直り
ある日の「しろすな」。
渚は部屋の真ん中でボーとしていた。
髪も下ろしたまま、全く何もせずにだらしない様相である。
普段であれば絶対にこんなことは無いのだが。
そんな生気の抜けた渚の下に、声がかかった。
「渚ー。いるよなー」
咲希である。
まあ当然同居してるのは咲希しかいないので当たり前であるが。
そんな声を聴いた渚は、のっそりと立ち上がり、扉を少し開けた。
「何」
「明日、でかい客が入った」
「神谷君は?」
「当然来る、というか呼んだ」
「そう…」
滅茶苦茶嫌そうな顔になる渚。
この前から気まずすぎて顔を合わせるのも怖いので当然である。
「で、流石に明日は仕事してくれよ。間違いなく捌けんぞ一人じゃあれ」
「…うん、分かった」
そのまま扉を閉める渚。
先日咲希と喧嘩したばっかなので正直咲希とも今は若干仲が悪い。
そのまま布団に倒れ伏した。
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次の日。
団体客が来るということで明人も呼び出されていた。
渚がしばらく避けていたので、実際に顔を合わせるのは実に1週間ぶり以上である。
明人が「しろすな」の中に入ると、いつもの格好の渚がいた。
とりあえず格好は整えたようである。
「おっす。渚。久しぶり」
「うん…久し、ぶり、だね」
引きつった笑みでそう答える渚。
当たり前である。
今は正直会いたくなかったので。
それに対して明人の方はというと、実にいつも通りであった。
「体調崩してたんだって聞いたけど、大丈夫だったか?」
「うん。大丈夫だよ。心配してくれて、ありがとう」
「そっか、ならいいんだけど。じゃあとりあえず仕事するか。なんかすっごい大勢来るって聴いたしな」
ということでとにかく仕事をしないといけないので、会話もそこそこに夕飯を作る作業に入った2名であった。
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嵐のような夕飯の時間が過ぎ去り、お客が部屋に戻って、2人で洗い物をしていた。
「はぁ…」
渚が深い深いため息を吐く。
顔も死んでいる。
特に何か考えて出たため息ではないものの、思わず口から出ていた。
「今日はお客多いなぁ…洗っても洗っても皿が減らない気がするよ」
「そうだね」
「こんなに盛況になったの初めてじゃないか?あ、でも俺来る前にこういう日あったのかな」
「うん、そうだよ」
「どれくらい?」
「もう、覚えてないかな」
「そうかぁ…まあでも、こんだけ盛況になってるならバイト先がつぶれる心配はなさそうだな」
「よかったね」
曇っていく渚の顔。
厳密には、明人に話しかけられるたびに顔が曇っていっている。
今話したくないのだ。
仕方ない。
それを分かってか分からずか、明人もいったんそこで話を切って、仕事に集中する。
しばらくの間、お互いに皿洗いを続けていると、渚が口を開いた。
「…あのさ。私に話しかけてて楽しい?辛くない?」
「ん?なんでだ?」
「なんでって、だって、私明らかに適当に返事してるでしょ。だから…」
「んー…まあ、分かってて話してる。けど、俺渚と話したい」
「そう…でも、私は神谷君と話したくない」
「話してないと、またどっか行かれそうだしな」
その言葉を聞いた渚が体を少しびくつかせた。
その時、手を滑らせたのか、渚が持っていた皿が手から離れた。
パリン!
「痛っ!」
「ん、大丈夫か渚」
その声を聞いた明人が、すっと渚の横に寄ってくる。
皿は落ちた衝撃で綺麗に割れており、その時に切ったのか、渚の指が少し出血していた。
「大丈夫。片づける準備するから神谷君はそのまま洗ってて」
「いや、俺がやる。渚ちょっと待ってろ」
「いいよ。私自分でやれるから!」
「いいから!出血してるだろ。俺行ってくるからそこで少し抑えて待っててくれ」
そういうと明人は、スッとキッチンから外に出た。
残された渚はとても居心地が悪そうに、割れた皿を眺めていた。
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「渚、ごめんちょっと手間取った…って、何やってんだよ。待ってろって言っただろ」
明人が新聞紙と掃除用具一式、それから救急箱を持って戻ってくると、渚が怪我をした状態で割れた皿を集めているところだった。
「だって、やること無かったし。それに、大した怪我じゃ無いし」
「それで余計に怪我したらどうすんだよ。深く切れたらそれこそ病院だぞ…?とりあえず渚、破片置いといていいから先に手を見せて」
「いいよ。別に、ほんとに大した怪我じゃ無かったから」
「俺が気にするの。いいから見せてって。止血するから」
半ば強引に渚の手を取る明人。
確かにそこまで大きな傷では無かったが、血はまだ止まっていなかった。
「ほら…まだ血が出てるじゃないか」
「…」
何も答えずに明人から治療を受ける渚。
手際よく明人が消毒して、絆創膏を貼った。
「これでよし。あ、でも押さえとけよ」
「あ、りがとう」
「いいって」
そう言うと明人は皿の割れた破片をささっと片づけ始めた。
「あの…本当にそれぐらいはやるから…洗い物に戻って、いいから…」
「いやいいよもうこれで終わりだし。それに皿もそこまでたくさんあるわけじゃないだろ?やるやる」
「い、いや、その、あの、お皿は…」
「いいから、けが人は休憩してろって」
そう言いながら洗い物を始める明人。
それを見ていた渚が隣のシンクに接近していく。
やらないといけないという意識が抜けない。
「渚ー?いいって言っただろ?」
「でも…」
「でもも何もありません。待っててください」
「…」
後ろに引き下がる渚。
渚はしばらくじっとした後、やっぱり居心地が悪いのか、明人が洗っているシンク側に、布巾をもって接近していく。
「渚さーん?」
「な、なに」
「怪我の口開いちゃうから、待っててって。というか2階に戻って大丈夫だぞ?あとやることわかってるしさ」
「2階には、戻らないよ。だって神谷君が仕事してくれてるし、それに拭くくらいだったら…大丈夫でしょ」
「駄目。怪我の口、貼ってるだけなんだから、剥がれる」
いつになく力強く反論してくる明人に押されて引き下がる渚。
「やっぱり、何か、やるよ」
「じゃあ、切った指押さえてて」
すごくばつが悪そうな顔をする渚。
「なんで、そんなに、優しくしてくれるの?あんなことさっき言ったのに」
「ん?渚だからに決まってるだろ」
「…よく分からない。何の得にもならないのに」
「得?あるよ?」
「あるの?」
「それについてこうやって話せる」
「それが得なの?」
「得じゃないかもな。でも、俺は渚と話せるだけで楽しいから、それでいい」
「話せるだけで楽しいの?」
「そりゃな。久しぶりにこうやって話せてるし楽しいに決まってるだろ」
「適当に返事しても?」
「…話してくれないよりはずっとな」
「なんでそんなに話したいの?意味わかんない」
「さっき言っただろ。渚だからだよ」
「私だから何?渚だから何?いったい私に何を求めてるの?私がしゃべる内容は、薄っぺらくて誰にでも話せるよう内容なのに」
「でも俺は自然体で話せるから渚との会話すきだぞ。内容が薄いって言ってるけど、それを渚と話すことが好きなんだから。それに仲の良い相手と話すのに理由がいるか?」
「…変だよ。やっぱり神谷君は変だよ。私はどこでも誰とでも話せるようなことしか話せない。私と話してないで他の人と話した方がいいよ。私はもう多分あんな話はできないから」
「じゃあ、今度は俺が話を投げる。さっきみたいに。それなら、問題ないだろ?それに、他の誰かだと無駄に気づかいして疲れるんだ。俺は渚と話したい」
「そんなに話したいの?」
「うーん…話したいはちょっと違うか。でも、一緒にいて欲しいかな。会えないの、寂しいし」
「これからも今日みたいに適当に返事するって言っても話したい?一緒にいたい?」
「それキッツいなぁ。まあでも、会えないよりずっとマシかな。それにほら、なんだかんだ、ちゃんと話してくれてる」
「こんなの、話したうちに入らないよ。これでも楽しいって言うなら、神谷君は相当変人か、Mだね。それもドMの方の」
「ハハッ。変人は言われたことあるけどドMは初だなぁ。相変わらず辛辣だな」
「神谷君がそれでもいいって言うから、いっただけ」
「それで渚が会ってくれるならドMくらいなら受け入れるけどな」
「そっか…そっか…そっかぁー…神谷君、私たちはまだ友達でもいいのかな」
「いいも何も、友達だろ?」
「友達かぁ…そっかぁ…」
しばらく難しい顔をする渚。
それから深呼吸をして、口を開いた。
「あのさ、やっぱり、何か手伝うよ」
「んー…じゃあ俺のことを気にせず2階に戻るで」
「……そう言うことじゃないんだけどな」
「そうか?いやでも本当に大丈夫。ありがとう」
結局2階に戻ることはせず、かといって何かやれるわけでもなかったため、後ろでしばらくキョロキョロおろおろして、明人を見たり、自分の指を見たりする変な人になっていた。
「よし、仕事終了」
そうこうしているうちに明人がやることを終えていた。
明人が後ろを振り向くと、行き場を失った渚と、同じく行き場を失った布巾が待っていた。
「あ、布巾もらうよ」
しばらく周りをきょろきょろして拭くものを探す渚。
しかし、明人がそんなものを残すはずもなく、仕方なく明人に布巾を渡した。
「よし、じゃあこれでほんとに終わりだな。いやー疲れた疲れた」
渚は口をパクパクさせて何かを言いたそうにしているが、言葉になっていない。
「じゃあ渚、俺帰るから。また来るな」
そう言って明人はキッチンから出ようとする。
「待って!!」
「うぉっ!?え、どうした?なんか俺やらかした?」
「あの、さ…えっと、あのね、ありがとう」
「え?ああ、皿?いいよいいよ。困ったときはお互い様だろ」
「……あの、さ、もし、嫌じゃ無かったら、ご飯、とか、食べて、行きません、か?」
「え?いいのか?」
「あっ!えっと、家にもうご飯があるとかさっ、迷惑とかだったら本当にいいのっ!ただ、そのまま、帰したくない…っていうか、なん、ていうか、嫌じゃ無かったら…」
「嫌なわけないだろ。夕飯こっからどうしようって思ってたんだって。むしろお願いします」
「本当?嘘じゃない?」
「いやそこで嘘ついてどうするんだよ。俺既に腹ペコだけど?」
「…そっか。あのさ、もう一個だけ言っていいかな?」
「ん、いいけど、なんだ?」
「ごめんね、ずっと、避けてて。神谷君は何も、悪くないのに。私ずっと、嫌な奴だったよね。ほんと、ごめん」
その言葉を聞いて少し黙る明人。
少しして、渚の方を真っすぐ見ながら、口を開いた。
「…いいよ。また俺と喋ってくれるなら、俺は気にしない。…あ、だけどさ、悪いと思うなら、俺のお願い一つ聞いてくれないか」
「何?」
「もう一回映画行こう。もう一回遊びに行こう。この前変な感じで終わっちゃったじゃんか。今度は最後まで遊びつくしたいんだ。渚。渚がいいなら、そうしたい」
考え込む渚。
しばらく経ったあと、笑顔で言った。
「うん、いいよ」




