第3話 永訣の夜
吉「そういえば、その肩の文字はなんなんですか?」
栄「お!やっと聞いてくれたか!」
吉「あ、聞いちゃいけないやつだ」
栄「おいおい、語らせてくれよ」
吉「いや、いいです」
栄「いいか、これは誓字って言って、この「白」って字はな、常に余裕を持つって意味があるんだよ。どんな苦境に立たされても折れない「しなやかさ」を一文字で表しているんだ。あとは穢れが無いとか染まらないとか。かっこよくないか?」
吉「はぁ。みんな肩に書いてるんですか?」
栄「そうだ。これは行動指針や正義、心の在り方を示しているんだ。スエキチ君も入隊したら決めなきゃいけないから、今の内から考えとけよ。ま、班の行動理念として全員が同じにするから、班のみんなが納得しないといけないけどな」
吉「ヨシズエです。班はどうやって決まるんですか?」
栄「最初の3カ月は直近で入隊した3人に、ベテランの隊長が1人付くって感じかな」
吉「新人ばかりですか、いい人だといいな」
栄「悪いやつぁ入れねぇよ」
吉「ならよかったです」
栄「よし、そろそろ走るか」
吉「はい」
僕は大学に上がってからも週3でランニングをしていた。これは胸を張れることだと思っていた。しかし、栄田さんの走りは異常なほど早い。人混みを全力で走っているのに、人にはぶつからず速度も落ちない。これは運動神経の問題ではなく、特殊な能力に感じた。
栄「おー、意外とついて来れてるな」
吉「これでも走りには自信があったんですけどね」
栄「コツがあるんだよ。入隊までは教えられないけど」
吉「秘密もあるんですね」
栄「情報は力。力は権力だからな」
吉「この世も権力でドロドロしてるんですか」
栄「それも俺らが人である証拠かもしれないな。でも、末端の俺らは全くといって関係ない」
吉「自由にできるならいいですよ」
栄「自由ではないし、かなり辛いよ」
吉「え?」
栄「まぁ、入隊したらそのうちわかるさ」
吉「そうですか」
栄「それでも入隊したいのか?」
吉「まぁ、はい」
栄「それはそうと、こっちで合ってるよね」
吉「ええ、とりあえず浅草の方です」
栄「間違えてたらちゃんと言えよ」
吉「了解です」
そのあと僕たちは止まることなく浅草まで走った。
浅草寺が見える。初詣と入試前で合計20数回ほど訪れただろうか。大学1年のとき、初めてできた彼女との2回目のデートもここだった。友人に見つからないように暗くなってから初詣に来た。寒空を並んで歩いた彼女を懐かしく思う。元気にしているだろうか。
吉「浅草寺とか寄ってきません?」
栄「だめだよ、あそこはうちの管轄外だ」
吉「え、もしかして神様仏様と戦ってたりします?」
栄「似たようなものかもな」
吉「マジですか。神様なんているんですね」
栄「いねぇよ。お前、めったなこと言うんじゃないぞ」
吉「いやいや、わからないじゃないですか」
栄「いいか、神を信仰している奴らと戦ってるんだぞ。しかもここは第二の連中の管轄だ。目をつけられたら面倒だからそんなこと言うな」
吉「第二大隊ですか。第二大隊が、対宗教部隊ってことですか」
栄「そうだ。あんまり気持ちのいい連中じゃないからな。神社とか教会まわりでは仏や神の話は厳禁だ、いいか」
吉「すみません。わかりました」
栄「よし、さっさと向かうぞ」
惜しみながら浅草寺をあとにする。生きてる間にじっくり見ておくんだった。
無言で走る。友達の家の前を通り過ぎるとき、胸が痛くなった。気がした。
5分ほどで自宅に到着した。家は父が無理して買った古い一軒家である。夢のマイホームと当時は浮かれていたが、車が通るたびに窓がカタカタと音を立てる家であった。
ローンで生活は苦しかったが、家族3人で笑いあった大切な場所だ。
玄関をすり抜け家に入る。
リビングに行くと暗い部屋に母の鳴き声が響いていた。
母は父の胸に顔をうずめ、大声で泣いていた。父も頬に涙を伝わせていた。
吉「ごめんな、父さん。母さん」
両親の涙を始めてみた。その涙を見たとき、自分が死んでしまったことに、もう二度とあの生活に戻れないことに、僕はようやく気が付いた。
栄「ちょっと、見回りに行ってる。一時間くらいで戻るよ」
栄田さんは気を使って部屋を出てくれた。
僕はソファに座り、横に座る両親に触れてみる。なぜか痛みが無い。しかし、母さんの繰り返す「どうして」が僕の心の奥を深く突き刺す。父さんは母さんの背をさすり、唇を噛みしめている。僕のことをこんなに愛してくれていたなんて知らなかった。
僕はいつ死んでもいい。後悔はない。そう思って生きてきたが、それは間違いだった。僕には愛してくれる人がいた。そんな彼らを置いて死んでしまった。こんなの後悔以外の何物でもないじゃないか。目頭が熱い。涙は出ない。どれだけ呼んでも返事はない。
死別がこれほど辛く悲しいものであるとは思っていなかった。
「僕は犬を救ったんだよ。優しいでしょ」「僕が飛び出したんだ、だから運転手さんはわるくないんだ」「なぁ、ちょっとくらい褒めてくれてもいいじゃないか」「なんで無視するんだよ」「なぁ、あんたの息子が目の前にいるんだぜ」「こっちでも元気にやっていくから。もうさ、泣かないでくれよ」
山ほど伝えたいことがある。でも、もう話すことはできない。わかっている。わかっているのに言葉があふれてくる。
俺は母さんの頭を撫でる。
吉「母さんのチャーハン好きだったよ。弁当に入ってた甘い卵焼きも好きだった」
父の手に手を重ねる。
吉「最後にドライブでもしたかったな。あんまり酒に付き合ってあげられなくてごめん」
近くを通る車がカタカタと窓を揺らす。
母さんが少し落ち着いたようだ。
父「今日は酒を飲んでもいいか、アイツも帰ってきてるだろうから」
母「そうね、卵焼きでも焼こうかしら、あの子好きだったものね」
父「そうだな、アイツに泣き顔を見せるのもアレだ、葬式が終わるまでは、泣くのは我慢するか」
吉「なんだよ、俺がいるのわかってるのかよ。てかもう泣き顔見ちまったよ」
両親は立ち上がり、部屋の電気をつけ、涙で重くなったティッシュの山を片付けた。
父「葬式は明後日だな。葬儀屋とは明日打合せして、学校にも連絡するか。友人は呼んでやらないとな」
母「そうね。スマホ、見ちゃうのは良くないわよね」
吉「別にいいよ」
父「いや、意外と寂しがり屋だったからな。友達は呼んで欲しいはずだ。アイツなら許してくれるさ。パスワードはわかるのか?」
母「いやぁ、わからないわ」
父「とりあえず誕生日を打ってみるか」
吉「違うよ」
父「違ったか、何か心当たりはないか?」
吉「生まれた年だよ」
母「生まれ年は?」
父「おっ、開いたぞ、すごいな」
母「あの子らしいわ」
吉「なんでわかったんだ。母は怖いな」
父「じゃあ、どうしようか」
母「そうねぇ、ラインの友達全員に送る?」
吉「いやいや、それはやめてくれ。お気に入りの3人だけでいいよ」
父「とりあえず、グループがあるみたいだから、そこに送るか」
母「それがいいわね」
両親はまた泣き出しながらも文を打ち終え、中学・高校・大学のクラスすべてに送った。いくつか返信があったようだが覗かないでおいた。また辛くなってしまうのは目に見えていた。来れない人ばかりなら別の意味で悲しいな。頼むぜ、みんな。
バイト先には電話で連絡をした後、両親は無理やり笑顔を作り、夕飯の支度を始めた。
父はいつも僕が座っていた席に空のグラスを置き、ビールを注ぐ。
吉「そんなことしても飲めないよ」
僕はつぶやく。そこに栄田さんが戻って来た。
栄「落ち着いたか?」
吉「はい」
栄「泣けた?」
吉「幽霊に涙なんてないですよ」
栄「んーそうでもないかもしれないぞ?ま、お前の心は生きてたなら、それでいいんだ」
吉「深いことを言いますね」
栄「ビールか、ちょっと見てて」
そういうと栄田さんはビールの泡に手を近づけた。
泡が少しだけ揺れた。
父「恭太?そこにいるのか?」
母「え?」
卵焼きを焼く母が振り返る。
そこに車が通りかかりまた窓がカタカタと揺れた。
父「なんだ、車か」
母「もう、おかしくなったと思っちゃったじゃない」
父「いや、泡が揺れた気がしたんだ」
母「もう、しっかりしてよね」
吉「今の、どうやって…」
栄「ま、いつかできるさ。それにしても2人とも強いな」
吉「両親が強いのは、僕が昔から探検家というか、好奇心が強くて、よく迷子になってましたから。そういうので鍛えられたんじゃないですかね」
栄「その好奇心で、ウチに入ろうとしてるわけか」
吉「そうですね。あと、もしかしたら知り合いに会えるかもと思ったんです」
栄「知り合い?死んでるの?」
吉「はい。もう3、4年経ちますかね」
栄「3年か、まぁ、厳しいかもなぁ。俺らくらいの若者は1年で2万くらい死んでるんだが、そのうち約80%は1カ月の内に消える。98%は1年以内だからな。運の世界だよ」
吉「おお、統計なんて取ってるんですね。どうでしょう、あいつは正義感が強くて、行動的な凄い奴だったので、その残り2%にいると思うんですが」
栄「そうか、残っていると良いな。まぁどこに行ったかもわからないし、世界は広いからな、気長にいこう」
吉「もしかして元気づけようとしてくれていますか?」
栄「当たり前だろ!家族残して死ぬ辛さは知ってっからな」
吉「栄田さんも若いですもんね」
栄「そゆこと。褫魄隊はだいたいみんなそうだよ」
吉「確かに、班のみなさんは若かったですね」
栄「老人はすぐに成仏するからな」
吉「成仏って、しようと思ってできるんですか?」
栄「したことないから分かんねぇけど、体が空に溶けて行くイメージで簡単にできるみたいだ」
吉「成仏したら、もう戻れないんですね」
栄「聞いたことはないな。まだこの世を彷徨いたいなら、溶けるイメージだけはしないことだ」
吉「怖いですね…そうします」
栄「とは言っても、まだ隊員じゃないからな。いつでも成仏していいぞ。その時は言ってくれ、見送りぐらいするから」
吉「気が変われば、また言います」