第15話 覚悟の積層
走りながら服を変える訓練が始まった。途中からは創刀もしながら走った。
牧邨さんも隣について走ってくれ、褫魄隊内の恋愛事情を話てくれた。死線を超えて絆が深まり、やがて愛に発展するというお話だ。
愛しているからといって何をする訳でもない。ただ共に在る。それだけだ。
それだけだが、最も大切な事なのだろう。
他にも第一大隊の仕事についての話を聞いた。悪霊退治が主な仕事だが、悪霊が出やすい場所の監視も仕事らしい。自殺した人は悪霊化しやすく、自殺の名所には定期的に悪霊が出現するらしい。
そして有名な心霊スポットには強い悪霊がいるそうだ。悪霊の中には強大過ぎて人が介入できないとされ「接触禁止令」が出ている悪霊もいるらしい。有名な心霊スポットである岩手の「慰霊の森」や和歌山の「三段壁」にいる悪霊は、大隊長クラスの褫魄隊員も手出しできずにいるそうだ。討伐計画は練られているが上手くいっていないことを悔しそうに話してくれた。そんな悪霊が確認されているだけで全国に40体以上存在しているというから恐ろしい。いつか祓われて欲しいものだ。
そして牧邨さんは数カ月前にあった「平将門の首塚の悪霊討伐作戦」通称「首塚作戦」について語り始めた。そこ居た平将門だったかもしれないモノは侍のような見た目をしており、べらぼうに強かったらしい。
それがどんな力を使うのか情報を得るために牧邨さんの班は戦闘を試みた。だが、牧邨さん意外の全員が魄散という結果になった。牧邨さんも両腕と左足を奪われてしまったらしい。
その作戦によって“相手に触れると触れた者に火を付け、溶魄速度を上げる“という悪霊の特性”怨能“が分かり、今も作戦が練られ続けているらしい。
吉「そんなことがあったんですね...」
牧「なになに、神妙な顔しちゃて。心配してくれるの?」
吉「だって、いきなり独りぼっちじゃないですか」
牧邨さんは立ち止まり、作り笑顔で僕に言う。
牧「そういう世界だからさ、仕方ないよ」
吉「ひとりは寂しいですよ...」
牧「私の代わりに落ち込まないでよ。思ってたよりショックを感じてないんだよね。冷たくなちゃったのかな。人としての熱は失くしちゃダメだって思ってたんだけどね」
吉「...牧邨さんは意地悪ですが、冷たいとは思わないですよ。好感が持てます」
牧「そうかな?なんだか上からだけど、ありがと。いつも褒めてくれるね エヘヘ」
牧「私の人生ももう長くないからさ、今できることは今やらないとって気持ちがとても強いんだよね」
吉「今できること、ですか。今できることって、なんでしょう」
牧「私は吉末君に上げられるものを全部あげるから、吉末君はそれを溢さずに全部受け取ってくれたらいいよ」
吉「わかりやすくていいですね。しっかり受け継ぎます。牧邨さんの技術も、思い出も」
牧「愛もあげちゃうよ?」
吉「それは遠慮しときます」
牧「なんでよ」
強がってはいるが、辛かったはずだ。一人だけで生き残ると、なぜ自分だけ生き残ったのかと考えてしまうものだろう。僕が牧邨さんの立場だったとして牧邨さんのように明るくふるまえるだろうか。経験したことのない心の痛みを情報体である魄体が再現できないのだとしたら、それはどれほどの救いだろうか。
とは言っても、人の痛みは人の痛みだ。完全な理解はできないし、どうにかすることもできない。一緒にいる。それが一番大切なのだろう。
牧「そろそろ一時間経つかな。疲れて来てない?」
吉「そうですね、少しだけぼーっとしてる気がしないでもないです」
牧「じゃあ休もう」
その一言で僕たちは広いフロアの片隅に日光を浴びながら座っている。
ぽかぽかする。気がする。
日光も溶魄の速度を上げていると聞いたが、牧邨さんは気にしていないのだろうか。
牧「吉末君もひなたぼっこ好き?」
吉「ひなたぼっこですか?寒い日に日向にいるのは好きでしたけど」
牧「そうじゃなくて、今だよ。日光って気持ちいいよね」
吉「ぽかぽかしますね」
牧「そうじゃない人も居るんだよね」
吉「よく分からない世界ですね」
牧「生きてる頃の情報を辿ってるだけだとしても、生きてる頃にひなたぼっこしなかったのかな」
吉「教室で窓際になったりしたときに、暖っか~いってなりそうですけどね」
牧「特に何の感情もなかったんだろうね」
吉「思い出してるって理論が正しければ、ですが」
牧「人それぞれ感情の動くことが違うし、仕方ないかな」
吉「そういうもんですかね」
牧「そういうもんなのよ」
興味が無くなったのか投げやりに言い放ち、スッと立ち上がると走り始めた。
慌てて僕も走り始める。なぜそんな急に始めるのか、ひと言声を掛けてくれてもいいのに。
吉「急になんですか?」
牧「ん-、走りたくなって」
吉「衝動的なんですね」
牧「さっき言った通り残り少ない人生だからね」
吉「僕のこと、見捨てないでくださいね」
牧「私がそんなに薄情にみえる?」
吉「「吉末のことは誰かにまかせる!」って消え去りそうではあります」
牧「そこまでは自由じゃないから安心して。吉末君を強くしたい!って想いはけっこう強いよ」
吉「嬉しいですね」
牧「なんせ大役だよ。数年に1人の逸材を育てるっていうね」
吉「実はプレッシャーだったりします?」
牧「育てる相手が誰であっても、そういうもんだよ」
吉「そういうもんですか」
そのまま走る訓練を始めることになった。少しは三代さんに教えて貰っていたがまだまだ速くなれるらしい。
手本として牧邨さんが全力で走って見せてくれた。広いフロア、一周で50m程だろうか。それを2秒くらいで回ってくる。
走ってるように見えない。飛んでいるみたいだ。人混みの中だとここまで自由には走れないとはいえ、三代さんがすぐに見えなくなったのにも納得がいく。これだけ早く走れるのであればそれは気持ちいいだろう。僕を置いて走って行ってしまったのも理解できる。許せないが。
吉「早いですね~」
牧「早いでしょ~」
牧「この走り方は三代ちゃんが考えたんだよ」
吉「あの三代さんがですか!」
牧「そ。趣味が高じてってやつだね。三代ちゃんの走りを完璧にコピーすることは出来なかったけどある程度はできてるから、吉末君は私の走りをコピーしてね」
吉「陸上部みたいな訓練をするんですか?」
牧「陸上部がどんなのか知らないけど、私が前を走るからそれに付いてきてくれたらいいよ」
牧「あ、走るのは大事だからね。囲まれたらとにかく脱出、とにかく走る、とにかく逃げる。これだけは覚えておいて。1人でも刺し違えてやる!なんて思っちゃダメだからね。逃げるときは逃げに徹すること」
吉「逃げ、ですか。逃げ切るのって難しそうですけど」
牧「そんなこともないよ。私は何度も散りかけたけど、逃げるタイミングの判断を間違えないことで今まで生きて来られたんだから。ちなみに師匠もそう。この世界に長く残る人は引き際を間違えないってとこが共通するのかも」
吉「そのタイミングは感覚、ですか?」
牧「そうだね。ヤバいな、これ負けるかもって思ったら一旦引く、かな。あと少しで祓えるって思っても、執着しないことだね」
吉「なるほど。悪霊に対しての経験だけですか?」
牧「そうでもないよ。教会の奴らも悪霊を捕まえようとしてるからね、人ともけっこう戦ったね」
吉「はえー。悪霊を捕まえに来るんですね。研究するんですかね」
牧「さぁ、詳しいことは分かんないけど。悪だくみしてそうだよね」
吉「神仏教会の意図が気になりますね」
牧「で、話を戻そう。やばい時は逃げること、いいね?」
吉「はーい」
牧「これは、真剣に!マジの奴だから」
吉「分かりました。逃げるの大事にします」
牧「言葉だけじゃだめだよ?逃げの吉末って呼ばれるくらいになってね」
吉「それは...ちょっと嫌な異名ですね」
牧「いいじゃん。ずっと生き残ってよ」
吉「生き残るための修行ですか?」
牧「そうだよ。生き残ってたらそのうち強くなるからね、君をこの世界に長く残すことが君を強くすることに繋がるんだ」
吉「はえ~、考えてるんですね」
牧「師匠の受け売りだよ」
吉「伝統ですね」
牧「吉末君が伝統にしていってね」
吉「まあ、生き残れれば、頑張ります」
牧「頼んだよ」
牧邨さんの目は真剣でハッとしてしまう。この人は本当に1カ月後にはいなくなってしまうのだ。最も親しかった人も消えて、独りぼっちの世界のように感じただろう。僕は彼女の生きる意味になっているのだろう。で、僕はまだその重さに真剣に向き合えていない。
重く圧し掛かる責任や期待を感じる。感じてはいるが、どうすればいいのだろうか。心は焦っている。
僕の成長速度は良い感じらしいが、あんなに速く動けても、散るときは散るのだ。
怖い。
期待を背負ったまま散るのも。何もできないまま散るのも。
死が当たり前の世界に来てしまったのだ。もう戻れない。ここは思っていたような好奇心を満たしてくれる場所ではなく、もっと殺伐とした地獄に近い場所なのかもしれない。
僕はやっとそのことを自覚したのだ。
牧「なんだか顔が怖いよ?」
吉「はぇっ、すみません。考え事してました」
牧「ちょっと、戦闘中にぼーっとしたりしないよね」
吉「頑張ります」
牧「するかもしれないの!?」
吉「まぁ、言い切れないですね」
牧「じゃあ、頭の一部だけぼーっとできるようにしよう」
吉「それは賢いですね」
牧「納得しちゃだめだよ!集中するの!」
吉「はいぃ」
とにかく、やることは1つ。訓練だ。頑張ろう。「風を追い越すの」というのが三代さんの理論らしい。それを牧邨さんは「自分の進行方向に新幹線の先っぽを意識する」という事を思いついたそうだ。それで空気中の魄による抵抗を避けことが出来ているらしい。空間の抵抗は3次元のときよりも大きいのかもしれない。
意識が空間の魄に作用しているのかどうかは分からないが、確かに速く走れるそうだ。だがそれは僕がまだ人間レベルを超えていないので実践しても仕方がない。
走り方はなんでもよくて、陸上選手みたいに綺麗なフォームでなくてもいい。中には足を動かさなくてもイメージの力だけで素早く移動できる人も居るそうだ。足の裏がうねうねしてるんじゃないかと疑いたくなるが、そうだったとしても気持ち悪いし、そこは考えないでおこう。
だとしたら何を見るんだ?と思ったが説明してくれた。速く走るイメージを自分の中で固めることが大事、とのことだ。
魄が重力に影響されていると考えると質量があるので、光速には達しないと考えるのが物理学的は自然かもしれない。だが、イメージの力は3次元のときにはなかった5つ目の力だ。もしかすると光速を超えることも可能かもしれない。
光速に拘束されない、か。ふふっ。
牧「何笑ってるの?」
吉「何でもないです」
牧「まぁいいや、走ってみて」
吉「分かりました」
僕はしっかり腿上げの練習をし、しっかり牧邨さんに馬鹿にされる。馬鹿にされるのは悔しいが感覚を思い出すのは大事だ。しっかりと無視をかまし、走り出す。
今の僕の全力だ。前よりも早くなっている気がする。壁が近いからそう感じるだけだろうか、いや、断然早い。かなり。もう1周が終わる。
牧「結構走れてるじゃん」
吉「自分でもそう思います」
牧「なんだか自信が凄いね」
吉「いや、前よりも早くなってる気がするんですよ」
牧「魄を動かす感覚ができてる証拠だね」
吉「そういうことかもしれません」
牧「そういうことなの!」
それから牧邨さんの後ろに付いて走る訓練を始め、速く走る感覚を養うことに時間を費やした。自分の全力疾走のイメージに縛られないことが大事なのだが、これがまた難しい。同じくらい速く走れるんだ!と、どれだけ思っても離されてしまう。
2時間に1度は30分の休憩を挟み、お昼を過ぎた頃には生きていたら超人類のレベルで早く走れるようになった。
「どうすれば牧邨さんみたいに走れるんですか?」と聞いたら、「私の走りをよく見て、真似してみて」と言われた。もうしっかり観察しているつもりだが、コピーの言葉の通り、牧邨さんの動きを憑依させるレベルで動きを頭に入れないといけないようだ。
続けて鼻を高くして「憧れられるって気持ちいいね」と言うので、今度からは「牧邨さんのみたいに」という文言は省こう。
牧「基礎は良い感じになってきたね、あとは戦闘訓練の合間にちょくちょく走ろうか」
吉「町中を走るのはもっと難しいですよね?ここでの練習で完璧になれるんですか?」
牧「んなわけないでしょ~。修行も大詰めになったらちゃんと実地で訓練するから、実践で使えるかどうかの心配は無用だよ。私は君を使えるようにしてから散るからね、強くなれるかどうかについては心配しないで、たぶん。任せといて。うん。」
吉「実地での戦闘訓練ですか?」
牧「ん-、他の班に付いて動くって感じ。それも危険だけど私が全力で守るから安心してよ」
吉「はえ~」
牧「気の抜けた返事だねぇ...想定外の敵に備えて、それまでに吉末君にはかなり強くなってもらうから!」
吉「牧邨さんより強くですか?」
牧「それは無理でしょ!」
吉「いや、分かりませんよ~?」
牧「じゃあ、最初の戦闘訓練では自分の無力さと師匠の強さを知ってもらおうか」