にんげん
辛いときの忘れ方は知っている。
箱をつくって、想い出を詰め込むのだ。
鍵をして鎖を何重にもかけ、奥底にポツンとおいておく。
そうすれば全て忘れられると、私は小学生の頃から知っていた。
何度も、何度も。そうしている内に無意識に出来るようになったのだ。
――そして今では、全ての想い出が私の意図しないところでも箱に詰め込まれていく。
「私にんげん向いてないかも……」
「今日も一段とアレだけど、ちゃんと人間の自覚を持っていたことに感動するべきかな。……で?」
2人しかいない、静かな教室。ポツリと呟いた言葉は小さいながらも確かに響いた。
秋山くんは「飛行機はなぜ飛ぶのか」と書かれた本から顔をあげると、慣れたように続きを促してきた。
「一人で生きていけるタイプだよねって言葉、一人で死ねって言われているように感じる」
ぼーっと思い出すのは昨日のクラスでの友人からの一言。何気ないっちゃあ何気ない戯れの言葉なのだけど、私の中では重くのしかかっている。
たっぷり数十秒瞠目した秋山くんは、「あー」と頭を掻くと息を吐いた。その表情は本当に困っているような顔で、私も「あちゃー」という気持ちにさせられた。
「……思ったよりも重かった。今までと重みが違う」
「ジョーダン、ジョーダン」
「じゃないことはわかる」
「えーっと……なんかごめんね?」
「いいや」
そう言うと秋山くんは紙の栞を文庫本に挟み、本を閉じて置いた。そのまま私に向き直ると腕を組んでから頬杖をついた。
秋山くんが机に身を乗り出すような格好になったので、自然と距離が縮まる。反射的に私は椅子に寄りかかると、埋まった距離が開いた。
「この前の教室での言葉?」
「まあ、聞いてたよね。一応クラスメートだし」
自分で言っておきながら、教室では一切会話しないのでクラスメートって言葉に違和感が凄い。『放課後友達』の方がしっくりくるくらい。
教室にいる秋山くんは人と話していることが多く、本を持っている姿を見たことがなかった。だからここで静かに本を読んでいる姿を初めて見た時、イメージに合わず読書家で吃驚した。
考えてみれば、確かに秋山くんは教養が深いようだった。ゲーム、歴史、機械、芸能……どんな分野でも相手に合わせて話しているのを聞いた。勿論、全てではないけれど本から手に入れた知識も多いのだろう。私と放課後一緒にいるのが不思議なくらい、凄い人だ。
「園田さんってさ、人とちゃんと向き合ったことないよね」
そんな秋山くんは私のことなんて興味なさそうな顔をして鋭い瞳で見透かす。そのアンバランスさに思わず笑ってしまった。
「突然の悪口だね!」
「いや悪口じゃないけど。事実」
「ひどーい」
「俺からすると園田さんの方が酷いけどね。家猫になったと見せかけて、すぐ出てっちゃいそう」
「え、なにそれ? ……向き合う、かあ」
「他の人に感情ぶつけることないよね。ってか他の人への興味が薄いっていうのかな」
「ああ」
確かにそうなのかもしれない。私からすると、人は向き合うだけ無駄なのだ。
奴等はただ押さえ付けてくる存在だから。こちらの言い分も聞かず。躾と称して自分の考えこそが正義なのだと力を振りかざす。
一番身近で理解してくれるはずの人からずっとそんな扱いを受けていた私は、きっとひねくれてしまったのかもしれない。
どうせ自分の言葉なんて聞いてくれない人達と接するのは苦痛で、会話をする意味を失ってしまった。そして私が何も言わなくても話は勝手に進んでくれるということもわかってしまったのだ。
「逆に聞くけど、なんで会話する必要があるの? あ、勿論業務連絡はするよ。それ以外で。」
「えっ、そこ? まじで?」
「不思議じゃん。わざわざする必要もないことを、って」
「……この会話の場合は、園田さんのことが知りたいから、だけど」
「あー、もー、そうなんだけど、そもそもどうしてそう思うのかがわからないの!」
癇癪を起こした子供のような口調になってしまって、慌てて口を閉じた。
「今の園田さんの台詞は俺のことが知りたいから、出た言葉でしょ? 同じだよ。……園田さんは人に対して興味を持つ範囲が狭いのかな」
唇を噛み締める私に秋山くんは諭すように優しい声色で紡いだ。
それに不覚にも毒気を抜かれ、息を吐いた。
「秋山くんだけ納得してて私はできてない……」
「いいよ、これからわかってけばいいから。……で、なんだっけ、"一人で生きてけるタイプ"だっけ」
話を元に戻された私はだんまりだ。今日はもう、秋山くんから何発もアッパーを食らっている気分。抵抗する気力さえも抜けてきた。
「確かに曲解すれば"一人で死ね"になるかもしれないね。でも相手はそんなこと思ってないよ。……園田さんに、頼ってほしいだけだと思う」
「なんで……?」
「寂しいんじゃないかな。園田さんなんでも一人でやっちゃうから」
「……なんでそんなことわかるの? わかったふり、できるの?」
秋山くんはそれに対して何の反応も現すことなく、ただ穏やかな瞳と口調で続けた。
「簡単だよ。俺も同じだからわかるんだ」
秋山くんの言葉は最後までよくわからなかった。
今日はわからないことだらけ。
カッと赤く染まりそうになる胸の内を押し止めて、獣のように小さく唸る。
「私だって、頼れるなら頼りたい人生だったよ」
「え?」
「なんでもない」
そう言って、固く口を閉ざした。どうせ秋山くんもわかったふりはしてもわかってはくれない。掌を強く握り締めた。
結局、最後まで私にとって"一人で生きてけるタイプだよね"という言葉は、私にとって苦い言葉にしかなり得なかった。
ならば箱に詰めておこう。そう思ったけれど、やっぱりやめた。
だって私がそうしなくても、もうそうなっているのだから。