喧嘩
夕食後、洗い物を終えた渚。
やることを終えて2階に戻ると、リビングに咲希がいた。
だいたい部屋に引きこもる割合が高いことを考えると珍しい。
「あ、渚」
「ん、何?」
「いや、なんかあった?」
「なんかあったって何が?」
「神谷明人、あいつと」
その言葉を聞いた瞬間明らかに顔が歪む渚。
先ほどまで普通だった表情が真顔になる。
「別に、何もないよ。ほんと、咲希姉が気にするほどのことなんて何もないよ」
「それはねえな。普段と比べてあんなに会話が無い夕食初めてだったし、絶対なんかあった。流石に俺がいくら鈍感でもあれは気づく」
「んー…まあ何も無かったわけじゃ無いけど、ちょっと気まずくなってるだけだから、ほんとそれだけだから」
「気まずいねぇ…ちょっとやそっとの感じじゃなかったけどな、あいつの感じ見てる限りじゃ」
「…」
その言葉で黙り込む渚。
「そもそも今まであんなに仲良さげだったのに急にあんな黙り込むのもおかしな話だろ。第一今日俺止めなかったらもう帰ってたよなあいつ。ちょっと気まずいくらいでああはならんだろ。何あった」
「別に咲希姉には関係ないよ。大丈夫きっとしばらくしたら落ち着くよ」
「普段ならはいそうですかなんだけどな。一応あれ、雇ってる手前そうもいかんのよ今回は。あんまりぎくしゃくされると人変えないといけなくなるし」
「…」
「…なぁ、そんなに言いたくないようなことなんか」
「前にも聞いた気がするけど、咲希姉って初めて大月さんに好意を持たれた時どんな気持ちだった?」
「うん?ああ、まあめっちゃ戸惑ったが?」
「そっか。ちなみに、嬉しかった?嬉しくなかった?」
「俺の場合か?なんだろな、嬉しかったから逆に困惑した。え、自意識的に男保ってるのに大丈夫かなって」
「そっかぁ、咲希姉はそう言う感じだったんだ」
「…あー…恋愛がらみか。もしかしなくても」
「恋愛、なのかな。そこまではまだ行ってない気がするけど」
「俺実際に経験してみて思ったけど、片方が意識してるまでならまだだけど、両方がちょっとでも考え始めたらもう始まってると思う」
「うーん、じゃあ違うかな。まあ、原因は私だけど」
「だろうな。じゃなきゃ向こうがあんな風にはなるまいよ」
「ううん、そう言う意味じゃなくてね。私が、何気なく口にした一言のせいで、神谷君がおかしくなったっていうか、なんていうか…」
公園での「付き合ってないのに恋人みたいだね私たち」という言葉を思い出しながらそう言う渚。
「意識させてしまったと?」
「まあ、だいたいそうかな…ほんとそんなつもりは無くって。でもほんとにそう思ったことでもあって。だから、あんなこと言われると思って無くって」
この間の帰り道に明人から言われた「今日の渚は、普段と同じなのに、同じ風に見れない…」という言葉が再び頭をよぎる。
「で、想像でしか無いけど、告られたのか?」
「ううん、告白はされてないと、思う。最後までちゃんと言わせなかったし」
「えっ、言わせなかったのか!?」
「うん、言わせたくなかった。だって、ほんとにそういうつもりで言ったわけじゃ無かったから」
「…そりゃぎくしゃくもするわな」
「そういうことだから、ほんとにそれだけだから」
「それだけで済ますにしては事がでかい気もするけどな。…どうすんのよ。また宙ぶらりんだぞ。またやる気か。この状態」
かつての渚の恋愛事情を思い出しながらそう言う咲希。
「やる気はないよ。だから、今日夕飯に誘わなかったんだし」
「言ったか。ちゃんと、その気は無いって。…いや、言ってないんだろうなぁ…」
「言えるわけ、ないじゃん。だって、どうしていいか分からないんだもん。ほんとに神谷君が私を好きなのかどうかもわからないのに」
「好きなんじゃねえの?傍から見てれば一目瞭然だけど」
「ううん、多分あの子は気づいて無いから。気づきかけてるだけだから」
「だったら、気づかせてやれよ。でもってスパッとフれよ。その状態、多分一番可哀そうだぞ。その気、無いんだろ?」
「それは…できない」
「なんでだ。好意が無いなら切れよ。別に関係が切れるわけじゃ無い。友達なら続けられるだろお前らなら。どうせ職場な時点で会うんだし」
「そんなのできるわけないよ。それに神谷君、多分女の子好きになったこと無いし。それなのに、初めて好きになった女の子にフラれたらさ。きっとずっと引きずりそうだと思うから。だから、気づかない方がきっといいよ。今の感情は、勘違いだったってそう、思ってほしい」
「…相手から離れるのを待つってことかい」
「そう、だよ。それしかないと思ったから。なんで、私なんかにそんな感情を抱いたんだろうね」
「そんなの考える必要あるか?分からねえのか?」
「だって咲希姉。普段の猫被ってない私ってさ、正直、軽そうでしょ?それに正直頭も悪そうだし、そんなの好きになるかな、普通。ヤリ目なら分かるけど。それならもっと別のアプローチがあると思うんだ」
「そりゃそんな目的じゃ無いからだろ」
「でもほら、やっぱり魅力なんて無さそうじゃん。好きになる場所なんてあるかな」
「…似たようなこと、俺も聞いた。雅彦さんにな。そしたらなんて返ってきたと思う?」
「なんて返ってきたの?」
「そういうのも全部好きだってさ。いいとこも駄目なとこも、全部、そういうの含めてあなたのこと好きになったんだと。…そういうもんなんじゃねえの、恋って」
「私の場合だとそれはそれでムカつく気がする」
「そうか?別に俺は気にならなかったけど。だってそうだろ、欠点抱えてない人間なんていねえんだしどうせ。だったらそういうとこ受け入れてくれる人と一緒になれるって一番じゃねえのか」
「まあ、百歩譲って嫌いなとこが受け入れられるのは分かったよ。でも、いいとこってあるの私。顔かな。でも顔ぐらいしか無いよね」
「俺に言わせる?それ。少なくとも傍から見てれば嫌というほど分かるけどさ。お前と明人、滅茶滅茶楽しそうに喋ってんじゃん。それ十分いいとこじゃないの?感性が合うってことだろ?それだけで条件としちゃ十分じゃね?」
「まあ、そういうもんかな…私も神谷君のことは嫌いじゃないよ。もちろん友達としてはすごい好きだし。でもやっぱりさ、それは友達として以上の、感情じゃ、無いと思うんだよね」
「なんでさ」
「分からないけど。そう、思ったから」
「絶対か?絶対ありえんのか?本当に一ミリも恋愛感情無いって言えんの?」
「…分かんないよそんなの。でも、私は、白砂渚じゃない」
「…明人は、今のお前を見てるんじゃねえのか」
「だったらもっと嫌。だってさ、考えてみてよ。私たちってさ、突然この身体になってさ、突然こんな生活強いられてさ、それで今はこんな感じだけど、またさ、いつまた前の生活とかさ、それこそ全く違う別人になってるか分かんないんだよ。それなのにさ、そんな、普通に生きてる人のさ、思い出の中に入っていいのかなって。そう思ったら、それ以上のことなんて思えない」
「じゃあこのまま終わるのか。そんな尾を引く黒い思い出のまんま。そのまま仮に俺たちがまたどこかに行ったとき、あいつにのこるのは今のこの状態のお前だけだぞ。いいのか」
「いいわけないけど、けど…」
声にならない声を上げる渚。
目元には涙が溜まっていた。
「…今、辛い?」
「分かんない。でも、もし昔の私に突然戻ってさ、今の私がいろんなことをしてたら、困ると思うから…」
「誰が?」
「本物の白砂渚が」
「それ、考える必要ある?」
「ある。だって、確かにそこに本物はいたから。神谷君も稜子ちゃんもみんな昔の私を知ってて、私は私を知らないから。だから私は本物じゃない」
「じゃあ、聞くけど、本物ってなんだよ?生まれた体が本物かい」
「そうだと思う」
「…まあ、俺もこんなことにならなかったらそう思ってた。けどさ、結局今俺たちはここにいる。この姿で。俺は咲希として、そっちは渚として。だったら、今の俺たちが偽物なんて誰が決める。誰もそんなこと言ってねえぞ」
「じゃあ!昔いた私は、白砂渚はどうなるの?戻ってきたときに、歓迎されなかったら。私が滅茶苦茶にしたせいで辛い目に合ったら…!」
「…合ったらどうする。それは今の俺らが俺らとして生きちゃいかんほどのことなのか」
「いけないでしょ!だって、何時消えるかもわからないのに責任なんて取れない」
「俺らだって好き好んでこの状態になったわけでもない。既にお互い様じゃないのか」
「分からない!…分からないよそんなの!」
その一言を最後に、渚は自室へとダッシュしていった。
ドアがバタンと思い切り閉じられた。
「分かんないから…自分を生きちゃいかんなんてこと、無いと思うんだけどな…」
リビングに残された咲希がぽつりとつぶやいた。




