想定外
咲希が雅彦と一緒に出掛けるのを見送った渚。
その後、買い物に出かけて帰ってきたところである。
今日は遠出ではなく、近場で買い物である。
とりあえず買ってきたものを冷蔵庫等に押し込んだのち、台所でしゃがみ込んで、スマホで動画を爆音で流しながら一人でカラオケをやっていた。
お客も誰もいないので今のところこんなことやってても咎める人間もいない。
「あーあ。あーあ。うーん、高い音が出すぎるなぁ…そもそもこっち来てからカラオケ行ってないから、どんな感じなのか分からないんだよねー」
そんなことを一人で言いながら、再び動画をつけなおし、一から歌い始める渚。
実際周辺にはカラオケなどどこにもないので、今のところ行けていない。
そうして、一人で歌っていると、玄関のチャイムが鳴った。
「っ!…」
急に静かになって黙る渚。
そのまま玄関へと向かい、ゆっくりと扉を開けた。
扉を開けた先には男が4人。
「…」
扉を開けたところで固まる渚。
男の一人が口を開いた。
「お、あのーここ今日泊まったりできます?」
「え、あっ!お客さん!と、えと、多分大丈夫、です!」
「お、よかったぁ。この辺予約入れないといけないとこばっかだから助かるー!」
「えと、何、名様ですか?」
「あ、4人っす」
「4名様ですね。えっと、中入ってもらって、ちょっとだけ待っててください」
「あーい分かりました」
というわけでロビーにとりあえず4人とも入ってもらった渚。
「すみません、そこの椅子に座っててもらっていいので、少し待ってください」
そう言うと渚はダッシュで2階へと駆け上がっていく。
そのまま電話を咲希へとかける。
が、咲希は取り込み中である。
「どうしよう、何で出ないんだろう。え、どうすればいいんだっけこういう時。何聞いてたっけ、なんだっけ、住所だっけ。何で住所聞くんだろう。どうすればいいんだろう。もう一回かけよう」
と言ってもう一度電話を咲希にかける渚。
だがやっぱり電話に出る気配はない。
「えと、えと、お客さんの履歴とかとってあったっけ。あれ、でもシュレッダーかけてたっけ。と、とりあえずカウンターにもしかしたらあるかな」
と言って1階へと思いっきりダッシュする渚。
勢いあまって最後の2段くらいで滑り落ちた。
「~~~!」
声にならない声を上げる渚。
結構音がしたためか、ロビーで談笑していた4人が一斉に渚の方を見た。
うずくまって足を押さえていたのを見た男の一人が、渚の方に寄ってきた。
「あの、大丈夫です?」
「だ、大丈夫です、すみません。もうちょっと待ってください」
「結構大きな音聞こえたんすけど…」
「ほ、ほんとに、大丈夫です。ちょっと痛みますけど、別にこれくらいなら、平気です」
とは言うものの、正直滅茶苦茶痛い。
無理矢理こらえて立ち上がる渚。
「いやほんと、そんな急かす気無いんで、ゆっくりでいいっすよ。ほんと」
「すみません、ありがとうございます。すみません」
そう言ってカウンター内にダッシュする渚。
痛いの構ってる余裕がない。
「ここかな、こっちかな」
そう言ってカウンターの引き出しをごそごそやる渚。
咲希は渚に家事等は任せっきりだが、逆にこの辺は渚は咲希に完全に任せっきりであるため、本当に知らんのである。
「なんで、なんでこういう時咲希姉いないの」
大体いるが、いない時に客が来たのは初である。
多分想定してなかった。
お互いに。
「あ、あった。これだ!」
ようやく目的の物を見つけたらしい渚が声を上げる。
引っ張り出した紙を読んで、何を書いてもらえばいいのかを確認する渚。
「ふんふん、ふんふん…えっと、それで、部屋は、布団は確か手前が3で、奥が4だったから、奥の部屋なら大丈夫。値段はえっと、一人一万円だから…とりあえずこれで大丈夫、かな?えっと、お風呂が、お風呂が、何時だっけ。7時までが、男子?お風呂?だった、よね。あれ?8時だっけ?」
記憶があいまいな渚。
普段気にしてないので仕方ない。
「と、とりあえず、これでいいかな。よし、行くぞっ」
カウンターから立ち上がってお客4人組の方へと近づいていく渚。
「すみません、お待たせしました。代表者の方来てもらっていいですか?」
「あ、ほーい」
というわけでその中の一名を連れてカウンターまで来てもらう渚。
「えっと、じゃあこの紙にお名前と、ご住所と、連絡がつくご連絡先を一つお願いします。あと、本人確認ができる身分証を見せてください」
「オッケーっす」
そう言って紙の記入を進めていく男。
「身分証明ってこれでいいっすかね」
そう言って学生証を見せてくる男。
大学生だったらしい。
「はい!全然大丈夫です!えっと…はい!ありがとうございます!」
そう言われたので学生証をしまう男。
「あと、コースが3個あるんですけど、上のランクの二つが、ちょっと予約してもらわないとできないコースなので、一番下のスタンダードコースですけど大丈夫ですか?」
「ああもう、泊まれればほんと、大丈夫っす」
「ああ、じゃあ大丈夫、一番下で4名様ですね。一人一万円ですけど大丈夫ですか?」
「えーっとそれは一泊あたりってことすかね」
「そうですね、えと、夕飯と、朝ごはんがついて、一人一泊一万円ですね」
「…ちょっと待ってもらっていいっすか?」
「大丈夫ですよー」
そう言って一度ロビーの椅子まで戻って相談始める男を後ろから見ている渚。
正直内心冷や汗ものである。
しばらくしたら男が戻ってきた。
「大丈夫でした」
「あ、はい分かりました。ちなみに何泊されますか?」
「あ、二泊三日で」
「二泊三日ですね。かしこまりましたー。えと、お部屋が一番奥の大きい部屋になるので、多分4人で寝られると思うんですけど…」
「ああ、多少狭くても押し込むんで大丈夫っすよ」
「すみません。本当にありがとうございます!じゃあ、案内します!」
「お願いしまーす。行くぞー」
そう言って男たちをなんとか部屋まで案内した渚。
「えと、そこがトイレで、奥がお風呂です。夕飯が…あ」
「夕飯が?なんかあります?」
「今日だけなんですけど夕飯がちょっと遅くなるかもしれないので、よろしくお願いします!お風呂場は、いつもは7時までが男性なんですけど、今日は他に利用される方はいないので8時くらいまで使ってもらって大丈夫です」
「了解っす」
「えと、あと、出かける時はカウンターのチャイムを押して、ください。それで鍵を預けてから出かけてください。お願いします」
「りょっす」
「それで、最後に、部屋の中のものは基本的に自由に使ってもらって大丈夫なのと、夜11時以降はお静かにお願いします」
「おっけっす」
「それじゃあ長くなりましたけども、ゆっくりしていってください」
そう言ってお辞儀をして、扉を閉めて、2階の廊下まで上がる渚。
廊下で胸を押さえている。
息が上がっていた。
「だ、大丈夫かな。大丈夫だよね。さ、咲希姉って電話繋がるかな。あと、ご飯、ご飯どうしよう。買いに行かなきゃ。で、でもお客さんいるし出れないっ」
そう言いながら携帯を取り出す渚。
もう一度先に電話をかける。
しかし繋がらなかった。
「えと、えっと、大月さん、いやでも咲希姉と一緒だから、電話に出ないってことはそう言うことだよね。えっとじゃあ、えっと、か、神谷君だ!」
ということで明人に電話をかける渚。
数コール後に明人が電話に出た。
「もしもし、渚?どうかしたか?」
「あ、もしもし神谷君?あの、えっと、来ないお客さんいっぱい!」
「え?どういうこと?」
「えと、予約なかったけどお客さんがいっぱい来てて、それで今私しかいなくて、それで、それで、どうしよう」
「どうしようって、え?咲希さんは?」
「今日珍しく出かけてて、しかも電話でなくて、それで受付とかは頑張ったんだけど、お客さん来るって知らなかったから、ご飯の食材が足りなくて。それで、それで…」
「おっけ。だいたい分かった。どうすればいい?」
「えっと、えっと。えっと、できれば一瞬だけ家に来て留守番してくれないかな?」
「おっけー分かった。すぐ向かう。一旦切るぞ」
「う、うん。ありがとう」
そう言って明人が通話を切った。
「はぁ、よかっ…あれ、なんで私神谷君に電話したんだろう」
本人にもよく分からない電話先であった。




