悩み
一通りの仕事が終わり、ひと段落したころ。
渚は遅い時間に風呂へと入っていた。
早い時間だとお客とぶつかる可能性があるからである。
この辺は変わっていない。
「はぁーなんか今日疲れたなー…それにしても不思議な人たちだったなぁ…掴みどころがないというか、浮世離れしてると言うか…」
風呂場で一人呟きながら体を洗う渚。
頭の中によぎるのは今この「しろすな」に来ている客のことである。
「女の人綺麗だったなぁ…私もああなりたいなぁ…まあ無理かな」
あんな色気のある雰囲気作れないし…と心の中でぼそりと呟く。
まあ実際、渚と比べれば方向性はだいぶ違う。
渚は可愛い系なので。
鏡を見つめる渚。
――顔立ちはまあ整っていると思う。
自己評価だから甘い部分もあると思うけど、それでも十分可愛いと言えるはずだ。
だけども、あの女性を見た後だといまいち自信が持てなくなってくる――
頭を振る渚。
頭に浮かんできた思考を払いのける。
「何考えてんだろう。私は私だし関係ないじゃん。でも…」
渚はあんな風に相手に可愛いと言ってもらえるのは羨ましいと感じていた。
そんな風に思うようになった渚自身もまた変わったんだなとなんとなく感じた。
そんなことを考えていると、風呂場の扉が横へと動く音が聞こえた。
音につられて、渚は開いた扉を見た。
「あ」
「あ、こんばんは」
「こ、こんばんは」
開いた扉に見えたのは、今しがた渚が思考を巡らせていた女性その人であった。
「遅くに入られるんですね。もっと前に入られたと思ってました」
「遅い日はこれくらいです」
「そうなんですね。私もいつもこれぐらいに入ることが多いです。遅い時間だとゆっくりできていいですよね」
「夜更かしして遅くなってこんな時間になってるばっかりですけどね。私は」
「夜更かししてるんですか?もっと早く寝る方だと思ってました。肌が凄くきれいなので」
「寝るの遅いですよ?12時過ぎとか」
「12時過ぎ…!?何時に起きてるんですか?」
「うーん、8時くらい?よく寝坊しちゃいます」
「寝坊!?8時!?え、そ、そうなんですね」
言葉を失う渚。
目の前の女性の雰囲気やら見た目やらから、そんな遅くに寝る生活をしているなど考えてもいなかったので。
そんな風になっている渚のことなど露知らず、その女性は渚のすぐ横のシャワーの椅子に腰を下ろした。
そんな女性の様子を渚は横目で見る。
丁度胸元が目に入った。
一言で言えばでかい。
サイズ感としては咲希といい勝負している。
下手すれば上かもしれない。
思わず渚は自身の胸に手を当てた。
――うん、ちゃんとある。
当たり前である。
そもそも渚も別にまな板ではない。
普通に体のサイズから考えれば大きい方である。
若干挙動不審になっていた渚を見ていたのか、女性が渚へと声をかけた。
「どうかしました?」
「へ、な、なんでも、ないですよ」
「胸に手当ててたから、何かあるのかなって」
「べ、え、む、胸があります?」
「うん?あるね」
「な、何でもないです!」
自分の盛大な失言に頭を抱える渚。
そんな渚の様子をさらに不思議そうな顔で見る女性。
「やっぱり、どうかしました?」
「どうも、してない、です…ほんとに、何も、心配されるようなことは、無いです。ありがとうございます」
顔が赤くなる渚。
今すぐ逃げ出したくなった。
「何か悩んでます?」
「そんな!別に!悩んでないですよ!」
「でも、何も無かったら頭は抱えないと思う」
「そ、それは!ほんとに違うんです!失言をしたから頭を抱えてただけなんです!悩んでたのとはまた違う問題なんです!」
「あ、でもやっぱり悩みはあるんだね」
「あ…少しだけ、ほんとに、ちょっとだけ、ですけど」
「恋の悩みとか?」
「恋の、悩み…なんですかね。私は、ちょっとまだ、分からないです。ただ、今日お客さんが旦那さんに可愛いって言ってもらってるのを見て、ちょっと羨ましいなって思ったり、そんなぐらいの話です」
「しげちゃんは毎日言ってくるからね…でも、あなたも可愛いから言われるでしょ?」
「毎日!?毎日!?そんなに言われたこと無い…でも毎日は嫌かも…」
毎日というワードに過剰反応を示す渚。
だいぶショッキングだった。
「うーん私も最初は慣れなかったけど、1年くらい言われ続けたら慣れたよ?」
「な、成程、慣れたんですね…嫌になったりはしないんですか?」
「最初は流石にちょっと面食らったけど、今は全然。むしろ嬉しいよ?」
「そ、そうなんだ…」
「うん、私は別にいいんだけど、あなたも言われるでしょ?可愛いって」
「私は…あんまり、言われないですかね…言われてもお世辞が多い気がします」
「こんなに可愛いのに!?」
「え。可愛いですか?」
「可愛いよ!最初会った時からそう思ってたもん」
「ありがとうございます。最近ちょっと自信が持てなくて…悩んでたんです」
「自信って容姿とかそういうところ?」
「そういうところ…なんですかね。可愛いとはたまに言ってもらえますけど、ベクトルが違うというか、親愛がこもりすぎてるというか、ちょっと違うんですよね。なので…」
「そうなの?私あなたより可愛い子知らないよ?」
「え、それは嘘ですっ!」
「え?そんなことないけど。身近に近い感じの人はいるけど、あれは方向性が違うし」
「方向性が違う…」
「うん、もっと幼い感じの可愛いだから。だから女の子として可愛いならあなたより可愛い子なんて見たこと無いよ?」
「その…ありがとうございます。そんなにしっかり真正面から褒められると、ちょっと照れますね」
「そう?うーん、あなたみたいな子ならもっと言われ慣れてるかなって思ってたんだけど…」
「全然そんなこと無いですよ。私に可愛いって言う人は、お世辞で言ってくれるお客さんとか、馴染みのお魚屋さんとか、あと数人くらいの知り合いくらいです」
「えーもったいない」
「も、もったいない?え、もったいないんですか?」
「だってせっかくこんなに可愛いのに、それを知ってる人が少ないってことでしょ。もったいなくない?」
「そ、そうなんですか?初めて言われました。お客さんはよく言われるんですか?」
「流石に最近はあんまりだけど、高校時代はいっぱい」
「高校、時代…いっぱい!?」
「うん、いっぱい。1日に5回告白されたりしたし」
「1日に5回!?明人君と同じかそれより多い…そんな人この世に2人もいるんだ…」
「だから、あなたもいっぱいいるのかなって。クラスの子とかほっとかないでしょ?」
「…私、学校行ってないんですよね」
「あ…ごめんなさい」
「だ、大丈夫です気にしないでください。自分の意思で行ってないだけなので!普通に今はここの手伝いもあるからそれで十分だって私思ってるんで気にしないでください!」
「そっかぁ…その年で家の手伝いやってるんだ、えらいなぁ」
「半分成り行きみたいなものなんですけどね、姉と2人っきりなので、流石に姉にだけ押し付けれないので」
「すごいね。私なんて一緒に住んでたもう一人に全部投げて学校通ってたよ」
「お家は何か仕事してたんですか?」
「えっとね、神社」
「神社!?」
飛び出るワードに目を白黒させる渚。
口から出てくる言葉にいちいち驚いている気がする。
やはりやんごとなき身分の人なのではと思い直した。
「そう神社、とは言っても、私もなりゆきだったけど」
「そうなん、ですか?」
「そう、だから途中から家事以外全部仕事やらなくなっちゃった。悪いなーって思いながら学校行ってた」
いい笑顔でそう言い切る女性。
「なんか悪いなーって思ってる顔じゃないですね」
苦笑いする渚。
「あ、分かる?」
「はい、顔が笑顔だったので」
「正直そこまで悪いと思ってなかった」
「なんかすごいですね。割り切り方が」
「だってそうでもしないともう一人何にもしなくなっちゃうんだもん」
「そ、そうなんですね…」
頭の中に働かない幼女の姿が浮かんだ。
あれ、この人鬼畜なのではとちょっと思った渚。
「あ、仕事押し付けるって言っても、もう一人は家事何にもしなかったから、あれ、適材適所だよ?」
「あれ、顔に出てましたか?」
「鬼畜を見る目をしてた」
「そこまで出てましたか…?なんてこった…」
「渚ちゃんだったっけ?分かりやすいね!」
「え、そう、ですか?というか名前言いましたっけ?」
「さっきほら、台所で、彼氏君と話してるのちょっと聞こえてたから」
「あ、確かに。…分かりやすいかな。あの、今更なんですけど、お客さんの名前って何て言うんですか?」
「私?千夏。斎藤千夏」
「千夏さん…覚えました。ありがとうございます。今から名前で呼んでも大丈夫ですか?」
「いいよ?」
「ありがとうございます。私は白砂渚って言います。気軽になんて呼んでもらっても大丈夫です」
「じゃあ渚ちゃんでいい?もう呼んでるけど」
「はい、大丈夫です。千夏さんは、ご夫婦って聞いてますけど、あの人とは何時であったんですか?」
「高校1年生かな。帰り道に…初めて会ったって言っていいのかなぁあれ…」
「え、何で濁るんですか?」
「ちょっと話しづらい大人の事情が」
「大人の事情!?な、成程?大丈夫ですか?脅迫されてるんですか?」
「いや、違う違うよ。そう言うのじゃ無いけど、しげちゃんのメンツが関わってくるから…」
メンツが関わるような出会いってなんだよと心の中で突っ込みを思わず入れてしまった渚。
入れたくもなる。
「じゃあもう長いんですね」
「うん、今年で…えーっと8年くらいかな?」
「他の人に靡いたことはないんですか?」
「ないよ」
「すごい…力強いですね」
「しげちゃんだから結婚まで行った感じだし…他の人ならこうはなってないと思うからねー」
「そこまで、なんですね。旦那さんのどこが好きなんですか?」
「どこかぁ…うーん全部だけど、強いて言うなら、優しくて頼りがいあるとこかなぁ。偶に愛が重すぎるけど」
「…確かに、重そうですね。可愛い毎日ですもんね」
「あ、皮肉?」
「ひ、皮肉じゃないですよ。ただ純粋にそう思っただけです」
「まあ、私も偶に感じるから大丈夫」
「でもそこまで、重さを感じるなら不安を感じることは無さそうでいいですね」
「いいのかなぁ…不安に思ったことは無いけど、別の意味で不安になることはあるよ?」
「別の意味で?」
「私居なくなったらこの人どうするんだろうって」
「あぁ…成程」
「私が離れることは無いけど、何かの不幸があったら本気で後を追ってこないか心配になる時はあるね」
「そんな悩みもあるんですね…」
「渚ちゃんは何かそういうとこで不安になることでもあるの?」
「彼氏がモテすぎて、怖いです」
「彼氏ってさっきの台所にいた子?」
「はい」
「ああ、あれはモテるよね。顔だけでも十分いっぱい寄ってきそう」
「付き合う前に、何度か一緒に遊んだことがあるんですけど、女の子の人気が凄くて、若干ファンクラブみたいなのも出来てて、当時はからかってたんですけど、今はむしろちょっと嫉妬してるというか…なんというか…」
「ファンクラブかぁ…私以外にもいるんだなぁ」
「ああやっぱりあったんですね」
「なんだかその彼氏君、昔の私見てるみたい」
「旦那さんは不安にはならなかったんですか?」
「どうなんだろ、聞いたこと無いけど…そんなの関係ないと言わんばかりにぐいぐい来てたからねー」
「ぐいぐい…ぐいぐい行けばいいのか…」
「あ、だからってストーカーとかになっちゃだめだよ?」
「ストーカー…成程、その手が…」
「なっちゃだめだよ!」
「冗談です、ならないです。でもいいことは聞けた気がします」
「そう?気になるなら後でしげちゃんに聞いとこうか?」
「い、いえ、大丈夫です」
心の中で怖いのでと付け加える渚。
最初に見た印象はある程度拭えているものの、やっぱり大きい男性という時点である程度怖い。
「とりあえず私から言えるのは、2人ともお似合いだし大丈夫だよ多分」
「なんか雑に投げられた気がします」
「美男美女のカップルだしバランス取れてるから大丈夫だよ」
「私は美女でいいんですか?」
「渚ちゃんが美女の枠じゃ無いならこの世の中に美女いないよ?」
「自分の感性がずれてないことを再認識できて良かったです」
「あ、ということは自分のことちゃんと可愛いって思ってるんだ」
「ちょっとだけですよちょっとだけ。最近はどんどん自信が無くなってたんですけど、今日はちゃんと改めて思えました」
「もっと自惚れよ?その方がきっと可愛くなるよ?」
「自惚れるんですか?自惚れると可愛くなるんですか?」
「だって自分が可愛いと思えなきゃ他の人にそう思ってなんてもらえないしね」
「千夏さんは自分のこと可愛いと思ってるんですか?」
「最初はあんまりだったけど、今はどうだろ、可愛い系というより美人系だと思ってるけど…」
「いえ、そう言う違いは大丈夫です。でも、分かりました。私、自分が可愛いってもっと思えるように頑張ります」
「それがいいよ。せっかく可愛いんだし、もっと可愛くした方がいいし」
「やっぱりなんか言われると照れますね…」
「そっかーまだ照れるかぁ」
「何ですかその顔」
「いや、なんかそういうの、渚ちゃんいちいち可愛いよなって」
「な、なんか既視感がある褒め方…それは褒めてるんですか?」
「褒めてるよ?小動物見てる気分」
「んーーー!」
頭を抱える渚。
やはり自分は小動物なのだと再認識した。
可愛さのベクトルがやはり違うのだ。
早急に改善せねばならないと思った渚であった。
 




