忘れられた者
民宿「しろすな」のある海岸近くの町にあるスーパー。
そこに最近よく見るようになった、一人の少女の姿があった。
渚という。
「今日の夕飯の材料はこれでいいかなぁ」
何をしにここに来ているのかと言うと、夕飯の買い出しである。
基本的に食事関係を全て担当している渚は、ここ二月くらいの間、定期的に買い出しにここに訪れている。
どうせ作るのは自分なのだから、自分で買いに行った方がいいよねという考えである。
「帰って、夕飯の準備入ろうかな。時間は…まだ余裕かなぁ」
普段であったらある程度決まってはいるが適当な時間に夕飯を作り始めるわけだが、昨日からお客が来ている関係で、そうも言ってられない。
お客が許してくれたとしても、時間にうるさい咲希に怒られるのは目に見えているので。
というわけで帰路についた渚。
自動車は体が未成年なので無理、自転車は持っていないので無理だが、そこまで「しろすな」から離れているわけでもないので、徒歩である。
自転車くらいはあってもいいかもしれないと最近は思っているようだが。
「…?」
そんなことを考えながら、帰り道を歩いていく渚。
大通りから一本中に入り、人気の減った道路の端を歩いていくと、なにやら男が道路の中央に立っていた。
確かに車どおりは比較的少ないので、問題はあまりない気はするが、危ない。
が、渚からしてみれば、そんなところに立ってるよく分からない人物に対して声をかける義理も無いのでスルーしようと横を通り過ぎようとした時だった。
「なんで高校に行ってないんだっ!」
「ふぇ!?」
いきなり叫ぶその男。
驚いてそちらを見れば、その少年が渚の方を見据えていた。
男の姿をよく見てみれば、まだ若く、高校生か、大学生くらいの年に見える。
整った顔立ちで、俗に言うイケメンであった。
「なあ、なんで高校行ってないんだよ!」
「え…わ、私ですか?」
「他に誰がいるんだ!」
ちらと後ろを確認した渚に非は無い。
流石にいきなりこんなこと言われても自分のこととは思うまい。
「渚がこっちに帰ってきたって聞いて、高校で会えるかと思ったら全く会えないし、渚を知ってる人に話を聞いてみたら、そもそも高校行ってないってどういうことだよ!」
渚から数メートルの位置で叫ぶ謎の少年。
そう、謎である。
残念ながら渚の記憶にこの人物はいないのだ。
向こうがどうやらこちらを知っているということは分かるが。
故に、それに対する渚の解答は大幅にずれたものだった。
「えっと、誰ですか?」
「えっ…え?」
その言葉で固まる目の前の謎の少年。
さきほどまでの勢いはどこへやら。
急激にあたりが静まり返る。
「お、覚えてないのかよっ!」
「すいませんちょっと覚えてないです」
成程、どうやらかつての渚を知る人物らしい。
しかし、渚は目の前の少年を知らない。
だってここ来て2か月分しか記憶ないし。
「お、俺だよ!神谷明人!」
「えっと、分からないです」
その言葉を聞いた目の前の少年、改め明人は目で見て分かるレベルで落ち込んだ。
膝から崩れ落ちる、という表現そのままの状態にじっくり5秒くらいかけてなっていったのである。
2度まではぎりぎり耐えていたようだが、名前を教えても思い出してもらえないという現状に彼の心はぽっきり逝ってしまったようだ。
だが、何度も言うがそもそも渚が明人を知っているはずが無いので、こうなるのは最初から自明であった。
「だ、大丈夫ですか?」
「…ああ、いや、すまない。大丈夫だ…」
遠い目をしながらゆっくり起き上がる明人。
相当ショックだったらしい。
「本当は…色々聞きたかったんだけど…今日は、帰らせてもらう…」
「え、あ、はい」
「いや、いいんだ、渚のせいじゃない…いきなり、すまなかった…」
45度くらい背中を前方に傾けながら、彼はとぼとぼと去っていく。
後には彼が誰で何だったのかよく分からないままそれを見送る渚がいた。
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「…ていうことがあったんだよね」
「どういうことなんだ」
「さあ…私も知らないし」
「しろすな」2階。
本日の夕飯を作り終え、やること終わった渚が咲希に対して本日の帰り道の話をしていた。
「とりあえず何かされたわけではないんだよね」
「別に何もされてないよ。あ、でも、突然声かけられたからびっくりした」
「知り合いじゃないんだよな」
「うん、少なくとも私は会ったことない。近所の人でもなさそうなんだよね」
昼間時間があるときは、特にあてもなく外に出ることの多い渚。
そのため、近所の人がどんな人かはだいたい覚えているのだが、今回の彼は違うようだ。
「え、でも向こうはお前のこと知ってる感じだったんだろ」
「うん。なんか突然、私がこっちに帰ってきたとか、高校に行ってないのがどうとか、色々言われた」
「ここに来てからそんなに経ってない時にあった可能性は?」
「うーん、あの顔だったら会ったら覚えてるかなあ」
「そんなに特徴的な顔だったのかよ」
「え、なんかイケメン俳優みたいな顔だった」
「イケメンなの」
「めちゃくちゃイケメンだよ!イケメンだったけど私からすれば完全に不審者だったよ!」
「辛辣すぎ草」
「え、だって突然名前呼び捨てで根掘り葉掘り人のこと問い詰めてくるとか、普通に考えてイケメンだろうがなんだろうが怪しい人じゃん」
「まあ、怪しい人だわな」
顔が良かろうが流石に許されなかったようである。
「でもさあ、名前呼び捨てだったんだろ?で、今の流れで名前なんて言ってるわけないじゃんか」
「まあ、言わないよね」
「しかもさ、そいつ明らかに顔見知りって言う感じで話してきたんだろ?というかそもそも顔見知りでもない相手が高校行こうが行こまいがどうでもいいはずだしな」
「でも、会ったことないよ?今日会うのが初めてだったよ」
「だがしかし、相手はお前のことを知っている。やっぱり会ったことあるんだって。過去に、渚が」
「うーん?会ってたら絶対覚えてるけどなぁ…?」
「お前は会ってないんだろ。渚は会ってるけど」
「ん、どういうこと?」
「いいや、今のお前は渚だが、渚はイコールお前ではないだろ」
何やら不穏なことを言い出す咲希。
「いや、なんかさ、あんまり目を向けてなかったけど、今の俺らには過去があるっぽいし。ここも咲希の祖母にあたる人物から譲り受けたことになってるし。だから、そいつ、過去の渚の時に会ってたんじゃないのか」
つまるところ、二人は2か月前に突然ここに今の体でいたわけだが、この体に合わせた過去が実際にあったことになっているということから起きた話であるということだ。
つまり、明人は今の渚が知るはずのない、過去の渚と接点があったのではないかと言う話である。
今の渚からしてみたら知るかそんなもんである。
「それ私がこの体を乗っ取ったみたいじゃん。なんかやだなぁ」
「あー…まあ確かに、確かめようがないんだよなあこれに関しては」
二人がここに来た経緯は、所詮あさおんというやつである。
目が覚めたら今の体であったので、怪しい薬品使ったわけでも、変な黒魔術を使ったわけでもない。
まして、自分の意思で他人を奪うようなこと到底するわけもなかった。
「まあ、それはどうしようもないから置いとくとして、今の話、その少年からしてみたら、お前が自分を覚えてる前提で話に行ったんだろうな。なお、現実は非情である」
「だって、本当に知らなかったし…怪しかったし…」
「また帰り道にいたりして」
「別の道にしようかな…ちょっと遠回りだけど」
なお咲希のこの言葉が現実になるということは、今の渚は知る由もなかった。