一日の終わり
「ぐえぇ」
「どうしたの潰れたヒキガエルみたいな声出して」
「え、疲れた。というかそんな汚い声出してないだろ」
「ぐえって感じが完全にカエルだったよ」
民宿「しろすな」2階。
ここは現住民である咲希及び渚の部屋があるフロアであり、一般人立ち入り禁止区画である。
要するに安息の場所である。
咲希はそこの居間にあたる部屋の椅子の上でぐでんぐでんになっていた。
渚はリラックスはしているようだが、そこまでではない。
「お客いるだけでこんだけ疲れるもんなの」
「一人増えただけでそんなに疲れる?」
「お前平気なのか」
「まあ、やること普段とあんまり変わらないからね。最初はちょっと驚いたし、混乱したけど。最初だけだよ」
既に夕飯の時刻は過ぎている。
夕飯時には渚が手料理をふるまう形になったが、どうせ咲希しかいなかったときも料理担当は渚であったので大して変わっていない。
なお、渚の料理は普通に好評であった。
元々好きでやってたので腕は確かである。
「まあ…うん、やることは大して変わってないんだけどさ」
「咲希姉は…まあ増えたことと言えば、せいぜい私の料理の後片付け手伝ったくらいだよね」
「まあね。実際の作業量そんなに変わってない。お前は結構増えてそうだけど」
「夕飯一人前増えたくらいだとそんなに変わらないよ。あ、でも来た時の説明は大変だった」
実際、咲希の普段の仕事は、掃除全般くらいなもんである。
たまに来る宅配とかもまあだいたい受け持ちは咲希だが、理由の半分以上がそもそも渚が日中家にいないせいなので、咲希の仕事というわけでもない。
実際お客にほぼ呼ばれなかった本日に関しては、本当に作業内容の変動はないに等しい。
が、それでも咲希が机に突っ伏してるのは、だいたい咲希の性格のせいである。
逆に渚が一番混乱したのは、最初の説明の時だったようである。
あとは本人的にはそこまで問題なかったようだ。
風呂場の水着はまあ本人が自主的にやってたので仕方ない。
「だってぇ、知らん人いるの疲れるんだもん」
「なんで民宿再開したんですかぁ?」
「なんでだろ。電話で了承しちゃったから?」
「律儀なのか適当なのかはっきりしてください」
「律儀に適当」
要するに咲希は知らん人がいるだけで疲れてるのである。
空間に知らん人がいるとそれだけで疲れるのである。
というかもはやある程度の仲になった相手以外は全てが疲れる対象である。
外に余り出ないのもだいたいそれが原因である。
あとそもそも出るのめんどくさい。
「明日以降ずっとこれとか大丈夫か俺」
「そういえばあの人何日いるんだろ?」
「え、ああ、そっか、1泊じゃない可能性あるもんな」
「後で会えたら聞いてみようかなぁ」
「え、会いに行くのお前」
咲希の顔が本気で驚いたものに変わる。
迫真の表情である。
知らない相手に話をしに行くことが理解できんという顔である。
「え、まさかぁ。行くんじゃなくてお風呂行く途中で会えたら聞こうかなって思ってるだけだよ」
「ああ、そういう」
「ていうか仮に話に行くにしても、そこまで驚くことかなぁ」
むしろ話がしたいと思う渚にとって、その考え方は至極当然の思考である。
咲希には理解されてないようだが。
「知らん人にごりごり話に行く勇気は俺にはない。あと部屋にわざわざ行くの迷惑すぎる気がして」
「まあ私も流石に部屋の中にまでごり押していかないよ?私だって、それくらいの常識はあるもん。それすらないと思われてるのかショック」
「いや今の流れだと部屋の中にいても行くのかと思うじゃん。ごり押しそうじゃん」
「思わないでよ失礼な。それくらいの常識はわきまえてるしっ。あ、でも仲良くなったら訪ねるのはありかな?」
そんなことを言いながらおもむろに立ち上がる渚。
そんな渚を見た咲希は机に突っ伏したスタイルを1ミリも崩さない。
普段だと、胸が気になるーだの言ってこういう状態を維持することはほとんどない咲希だが、もはやそれすらどうでもよくなっているようである。
「あれ、どこ行くん」
「あーもう、話聞いてた?」
「ん、ああ、風呂か」
「そうです。お風呂です。行ってくる」
「さらば、まーた会う日ーまでー」
「また会う日ーまでー」
「まあ数十分後くらいなんですけどね」
「細かいことは気にしない。じゃあ行ってくる」
あまりにも適当すぎる挨拶だが、まあ毎日顔を突き合わせているのでいつもこんなもんである。
部屋に戻って風呂の用意一式を持って1階に下りる。
残念ながら、この「しろすな」の2階には風呂場は存在しない。
なので、お風呂に関しては客と共同使用である。
トイレはあるのが救いか。
「流石に疲れたかな。まさか開けたら知らない人がいるとか思うわけないじゃん。流石にびっくりしたなあ」
そんなことを言いながら廊下を歩いていく渚。
実際予定された仕事は夕飯でおしまいなので、こっから先はフリータイムである。
長風呂かもしれないではなく、長風呂予定である。
まあ、もしお客に呼ばれたらフリーじゃなくなるが。
お風呂は客室前廊下の先、曲がり角を曲がった先の廊下奥にあるのだが、そこはトイレがある廊下でもある。
そして曲がり角なので、先が見えない。
「あ」
「あ」
なのでこんな感じに、風呂に向かう人物と、トイレ帰りの人物の鉢合わせが起こるのである。
なおこの場合はお客と渚である。
「こんばんわ」
「こんばんわ、先ほどはごちそうさまでした」
「いえいえーどういたしましてー」
「いつも料理担当されてるんですか?」
「はい、そうですよ。普段から料理は私がしてるので」
なお咲希の料理の腕は壊滅的というわけではなく、誰にもわからない。
そもそも料理しないのである。
最後にやったのが高校一年家庭科の時間だというのだから相当である。
結果、渚にそこが全部飛んできた。
「はは、まだ若いのによく働かれる。学生さんでしょう?」
「えーっと、学校には行ってないですけど、高校生の年齢です」
「ああ、じゃあ今はお二人でここを経営なさってるんですね」
「経営なんて、私は姉のお手伝いしてるだけです」
「はは、でも高校生の年ですごいことだと思いますよ」
一応外面はそんな感じである。
ここを継いだ咲希を手伝う形でここにいる妹の渚。
二人が設定を考えるまでもなく、そんな風に周辺からは認識されていた。
なお実態は姉妹どころか血のつながりが1ミリもない成人男性2人なのだが。
「では、失礼します」
「はい、おやすみなさい。あ、そういえば、何日泊まっていかれますか?」
「ああ、そういえば。…2泊3日くらいですかね。数日お世話になります」
「分かりましたー。姉にも伝えておきますね」
「ええ、では」
そう言って部屋に戻るお客の姿を見守る渚。
「2泊3日かぁ…咲希姉が倒れないといいけど…まあ、大丈夫か。なんだかんだ普通にやってそうだし」
呟くと、そのまま風呂場の中に消えていった。
なお咲希はよっぽど疲れていたのか、渚が戻った時にはその時の体制で寝てたらしい。
まあ風呂空いたので起こされたが。