寝る
民宿「しろすな」1階。
台所兼客の食事場所でもある場所に渚の姿があった。
咲希からの電話で急に客の分の夕飯も作ることになったが渚の方も慣れたものである。
「よし、そろそろお客さん呼んでこよう」
だいたい夕飯の方が完成したらしい渚が台所から離れて客室の方へと向かう。
なお咲希はこの場にいない。
基本夕飯終わりくらいに洗い物の手伝いするために下りてくるまでは渚に投げっぱなしである。
「すいませーん」
コンコンと客室の扉を叩く渚。
程なくして中から返答が返ってくる。
「あ、はい!今開けます!」
客室は中ロック式である。
一応マスターキーはあるので開けれなくはないが、それをやるのは緊急時。
基本的にお客さんが開けるのを待つことになる。
そして扉が開いて中から女性が顔を出した。
「…え?」
「へ?」
が、そこで想定外の事態が起きた。
お客サイドはそもそも渚を知らない。
というのも渚が帰ってきたのは客が部屋に入ってしまった後であったため。
さらに咲希も特に渚のことを説明していなかったため、客からしたら誰だ状態である。
「んー?どうかした?あれ、どちらさま?」
さらにそこに男性が奥から顔を出す。
困惑した感じの客の姿を見て渚もまた混乱していた。
「あ、あの、えーっと、夕飯の、準備が、できたので、呼びに来ました…」
語尾がものすごい小さくなっている。
え、もしかして何かやらかした?という気持ちの表れである。
「もしかして、ここの人?」
「あ!はい!そうです、ここの人です!」
ようやく民宿側の人間であることを認知される渚。
返答がどこかおかしい気もしなくも無いが、混乱しているので仕方ない。
「あ、すいません。ありがとうございます。すぐ行きます」
「は、はい、お待ちしてます!失礼しました!」
その辺で扉を閉める渚。
中から男性の声で高校生?とか聞こえる。
年的には間違ってない。
「もう、咲希姉、私のことちゃんと言っといてよ…!」
□□□□□□
夕飯後。
お客を見送り、自分たちの夕飯も終え、洗い物も咲希と共に終えてロビーのソファーで一休みする渚。
夕飯後はだいたいこの位置が渚の定位置である。
ロビーのソファーに関してはやたらいいものを使っているので休むには丁度いい。
「あ、渚。風呂、先入るよな」
「うん。だけどお客さんいるからもう少し後で入る」
そこに咲希が通りかかる。
基本的に渚と咲希の風呂は別々である。
風呂場の広さ的には余裕で2人位入るのだが、渚が嫌がるので別々である。
咲希的には割とどっちでもいい。
「ていうか咲希姉、お客さんにちゃんと私のこと言っといてよ。さっきお客さん呼びに行ったら誰この人?みたいな反応されてものすごい混乱したんだから」
「ん、ああすまんすまん。忘れてた。まあでも分かるだろ」
「すぐ分かってもらえたけど、なんか私がやらかしたみたいになっちゃったんだからね!」
「へーい気を付けまーす」
適当に流された。
「じゃあ2階上がってるから。お前出たくらいの時間に風呂向かうわ」
「あいあい」
そうして2階に上がる咲希。
渚も今はフリータイムなので普通に部屋に帰ってもよいのだが、何故かここの位置がいいらしい。
「…」
というわけでソファーに座りながらスマホをポチる渚。
何か特別なことをやっているわけではなく、ただ気の向くままにスマホをいじっているだけである。
そこまではいつも通りである。
「…」
が、それが数十分続いただろうか。
異変が起きていた。
スマホの操作が遅くなり、瞼が閉じ始めている。
一言で言えばとても眠そうである。
座っている場所も座り心地は一級。
ぶっちゃけ寝れる。
横の長さも十分である。
「…zz」
そんな状態になれば後は早い。
完全に体から力が抜けきり、そのまま体が横に倒れた。
幸い体自体はソファーが受け止めてくれたため特に問題なくその上に収まったが、持っていたスマホに関しては完全に下に腕ごと落ちている状態である。
当人は全くそんなこと露知らずな感じで気持ちよさそうに寝ていた。
「zzz…」
「ふう、気持ちよかった。お風呂場広いっていいわね」
さて、ここは家なのでまあ別に寝落ちしてもいいのではないかという話であるが、忘れてはならない。
今ここには外部の人間がいるのである。
そもそも民宿として家を開放している時点で、プライベートルーム以外は普通に外部の人間との遭遇があり得るのである。
「えーっと自販機が確かこの辺りに」
やってきたのはお客さんの女性の方。
お風呂上がりのようである。
今は自販機の方に目がいっているようで、その位置とは丁度真反対に位置する渚には気づいていない。
「…まあお茶でいいかな。余ったらあとで飲めばいいわね」
自販機からお茶を取り出す女性客。
ここまでは奇跡的に渚には気づいていなかったが、客室に繋がる廊下に戻るためには後ろを振り向かねばならない。
一応ムーンウォークして帰れない距離ではないが、少なくともここでそれをやる人間はおそらくいない。
「…えっ?」
「zzz…」
後ろを振り向いた女性客の目線が一点に注がれる。
なにやらロビーソファーの上に倒れた人がいるようである。
その瞬間彼女の頭によぎったのは、病気の可能性であった。
「ちょっと、あなた、大丈夫?」
思わず駆け寄ってみれば、体から力が抜けきり、腕は下に落ちている。
一瞬本気で何か急病かと疑ったが、その顔を見て安堵した。
急病にしては表情があまりにも安らか過ぎた。
端的に言えば寝てた。
「はぁ…びっくりした。って…」
が、次に目に入るのは渚の惨状である。
そもそも誰が通るか分からないここで完全無防備。
スカートは普通に中が見えてしまっているし、そもそも結構近くで音を立てたのに起きる気配もない。
スマホも落ちっぱなしなので取り放題である。
「ねえ、あなた、起きて。こんなとこで寝てたら駄目よ。ほら」
肩を揺さぶり渚を起こそうとする女性客。
「…ん、もう、少し…」
「もう少しじゃなくて、起きて。今のままじゃ色々不味いわよ」
「…あれ?」
渚の脳みそが回転を始める。
普段なら起きるまでに時間がかかる渚であるが、今回に至っては明らかに自分を呼びかける声が咲希ではないことに気づいたのだろう。
目が開いた。
「やっと起きたわね。ほら体を起こしなさい。見えちゃいけないものが見えてるわよ」
ゆっくり体を起こす渚。
まだぼんやりしているようだが、自分の現状は理解したのだろう。
「こんなとこで寝ちゃ駄目よ。人の出入りがある場所で無防備過ぎよ。彼に見つかる前でよかったわ」
「あ、ごめんなさい」
「女の子なんだから、そういうことは気をつけなさいよ。何かあってからじゃ遅いんだからね」
「…はい」
そう言うと女性客は部屋へと戻って行った。
たしなめずにはいられなかったのだろう。
「…」
どこかまだ寝ぼけ眼で2階に上がる渚。
途中で咲希と遭遇した。
「あれ?お前風呂は?」
「…まだ入ってない」
「え?もう10時過ぎてるぜおい。何してたんだ今まで」
「1階で寝てた。さっきお客さんに起こされた」
「何やってんだおい」
突っ込まずにはいられなかった咲希であった。




