民宿「しろすな」
「失礼しまーす」
大型の二階建て木造建築の入り口にて一人の青年が声をかける。
手には何かそこそこ重そうな荷物を抱えているようである。
「すいませーん、誰かー?」
声をかけつつ玄関をくぐる。
玄関口の鍵は掛かっていない。
と、そこでそれに応対する声が響いた。
「はーい!ごめん、渚ーー!今手が離せないから出てー!」
「はーい!」
二人の女性の声が飛び交い、パタパタと足音が響く。
程なくして、一人の女性と言うにはまだ年若い少女が顔を出した。
少し茶髪の入った髪を低い位置で結んでツインテールにしている、おっとりした感じの美少女である。
その肌は白めで、服の上からでも胸のサイズが分かる程度には出るところは出ているようである。
スカートから出ている足はニーソで覆われており、足の露出はあまりない。
「ごめんなさい、咲希姉、今手が離せないみたいで」
「ああ、いいよ。大丈夫大丈夫」
少女が青年に話しかけるとそれに青年が慣れた様子で対応する。
「あ、でもこれ一応お酒だからお姉さんに対応はしてもらった方がいいかもな。ごめん、少しお姉さん待たせてもらっても?」
「大丈夫ですよ」
持っていた荷物を玄関口に下ろして、一息つく青年。
「汗凄いですね。外暑いですか?」
「ああ、今日は一層ね。そろそろ夏も本格的になってきたかもしれない」
「そうなんですか。咲希姉待ってる間に何か飲みます?」
「もらえると助かる」
「じゃあ、お茶がいいですか?それともポカリ?」
「ポカリで」
「そうですか、じゃあ300円です」
「お金とるの!?」
「冗談ですよ。持ってきますねー」
そうして席を外す渚と呼ばれた少女。
しばらくするとその手に飲み物をもって現れた。
「はーいお待たせしました。ご注文のポカリですよ」
「ああ、ありがとう。助かるよ」
「お代は500円です」
「…増えてない?」
「持ってくるのに疲れたので、上乗せです」
「500円かあ…ちょっと待ってよ」
「あ、もう、冗談ですよ?」
「ははは…じゃあ頂きます」
そうして出された飲料を飲み干す青年。
よっぽどのどが渇いていたのかほとんど一気のみであった。
「ああ、生き返る。助かったよ」
「はい、どういたしまして。玄関先で倒れられても困ります」
「はは、そりゃそうかもね」
「この後はどこか行くんですか?」
「いーや、配達はこれでおしまい。あとは戻るだけだね」
「そうなんですか。これでってことはもうどこか回っているんですか?」
「ん?ああ、いろんな酒飲みの常連さんから呼ばれるからね、3件くらい回ってきた後だよ」
「へーそうなんですね。誰のところなんです?」
「はは、こっから先は個人情報ってことで…」
そんな風に二人が会話をしていると廊下から女性が顔を出す。
黒い髪をポニーテールに結んだ、目つきの鋭い美女である。
タンクトップに足の半分くらいまでのジーパンといったスタイルで、巨乳と言って差し支えない胸のラインが分かりやすく表れている。
手も足もほとんど隠していないため肌色が眩しい。
「すいませーんお待たせしました」
「あーいえいえ全然。渚ちゃんと楽しく喋らせてもらってたんで」
「んーそっか。ならいいんですけど。えーっとそれで何の用でした?」
「あーこれです。お酒」
「あーはいはい。この前頼んだやつね」
「流石に妹さんに渡すとまずいかなと思って」
「確かに、まだ未成年だしね渚。じゃ、確かに受け取りました」
「はい、それじゃあ確かに受け渡ししました。じゃあ自分はこれで。お邪魔しました」
「はーいまた伺いますね」
「それでは。渚ちゃんもまたね」
「またね」
そういうと青年は玄関口から去って行った。
後には咲希と呼ばれた女性と、渚と呼ばれた少女だけが残された。
少し怪訝な顔で咲希が渚に話しかける。
「なんかさっき変なことやってなかった?」
「え?変なことって?」
「なんか300円がどうのこうの聞こえたんだけど」
「いやポカリ300円ですってやっただけ」
「いやお前、金取ったの?」
「冗談だよ?」
「ややこしいわ。そもそも何やっとんねん」
「いやなんかアレくらいの年のお兄さんいじりたくなるって言うか」
「ならねえよ普通。なんだよいじりたいって」
「面白くない?」
「そういう問題じゃないんですけど」
「だってなんかもともと同い年っぽいし、話しやすいし、良い人っぽいし」
「良い人なら猶更やめろや」
どこか呆れ顔でそういう咲希と、それに対して分かって無さそうな顔で返す渚。
「返ってくる反応が面白いからやりたくなるんだよねぇ。いじりやすい立場を利用しない手はないと思うの」
「おう、考え直せ」
どこかおかしな会話を繰り広げる二人。
何を隠そう、二人とも実はもともと男であった。
僅かに二月ほど前までは二人共ども20を超えた男であったのである。
朝目が覚めると今の姿で、二人とも知らない木造建築の中だった。
戻る気配は今のところない。
「というかそもそも学校行ってねえだろうお前。JKじゃないだろうに」
「年がJKだから実質JK」
「どういう理論だそれは」
渚――かつての名前を梛と言う――はここで目が覚めると少女の肉体であった。
少女としての年齢は15歳。
まだ高校生になりたての年であった。
ただ、学校には通っていなかったようなので、家事手伝いをしているという体でいる。
「でもなんかちょっと困る」
「何が」
「あれくらいの年の人、どう接していいのかなって思う」
「まあ確かに、俺は年齢変わってなかったから別にいいけど」
「変わったの性別だけだもんね」
「大問題な気はするけどな」
咲希――かつての名前を咲玖と言う――はここで目が覚めると女性の肉体であった。
女性の年齢的には22。
もともとの年と変わらないのでその点は問題ない。
「まあでも慣れてきた気はする」
「お前は慣れるの早えよ。未だに慣れんわ」
「なんかもう自分の体だしいいかなって」
「胸が慣れない」
「巨乳だしね。気になるなら隠れる服着たら?」
「え、やだめんどい」
「ダメじゃん」
なんだかんだ二月の間に慣れてきてしまったのか、既に少女としてのファッションを楽しみ始めている渚に対して、咲希は今のタンクトップにジーパンスタイルで過ごしていることがほとんどである。
理由の大半は、服を決めるのがめんどくさいだけのようだが。
「さてと、まあいいや。とりあえずあそこの酒運ぶから手伝って」
「え、か弱い少女にそれ運ばせる気ですか」
「いや別に運ばなくていいけど、入れる場所開けるくらいはできるだろ」
「ああそういう」
「別に運びたいなら運んでもいいけど」
「まあなんか数結構あるし運びますん」
「なんやねん」
色々言いながら、玄関先に箱で置きっぱなしだった酒を運ぶ二人。
「ていうか本当にやる気なんだ?」
「しゃあないじゃん。なんかそういう電話かかってきちゃったし」
そもそも今なぜここまで多量の酒を運んでいるのかと言うと、咲希が飲むわけではない。
理由は数週間前の電話であった。
「いきなり宿やってます?って電話来たもんね」
「くそテンパった。こちとら体を調べるのに大忙しなのに」
「その言い方だと色々語弊が生まれそうなんですけど」
「どうせ誰も聞いてないからいいんだよ」
電話でそのようなことを聞かれ、色々と家を調べるうちにここが宿的なものを経営していたことを知った二人は、とりあえず当面の収入源確保のために動いている真っ最中なのである
「まあ、収入源無いとやばいから丁度良いきっかけだったかなと思っている。ここが何なのかも知れたし」
「まあお金がないと何もできないしね」
「見た感じそこまでこの家に蓄えあるわけでもないしな。当面は問題ないけど多分」
「勝手に使ってるんですけど大丈夫なのかなぁ」
「大丈夫だと信じている。見た感じこの家、自分たちの家感あるし」
「違ったら?」
「土下座…?」
「えぇ…たぶん許してもらえないんじゃないそれ…」
「まあ駄目なら駄目で。仕方ない感あるし」
実際ここまで生活できてきたのはこの家にあったお金のおかげなので、もう今更感の方が強い二人。
「でもお酒唐突だよね?」
「どっか泊まったら飲むんじゃないの皆」
「まあ…確かに」
「人来なかったら私が消費するからそれでいいよもう」
「え、こんなに飲むの?」
「間違いなく二日以上酔うなこれは」
「私も手伝えば…」
「その体に酒駄目だろ」
「確かに」
「できれば消費する誰かが現れることを願って」
原因がその電話だったのでとてつもなく見切り発進である。
なお一応先ほどの電話の客は確保済み、予約済みである。
「さーてとりあえず、部屋掃除とか、風呂掃除とか、食堂掃除とか、だいたい準備いいかな」
「掃除ばっかじゃん」
「思い出したのが掃除だったんだからしゃあないだろ」
「まあ掃除はすごいしたもんね」
「だいぶ汚れてたからな」
二階の自室と思われる部屋がある階はともかく、下の宿部分と思われる場所はなかなか汚れていたので、散々掃除に追われる羽目になったようである。
「あとはこれを正面玄関口にかけると」
「おおそれっぽい」
「実際使ってたやつじゃないのこれ」
咲希の手にあるのは大きく「しろすな」と文字の書かれたプレート。
「これをこのいかにもな場所にかければー」
「完成ー」
「お、いいんじゃないの中々」
「雰囲気はあるね」
「なかなかいいふいんき、何故か変換できない、だな」
「雰囲気でしょ」
「うるせえ、ネタだ」
こうして二人、白砂渚と白砂咲希――全く血縁関係の無かったはずの、もともと男の親友だったはずの姉妹の手によって、民宿「しろすな」が、復活なのか、新装開店なのかは曖昧であるが、世に放たれたのであった。