第2話 彼岸の理
栄田さんと水族館に入る。動物園や水族館を巡ることは、僕の生前の趣味だった。乗り込んだバスがソラマチ方面と分かったときからスカイツリーではなく、すみだ水族館を楽しみにしていた。魚はとてもかわいい。エラをヒラヒラとさせて、口をパクパクとするのがかわいい。幽霊となった今では魚はこちらに見向きもしないが、それはそれでいい。近づいても逃げられることが無い。クマノミもチンアナゴも近づいても隠れてしまわない。ヒラヒラパクパク、ひょこひょことしている。たまらない。水中でも目を開いたままでいることができるのは最高だ。
一通り楽しんだ後にクラゲを眺めていると、栄田さんが声をかけて来た。
栄「飽きねぇの?」
吉「かわいいですから」
栄「女子みてぇだな」
吉「栄田さん、遅れてますね。女とか男とか関係ないですよ。かわいいものはかわいいんです」
栄「はいはい、出たよポリコレ。変化を押し付けるなよ、こっちは死んでんだ」
吉「遅れてますよって、死ぬまでに1度言ってみたかったんです。実際ジェンダーとかはどうでもいいです」
栄「世界でこれだけ言われてんだから、どうでもよかねぇんだろうけどな。自分の正義は大切にしろよ。堕ちやがったらマジで殺すから」
吉「ええ、また死ぬのは嫌ですね。落ちるって何ですか?」
栄「堕落の堕って書いて堕ちるっていうんだが、簡単に言えば悪霊化だよ。未練とか執着とか、あとは嫉妬とかで意識?自我?を失うんだ。魂って書く方の魂はもうないからな、今はただの情報体だ。この意識は、魄を魂として無理やり再現している状態らしい。よくわかんないけどな、不安定らしいんだ」
吉「あぁ、んー、なるほど?情報体ですか…あ、そういえば、魚の魄はどこに行ってるんですか?」
栄「は?今まで俺の事見てなかったの?」
吉「え?すみません」
栄「切ってたんだよ、成仏させるためにな。まじで見てなかったの?」
吉「集中しちゃうと周りが見えなくなるもんですよ」
栄「危なっかしいやつだなぁ」
吉「それにしてもですよ、切ったら消えるってどういうことですか?」
栄「ああ、その説明もまだだったな。いいか、寿命があるって話はしたよな?なんで寿命があるかっていうと、イメージは、蒸発だ。魄は体の表面からちょっとずつ空間に逃げているらしい。それはな、体に内と外っていうイメージがあるから保たれてるらしい。でも切っちまうと、内側が曝されちまうだろ?で、溶けるように消えるんだってよ」
吉「ほんとですか。栄田さんが僕を殺そうと思えば、僕は一瞬で消えてしまうんですか。さっき殺すぞって言ったのも、そういう意味だったんですか」
栄「まぁそういうことだな。堕ちねえ限りそんなことはしねぇけど」
吉「いやぁ、どうかなぁ」
栄「おいおい信用してくれよ。俺の正義にかけてそんなことはしない」
吉「なんかカッコいいこと言っても、怖いものは怖いですよ」
栄「まぁそうだよなぁ。生きてるときも、通りすがりの人が通り魔じゃないか心配になるときあったもんな」
吉「いや、それはないです」
栄「は?切るぞ」
吉「いやそれは怖すぎます」
栄「ま、いいや、魚には満足したか?」
吉「あ、そういえば」
栄「まだ聞きたいことがあるのか。探求心がすごいな」
吉「すみません。やっぱり質問ばっかりって。しんどいですよね」
栄「いいんだよ、気にすんな。新しい世界だ。その気持ちはわかる。で、なんだ?」
吉「大したことじゃないんですが、魄濃度の調べるときに指を切るって言ってたじゃないですか。それは大丈夫なんですか?」
栄「大丈夫だよ。意識で保つって言ったけど、それは外部からの意識でもいいんだ。3人がかりで指の切り口が形を保つように想像するんだ。薄い魄でフタをする、みたいなイメージでいいかもしれない。それで大丈夫だ」
吉「本人のイメージじゃ無理ですか?」
栄「まぁ、そうだな。手の方は大丈夫だが、切り離された指を維持するのは、班長クラスならできると思うが、基本難しい。血が流れるのをイメージしちまうだろ?そうなったら終わりだ。止められない。だから試験では想像力のある人が3人も付くんだ」
吉「なるほど。そういうことですか」
栄「納得したか?隊に入れたら研究所に連れてってやるよ。俺は詳しいことは知らないから、そこでいろいろ聞いてみると良い。気に入ったらそこに配属希望出してもいいんじゃないか」
吉「ありがとうございます。じゃあそろそろ、家族も帰り始めると思うので、家に帰ります」
栄「いやぁ、家族は病院だと思うけどな」
吉「あ!確かに。まぁいったん帰りますよ」
栄「もちろんついてくけど、嫌とか言わないよな?」
吉「もちろん嫌ですけど、いいですよ」
栄「生前の人柄を見る、って意味もあるんだ。悪いな。ちなみにそれも入隊の評価基準の1つなんだけど」
吉「えっ、ボッチだったから、参考にならないかもです」
栄「ほう、コミュ力不足と報告しとくよ」
吉「あー、今のは嘘です。いったん見てから、判断してください」
栄「ほう、スエキチ君は嘘つきと報告しとくよ」
吉「スエキチ君は嘘つきですが、吉末君は正直者ですよ」
栄「なんだそりゃ。そんなに入隊したいほどの未練があるのか?」
吉「そういう訳じゃないんですが。もう少し世界を知りたいので」
栄「そうか、まぁ、人には色々あるもんだよな」
吉「いやまぁ、そういうことにしててください」
栄「家はどの辺にあるんだ?」
吉「台東区の千束です。すが、大丈夫ですか?」
栄「まぁこの体はあんまり疲れないからな、大丈夫だ」
吉「いや、仲間から離れちゃうなって」
栄「あちこちにいるから、その点は心配ご無用だ。さて、行くか」
吉「バス、ありますかね」
栄「何言ってるんだ?徒歩だよ徒歩。数時間は全力で走れるんだから、乗り物なんていらないよ」
吉「何言ってるんですか、車のほうが速いですって」
栄「いいから、悪いことは言わない。生きてる人に当たったらめっちゃ痛いだろ。バスから飛んだときもオジサンにぶつかってたし、知ってるだろ?これから混む時間だし公共交通機関はリスキーだ」
吉「そんなに痛いですか?確かに痺れますけど」
栄「まじかよ。お前…。まぁいいや俺が、痛いの苦手だから歩いていくぞ」