行く道
「失礼しまーす」
大型の二階建て木造建築の入り口にて一人の青年が声をかける。
手には何かそこそこ重そうな荷物を抱えているようである。
「すいませーん、誰かいるー?」
声をかけつつ玄関をくぐる。
玄関口の鍵は掛かっていない。
と、そこでそれに応対する声が響いた。
「はーい!ごめん、渚ーー!今手が離せないから出てー!」
「はーい!」
二人の女性の声が飛び交い、パタパタと足音が響く。
程なくして、一人の女性と言うにはまだ年若い少女が顔を出した。
少し茶髪の入った髪を低い位置で結んでツインテールにしている。
渚である。
「ごめんなさい、咲希姉、今手が離せないみたいで」
「ああ、いいよ。大丈夫大丈夫」
「あーでもこれお酒だから咲希に対応してもらった方がいいかも。ごめん、ちょっと待たせてもらっていい?」
「大丈夫ですよ」
持っていた荷物を下ろす青年こと雅彦。
もはやこの光景も見慣れたものである。
「だいぶ温かくなりましたね」
「そうだね。なんか春先まだ寒かったしなぁ」
「そうですねー寒かったですよね」
「ようやく上着も分厚いの卒業できそうだよ。この辺の冬寒いからなぁ…あ、そういえば咲希って今何してるの?」
当然の疑問を投げる雅彦。
一応大体の咲希の行動パターンは把握しているつもりなのだが。
「うーん多分部屋から出てこないので、ゲームやってるんじゃないんですかねぇ」
「あはは、ある意味咲希らしい。しばらくかかるかなこりゃ」
困った笑顔でそう言う雅彦。
慣れたもんである。
「笑い事じゃないですよ。咲希姉ゲームやるとほんとに出てこないから、偶に夕飯になっても降りてこないんですよ!」
「そりゃ困るなー…ほんとなんというかそういう家の中のことズボラだね咲希」
「本当ですよ。せっかく今日大月さん来てるのに、私に行かせるなんて…」
「まあまあ、咲希だしこれくらいは普通かなって」
「大月さん咲希姉と付き合ってるんですよね?」
「はは、まあね?」
「こんな感じなんですか?」
「普段はまあこんな感じだよ。恋人には…普段は見えないんじゃないかなぁ」
「よく出かけてるので、もうちょっと熱い感じなのかなって思ってたんですけど、そうでもないんですね」
「普段は本当に友達の延長線にいるみたいな感じだからね。ずっとべったりしてるわけでもないしなぁ」
こんな感じの関係性が好きなんだけどねと笑いながら渚に言う雅彦。
「へーそうなんですね。咲希姉あんまり大月さんのこと話さないから、なんか知れて良かったです」
「あれ、そうなんだ?てっきりもう色々渚ちゃんには知られてるものとばかり。咲希から聞いてない?」
「いえいえ、残念ながら、何も。まあそもそも、咲希姉から話してくることあんまりないですからね」
「あらら、そうなのか。まあ確かに咲希って話題振らないとあんまり喋らないもんね?」
「そうなんですよね。咲希姉ほんとずっとそんな感じなので、あんまり大月さんの話も聞いて無いですね」
「そうなのか…俺としてはなんか咲希のことはいくらでも話せるけど本人嫌がるかな?」
「そんなこと無いんじゃないですか?咲希姉って意外と聞いたら話してくれますし。…あ、そういえば色々知られてるって言ってましたけど、色々って何の色々ですか?」
「んー?聞いちゃう?」
「聞いちゃいますね」
「そうかー…話していいのかなこれ」
「そんな迷うような話なんですか」
「そんなジトっと見られても困るよ。いや変なことじゃ無いけど、仮にも妹さんにそれ話していいのかなって」
その言葉を聞いてすぐに何かを察した渚。
「やったんですね。やったんですか。そういうことですか?」
「え!?あ、あー…察するの早いね」
「大月さんが顔に出すぎなだけです。そもそも話して迷う話題なんてそうそう無いじゃないですか。キスで迷うような年齢でも無いですよね?」
「そりゃまあ…確かに?いやぁ失言だったかなぁこれ」
まあキスでも自分はまだ迷っちゃうけどと付け加える雅彦。
「いえいえ、仲がよさそうなことが知れて私は大変満足です」
「うわ、すっごいニヤついてるね?」
「いえ、久しぶりに大月さんに勝てた気がするので」
「いや…別に勝負してないからね?」
「大月さんが私に動じないのは生意気だと思ってたんですよ」
「いやおかしくないかい?普通逆じゃないかな?年齢的には」
「あれ、そうですかね?あれ、でも確かに。そうかも?」
「でしょ?」
「まあいいんですよ。久しぶりに勝ったのは事実なので」
「どこで勝敗が決まってるかすら分からないんだけど…」
「私が大月さんを動揺させたとき、勝利です」
「うわ、それなら確かに敗北したなぁ」
そんなことを話していたら上から階段を下る足音一つ。
いつもの格好の咲希であった。
結局雅彦と会った後もお洒落に目覚める気配は今のところはない。
「あーまた渚が雅彦いじめてる」
「あ、咲希姉。いじめてないよ。咲希姉が大月さんのこと構ってあげないから、私が代わりに構ってもらってただけだよ」
「構ってあげないってしゃあないだろ電話来てたんだし…」
口をへの字にしながらそう言う咲希。
その言葉に意外そうな顔をする渚。
「あれ、ゲームじゃ無いの?」
「雅彦来るの分かってる時間にするか。普通に電話対応長引いとっただけだわ」
「なーんだ。そうなんだ。しっかり熱々ですね」
「うるせえ。流石にそこでゲームしてるほど薄情じゃ無いわい」
「それもそっか。そうだよね。そうだよね」
「うっわムカつく顔。スイマセンねこんなんが妹で」
「いやー楽しませてもらってるんで、大丈夫ですよ?」
「そうだよ咲希姉!私は絶対に人が嫌がりすぎることはしないから!ライン越えはしない女だよ!」
「いや誇ってんじゃねえよ。越えたら駄目に決まってんだろ。アウトだよ。そもそも嫌がることやってんじゃねえ」
思わず突っ込む咲希。
いつも通りである。
「それはその通りでございますね。だが!ある程度は断る!」
「断るな受け入れろ」
「しっぺ返しはちゃんと食らうから許して!」
「食らうの分かってるならやるな!」
そんな姉妹のノリを見て思わず吹き出す雅彦。
「あはは、漫才してる?」
「いやそういうんじゃないんで、ほんと。ここ最近テンション高いんですよねぇ渚」
「あれ、そうなんだ?なんかいいことでもあった?」
その言葉を聞いて急に固まる渚。
分りやすい反応であった。
「あーあーあったかも、しれない、かな」
「具体的に言うとね?渚にもね――」
喋りかけた咲希の言葉を全力で止めにかかる渚。
「わああーーーー!咲希姉!ストップ!ストップ!駄目だから!」
「えー?いいじゃんか、どうせ今雅彦から事情聴取してたんだろ?」
「してないもん!ちょっとしか聞いてないし!どっちかっていうと事故だったし!」
「いや聞いとるじゃん」
「聞きましたけど!聞きましたけど違うの!」
「え、え?そんな聞かれたくないことでもあったの?」
「…あ、えっと聞かれたくないわけじゃ、無いですけど、そこまで話すことでも、無いですかね」
「え、気になるなぁ」
「気にしなくていいんです!」
「はいはい分かった分かった。全く自分だけとは良いご身分で?あ、雅彦、それで例の物は?ある?」
そこまで話して思い出したかのように仕事の話に戻る咲希。
「ああ、持ってきたよ。サインよろしくね」
「あいあいー…ふんふん確かに確かに。全部ありますね」
荷物を確認する咲希。
それに対して渚が妙な顔をする。
「例の物…?」
「ん?ああ、お酒のことね?」
「何か特別なものでも入れたの?」
「いいや?ただのノリだよ?」
「の、ノリかぁ…わっかりづら!わっかりづらいよ!びっくりしたじゃん!」
「そんな違法な物扱うわけないだろ?」
「何かお祝いの席でも用意されるのかと思ったじゃん!突然結婚報告されると身がまえたじゃん!」
「流石に早すぎんだろ。無い無い。あ、これよろしくお願いします」
「あ、確かに。うん、流石に結婚はちょっとまだ早すぎるかなぁ。はい確かに確認しました」
渚の言葉をサラッと否定しながら業務を進める2名。
「そんなナチュラルに否定しないで。しかもちょっとって言いました?」
「まあ、流石に早いかなって思うからね?…まあでもいずれは?」
「するよなぁ多分。今の内から式場探しといたほうがいいか?」
実に自然な感じでそんなことを言う咲希と雅彦。
渚が頭を抱える番であった。
「駄目だこの人たち。言ってることと行動が全然かみ合ってないよ」
「ま、そのうち考えるから今はまだってだけだって」
「ああ、もういいです。お腹いっぱいになったので。満足しました。ありがとうございました」
「どういたしまして」
笑いながらそう答える雅彦。
「ふぅーじゃあ、あとよろしくね」
とりあえずやることを咲希に任せて去ろうとする渚を咲希が呼び止めた。
「おうともさ。ありがとな。…あ、そういえば、お前そろそろ時間いいのか。彼、来てんじゃないの」
「大丈夫。そのために早めに準備したし」
「11時過ぎじゃなかったっけ?もう11時まであと少しだが」
その言葉にちらと時計を確認すれば既に10時50分。
あと10分で11時である。
「あ」
「時間見とけよ全く」
「ちゃんと髪も服もメイクも全部やったし、鞄持ってこれば終わるだけだから!」
そう言って2階へと飛んでいく渚。
そのまますぐに戻ってきて玄関へと向かう。
「じゃあ咲希姉行ってくるから!」
「はいはいいてらー。遅くなるなよー」
「分かってるー!」
そう言って渚は外に飛び出した。
「…渚ちゃん今からなんか予定でも?」
「さっき言いかけたでしょ?あやつにも春が来たってことで」
「おお、流石渚ちゃん。きっと俺なんかより何倍もいい男捕まえてるんだろうなぁ…」
「おやおやその発言は私の目が節穴ってことになるんですけど?」
「ああっいやそう言う意味じゃなくて」
「ふふ、分かってますよ。でも私にとっては雅彦が一番ですからね?」
「スイマセン…」
「謝らないでくださいって。あ、というか渚いなくなっちゃったから2人ですね?この後予定ありますか?」
「ああ、ここが最後何で大丈夫ですよ?」
「よし、じゃあ上がってってくださいよ。ゲームしましょゲーム!」
いい笑顔でそう言い放つ咲希。
それを聞いて噴き出す雅彦。
「あーなんで笑うんですか?」
「いややっぱ咲希、咲希だなって」
「そりゃ私だし…あ、何ですかここに来てゲーム子供っぽいとか言わないでくださいよ?」
少し不満顔になる咲希。
それを笑顔でなだめる雅彦。
「言わないですって。そう言うのもこみこみで好きなんですから」
「お、言いますね…まあ雅彦さんがそう言う人だから好きになったのもあるし…じゃあ今日はコテンパンにぶちのめしてやりますからね」
「そこは加減無いんですね」
「それはそれ、これはこれ。これも一つの好きの形ってことで」
「好きの形が物理的すぎる」
そう言うと2人は2階に上がっていった。
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「しろすな」を飛び出した渚。
そのまま駅前へとダッシュしていく。
「はぁ…はぁ…間に合った」
「それ間に合ったって言うのか…?」
「時間は、まだ、余裕ある、よね」
「1分かな」
「じゃあまだ大丈夫」
「ギリギリすぎるだろ…」
呆れた声を出して渚に話しかけるのは当然明人であった。
この時間に待ち合わせなのである。
「えへへ、ごめんごめん。ちょっと話してたら長くなっちゃった」
「ほんと、時間にだけはギリギリだよな渚」
「用意早くしすぎちゃって暇を持て余してたはずなんだけどな。気づいたら何故かぎりぎりに」
「もうちょっと早く出てきなよ…」
「すみませんでした…気を付けます」
「全く、そんなガチで走ってきたら可愛いもへったくれもなくなるぞ?」
「大丈夫、最近の化粧品は防水仕様だから!」
「そう言う問題じゃないってば!」
「いいのいいの…だって、神谷君に可愛いって言ってもらえたら、私はそれで十分だから」
「…そういうのは、ずるいと思う」
「私も負けっぱなしは嫌ですから。たまには反撃しないとね」
「…ああもう。やっぱ渚は可愛いや」
「うん、ありがとう。それじゃあ行こっか」
「ああ、そうだな」
渚が明人に手を伸ばす。
その手を明人は自然にとって、繋いだ。
そうして明人と渚は電車に乗り込んでいった。
知らない場所、知らない体、知らない性別。
何もかもが変わってしまっても、それでも日常は続いていく。
新たな出会いと共に。
新たな気持ちと共に。
民宿「しろすな」で
これにて完結になります。
なんだかんだ1年近くかかってしまった…
ここまで読んでくださり誠にありがとうございます。
完結にはなりますが、まだ話は書こうと思いますのでこの先もしばらく楽しんでいただければ幸いです。




