救いたかったのは1人だけ
窓から差し込む朝日が眩しい。
少し寝坊してしまっただろうか。
寝過ぎたせいか、目の上の筋肉が動くばかりでなかなか瞼が開かない。薄目を開いては閉じを繰り返してやっと目が開いた。
何度か瞬きを繰り返し、手で両目を擦りながら起き上がると軽く体を伸ばした。
やっぱり陽がもう昇っている。
うっかり寝入ってしまったらしい。そういえば昨日はとても疲れた気がするけど何したんだっけ?
慌てて支度をしようとベッドから起き上がったが、足を伸ばしても床に着かない。あれ?あれ?と足をさらに伸ばしてやっと足がついたが、どうも感覚がおかしい。頭がまだ寝ぼけてるみたいだ。
早く顔を洗って意識をはっきりさせようと思い、2・3歩進んだところで今度は床に波打つ大量の糸に気づいた。
なんとも滑らかで艶やかな銀糸だ。自分が動くと銀糸も動くことから、どうやら服の飾りだろうか?そんな豪華な服持ってないけど。しかも飾りにしては長すぎて邪魔でしょう。
仕方ないので、大量の銀糸を両手に抱えて部屋を出た。
しげしげと眺めると、ドアの軋みが酷いし柱や壁も随分と色落ちしている。毎日見てるから気づかなかったけど、この家もだいぶ老朽化が進んでいるな。と思いながらキッチンへ向かった。
キッチンのテーブルには先客がいた。
背中しか見えないが間違いなく村の人ではない。全く見覚えがない風体だ。
そもそも村人の雰囲気ではない。
え、泥棒?こんな堂々と???でも身なりは良さそうだけど・・・。
どうしたものかと戸惑っている間に、相手がこちらに気付いたようで振り返った。
凄まじく綺麗というか美しい人だった。体つきからすると男性だろうか・・・?
もしかして、私は妖精を見ているのだろうか?光を浴びて煌めく銀髪と湖の底のような緑の瞳が人間離れしている。
妖精のような不審者は、その美しい瞳を見開いてこちらを凝視していた。そして、神々しいほどの笑みを浮かべた。
「アニタ、目が覚めたんだね」
知らない人に名前を呼ばれアニタは目を瞬かせた。
その人は椅子から立ち上がると一つに結んだ豊かな髪をなびかせつつアニタの目の前までやってきた。アニタよりかなり背が高い。見た目の麗しさとはうらはらに随分と大きな人だ。高い位置から蕩けそうな笑顔を向けられても、アニタは何が何やらわからず膠着するばかりだ。
「アニタ、僕だよ。ギルだよ」
「ギ・・・ル?え?ギルカシークド??」
「そう!ギルカシークドだよ!」
言われてみれば面影はある。ギルも綺麗な子だったし、銀色の髪も尖った耳も一致する。でも、ギルの瞳はもっと黒ずんでいたし何より年齢がさっぱり一致しない!
戸惑いと疑いで混乱するアニタに、ギルと名乗った男はとりあえず椅子に座るように勧める。
テーブルセットも彼に合わせて作られたものなのか大きい。アニタが椅子に座ると足が床につかない有様だ。自分の家なのにいつの間にこんなテーブルセットになったのだろう?
彼は温かいお茶を淹れてくれた。喉の渇きを思い出したアニタは、とりあえずカップを手に取った。でかいカップになみなみとお茶が入っている。重いので両手で持ちながら口をつけるとほのかに甘い。蜂蜜が入っている。なんて贅沢なお茶だろう。
しかし、世にも美しい顔にじっと見つめられながらお茶を飲むのは実に落ち着かない。
どうにかこうにか、アニタが少し落ち着いた頃を見計らって彼は話を続けた。
「アニタはどこまで覚えているかな?黒いドラゴンとの戦いを覚えてる?」
そっか。そういえば私、ギル達が心配で地下室から出て様子を見に行ったんだ。ちょうどその時にドラゴンが村に向かって何かを吐き出すのが見えて、咄嗟にギルの居場所を守らなきゃと思って、それで・・・。
「あれ?私、死んだんじゃないのかな?」
思わず、自分の存在をたしかめるようにアニタは自分の頬を手で触る。
「そうだね。アニタは無謀にも身を挺して村を守ろうとしたね。僕言ったよね。大きすぎる力だとペンダントで防御はできてもアニタの体が保たないかもしれないから、気をつけてって」
恨みがましく言われてアニタは目を逸らす。
だって、悲しませるとは思ったけど、それでも守りたかったのだ。ギルの居場所を。それに、あれで村が消滅した日にはギルが村人全員に罪悪感を持ち続けるではないか。
「アニタの体はあの時に一度消滅している。だから、その体は僕が作ったものだよ」
「え!?どういうこと!?」
「僕はアニタを消滅させたくなかった。だからアニタの魂を引き留めたんだ。そして、アニタの新しい体を作ってそれにアニタの魂を入れた。
アニタの新しい体が出来上がるのに約10年。アニタの魂が新しい体に馴染むのに90年ちょっとかかったんだ。だから今はアニタの知っている時から100年後ぐらいだね」
アニタは開いた口が塞がらない。
「え、私おばあちゃんになっちゃってるの?」
「どちらかというと逆だね。アニタの今の外見は10歳ぐらいかな?」
「はあ!?」
見た方が早いね。と彼がくるり、と指で大きな円を描くと金属の板のようなものが現れた。
これはもしかして鏡だろうか。こんなに歪みや曇りがないものは初めて見た。しかもでかい。
アニタが物珍しげに覗き込むと、鏡に映った少女も動く。
鏡の中の少女は正面の彼とよく似た銀色の髪と緑の瞳をしていたが、顔立ちは幼い頃のアニタに似ていた。
たしかに10歳ぐらいに見える。
なんと!あの邪魔な銀糸は自分の髪の毛だったのか!とアニタは座るときに膝の上に置いた銀の塊を改めてマジマジと見る。一房引っ張ってみると頭皮が痛い。
動揺から思わず彼の方を見たアニタは、ギョッとした。
男が瞳から大粒の涙をボロボロと落としていた。顔が美しすぎるせいで、泣いているというよりそういう仕組みの彫像のような気さえしてしまう。
彼はアニタと目が合うと、顔をクシャッと歪めて更に涙をこぼした。
「アニタが、アニタがいなくなると思ってどんなに怖かったか。アニタが目を覚ますまでの間、このまま目を覚まさなかったらどうしようと思ってどんなに苦しかったか・・・!」
ああ、これはギルだ。私の小さなギルが泣いている。
ストン、とアニタの中でその事実が腑に落ちた。
アニタは膝でテーブルによじ登ると、泣きじゃくるギルの頭を抱きしめた。
前はギルの体をすっぽりと包み込んであげることができたのに、今のアニタにはギルの頭を抱えるので精一杯だ。あの小さなギルがこんなに立派に大きくなったなんて。
「ごめんねギル。悲しませるとは思ったんだけど。村がなくなったら私や村の人たちも余裕がなくなって悪気がなくてもギルに冷たく当たったりしちゃうだろうな。とか、それをギルはまともに受け止めて自分を責めるんだろうなとか考えたら、つい体が動いちゃって。それに、私が居なくても村の人たちとギルが幸せに暮らせるならいいかなって。ギル、ギル痛いよ。腕緩めて。ギル、本当にありがとう」
ギルはアニタの小さな体にしがみつくようにして抱きしめながら、顔を埋ずめてグスグスと泣き続けている。
アニタが知っているギルは感情の起伏が少ない子だった。こんなに泣いたのは、もしかして川原でアニタを助けようと魔法を使って失敗した時以来じゃないだろうか。
自分が眠っていた間のことはもちろんアニタにはわからなかったが、ギルはアニタの前以外では泣けなかったのではないかと、そんな気がした。
アニタがギルの頭を撫でていると、ふと椅子の影に黒い塊が見えた。
赤い目でちょっと心配そうにこちらを見ている。目が合い、黒いのが「ピュイ」と鳴いた。
「あ、アニタが起きたってみんなにも知らせなくっちゃ」
涙でぐしょぐしょなギルの顔面を、服の袖で拭いてあげながらアニタは首を傾げる。
「みんなって?だってあれから100年経っちゃっているんでしょ?」
「村のみんなだよ。アニタが知ってる人は亡くなってしまったけれども、村長の息子のひ孫の孫とかいるよ。この村の人達は代替わりはしてもずっと僕と一緒にアニタの目覚めを待ってくれていたんだ。アニタが目覚めるまで僕が正気を待てたのは、アニタが守ってくれた村と村人達のお陰だよ」
ギルは立ち上がるとアニタを片手で抱きかかえ、アニタの服と自分の顔に残った涙を魔法で取り除いた。更に、どこからか魔法でふわふわと取り寄せたストールをアニタにかけて、そのまま玄関へと向かう。
その足元を、黒いのもペタペタと追いかけてくる。
「この黒いのはマオだよ。詳しい話はおいおいするからね」
ギルが扉を開けると、外の眩しさにアニタは目がすがめた。
そして、これからのことを思うと目が眩みそうで、アニタはギルのローブをぎゅっと握りしめた。
十・◆・十・◆・十
我の名はマオだ。その昔は魔王であり世界樹でもあった。
魔王として勇者達と戦っていた中、ギルカシークドは我に取引を持ちかけた。
『自由をやるからアニタを助けろ』と。
ギルカシークドは異端だった。我から名を与えられたエルフ故に盟約により魔法が使えるにも関わらず、人間でもある為に魔力制限がかからなくなっていた。
ギルカシークドは魔力を無制限に使用することができた。そう世界樹が枯れ果てるまで。
我がアニタの魂を留めおいた。
そして、ギルカシークドが世界樹が持つありったけの魔力で自らの体からアニタの入れ物を創造し、アニタの魂を入れた。
ギルカシークドの魔力コントロールは見事だった。世界樹を根の先から葉の一枚一枚に至るまで枯らし切る魔力を見事に使い切り、世界樹を消滅させたのだ。根の一つである我を除いて。
その後、世界樹が無くなった世界ではエルフも人間も魔法を使えなくなったはずだ。
ただ、我もギルカシークドも興味がないので詳しいことはわからない。
自由になった我はギルカシークドに魔力を与える代わりに居候させてもらっている。大きな姿は邪魔なので今は小回りのきく子犬サイズだ。
ギルカシークドは我にどこでも好きな場所に行っていいと言ってくれるが、今のところ我はこの場所が気に入っているし、我に依存しないギルカシークドとの関係は心地良い。村人達と遊ぶのもなかなか楽しい。これからはアニタが目覚めたので更に面白くなりそうだ。
その昔、我とエルフとの確執の原因に辿り着いたエルフの娘がいた。
我への罪悪感と怯えからエルフ達が話しかけて来なくなって久しい中、その娘だけは気後れすることなく堂々と我に対峙していた。
「絶滅の道を選んで反省してるふりをすることにどれだけの意味があるのかしら。そんなことする暇があったら、もっと建設的な行動をするべきじゃないのかしら。
私はあの人との子を産むわ。きっとこの子はきっかけになる。この子は私が守ってみせる」
娘が我が子を守ることは叶わなかった。だが娘の言った事は正しかった。いや、もしかしたら見えないだけで娘は我が子を守り続けていたのかもしれない。我にも死後の世界のことはわかりかねる。
体内に滞っていた魔力を吐き出したことにより、濁りが消えて美しい緑色になったギルカシークドの瞳を見る度に我は思い出す。あの娘の目も少し緑がかっていた。我が子が幸せそうな様子をどこかから見ているのだろうか。あの瞳で。
十・◆・十・◆・十
アニタがギルのかけてくれたストールをよくみると、びっしりと刺繍がしてあった。
この刺繍には見覚えがある。山をモチーフにした村伝統の魔除け刺繍だ。村では定番の刺繍ではあるが、ここまで広い範囲に隙間なく刺繍されているのは初めて見た。
この隅っこの刺繍はだいぶ拙いが、そこから徐々に上手くなっていくのがわかる。1人の人間が刺繍したのだろうか。
アニタがストールの刺繍を観察しているのに気づいたギルが、はにかんで刺繍を撫でた。
「これは僕が刺繍したんだよ。アニタの目が覚めますようにって。最初の頃は針を指に刺してばっかりだったけど、最近は上手くできるようになったんだよ」
そう言うギルの腰元には、丁寧に使い込まれた同じ模様の腰帯。
左端の模様をアニタが願いを込めて刺した腰帯だ。
もうモチーフの元になった山は無くなってしまったはずだけれども。
アニタはストールの刺繍の一つ一つの形をなぞるように撫でた。糸の一本一本からギルの願いが染み込んでくるような気がした。
小さかったギルが大きくなり、大人だった自分が子どもになってしまい、立場が逆転してアニタは戸惑うばかりだが、それも悪くない。
あのガリガリで落ち窪んだ目を虚ろにさせていたギルが、こうやって幸せそうに笑ってくれるなら、私の願いは叶ったのだ。
ストールの刺繍と、ギルの腰帯の刺繍を見比べて、アニタは、ゆっくりと、微笑んだ。
お読みいただきありがとうございました。
人によってはすごく半端に感じる話だったかもしれません。
語られなかった部分の設定も一応あるのですが、空白部分は好きに想像して楽しんでもらえたらと思います(^^)
このお話は、ギルとアニタの始まりの物語性。きっとこれから長い時間を、ギルとアニタとついでにマオで過ごしていくんだと思います!
↓の広告の下にある☆でお話を評価してもらえると嬉しいです。