勢い
「はぁー…」
朝方の民宿「しろすな」の階段を非常に憂鬱そうに降りてくる一人の影。
稜子である。
「どう考えても昨日のあれは失敗だったわ…なんで私もあそこで馬鹿正直に…この馬鹿馬鹿」
自分で自分の頭をいじめながら階段を降り、自販機の方に向かう稜子。
どうやら朝一に飲むものを買いに来たようである。
「はぁ…そのせいであんまり寝つきが良くないから眠いし…コーヒーでも飲めば目、覚めるかな」
自販機に手持ちの小銭を入れて軽くあくびをしながら、缶コーヒーを購入する。
そうして上に戻ろうと後ろを向いたところで、横の廊下から現れた誰かと目が合った。
「あっ…」
「あ、お、おはよ稜子」
「お、おはよう」
啓介であった。
啓介も何かをしに下に降りてきていたらしい。
「な、なんで下にいるのよ」
「いや、トイレ行きたくてさ。上のトイレ明人が使ってるから」
「そ、そっか。なら仕方ないわね」
「…」
「…」
普通に会話しながらお互い視線が明らかに相手を捉えていない。
お互いに顔の正面に相手がいるのにもかかわらず、その眼は忙しなく動き回っている。
どこを見ていいか分からないといった具合である。
「…りょ、稜子。その、き、昨日のことなんだけど」
「…忘れて」
「え」
「忘れて。あれは何かの間違いだから。忘れて」
「お、おう…」
目どころか顔まで相手から斜めに向けながらそう言う稜子。
その頬は若干赤い。
「じゃ、じゃあ、俺は上戻るから…ま、また後で」
「あっ待って!」
「うぃ!?」
そんな稜子を素通りしていこうとする啓介を稜子が引き留める。
結構声が大きかったので啓介がたじろぐ。
「な、なんだ?」
「あ、ごめん」
階段を上りかけていた啓介が再び稜子の前まで戻ってくる。
また稜子の視線が明後日の方向に向いた。
「あの、空いてる日、ある?」
「え、そりゃ、あるけど。なんか用か?」
「え、えっと、そのね…こ、今度どっか行かない?2人で」
「え、2人?どっかってどこへ?」
「そ、それはまだ決めてないけど。ひ、暇なら付き合ってよ。いいでしょ?」
沈黙が流れる。
沈黙に耐え切れなくなった稜子が言葉を続ける。
「あ、む、無理にとは言わないから。暇じゃないなら…」
「あ、ご、ごめん!いきなりで驚いてフリーズしてた」
「なんで驚くのよ」
「稜子からどこかに誘われたことあんまり無かったし…まして2人でなんて」
「そ、そうだっけ…?とっとにかく!来てくれるの?」
「お、おう。いいぜ」
「じゃ、ま、また細かいこと決めたら連絡するからっ!また後で!」
そのまま階段を駆け上がる稜子。
その頬は朱に染まっていた。
□□□□□□
渚の部屋。
昨日散々はしゃいだせいか、未だに渚はぐっすりである。
「渚ぁ!渚ぁ!」
そこに飛び込む稜子。
渚が寝ていると知っているはずなのにお構いなしである。
「渚!渚!どうしよ!どうしよう!ねえ起きてねえ!」
布団にくるまっている渚に対して声をぶつけながら、物理的にも布団上から叩いて存在アピールをする稜子。
だいぶテンションがおかしくなっているようである。
「ん…っ!えっ、何っ痛い痛い痛い!」
「ねえ渚!どうしよう!勢いでデート誘っちゃった!」
「え?え?何、何なの!?デート?何が!?」
「しかも行き先すら決まってないのに誘ったから違和感バリバリだったし!自分でも何やってんのか分かんない!」
半泣きのような顔で渚にそう告げる稜子。
対する渚はまだ寝起きなのでぼんやりしている。
「え、ああ、啓介君に会ったの?そういうこと?」
「下で会って、昨日のこと話したらなんかそのまま流れで…!」
「そっかぁ、話せたんだ。よかったねぇ」
「よくない!」
「え?何が?喋れたんでしょ?」
「喋れてないわよまともに!目すら見れてないわよ!」
「でもデートの約束をしたんでしょ?喋れてるじゃん」
「あんなとこで会うつもりなかったから心の準備できてなくて…何を言うのかまとまらないままなんかそのまま言っちゃって…」
「うんうん、大丈夫大丈夫。さっき返事はもらったんでしょ?なら後でちゃんと話して決めればいいと思うよ」
「何にも大丈夫じゃない!というか今話せる気がしないわよ!そもそもいきなり誘う気なんて無かったはずなのに…」
「うーんだいぶ重傷だなぁ…そうだねぇ、まずはタイミング悪く会っちゃってご愁傷様かな。にしても、いきなりデートに誘うなんて稜子ちゃんも凄いことしたね」
その言葉に稜子が過剰反応した。
「でしょ!?頭悪いでしょ!?何やってんの本当に!ただでさえ昨日のあれをやらかしてるのに!」
「稜子ちゃんはテンパると本能に忠実になるよね。なんというか猪?」
「もういっそ猪になれたらよっぽど楽よ!あぁ…本当にどうしよう。あいつとそもそも次どんな顔して会えばいいんだろ…あぁあああ」
このままでは埒が明かなさそうなので、とりあえず稜子に提案を投げる渚。
寝起きなのでこれでもだいぶ頑張っている。
「とりあえずさ稜子ちゃん。まずは今の自分の気持ちを整理してみようよ。あと、叫ぶ度に叩かないで地味に痛いから」
「気持ちの整理って何よ…もう自分が分けわかんないのに…あとごめん」
少し冷静さを取り戻したのか、布団をげしげししていた手が止まった。
「気持ちの整理は気持ちの整理だよ。まずは、デートを約束したんだよね?一緒に出掛けることに対してはどう思ってるの?嬉しいの?嫌なの?」
「…嬉しい」
「じゃあまず、稜子ちゃんは今デートに対しては嬉しいと思ってる。じゃあ次に、稜子ちゃんは何に対して焦ってるの?」
「…こういうのって段階があるじゃない。飛ばしすぎたかなって…」
「え!?そうなの?デートって普通じゃないの?」
「罰ゲームみたいなノリでキスしていきなりデートとか聞いたこと無いわよ!」
「そこはむしろチャンスだったと思うべきなのでは?」
「思えるかっ!あんなの!」
稜子が激しく叫ぶ。
あれは認められなかったようである。
「あ、はい、すみません」
「だから啓介がどう思ってるのかって…」
「んーどうなんだろうね。でも、少なくとも嫌われては無さそうだよね。なんなら昨日顔赤かったし、顔も若干にやけてた気がするし、割と好意的だったと思うよ?」
「でもでもでも!そういうことあった次の日にすぐ2人で出かける予定を持ちかけるってなんかその気ありますって言ってるみたいじゃない!?」
「言ってるみたいじゃないというかほぼ言ってるよねもう」
「がっついてるみたいじゃない!」
「どうなんだろう。今の稜子ちゃんの様子を見ていると、ただ焦って適当に言ったように見えなくも無いんだよなぁ」
「そうよ!焦ってたのよ!焦って何にも予定決めてないのにいきなりそんなこと言っちゃったの!どうすればいいのねえ渚。どこ行けばいいと思う!?どこで何すればいいの私!?」
「ねえ!近い!顔が近いよ稜子ちゃん!えっとね、とりあえずねこういう時はお買い物デートだよ!」
「お買い物デート…?え、あれ?」
「そう、あれ。それか、映画見に行くのもいいんじゃない?」
「映画…映画今何やってるんだろっヤバい知らない!」
「うーんとね、えーっとね、ちょっと待ってね。携帯取るね」
スマホを引き寄せて検索をかける渚。
「ほら、これ、今話題の奴だよ」
「あいつ来てくれると思う?」
「もう頷いた時点で来るしか無いから大丈夫だと思うよ」
「でも、でも私デートとかしたことない!何したらいいか分かんない!」
「とりあえずニコニコーってしながらそつなく話を聞いてればいいと思うよ」
「そんなニコニコ受け流せる自信が無い!無理!」
「そっかぁ、じゃあねええっとねえ、とりあえずいつも啓介君と喋る時みたいな雰囲気で過ごせるように頑張ってみたらいいんじゃないかな」
「どうやって!?」
流石にそれは渚も知る由が無い。
「ど、どうやって?流石に詳しいことは言えないよ。だって人それぞれ違うし」
「渚なんとかしてっ絶対私このまま行ったら何かやる!絶対昨日みたいなことやっちゃいそうなの!」
迫真の顔で渚にそういう稜子。
本人的には確信があるのだろう。
「まあ確かにこのままの稜子ちゃんを行かせるのも不安だしなぁ…じゃ、分かった。私が当日、2人の後ろを離れて見守ってあげるから、稜子ちゃんがやらかしてる時はメッセージ飛ばしてあげるから、それなら頑張れる?」
「うぅー…それなら、頑張る…」
「じゃあ、そういうことで。ちなみにいつ行くの?」
「決めてない…」
「じゃあ2日後でいいんじゃない?」
「2日後!?早くない!?」
「じゃあ年明けてからにする?」
「…それは、それでなんか…嫌」
「年末年始は混んでると思うし、本当なら明日って言いたいところだけど、ちょっとは考える時間をあげた方がいいと思うから妥当な線で2日後くらいでいいんじゃないかな」
「2日後…2日後…どうしよ何着てけばいいんだろう…というかこの辺の映画館どこだろ…ああ、やっぱりちゃんと考えてから誘うべきだったもう!」
「言っちゃったしやっちゃったしもうどうしようもないよね」
「うー…私の馬鹿ぁ…」
こうして2日後、渚を引き連れてデートをすることになった稜子であった。




