帰還
朝食が終わった後。
洗い物等が終わった渚が、コンコンと1階の客室をノックする。
「すいません。洗濯籠の回収に来ました」
「あ、どうぞ」
まあそういうわけである。
かちゃりと扉が開かれ、今現在のお客のおじさんが顔を出す。
何をしに来たかと問われれば、渚のお仕事である。
いつか冗談めかして言っていたように、断じて話しに来たわけではない。
まあ喋りたい気持ちが無いわけではないが。
ここの洗濯システムは、基本的に洗ってほしいもの籠にぶち込んどいてもらえれば、渚が回収、洗って干すとこまでやってくれるというものである。
もちろん、自分で洗いたいものがあったりする時は言いさえすれば受け付けてくれる。
ある程度融通はきくようにした。
「…ああ、すいません。今日は無いので大丈夫です」
「あ、そうなんですねー。分かりましたー」
というわけでだいたい決まった時刻にこのように訪ねて洗濯籠を回収。
そこから洗濯に移っていくわけなのだが、今日はどうやら何も籠に入っていなかったようである。
前日はあったので、てっきりあると思っていたが当てが外れたようだ。
「あ、今日はというよりも、自分、今日この後帰る予定なので。数日ありがとうございました」
「え、あ、もう帰るんですね!」
「ええ、休暇明日までなので、今日くらいに帰らないといけなくて」
どうやらお帰りのようであった。
洗うものが無かったのもそれが理由らしい。
まあ最終日に洗って乾かないでは困るだろう。
「あ、そうなんですねー。ちょっと早めのお盆休みみたいですねー。お墓参りとか行かれたんですか?」
「ああ、実家こっち方面じゃないんで、今回の休みは本当にただ休息に来ただけなんですよ」
「ご実家こちらの方じゃなかったんですね。前にも来られたみたいなのでご実家こちらだと思ってました」
「前出張でこっちの方に来た時にここに泊まっただけなので、実家がこっちというわけではないですね」
「あーそうだったんですねー。なんかいろいろ聞いてごめんなさい」
「ああ、お気になさらず」
「あーそういえば、いつくらいに帰られますか?」
「あーえっと、もうあと30分くらいしたら」
「分かりました。姉にも伝えておくんで、失礼します」
そう言うと、部屋外に出る渚。
予想以上に客の帰りが早かった。
この後にすることはだいたい決まっている。
階段駆けあがり、ある部屋にたどり着くと、そこに声をかける。
「咲希姉ー!咲希姉ー!お客さん、あと30分くらいで帰るってー!」
「え、おっけ、今行くー」
□□□□□□
それから数十分後、入り口付近のカウンターで待機する咲希。
渚も近くに待機している状態である。
そうこうすると、客室からお客が顔を出した。
キャリーバッグを持っているので、荷物もまとめ終わったのだろう。
「あ、すいません、待たせてしまいました」
「いえいえ、大丈夫ですよ」
「数日間でしたけど、ありがとうございました」
「いえ、こちらこそ、不慣れで色々ご迷惑おかけしたかと思いますが…」
「いえいえ、そんなこと。久しぶりにゆっくり過ごせました」
その言葉で内心ほっとする咲希。
なんかやらかしてないかある意味ひやひやしっぱなしだったのである。
初めてのことは緊張する口であるので。
「あ、それから、ご飯おいしかったです。3日間もありがとうございました」
「あ!はいっ、ありがとうございます!」
お客のおじさんが、渚の方に向き直りお礼を告げる。
そのことを予想してなかったのか少し驚きながらも、渚もそれに答えた。
まあ料理褒められて嫌な気はしまい。
「じゃあ、すいません、鍵の方を」
「ああ、これですね、お願いします」
「では、2泊なので2万になります」
「…はい、ではこれで」
「はい、丁度ですね。…2万、確かに。ありがとうございました」
手続きを軽く済ませ、カウンターから出る咲希。
玄関口で咲希と渚で並んで見送る体制に入る。
特に何か決めていたわけではないが、自然とそんな感じになった。
「…あ、そういえば、聞きそびれていたんですけど、お二人は、以前ここを営業していた方と、どういうご関係で?」
「あ、えーっと、孫です。…一応」
最後の部分をとんでもなく小さな声でもつけたのは、未だに実感がないからであろう。
実際問題、かつての営業主であったと思われる今の現在の体の祖母からの遺言のようなものを、来て程なくして発見しているので、まず間違いはないはずである。
ただ、実感としてそれがあるかと言われれば、残念ながら急造孫である2人にはあんまりない。
「ああ、お孫さんだったんですね。女手2人で大変だと思いますけど、頑張ってくださいね。応援させてもらいます」
「ありがとうございます。またいらしてください」
靴を履き終えて、荷物を持ち、出口に向かうお客。
玄関扉に手をかけ、後ろを振り返り、帰りの挨拶を口にした。
「それじゃあ、また、来るかもしれません。ありがとうございました」
「ありがとうございました!」
「ありがとうございました!」
咲希と渚の挨拶を聞きながら、扉を開けて、客は静かに出て行った。
扉が完全に閉まるのを見届けると、ふっと咲希が息を吐いた。
「お、終わったあ」
「終わったねーお疲れー」
「そっちも、お疲れ」
そのまま脱力した感じで、横に歩いて行き、玄関わきに設置してあるソファーに倒れこむように座る咲希。
勢いつけ過ぎでソファーが動いたのもお構いなしである。
渚もそれに続いて、咲希から見て対角線になる位置のソファーへと腰を下ろした。
なおこっちは勢いづいたりせず、ゆっくり座った。
足も閉じている。
盛大に開脚状態の咲希とはえらい差である。
「ふー脱力だわ」
「一昨日の夜もなってなかった?」
「いや何?あれは疲れからくる脱力で、これは解放から来る脱力ってやつよ」
実際、咲希の顔は少々口角が上がっているので嘘ではないのだろう。
「とりあえず、やっていけそうではあるな。疲れるけど」
「そうだねー私も何とかなりそう」
「細かいとこは俺やるからええべ。家事周りだけ今後もよろしく頼んだ」
「あいあい」
「じゃあ任せたわ。俺は掃除と事務を引き続き行う」
実際日常の延長でやる方がお互いに楽であろうという考えからの分け方であった。
なお下手に入れ替えると致命傷になりかねない。
主に咲希が。
毎日カップ麺とかになってもおかしくないので。
「…そういえば、話変わるんだけど」
「んにゃ、なんぞ」
「咲希姉って人前の接客とかあんな感じにやるんだね」
「せやで。お仕事だと思えば自分で会話できる」
「普段の様子しか見てなかったから大丈夫なのかなってずっと思ってた」
「…流石に大丈夫ですから。そこまで人見知り発動しないから」