ぼんやり
ベッドの上で渚は唸っていた。
久しぶりにしっかりと服も髪も整えたというのに、ベッドの上に寝っ転がってしまったせいで整えた髪は乱れていた。
「うううん」
胸がもやもやする。
何かが腑に落ちない。
そんな状態がしばらくずっと続いていた。
もやもやしだしたのは大体明人と仲直りをした直後くらいからだった。
騙しているみたいだったから、その罪悪感に耐えられず渚は明人を突き放していた。
だがしかし結局、明人と向き合うことから逃げていたのは渚自身だった。
明人はあの時渚にそのことを教えてくれた。
明人と渚自身に向き合う勇気をくれた。
そこまでは良かった。そこまでは良かったのだ。
だが、問題はそこからだった。
なぜだか明人のことを考えるともやもやとした感覚がするようになってしまった。
もやもやといっても突き放していた時のような悲しいとか、寂しいといった負の感情ではなく、まったく別の何か、どちらかと言えば、もっと仲良くなりたいとか、もっと喋っていたいとか、そういった正の感情であることはわかっている。
だけど渚とて負の感情が正の感情になったというだけではここまでもやもやすることもなかった。
ただ、その感情があまりに度を越して大きくなっているからこそもやもやしているのだ。
モヤモヤした感情が自分が思う感情かどうかを確かめたくて、色々な小説や漫画や映画なども見てみた。
でも見た結果はモヤモヤした感情が自分が考えていたものであると確信させるような結果ばかりで余計モヤモヤする羽目になった。
結局しばらくもやもやは晴れることがなく、気づけば心の中でずるずると引きずっていた。
その感情に気づいたのは明人が「しろすな」に再びアルバイトをしに来るようになってからだ。
気づけば明人を目で追っていた。
自覚はなかった。
だが気づけば見つめていたのだ。
理由は、明人が何をしているのか、何を見ているのかを知りたくなったから。
だが当時はそのことについてなんの疑問も抱いていなかったし、気づいていなかった。
それがこのもやもやする感情に変化したのは咲希にそのことを追求されかけてからだった。
もちろん明人と仲直りができたことはうれしかったし、今もその気持ちは変わっていない。
それに渚自身、明人に対して極端な行動をとりすぎたと反省もしている。
だがそれでもこの胸の内からくるもやもやする感情に対して、渚は戸惑い翻弄されていた。
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渚は相変わらずもやもやしていた。
もやもやしていても買い物に行かねば宿は成り立たない。
そして基本買い出しは渚の役回りである。
正直あんまり外に出る気分ではないがそこは致し方ない。
「…」
もやもやしたこの感情を考えてはいけないと、そうどこかで思っているのに、何度他のことを考えても同じ事ばかりを考えてしまっていた。
もし、このもやもやした感情に気付いてしまったのなら、多分戻ることはできない、そんな気がしていた。
買い物袋を持って、スーパーを出た渚。
夕暮れ時であった。
「そういえば、お姫様抱っこされたのもこんな夕暮れ時だったなぁ…」
そのことを思い出して顔が赤くなる渚。
あんなことをされたのは生まれて初めてのことである。
正直あの時も恥ずかしかったのだが、もやもやが合わさると、猶更恥ずかしさを感じずにはいられなかった。
「やっぱり、私は………」
頭の中に明人の姿が浮かぶ渚。
が、首を振って無理矢理その考えを頭の外へと押しやる。
本当になんでこう明人のことばかり考えているのか当人も分かっていなかった。
考えるのをやめようと思っても、結局そんなことはできず、どこか上の空な状態で道を歩く渚。
そんな渚は横断歩道へと差し掛かる。
信号のない横断歩道であるので、普段であれば必ず周辺を確認して渡るところであるが、今日の渚にそんなものを確認している余裕なんぞなかった。
そのまま横断歩道へと歩みを進める渚。
急にクラクションの音が鳴った。
「…あ」
目の前までトラックが迫っていた。
突然過ぎて、渚の足は動かなかった。
ぐっと渚の体が後ろへと引っ張られる。
引っ張られて後ろへと倒れ込む渚。
しかし、引っ張られた関係でもう少しでぶつかりそうだったトラックはギリギリ回避できたようである。
「渚、大丈夫か!?」
渚が驚いた顔のまま、その声の方へと顔を向ける。
そこにいたのは先ほどまで渚の頭の中を舞っていた、神谷明人その人であった。
「か、神谷、君?」
「ここ信号無いから気を付けろって!轢かれるとこだったぞ!」
「…へ、何で」
「何でって…渚が見えて、声かけようとしたら轢かれそうになってるから慌てて…」
「そっか、私…轢かれそうになったんだ…」
「危なかったぞ、ほんとに。怪我してないよな?大丈夫だよな?」
「えっと、怪我、怪我…」
その言葉に反応して周りをキョロキョロ見渡す渚。
周りには特に何もない、が、強いていうなれば渚は明人にもたれかかっている状態である。
渚を引っ張った衝撃で明人も倒れたのだろう。
その上に渚が乗ってる状態である。
それに気づいて顔が赤くなっていく渚。
「うわ、うわっ、うわああああああ!」
飛び起きる渚。
明人は目を丸くしている。
そりゃそうだ。
「か、か、か、か、神谷君!えっと!これは!えっと!」
急に髪だの服だの、色々なところを直す渚。
わたわたしている。
「えっと、そんだけ動けるなら大丈夫なんだよな?」
そう言って明人も立ち上がった。
「あの…えっと!あ、ありがとう。助けてくれて」
「まあ、なんともないならいいけどさ。ほんとに気を付けてくれよ。流石に今のは肝が冷えた」
そう言う明人はというと、安堵した表情でそんなことを渚に向かって言う。
渚の心情なんて知らぬので仕方ない。
「ごめんね、ぼーっとしてた。もし神谷君が助けてくれなかったら、多分きっと轢かれてたんだろうね」
「縁起でもないって。せっかくまた話せるようになったのに、こんなことでまた別れるの俺嫌だぞ」
「…うん。そうだよね。私も神谷君と喋れなくなるのは嫌だよ」
「考え事もいいけど、道でするなよな…ん、というか渚帰り道か?」
「う、うん。そうだよ」
「送る。なんか今の渚放置しといたら帰りにまた轢かれそうだし」
「いっ!?いいよっ!いいいらない!ひとっ、一人で帰るから!」
「今の聞いてますます一人で帰らせられなくなった。明らかになんかおかしいだろ渚今日」
「おおおおおおかしいかもしれないけど、ほんとに、神谷君はいい!」
「駄目。送る。どう見てもおかしいもんな」
そう言うとあたりに散らばった買い物袋の中身を袋に詰めなおしていく明人。
一方渚はというと、そんな明人を見ながら口元を押さえてなんかプルプルしていた。
「よし、これでいい。ん、渚、ほんとに大丈夫か?顔滅茶苦茶赤いけど…」
その言葉に黙って頷き連打で返す渚。
口元は相変わらず押さえている。
「じゃあ荷物は持つから、送ってくよ。…どうした、その手」
「にゃ…にゃんでも、ないから!ほんと…なんでも、にゃいから!」
「はは、どうしたんだよ、猫ってるぞ?」
渚の顔が限界を超えて赤くなる。
もうそろそろ本格的に茹蛸である。
「か、帰ります!荷物持ちます!」
「いいから、なんか今荷物渡したら逃げられそうだし」
「に、に、逃げ…たいに決まってるじゃん…」
滅茶苦茶小さい声で呟く渚。
「え?なんて?」
「なんでもないっ!帰る!」
「あっちょっ待てって!荷物!」
その声で体がびくっとして凄い勢いで戻ってくる渚。
そのまま明人が持っていた袋をひったくる勢いで奪い取った。
「あ」
「帰る!!帰ります!ありがとう、ございました!」
その言葉を最後に踵を返して、帰路へと着く渚。
速い。
明らかに足が速い。
「あっちょ、渚待てって!」
当然明人も気が気じゃないので渚を追う。
そんな明人を知ってか知らずか、通常の数倍の速度で道を歩く渚。
とりあえずそんな渚を明人も追いかける。
で、そんなこんなしていたらあっという間に「しろすな」前である。
扉の前で後ろを振り向く渚。
そこには渚を追いかけてここまできた明人が少し離れた位置にいた。
「えっと…あ!ありがとう!」
「おう…とりあえず車、気を付けろよ」
その言葉に小さく頷くと、勢いよく扉の中へと吸い込まれていく渚であった。
そして閉められた扉の中で。
「ああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」
絶叫する渚がそこにいた。




