特別
民宿「しろすな」から歩いて数分の古い本屋。
見てくれとは裏腹に最新のラノベが立ち並ぶその場所で、渚と稜子と明人の3人が駄弁っていた。
「そういえば渚、何買ったんだ?」
「えっとね、こういうのだよ」
渚の手元にあったのは少女向けのラノベであった。
イケメンに言い寄られる普通の女の子の話である。
間違いなく昔の渚であったのであるならば読まなかったであろう話である。
「へー渚こういうの読むんだ」
「うん、最近はね。稜子ちゃんがおススメしてくれたんだよね」
「いつも御贔屓にありがとうございます。まあ話せる相手欲しいしおススメはするわよね」
「そういえば神谷君はここでは何も買わないの?」
「いや、買うことはあるぞ?…年に1回くらい」
「いやだからねぇ明人。そこの渚を見習いなさいよ。渚ほとんど来るたびに買って行ってくれるのよ?」
「まあ私のお小遣いの使い道は服か化粧品か本くらいだからね。食べたい食べ物は経費で買っちゃうから、ほんと、使うのはそれくらい」
「それずるいなぁ渚。俺も経費があればなぁ」
「嘘つけ。あったところでどうせ買いになんてこないでしょ」
「まあな」
「嘘でも買うっていいなさいよそこは」
「あ、ちなみに、神谷君は食べたいものがあったら私買ってくるから言ってね」
「え、ほんとか?それなら…」
「渚、あんまりこの馬鹿を調子づかせない方がいいわよ。こいつ食べる量半端ないし」
「ああ確かに。じゃあ偶にってことで」
そう言って笑う渚。
「偶にっていつなんだ…?」
「いつなんだろうね。とりあえず言ってくれれば考えるから。食べたいものあったら教えてね」
「おう!」
「はぁーいいわね明人。こんな献身的な彼女で」
「稜子ちゃんは啓介君にはこういうこと言わないの?」
「…あんまり」
「あれ、そうなんだ。でもこの程度なら献身的でも何でもない気がするけどね」
「私なら絶対言わないってだけ。ほんとどの男どもも食い意地やたら張ってんだから全く…」
「ああ確かに啓介君もよく食べてたよね。この間の海の時も凄い食べてたし」
「食費でお金がぶっ飛ぶわよ全く」
「あれ、じゃあ何か作ってあげたりしてるの?」
「っ、はい、この話終わりここまでー」
「え、何でなんで。気になるじゃん。え、もしかしてほんとに作ってるの!?」
「偶に啓介から弁当美味かった的なメッセージは来るな、俺のとこにも」
「ああああああ!言うなぁあ!」
今にもとびかかりそうであったが、幸いカウンターが邪魔していた。
「なんだ稜子ちゃん私より献身的な感じがするなぁ…神谷君は作ってほしかったりする?」
「え?…つ、作ってくれるなら、嬉しいけど、そりゃ」
「そっか、そう言うものなんだ」
渚はニコニコと温かい目で稜子を見ている。
対する稜子はカウンターに顔を押し付けて死んでいた。
「あぁああ…誰にも言うつもり無かったのに…ああああ、あの馬鹿ぁ…」
「私はむしろそういう話聞いて参考になったよ!いいと思うよ!」
「しなくていいから!参考に!明人、あんたもなんか言え!恥ずかしさで死ぬ!」
「え、なんか言えって言われてもなぁ…あ、こんな時間だーじゃあ俺そろそろ行くわー」
「あっちょ、明人、逃げるな!」
目をそらした明人は、そのまま半ダッシュで本屋から飛び出していった。
「ごめんね、稜子ちゃん。今度神谷君にはああいうこと簡単に言わないように言っとくから」
「いいわよ別に。どうせあれ言って直るようなものでもないし…まああなたに知られる分には問題ないし」
「そう?それならいいんだけど」
「そもそも元を正せば啓介の馬鹿が悪いし…今度とっつかまえなきゃあの馬鹿」
その言葉を聞いた渚は苦笑していた。
「…何よ」
「ううん、仲がいいなと思っただけ」
「…まあ、仲はいいわよ。多分ね。…そういえば、仲がいいで思い出したけど、渚、明人のこと明人って呼ばないのね。今更だけど」
「え、あ、ほんとだ、呼んでない気がする。神谷君は神谷君だしなぁ…」
「ずっとそうよね。あなた。昔っからだもの。一回も明人を明人って呼んでない気がするわ。ああ別に悪いって言う意味じゃ無いから」
「呼んだ方がいいのかなぁ。でもそうだよね、啓介君は啓介君って呼ぶのに神谷君は神谷君だもんね。おかしいかなぁ…おかしいか」
「おかしいとは別に思わないけど、なんでだろうとは思ってたわね。だってあんなに仲良いから」
「うーん、なんだろう。名前で呼ぶタイミングを失ったというか、神谷君を神谷君と呼び過ぎて他の呼び方で呼ぶのに慣れてないというか…例えばなんだけど、稜子ちゃん的に付き合った後も苗字呼び名のってどう思う?」
「うーんそうね…私はそんなに気にしない方だけど、気にする人は気にしそう?駄目ね、私も稜子って基本的に呼ばれるからよく分からないわ」
「そっかぁ、そうだよね。うーん、どうしよっかなぁ、言われたら気になってきた」
「あ、でもそうね。一つ言えることはあるわね」
「何々」
「前あなた彼女みたいなことしたいとか言ってなかった?」
「うん、言ってたね」
「やってみたら?多分ああ見えて明人そう言うの喜ぶわよ」
「わ、分かった。やって、みるね。よし、じゃあそうと決まったら今日はそろそろ帰るよ。またね」
「ん、じゃあまたね。結果聞かせてよ」
「分かったー」
□□□□□□
ある日の民宿「しろすな」の台所。
客の夕飯が終わり洗い物をしている渚と明人の2名。
「えっと…次、これ、を、お願い…」
「おっけー。…どうした?」
「ど、どうも、してないよ?」
声が裏返る渚。
実のところ今日試しに明人を名前で呼んでみようと明人が来た時から考えていたのだが、結局今に至るまで言えていない。
なんならそもそも名前を呼べていない。
なんか意識したら言えなくなった。
「嘘だ、絶対その挙動不審さ、何か隠してる時の渚だね」
「う、ば、バレてる」
「そりゃもう、バレバレだって。何回渚の隠し事見てきてると思ってるの」
「た、確かに…えっと、隠してるって言うわけじゃ無いんだよ?なんというか、踏ん切りがつかなくて挙動不審になってるだけっていう…」
「踏ん切り?何かやるつもりなのか?」
「や、やるよ。私はやるよ。うん、やる!」
「お、おう?何でもどうぞ?」
明人の方を滅茶苦茶じーっと見だす渚。
それを受けた明人が若干困り顔になる。
「ど、どうした?」
「い、言うよ」
「ど、どうぞ?」
「あ…あ…」
顔が急速に茹蛸になる渚。
最近特にこうなることが多い気がする。
渚自身もそれに困惑していた。
理性的にはやってることに対して自己突っ込みいれて呆れているレベルなのだが、体は言うことを聞いてくれない。
「あ…?」
「あ…よし、言うよ!」
「いいよ?」
「明人…君!」
言えた開放感からか、恥ずかしさからか、明人から急に顔を逸らす渚。
言えたというオーラがにじみ出ている。
「あ、え、俺の名前?」
「そう。あき、と君の名前、を、呼ぶだけ、だよ」
「それ、そんなに覚悟いる?」
笑いながら明人がそう返す。
その言葉に一気に顔を振り向かせて渚が答えた。
「い、いるんだよ!ずっとだって明人君のこと神谷君って呼んでたでしょ?付き合ってからもずっと神谷君だったし、気にしてなかったかなって!でも、いきなり変えたら変じゃ無いかなって、悩んでたんだよ!」
「そっか。いや、俺も正直長い間渚から神谷君って呼ばれ過ぎて何も気にしてなかったんだよな。…ただ、なんか、名前で呼ばれるとこそぐったい感じするな」
「戻した方が…いい?」
「いや、そのままで、むしろもっと呼んでくれ?」
「わ、分かった。頑張って変えてくね。明人君」
「ああ、なんかいいな、明人君って呼ばれるの」
「慣れてないからまだちょっと恥ずかしいかな。でもなんかちょっと近づけた気がして、私もちょっと嬉しいかも」
「なんなら呼び捨てでもいいぞ?」
「よ、呼び捨て…あ、明人…くん」
「あ、それ駄目なんだ」
思いっきり笑う明人。
「呼んでも、いいんでしょうか…」
「そりゃいいよ。彼女だし、渚だし、遠慮するような仲じゃないだろ?」
「あ、明人…?」
「なんで疑問形?」
「なんかむず痒いからかな…」
「…聞いてるこっちもなんかさっき以上にむず痒いな」
「ちなみに私としては呼びたい呼び方があったりなかったり…」
「渚からならどんな呼び方でもいいよ俺は」
「じゃあ、親しみを込めて…あき、君、とか、どうかな…」
「あ、あき君…?」
聞いた明人の顔が赤くなった。
「ん、やめとこ!やめとく!」
両手をぶんぶんしてやめる意思を示す渚。
「そ、そうだな、これはやばい、いや思った以上にやばいこれ…え、顔あつっ」
「ん、いまのは聞かなかったことにして!なにもいってないよ!よしお皿洗おう!」
「そそ、そうだな!」
2人とも顔が赤かった。




