疲れ
ある日の民宿「しろすな」にて。
インターホンが鳴った。
「はーい!」
咲希が上階から玄関口に駆け下りる。
玄関を開ければある意味もう見慣れた顔がいた。
「あ、どうもです咲希さん」
大月雅彦。
最近勝手に家に訪れる美船の兄である。
まあ今日はお仕事のようだが。
「こんにちは。じゃあどうぞ、入ってください」
「失礼します」
雅彦の仕事は、民宿にお酒を運ぶことと、自販機の補充をすることである。
なので月1くらいで嫌でもやって来る。
別に嫌ではないが。
「じゃあ、すいません。これ、台所まで運んじゃっていいですかね」
「あ、いいんですか?お願いします」
とりあえず最初にお酒の方を台所に運んでいく雅彦。
重いのでやってもらえる分にはそっちのがいい。
「じゃあ、この辺置いときますね」
「ありがとうございます」
「それじゃ、自販機の方補充やってます」
「はーい。ここいるんで何かあったら呼んでください」
というわけで台所に咲希を残して自販機の方へと補充に向かう雅彦。
ここでの補充自体は2回目だが、まあ玄関口目の前にあるので迷いようもない。
「うーん…意外と売れてるなぁ。繁盛してるのかな?」
なんだかんだお客がいる時は買う客も多いのと、割と定期的にここの住民2名も買っていくので消費自体はそこそこ多い。
ただ、民宿自体は今日も閑古鳥である。
繁盛かと言われれば否である。
「とりあえず、補充するか」
ということで仕事をやり始める雅彦。
しばらく作業音だけが響く。
その時、隣の階段から誰かが降りてくる音がした。
とは言えど、ここに住んでいるのが2人な時点で、もう1人は渚しかいない。
「咲希姉ー私のモバイルバッテリーが無いーどこー」
「あ、渚ちゃんこんにち…!」
「え…あ…こんにちは」
「こ、こんにちは」
確かに上から降りてきたのは渚である。
渚ではあったのだが、普段と比べると余りにもテンションが低い。
昨日まで文化祭行ってたのでその反動である。
が、別に雅彦の言葉が止まったのはそこが理由ではない。
別にテンション低いくらいで言葉に詰まったりするもんでもない。
「え、渚ちゃん、寝起き?」
「え、起きたのはもっと前ですよ。なんでですか?」
今の渚の格好はというと、寝たときのままのネグリジェに、髪も結ばず恐らく起きた後そのまんま、もともと薄かったとはいえど、ノーメイクである。
要するに人前に出れる格好ではない。
「いや…渚ちゃんの格好、寝る時のそれだったから…」
「え、あー…特に出かける気も無いので、着替えるのもめんどくさくって、そのままです…」
「そ、そうなんだ」
「はいぃ…」
一応渚は普段なら出かける用が特になくてもこの時間帯ならば流石にもう着替えている。
最低限人前に出れるくらいの格好ではいるはずである。
ただ、前日までさんざん人と遊んでた関係で、こんなである。
「え、なんかあった?」
「昨日までいっぱい遊んでたんですよ…そしたらちょっと、人と会話するのがめんどくさくなって、そしたらちょっと、もうなんか疲れたなって」
「そ、そう…」
滅茶苦茶ローテンションである。
普段の渚からは考えられないほどローテンションである。
「大月さんは補充ですか…?」
「ああ、うん。月1で補充するようにしてるからね。呼ばれれば来るけど」
「ああ、もう、そんな時期なんですね。頑張ってください」
「ありがとう…?」
「じゃあ私咲希姉のとこ行くので…」
「あ、咲希さんなら台所にいるよ」
「分かりました…ありがとうございます…咲希姉ー私のモバイルバッテリーが無いー」
力抜けた声を出しながら台所へと消えていく渚。
「いや、お前のモバイルバッテリーの場所とか知らんから!」
「見たかなーって。咲希姉片づけいっつもしてるでしょ?」
「見てない」
「えぇ…残念…まあいいや」
「よくねえから。ちゃんと探せよ」
「うん…分かったぁ」
「分かってないだろ」
「分かったってぇ…じゃあもう2階行くね」
そうして台所からロビーに戻る渚。
相変わらず普段の元気加減と比べると幽霊のようである。
そうしてそのまま2階へ行くかと思いきや、何故か現在進行形で補充作業中の雅彦から約2m離れた場所あたりに座り込む渚。
そこで何かやるのかと思いきや、特に何もせず雅彦の作業をただじっと見ている。
「…えーっと、渚ちゃん、どうしたの?」
「何がですか?」
「いや、何でそこ座ってるのかなって…」
「特にやることが無いので、丁度いい暇つぶしだなって」
「見てて面白いもんでもないと思うけど…」
「面白いですよ。面白いとこは無いですけど」
「矛盾してないそれ…?」
「人から見ると面白くないって意味で、面白くないって言っただけです。私は面白いと思ってます」
「ま、まあ渚ちゃんが見たいならいいけど…」
「邪魔ですか?邪魔ならどきます」
「いや、そういうわけじゃ無いから大丈夫だよ」
「じゃあ、気にしないで作業しててください。私はみてるだけなんで」
「ならそうするけど…」
気にならないわけない。
無理である。
そもそも作業光景をじっと見つめられる時点で落ち着かないのに、相手の格好は寝起きのそれである。
しかも多少なりとも普段付き合いのある相手なのでなおさらである。
ただ、本人に気にしないでと言われた以上、気にしないで作業するしかない。
気になるが、無理矢理前を向いて作業を続ける。
「…」
「…」
微妙な沈黙が流れ続ける。
渚は本当に無言だった。
相手がこんな状況なので雅彦も下手に喋りかけれない。
どうすんだこれである。
と、そこで台所へとつながるドアが開いて咲希が現れた。
「あ、雅彦さんありがとうございます…って、何やってんの」
「見てるだけ」
「いや、邪魔だろ。上がれよ」
「やることがない」
「寝てろ」
「眠くない」
「じゃあせめて雅彦さんの邪魔にならない位置でなんかやってて」
「分かった」
そう言って2階に上がらずに、後ろのソファーに座る渚。
で、そのまま反対を向く。
それはそれで気になるっての。
「あの、渚ちゃん、どうしたんです…?」
「あ、今日ずっとあんな感じなんで、置いといてあげてください。明日くらいには元に戻ってるはずなんで」
「そうなんですか…?その、あまりにも普段と感じが違うんで何かよっぽどショックでも受けたんじゃないかって…」
「あー…本当に遊んで疲れてるだけなんで大丈夫です。ほんとに」
後ろを振り返る雅彦。
距離は離れたものの、相変わらずこっちを見続ける渚と目が合う。
ホラーである。
「…渚、2階行け。滅茶苦茶気が散ってるって」
「でも、癒されるんだもん」
「あ、咲希さん、大丈夫ですから」
「…癒されるってなぁ…雅彦さんがいいならいいですけども…」
癒しってなんだとは思わずにいられない咲希であった。




