がらんどう
教室で眺める園田さんは、放課後とは一切違う。
隙のない"普通"の姿。面白味のない人間。意識してようやく、他者と同一すぎるその異質さに初めて気付く。
放課後の姿を知らなければ一切興味を持つことはなかっただろう。もちろん、彼女を認識することも。
「おう、アッキー。昨日のゲーム動画見た? やばくね」
「新作のFPSのやつか。やっぱプロすごいね」
「だろだろ。俺もやってるんだけどさ、当て感全然違げーの」
「パッドとキーボードの違いもあるのかな」
夏休みが明け、休みに慣れていた身体は再び規則的な学校生活に順応し始めようとしていた。
登校と共に高野が俺の席に近付いてきた。そのまま前の椅子に座るとスマートフォンを弄り、昨日送ってきた動画を開いて見せてくる。それと同時にもう1人、桜庭が近寄って画面を覗いてきた。
「あ、この前でたばっかのやつだ」
「ここ! このシーン! まじ熱くね?」
「この距離でスナイパーヘッショはやばい」
「俺もこんぐらい決めてー!」
そう顔を赤らめて話す高野を見ようとして顔をあげたけれど、瞳は別のものを捉えてしまった。
教室の前方に集まる女子4人の姿。その内の1人、控えめに笑う黒髪のミディアムヘア。
きっと俺から園田さんが見えているということは、園田さんの位置からも俺が見えているだろう。
交わることのない視線。
交わされることのない言葉。
それが教室にいる俺と園田さんにとっては当たり前だった。放課後に会話を交わすようになってもそれは変わらないことだ。
――クラスで園田さんと喋ったことあるっけ。
ふと湧いた疑問に脳裏を探る。けれど、記憶には引っ掛からない。
きっと挨拶ぐらいはあるはず。ただやっぱりそれは、"園田さん"に向けた言葉じゃなくて、"みんな"に向けた言葉だ。園田さん個人に向けた言葉はおそらく一度もない。
放課後あれほど喋っているというのに、クラスでは一度も話したことないなんて。俺と園田さんの均衡はギリギリのところで保たれている。
「あれ、まなちゃん、右足どうしたの?」
耳に入ったのはよく聞いている声だった。けれどその声がいつもよりも硬く感じて、こんな声だっけと不思議な気持ちになった。
俺が知っている教室の園田さんはこんな声だったかもしれないし、俺が知っている放課後の園田さんはもっと違う声をしていたような気もする。
「そー、一昨日転んじゃって。あっでね、聞いて! その後勇也に会ったらすぐにその怪我どうしたのって気付いて声かけてくれて」
「パッと見わかりにくい位置なのに凄いね」
「そう! 歩き方で気付いたらしいの」
「まな、最初はそんなにって感じだったのに、なんだかんだ好きなんだねー」
「引っ張ってくれる人が好きって最初いってたもんね」
「うん! 優柔不断だけど、すごく気にかけてくれる」
「いいなー、私もイケメンと運命の出会いしたい……」
「でたイケメン好き。アイドル走ってるうちは無理だよ」
「そういえばさ、ソノの好きなタイプは? ソノ、あんまこういう話乗ってこないよね」
最初の一言以来、ずっと黙っていた園田さんが眉を下げて唇を開いた。
「ええー、好きなタイプか。優しい人?」
「普通すぎてつまんな! もっとなんかないの?」
「そういうみっちゃんはどうなの?」
「もー! すーぐ話そらす! ……ソノってさ、一人で生きてけるタイプだよね」
「あーっぽいぽい! いけそう!」
「そうかなあ?」
盛り上がる3人に園田さんは唇を尖らせた。3人はきゃいきゃいと楽しそうに笑う。
「だってソノ、なんでも自分でできるよね。すごい。彼氏いらなさそう」
「キャリアウーマンなってそう! わかる!」
「やめて、私勉強嫌いだよう」
「いやなれるって! 私たちとは違うもん!」
「もー……」
一瞬、何かを堪えるように俯くと園田さんはすぐに顔をあげた。盛り上がる3人を一歩引いた静かに見つめるその瞳に惹き付けられた。
流石にそんな俺を見咎めたのか、高野が怪訝そうな顔でぐいっと視界に入ってくる。いつの間にか桜庭は自分の席に戻ったようだ。時計を見るともうすぐ予鈴の鳴る時間だった。
「アッキーどうした? さっきから女子たちの方ばっか見てねえか?」
「あー、うん、いや……なんでもない。ちょっと気になっただけ」
「へー、ちょっと気になった……気になった!? 誰!?」
「お前、ほんとすぐそういうのと結び付けんのな」
その短絡な思考に呆れて笑いがこぼれる。高野は声を潜めながらも興奮したように早口で捲し立ててきた。
「いやいやいやいや、だってアッキーだろ!? 今まで色恋の話聞いたことないし!!」
「はいはい」
「だれ? 佐山さん? それとも小園さん?」
「だからそういうのと違うって」
「えええ? じゃあ何が気になったんだよ」
不服そうに眉を上げる高野は俺の反応が気に入らないようだ。けれど俺はそれに対して何を返すまでもなく、少し笑うと口を閉じた。
高野はまだなにか言いたげな顔をしているが、鳴り響いた予鈴の音にそのまま黙って前を向いた。その背中をみて浅く息を吐く。
思い出すは俯いた黒髪の姿。
ちらりと視線を動かすと、なに食わぬ顔で筆箱からペンを取り出す横顔がちらりと見えた。
――特別教室B。
だれもいないその教室に入り、いつもの席に座る。いつもより遅い時間に入ったせいか、教室は紅く染まりつつあった。
鞄からカバーのかかった本を取り出し、薄っぺらい栞の挟まった頁を開く。
そして下校の鐘が鳴り響くまで、その日園田さんが放課後空き教室に現れることはなかった。
だいぶ日が暮れた校舎を1人歩き、昇降口で革靴を取り出そうと手をかけた。けれどふと思って、自分の下駄箱から視線を下に移す。
出席番号12番。俺のよりもだいぶ小さな革靴はまだ入ったままだった。その事実に肩を落とし、やるせない気持ちになった。
きっと本当に辛いとき、彼女は独りどこかにいるのだろう。そんな気がした。
俺のいないところで。
誰もいないどこかで。