第9話 観測の限界
今話と次話で世界の謎について説明します。
理解しなくても問題ありません。ゆるっと読んでください。
5階建てのアパートで、オートロックではあるがエレベーターが無い。
乾風さんと2階へ上がり、奥まで歩き201号室の前に立つ。
乾「梶本さん!いま大丈夫ですか?」
いきなり大きな声を出されてビクッとしてしまう。
梶「だいじょぶだよ~」
そう言いながら7.80代くらいのおじいさんが扉をすり抜けてくる。
ん?この人は見たことがある気がする。有名な学者?
あ!ノーベル賞の人だ。何をしたかはよく覚えてないけど。
梶「君が吉末君?さっき三代が来て、吉末って子が来るって聞いたんだけど」
吉「はい、そうです。よろしくお願いします。あのー、世界的な賞取られてましたか?」
梶「おお、よく知ってるね。理系学生かい?」
吉「はい、化学系ですが」
梶「いいね、うちに来る?」
吉「それもいいかなとは思ってます」
梶「いいね、でもまずはこの世界の説明からだね」
吉「いいんですか!早く聞きたくて、話をしたくて仕方なかったんです」
梶「知的欲求も申し分ないみたいだね。じゃあ、405の永井に話を聞いてみて。その後でまだ興味が尽きなかったら、うちに入ってよ」
吉「はい、ありがとうございます。興味が尽きることってあるんですかね」
梶「尽きるというか、興味のプライオリティが下がる、かな。やっぱり戦闘とかも面白いからね。僕ももう少し若かったら戦ってたかもしれない」
吉「いやあ、そうですねぇ。戦いにも興味はあります。でも若さって関係あるんですかね」
梶「僕はあると思ってるよ。こう、昔みたいに闘争心に火が点かないんだよね」
吉「やらないと点かないですよ!」
梶「いやあ、訓練期間だけでもういいやってなっちゃったね」
吉「訓練期間?」
梶「これから始まるよ。頑張って強くなって」
吉「はえー、心が折れそうです」
梶「大丈夫だよ。とにかく今は世界の仕組みを知ってみて」
吉「わかりました。ありがとうございます。帰るときにまた来ます」
僕は梶本さんにお辞儀をし、4階へ上がる。
乾風さんによると、戦闘は苦手のように言っていたがめちゃ強いらしい。戦闘の可能性について定性的な実験を繰り返しているうちに強くなってしまった、という話だ。また、大隊長は全ての実験を熟知し、数人の助手と共に体系的にまとめているらしい。そりゃあ魄について知るほどに強くなれそうだし、梶本さんが強いのは納得できる。
405号室の前に立つ。
乾「永井さん!入ってもいいですか!」
と、乾風さんは大声で叫ぶ。またびっくりしてしまう。
永「いいぞ!」
と、丁度良い音量の声が返ってくる。
扉を通り抜けて入って行く。中にはオジサンがいた。おそらく40代だろうか、中肉中背でメガネをかけている。
吉「初めまして、吉末です。よろしくお願いします」
永「おう、どうも、永井です。生前は超ヒモ理論の研究をしてて、今は魄についての研究、特に魄の光との関係について調べています」
吉「光との関係ですか、例えばどのような?」
永「日光に当たると寿命が縮むのか、というようなことですね。光は魄の次元に干渉するのか、みたいな」
吉「ほほう、ということで、メガネを作ってみてる、みたいな?」
永「そうそう、魄で光に干渉できるかなって」
吉「できるんですか?」
永「いや、できないね」
吉「できないんですか」
永「ええ、今のところは、ね。まだ可視光しか試せてないから」
吉「紫外線とか、赤外線はまだ試してないんですね」
永「そういうこと」
吉「今見てるこの、光?は何なんですか?」
永「ん-、いきなり難しい質問だね。出身は理学?工学?まずは、導入から話すよ」
吉「理学の化学系で、一通りの化学は習ってます。よろしくお願いします」
永「じゃあ、化学を学んだ君から見て、この世界って何かわかるかい?」
吉「いや、何なんでしょう。次元が違うのかな、とは思ってるんですが」
永「おお、いい目の付け所だね。その説がいま一番アツいね。XYZ軸で構成されていた生前の世界に、W軸があるって話ね。その次元は知覚できなくて、今こんな感じで生きてる人と世界を共有しているように感じてるっていうね」
吉「4次元目はWなんですね」
永「そこは何でもいいけどね。超ひも理論では10次元空間とか言われているから、W、V、Uって遡って行くのが順当でしょ。
たぶんね、この説は正しいんだ。たぶんね。生きてる彼らに知覚されていないってことは、僕らがより高次元の存在になってて、XYZ次元では同じ座標だけどW次元が違うってことで、生きてる彼らが知覚できるものはWの座標が揃ったものだけなんだよね。W座標が少しでもズレたら、彼らは全く知覚できない。
でもね、また面白い話なんだけど、たまにカメラに幽霊が写ってたりするでしょ?オーブとかわかる?たまに写真に写り込む、本物かどうかとかは分からないんだけどね。魄が磁場に影響して、オーロラみたいに光が生まれている可能性は十分にあるんだよね」
吉「それは興味深いですね」
永「でしょ、だとしたら光に干渉できるはずなんだよね。そしたら光は多次元に干渉できる物質の可能性があるんだ。粒の時と波の時の性質があるのは、高次元の物質がXYZ上では粒のように観測されるけど、W次元を波のように移動しているとしたらどうだろう。なんとなくそれっぽくない?」
吉「まぁ、それっぽいですね」
永「でしょ。試してみたくなるでしょ。こんな感じで仮説を立てても、実証方法も無くて、出来ても失敗してを繰り返しているんだ。吉末君はさ、魄ってなんだと思う?」
吉「いやぁ、これまで考えてきましたけど、元素みたいなものかなって直感的に思ってたんですよね。体を構成しているものと大気中にあるものは別ものというか、組成が違うだけで同じ物質なんじゃないかな、と」
永「次元が違うとかじゃなくて、そもそも存在しない派もいるけどね。自分が見たい夢を死の間際に見ていて、本当に脳細胞が死んだときに消える、とかね」
吉「まぁ、想像しても仕方ないですよね」
永「そう思うかい?」
吉「分析装置を作ることはできないでしょう。自分の外の魄にも作用できるなら、完全に第三者になって測定なんて不可能ですから、自分の魄で分析装置を創っても意味をなさないですよね」
永「まぁ、そうだね。でも、その弱点をできるだけ削ぎ落した方法がある」
吉「そんなことできるんですか」
永「弱点を克服した!って言い切りたいところなんだけどね、厳密には分からない。でも、人の意識なんて制御しようがないからね、これ以上はできないかなって感じだ」
吉「どうやるんですか?」
僕は永井さんの指示に従って手順通りに動いてみる。
永「ふむ。空をハグするみたいに、めいっぱい腕を広げて。んで、手の平を向かい合わせて。手と手を繋げるように、中空状の枠で手を作るんだ。できるのは、クッキーの型抜きみたいなのを長く伸ばした感じだ」
吉「ほう、伸ばすのが難しいですね。手を合わせて、広げるのではダメですか?」
永「それじゃあ意味がないんだ」
吉「む、そうですか。では、ちょっとかかりそうです」
永「手伝うよ。上手くないから痛いかもしれないけど、手を動かさないように気を付けて」
永井さんは僕の右の手甲に左手を添えた。ジクッと刺さる痛みが走る。手が動きそうになるが何とかこらえる。少しイラっとして永井さんを睨んでしまう。
永「ごめんごめん。こっちも痛いから許してくれ」
そう言ったかと思うと、僕の手の上でゆらゆらしていた手の枠がスゥっと伸びて行く。
永「驚いたかい。この話も後でしよう」
僕の見開いた目を見て言ったのだろう。なんとも博士っぽいセリフだ。
吉「これはとても気になりますね」
永「面白いでしょう、じゃあ、その枠を少しずつ吸収しながら小さくしてみて」
言われたとおりに手の近くの枠を吸収しながら、両手をゆっくりと近づける。
ゆっくりと体を動かすのは意識をする分かなり辛い。
前にならえの幅までに狭まる。
永「肘は曲げてもいいからね」
関節の存在を忘れていた。体の遠くで繊細な行為をするのはなんだか苦しかった。
1cm幅まで近づいたときに永井さんがまた声を掛けてくる。
永「枠を小さくして。まずは消しゴムくらいまで。そのあと、米粒くらいまで小さくするんだ」
吉「そんなに?これにどういう意味が?」
永「知っちゃうと面白くないじゃないか」
吉「科学にサプライズ性を求める質ですか」
永「当たり前じゃないか!なぁ、乾風君!」
乾「あ、ええ、意外性は重要な要素ですね」
乾風さんは部屋に飾ってあるアニメのフィギュアをボーっと見ていたはずだが、話はちゃんと聞いていたようだ。
永「だよね。常識を覆していくのが科学でしょ」
吉「そうですか。僕は式の通りに現象が起きることに美しさを感じるんですが」
永「ありゃ、式が先のタイプか。現象を式で表しているって順番はイイの?」
吉「神の決めた法則だ!とは全く思わないですが、1つの現象から記述された式が類似する現象に当てはまるなんて世界の美しさそのもので、その科学の蓋然性にこそ美しさを感じるんです。当てはまらないときに、なぜ当てはまらないのかを考えるのは楽しいですけど、衝撃とかワクワクじゃなくてドキドキに近いですね」
永「なるほど、その気持ちは分かるよ。モノが落下する。それだけで世界が美しく見える。それも科学の一面だね」
吉「分かってくれますか!科学が好きな人は発見の衝撃に取り憑かれている人が多くて、身の回りに理解者が居なかったので嬉しいです」
永「そうだねぇ、化学出身だっけ、式が好きな人は理論物理とか数学者に多いかも」
吉「やっぱりそうですか」
永「ま、その話は尽きないからね、まずはそれをもっと小さくしていこう」
吉「あ、はい」
科学の面白さの真理について語り出すと、科学好きな人は止まれない。
今、手の平の型抜きは七味のビンくらいになっている。
力を抜いて枠を吸収していく。どんどん小さくなる。
消しゴムくらいになった。
永「じゃあ、そこから球を意識して小さくしていこう」
吉「米粒大までですか」
どんどん小さくしていくが、なぜか抵抗を感じる。
永「うまく小さくならないでしょ。点を意識して圧力をかけるんだ」
吉「圧力の概念は此岸と同じなんですね」
永「此岸か、難しい言葉知ってるね。僕らは3Dって言ってるよ」
吉「3Dですか、たしかにそうですね。今は高次元ですから」
永「分かりやすいでしょ。此岸とかこの世とか、あっちとか色々呼び方があってどれも定着しないけど、3Dが一番しっくり来てると思うんだ」
吉「確かに。僕も広めていきますね」
永「いや、それはどっちでもいいけど」
針だと裂けそうだから箸くらいの細いもので押し付けるイメージをして、なんとか飴玉くらいまでは小さくできた。そこから力を込めてパチンコ玉、針に持ち替えて米粒にまで到達する。両手はピッタリとくっついている。
永「おお、ここまでかなり早かったね。さすが期待のエースだ」
吉「えっと、ここからどうするんですか?」
永「もうちょっと待ってから、その殻を外してみて」
吉「分かりました」
両手は塞がっているが、手持ち無沙汰だ。何か質問をしようか。いや、また長くなってしまったら、その分この手も縛られたままになってしまう。
部屋を見渡すと生きてた頃に読んでいた漫画の単行本が揃えられていて、この部屋の持ち主に親近感を覚える。出会えたら友達になれただろうか。
いや、その漫画の下の段には純文学や宗教学、心理学にまつわるものが並んでいる。理系じゃないと僕の会話デッキは使えない。友達にはなれなかったかもしれない。
永「そろそろいいかな」
机の資料を整理していた永井さんが....ん?資料?紙をおもいっきり触っている。
どうなっているんだ?
吉「ああ、え、はい」
永「ああ、紙を触っていたことか、研究者は寿命を削って次の世代にデータを残すんだ。それが、一研究者としての使命で誇りと思ってる。僕もかなり魄が多いって言われたんだけど、寿命は9カ月くらいって言われてる。新年は迎えずに消えるだろう。それまでに何か成果を残して逝くよ」
吉「早いですね、未練とかもないんですか?」
永「未練は研究の行く末を見られないことかな」
吉「それはそうですね」
永「納得したかな?じゃ、その殻を取ってみて」
吉「はい」
目の前で手を横にして、力を込めてゆっくりと外側の空になっているものを吸収していく。中から何かが現れる。ちいさな玉になった白い何かが現れる。
永「うまくできたね。これが何かわかる?」
吉「大気中の魄、ですか?」
永「正解っ。すごいでしょ。大気中にこんなに魄があるんだよ」
吉「水蒸気くらいあるんですね」
永「これがね、だんだん減って行ってるんだよ」
吉「目に見える速度で、ですか?」
永「うーん、この方法が確立されて60年だが、60年前はこのあたりでもパチンコ玉くらいだったようだ。もちろん密度はだいたい揃えてる。頑張って集めて大きくすると、感覚でも比べられるからね。まぁ、その程度の精度なんだけど」
吉「それも記録にあるんですか?」
永「もちろん」
吉「でも、そこまで変わる理由は...すぐに思い付かないんですが。死んだら散るなら、そんなに影響ないんじゃないですか?」
永「ふむ、じゃあ、それを手から落としてみて」
僕は手の平の上にある米粒のような魄をつまみ、空中で放してみる。
魄粒はゆっくりと落下していく。床に付き、通り抜ける。
吉「え?」
永「面白いでしょ」
吉「重力の影響って、自分が思ってるからじゃないんですか?」
永「実は、あるんだ。だから、散ってない魄の塊は地球の中心に向かってゆっくり移動するんだ。これと、地球上の生物の増加で魄の枯渇は進んでる」
吉「えっと、この体って、質量があるんですか?」
永「指を切って重さ比べしたでしょ」
吉「ああ、確かに」
永「確かなことは分からないけどね。3Dの質量とは違う次元の質量だとされてる。カミオカンデに入ってもこの体は検出されなかった」
吉「んー、難しい話ですね」
永「超ひも理論の話はどのくらい知ってる?」
吉「いやぁ、あまり知らないですね」
永「ん-、あの理論は素粒子は小さな1次元のもの、で終わる話じゃないんだ。この理論は重力が他の力に比べて弱い理由も説明していて、他の次元に重力が漏れているって説明できるんだ」
吉「はえー。その漏れた重力を、僕らが受けてるんですね」
永「そういうことだ」
吉「でも、なんで僕らは地中に沈まないんですか?」
永「それがねぇ、よく分からないんだ。でも、それっぽい説明はある。今、どうやって体を動かしてる?変形させてる?そのエネルギーはどこから来てる?」
吉「なるほど、僕らでは認識できないところにまだ何かあるんですね」
永「そういうことだ、と考えている。僕らの体の中には視認できないものがあって、それが斥力を感じているから地上に浮いていられるとか、空間への摩擦を感じているとか、原子の持つ重力に魄子が引き付けられて、物質を通るには意思の(・)消費がいるとか、いろいろ考えられてる」
吉「なるほど」
まだまだ解明できていないことが多いようだ。
それを解明する実験法を見つけることができれば世紀の大発見だ。
永「ところで、魄体は情報の塊だって話は聞いたかい?」
吉「はい、そんなことを聞いた気がします」
永「魄は魄子ってもので出来ていて、高次元でたんぱく質のような複雑な結合で情報を保存しているんだ。で、それはとても不安定なんだけど外からの刺激で情報の保存が失われそうになるときに強い抗力が働いて痛みのように感じるんだ」
吉「え、それはどうやって調べたんですか?」
永「遠くを見る能力を開発していたら、近くを見る方法が見つかってね。それでみんなで顕微鏡みたいにして頑張ったらしいよ」
吉「そんなこともできるんですね」
永「でも、中には情報を蓄えていない魄もあって、それを纏うと魄に当たっても痛くないんだ。でも、当てられた方は、結合が切れそうになるから痛いんだ」
吉「それはまた、便利ですね」
永「便利かねぇ。体のどこにあるか分からないし、それを特定して、そこから魄を
引っ張らなきゃいけないからね。マスターするのは大変だよ」
吉「そんなのばっかりですね」
永「僕に文句を言われても困るよ」
吉「いや、あ、すみません、そういうつもりじゃなかったです」
永「いいよ。でも、簡単だと思った方が得するからね、その辺は気を付けて」
吉「気持ちが大事ですね」
永「そう、意識の次元は知覚できなくて、魄は意識でしか動かせないからね。気持ちはとても大事だ。そのことはいつでも覚えておいて」
吉「分かりました」