カニ買い
民宿「しろすな」1階。
渚の定位置になりかけているソファーに向かって咲希が声をかける。
「渚、ちょっと聞きたいことあるんだけど」
「何?」
「カニやる気ある?」
「どゆこと?」
凄まじい言葉足らずである。
なんだカニのやる気とは、である。
「いや、夕飯とかでカニ出す気とかある?」
「食べたいの?」
「いや俺は別に」
「じゃあやらないと思う」
基本的に客を除けば2人しかいない家なので、誰もいないときは食べたいものしか作らない。
特に渚が料理担当な時点で、基本渚が食べたいものしか出てこないのである。
「いや、なんか周辺の民宿がカニやってんだって冬」
「あぁ~そういえばそんな感じあったなぁ」
「あれ、知ってたん」
「うん、だって買い物してるとさ、そういう話聞くから」
外に出てればそういう話も聞こえてくる。
聞く気が無くても耳に入るのである。
やっぱり、この辺の冬は結構カニの話が飛んでいるようである。
「なる。それで、そういう理由だったらやる気は」
「私は食べないけど頑張る」
「あ、マジやってくれる?」
料理担当の渚が首を縦に振らねば始まらない話ではあったが、やってくれるようである。
ただ自分で食べる気はないようだが。
「さばき方全然分かんないけど」
「それは俺も知らん」
そもそも料理をやってる渚が知らないのに、レンチンとお湯沸かし以外できない咲希がさばき方なんぞ知ってるはずもない。
「どうしよっかなぁ。でも、そうだよねぇ。カニ、取れるもんね、ここね。食べたくないし、触りたくも無いけど、そんなこと言ってたらお客さんいなくなっちゃうよね」
「残念ながらそうなるね多分。というかカニ嫌いすぎでは」
食べたくないどころか触りたくないである。
相当である。
触れたくない食べ物ってなんだ。
「別に食べれないわけじゃ無いけど、好きじゃない。あと昔、無理矢理食べさせられそうになってそれから嫌いになった」
「嫌い方が独特」
「食べたくないって言っても、目の前に出されるの辛いじゃん」
無理矢理食べさせられかけたことから、意地でも食べぬとやってきた結果の嫌いであるらしい。
カニに罪は無い。
「まあ、食わなくてもいいから、やってくれると助かる」
「うん、なんとかしてみるね」
「で、できれば仕入れは安めでお願いします。破産する」
「うーん、頑張る」
何気に難しい注文を押し付けられる渚であった。
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というわけで、カニを探しに外に出る渚。
向かった先は魚市場のある漁港方面である。
来るの自体は初である。
「うぅーなんかこの辺からもう生臭い」
そりゃまあ海真横な上に、魚市場であるため、そりゃもう海の磯の香りに、魚にと色々匂う。
根本的に海が好きではない渚にとっては結構くるものがある。
「とりあえず、カニあるかな」
周辺を歩く渚。
市場自体は狭いので、見て回る分には大した時間はかからない。
が、何分始めてくるため、お目当ての物がどこにあるかとか、買うならどこがいいとか全く知らない。
なのでとりあえず近くのおじさんに聞いてみることにした。
「すみませーん」
「んー?嬢ちゃん、どうした?」
海の男らしい、ガタイの良いおじさんが渚の方に向き直る。
「あの、カニって買えますか?」
「カニかい?えーっと、ちょっと待ってな」
「はい」
店員のおじさんが席を外しどこぞに移動する。
とりあえず帰って来るまで待つ渚。
周辺に同年代の人物はおらず、若干浮いている。
「あー嬢ちゃん、今あるのはここにあるだけだな」
「あーそうなんですね。あんまり今の時期は時期じゃないんですか?」
「いや、旬は旬だぞ?たださっきも買ってたやつがいたからよ。もうこんだけしか置いてねえだけだな」
この時期は地元の人間は買ってく奴多いからなと笑うおじさん。
「そうなんですね。ありがとうございます。実は、うち民宿やってるんですけど、カニを出した方がいいよねって話になって、それで買えるとこを探しに来たんです」
「あー嬢ちゃん民宿の子なのか。ちなみに、どこのだ?」
「海岸沿いにある『しろすな』っていうところです」
「え、あ、『しろすな』?あそこの子かい?」
驚いた表情になるおじさん。
その反応にキョトンとなる渚。
「え、あ、そうです。ご存じなんですか?」
「そりゃもう存じてますとも。数年前まであそこのばあちゃんには世話になってたからなあ」
「そうだったんですね。実は、祖母は他界しちゃって、今は私の姉が『しろすな』を継いでるんです」
さらさらっと記憶に無い事実を話す渚。
間違いなく事実であるのだが、本人的には経験ないので実感0である。
というか数か月前まで他人であったのだが、そこはもう割り切っている。
「あーそうだったのか。数年見ねえから何かあったとは思ってたが…」
「はい、そういう感じです」
どうやら過去、渚及び咲希のおばあちゃんに当たる存在と交流があったようである。
当時もカニ関係だったのだろうか。
「そうだったのか…まああそこの嬢ちゃんなら無下にはできんな。じゃあ、そうだな、せっかく来てもらったんだし、ここにあるやつ、持ってくか?」
「え、大丈夫なんですか?」
「そっちのばあちゃんには散々長い間世話になったからな。それに確か『しろすな』って長い間休止してただろう?その祝いもかねてってことでどうだ?」
「ありがとうございます。それで、えっと、いくらですか?」
「ん?はは、金をとる気なら持ってくかなんて聞かねえよ。一匹タダで持ってきな」
「え、え、あの、え」
「ま、今後も買いに来てくれるならって話だがな?どうだ?契約代わりの前金ならぬ前カニってな」
「すいません。ありがとうございます。絶対買いに来ます」
滅茶苦茶恐縮する渚。
想定外のプレゼントである。
下見に来るだけの予定だったのだが、丸ごとカニがやってくるとか聞いてない。
「おう、じゃあちょっと待ってろ。まさかそのまま持って帰るわけにもいかねえだろうし、入れるもん持ってくるからよ」
「はい」
というわけでカニの入った箱を渡された渚。
ご丁寧に丸ごと一匹である。
太っ腹である。
「じゃあ、また今後ともごひいきにってな」
「分かりました。今日はありがとうございました」
「おう、また来てくれや。待ってるからよ」
「また来ます」
そうしてカニボックス抱えて帰路につく渚であった。




