来客
「さて、今日の買い出しはこれでいいよね」
もうそろそろ顔なじみになりつつある近場のスーパーを後にする渚。
朝昼夜、基本的に食事と名の付くものはすべて渚の管轄であるので、それに付随する買い出しも当然渚の領分である。
なお咲希は料理はからきし駄目である。
「ただいまー…!?」
昼過ぎくらいの日差しが降り注ぐ中、がらりと表の戸を開けた渚の言葉尻が綺麗にしぼみ、驚愕した表情で止まる。
玄関口に知らんおじさんがいたらそりゃ誰でもそうなるだろう。
「…」
「…」
おじさんは何も言わずに渚の方を振り返る。
見たところ不審者のような感じはしないが、いや分からない。
少なくとも渚は近所の人の顔はだいたい覚えている自信があるが、この人は知らないと断言できる。
結果こっちを見据えたおじさんに対しての第一声はこれであった。
「え、えっと、ど、どちら様ですか…?」
「あ、えーっとここの子かな?」
「えーっと、はい」
もしかしたら何か用があるのかもしれないのでとりあえずそう聞いた。
ただまだ警戒心はバリバリである。
だがその警戒心はおじさんの一言で砕け散った。
「今日ここに泊まる予定で来たんだけど…」
「…あ!え!お、お客さん!」
客である。
そう客である。
ここは民宿「しろすな」である。
ここ2か月の間は実質ただの広い民家だったので完全に忘れ去られていたが、実際に予約の電話かかってきたりはしてたわけで。
「あ、上がってもらっていいので!そ、そこのソファに座って待ってて、待っててください!」
「あ、それじゃあ、お邪魔します」
「すいません!ちょっと、お待ちくださいいぃ!」
荷物を台所に放り込むだけ放り込んで慌てて二階へとどたどた駆け出していく渚。
「咲希姉ー!咲希姉ー!!!お客さんー!!!」
「えっ!お客!?ちょ、ちょっと待って今行くっ!」
そんな叫び声が聞こえるのをおじさんはどこかぽかんとした顔で聞いていた。
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「すいませんすいません。ヘッドホンしてたので音が聞こえなくて…」
「いやこちらこそすいません。以前電話した時に日付と時間を伝えるのを完全に忘れてしまって…」
「いえいえ、こちらも完全に聞きそびれていましたので…申し訳ないです。待ちませんでしたか?」
「大丈夫です。3分くらいなので、待ったの」
いきなり玄関口でペコペコし始める咲希とおじさんの2名。
隣の渚はとりあえず待機状態である。
「そういえば…以前はお婆さんが営業していたような気がするんですけど、今日はお見えにならない?」
「あっ、えーっと、今は私たち2人だけです…」
「ああ、そうだったのか」
「と、とりあえず受付しますのでこちらにどうぞっ!」
あたふたしまくる咲希。
それもそのはず、咲希も渚も接客の経験くらいはあるが、民宿の経験とかあるわけないのである。
しかも突然なのでそりゃあたふたもする。
「えーっとお名前と電話番号と、あと一応住所だけここにご記入をお願いします」
「えーっと…」
言われたことを書き込んでいくおじさんもといお客さん。
「はい、これで」
「はい大丈夫ですっ。あ、あと本人確認のために免許証などの提示を」
「ああはいこれで」
「はい、大丈夫です。ありがとうございます。…本当に申し訳ございません」
「いいですいいです。前来たことあるのに言うの忘れた僕も悪いので…」
「…それでは、こちらお部屋の鍵になります」
部屋の鍵を渡す咲希。
客室は3部屋。
ちゃんと全部鍵付きである。
「あ、お部屋には私がご案内しますね!」
「頼んだ、渚。2号ね」
「よろしくお願いします」
ここぞとばかりに食い込む渚。
お客の前に立って案内を行う。
「はい、ここがお部屋です」
「ああ、ありがとう」
「えーっと、食堂がここの扉出てすぐ右手前のところで、左奥にトイレとお風呂があります。トイレはお部屋にはないのでそこを使ってください」
「ああ」
「あと、お風呂は、えーっと、8時までにお願いします。そこからは女湯に変わります」
お風呂は一か所しかないので男女別とはいかないのである。
なお時間は今決めた。
「お洗濯ものは洗濯籠を置いておくので、洗ってほしいものがあれば入れておいてください。またその時に覗きに来るので」
なお、まだ置いてない。
もう来るのは想定してなかった。
「あと、えーっと、外出は、自由です。ただ、もし出るときは鍵だけ私たちのどっちかに預けてください」
渚がどもりまくるのは、全くこれらを話す練習も何もしていなかったからである。
今頭の中で必死に何を話せばいいかを考えているところである。
「えーっと、…それじゃああと何か分からないことがあれば…あ、そうだ」
思いついたようである。
「電化製品は自由にどうぞ。テレビも、エアコンも。お布団はそこにあるのでご自由に…呼んでもらえれば代わりにやります。あと窓開けたいならそれも自由ですけど…あの、虫入れないでください」
虫が苦手なのは渚であるので、そういうことである。
「あと…あっそうだ。食事、とられますよね?」
「えーっとそのつもり」
「じゃ、じゃあ夕食は7時からです。朝食は8時から、です。今日はちょっともう、買ってきちゃったんで、駄目ですけど、明日以降もまだ泊まられるなら、夕飯は、いくつかの中から選択という感じで…」
「よろしくお願いします」
「あと、あと、えーっと…何かありますか?」
「あーっと…すいません、一泊いくらでしたか?」
「えっと、2食付きで一泊一万ですね…」
「分かりました。あと、お二人を呼ぶときはどうすれば?」
「あっ。…えーっと、下に私がいるときは直接話しかけてもらえれば…いなかったら、すいません。階段上に向かって声かけてください…」
「ああ、分かりました。ありがとうございます」
「…えっと、たぶんこれくらいだと思うので、また何かあったら、聞いてください!失礼します!」
そこまで話して部屋を出る渚。
出てすぐのところに咲希が落ち付かない感じで立っていた。
「ど、どう?」
「えっと、一応全部説明したと思う。あ、お風呂8時まで、夕飯7時からにしたからね」
「おっけ。あとは?」
「えーっとね、料金一万でよかったよね?」
「あ、ああ。そのつもり」
「じゃあ問題ない。あ、あとでお部屋に洗濯籠持ってくってことくらいかな…」
「おーけい」
「電化製品自由でいいよね?」
「いいよいいよそれくらい。こんなクソ暑い中でクーラー無しとか死ぬし」
「よし。じゃあ大丈夫…焦った」
「死ぬほど焦った。助かったわ」
「買い物終わって帰ってきたらおじさんいたからびっくりした」
「そりゃね。でも丁度帰ってきてくれなかったらお客さん待たせるとこだったわ」
ヘッドホンは片耳外しておこうと思った咲希である。
「…よしとりあえず風呂掃除してくる」
「今から?」
「今日まだやってねえ。それに7時飯なんだろ?それそれより先にお客さん入るだろたぶん」
「あ、確かに」
「というわけでやってくる。夕飯は大丈夫?」
「あ、まだ冷蔵庫しまってないや。ちょっと待って、それだけやったら私も手伝う」
「頼んだ。無駄に広いからなあそこ」
結果、唐突の風呂掃除に駆り出される二人であった。