん」
三「はい」
そう言うと篁さんはまた一瞬にして元の位置に戻った。戻る瞬間が見えないほど早かった。
三「この結界の凄さは防御力よりその性質にあります。結界は本部長1人で維持していて、本部長はこの中では無敵です。侵入した敵はもれなく魄散するので、消滅の間とも言われてますよ」
吉「消滅の間、ですか。旅館みたいですね」
三「そんな時代もあったのでしょう。とりあえず最強ということです。今みたいに瞬間移動に近いことができますし、中の状況、声はすべて把握できるようです」
吉「え?瞬間移動ですか?物質が空間内を飛び超えるなんて。僕にもできますか?」
三「それはかなり難しいでしょうね。篁本部長は歴代本部長の中でも最も優秀と言われています。天才というやつですね」
吉「はぁ」
三「想像力や処理力が桁違いで、もう30年以上も本部長を務めています」
吉「え、そろそろ寿命来るんじゃないですか?」
三「いえ、まだまだでしょうね」
吉「まぁ、しぶとそうですね」
篁「お前、見た目以上に生意気だな」
吉「あ…そういえば聞こえてたんですね…すみません」
篁「生意気を言うのは強さを示してからだ、いいな」
吉「はい…そうします」
篁「よし」
ニコッと笑い、また戻って行った。
吉「ガヤガヤしているのに全部聞いているなんて、すご過ぎませんか」
三「脳はもうありませんから慣れですよ。情報処理の仕方は入隊が決まったあとに習ってくださいね。このレベルの処理ができるのは本部長くらいですが」
吉「はい。そういえば三代さんは戦わないんですか?」
三「あまり人を切るのが好きじゃないんです」
吉「何か周りを巻き込んじゃう能力があるんですか?」
三「あら、勘のいい少年は嫌われますよ」
吉「その長い髪が関係したりしますか?」
三「あらあら、しつこいのも嫌われますよ?」
吉「調子に乗りました、すみません」
その後もその場にいる人について紹介されたが、多すぎて印象に残らなかった。
各勢力の状態についての説明も聞かされた。神仏会は人数規模で褫魄隊の半分程度らしい。副本部長が「大事な会議」で席を外していることも、人を別に遣れるだけの余裕がある表れだろう。
他にも島津という下の階で出会ったオジサンは第二大隊長ということや、僕がここまでとした護送をされていたことを聞いた。ここに来るまで、今を含めて6回の衝突があったらしい。魄散してしまった人もいるらしい。魄散は魄体の死のことだ。僕のために散った魄があると考えると非常に重たい。僕の命に、魄にそれだけの価値があるのだろうか。三代さんは話した後に“しまった”という顔をし、「名誉の死です。気にすることないですよ」と言ってくれた。でもそんな言葉は気休めにならない。
僕は自分の知らないうちに大きな何かが動いていることに不気味さと無力感を覚えた。
整理する時間が欲しい、と言ってこの抗争が終わるまで一人にしてもらったが、もう消えてしまいたい。どうして世界はこうも勝手に進むのだろう。もういっそ入隊せずに消えてやろうか。いや、だめだ。僕のために消えた名も知らない人の努力が無駄になる。栄田さんにも恩返しをしなきゃいけない。
栄田さんはこのことを知っており、僕をこの世界に引き留めるために約束をしたのだろうか。だとしたらなんて狡猾で優しいんだろう。
僕の本心は決まっている。きっとこの世界に残って戦う。でも、僕が入隊したいと言わなければ消えなかった魄がある。後戻りできない選択には後悔しないようにしてきた。しかし、僕の選択で失われた命がある。自分に対する怒りが僕を激しく責め立てる。誰かに話を聞いてもらいたい。こんなことを思ったのは人生初めての経験だ。でもここには知り合いもいない。僕は独りだと思い知らされる。きっと戦いが終われば、栄田さんは話を聞いてくれるだろう。でも、彼一人に頼りきっている。それも申し訳ない。
僕は、この悔恨に苛まれながら朝を迎えた。
どうやら抗争も終わったようだ。