多い
バレンタインデーの夕方。
渚は1階のロビーでゴロゴロしていた。
「あーお客さんがいない日は楽でいいなぁ。ご飯もこの時間から用意しなくていいし」
お客がいる日ならそろそろ用意を始めないと間に合わないが、まあ今日はいないので遅くからでも問題ない。
「どうせ今日は神谷君にご飯の作り方を教えてもらう日だし、私は何にも用意しなくていいーはぁずっとこんな感じになればいいのに」
普段と比べて異様にだらけたことを言っていると、玄関のチャイムが鳴った。
「多分神谷君かなぁ。行きますよっと」
そう言って玄関口を開ければやっぱり明人であった。
が、何やら普段に比べて荷物が多い。
「おはよ、神谷君?荷物、多くない?」
「おっす、渚。ああ、これか…?」
神谷の鞄は明らかに普段と比べて膨らんでいるうえに、両手にもなにやら下げている。
「どうしたの神谷君、そんなに荷物を持って」
「いや…家帰る時間無いからさ。置いてこれなくて…」
「なんかあれだよね、終業式の日に荷物全部持って帰る小学生みたいだね」
「予定されてる荷物なら別にいいんだけどな…いや、ある意味予定はしてたが」
「まあとりあえず入りなよ。重いだろうし」
「そうさせてもらう」
そう言ってとりあえずキッチン横の机の上に持っていた荷物を置いて一息ついた明人。
「よっと。ふぅ」
「それでさ、これ、何?」
「え?ああ、チョコだよ」
「チョコ?え?これ、全部?」
「ああ、かばんの中も結構そう。こっちの手提げは全部そう」
「バレンタイン、だけどこんなに貰ってる人初めて見たかもしれない。え?ほんとにチョコなの?」
「そんなとこで見え張ってもな。確認してもいいけど…」
「いや、いいよ。なんかあげた人のプライベート見てるみたいで嫌だし。にしてもこれだけもらってると、嫉妬じゃなくてもはや尊敬すらするよね」
「学校の友達には殴られたけどな。強めに」
死んだ目でそう語る明人。
「え、大丈夫?どの辺殴られたの?氷いる?」
「いやいいって。そんなにやわじゃないし。みぞおちだけど」
「み、みぞおち…なんか、ご愁傷様」
「…いやぁ…割と毎年だから慣れてるけどさ」
「慣れちゃだめだからね!?慣れちゃだめだよこんなこと!?」
思わず叫ぶ渚。
実際慣れていいものでも無さそうである。
「とは言っても突き返すわけにもいかないだろ?…ってやってたら大体毎回こんな感じに」
「ちなみにこれ本命と義理どれくらいの割合で入ってるの?」
「…一応本人談的には…あ、これ言ったらまずいか」
「ああ、言いたくなかったら言わなくてもいいよ」
「いや、俺じゃなくて相手に悪いかなって」
「はぁ、ほんと呆れるくらい優しいよね神谷君って。じゃあとりあえず聞かなくていいや」
「そうしてくれると助かる。…あーだけどどうしようかなこのチョコ」
「食べるんじゃないの?」
「そりゃ食べるけどさ。一人で処理するのきついんだよな」
「いつもはどうしてるの?」
「申し訳ないと思いながら家族で処理してる」
「うへぇーあげた側はなんだか悲しくなる話だね」
「本人には口が裂けても言えない…」
「本命とかだったら猶更だよね」
「さ、流石に本命なのは自分で食べてるから」
「流石にねぇ?貰うからには食べてもらわないと。あげ損にも程があるよね。もはや受け取らない方が食べないよりはマシかもしれないし」
「だよな…だから毎年、中身チェックするところから始めてるんだけど…」
「ほんと、律儀だよね」
「…チョコ以外のものが入ってるタイプのを俺以外の目に晒すわけにもいかないし」
「ほんと、苦労してるね神谷君」
「なんというか、慣れたくはなかったけど慣れてしまった」
「モテすぎるのも悲しいってことですね。へーにしてもこんなに貰えるんだ。こんなに貰う人って有名人くらいだと思ってたよ」
「できればそうであってほしかった」
そこまで喋って頭の中で昔の記憶を掘り起こした渚。
「あーでも神谷君だし有名人なのかな。ある意味?」
「どういう意味だよそれ」
「ほら、文化祭この前行ったでしょ。なんかすごいいろんな人に知られてる感じだったじゃんね。だからある意味有名人なのかなって」
「…そう、なのか?いや、名前呼ばれたけど確かに」
「え、ほら稜子ちゃんたちの方の文化祭行った時もさ、ひそひそ名前呼ばれてた気がするし」
「えっそれホントか!?…マジか」
「歩いてたらなんとなく聞こえた気がするだけだよ」
「そうか、いやそこまで変に有名になってないといいんだけど…」
「さぁ、それは私には分かりかねますね」
「…それで、申し訳ないんだが、このチョコたちの一時避難先が欲しい」
「ふんふん、それでそれで?」
「…冷蔵庫入る?」
「今日お客さんいないから全然入れてっていいよ」
「助かる。いや、流石に溶けられたら本気で困るから」
「チョコの上に文字書いてあって溶けてたら読めなくなっちゃうしね」
「…そうだな」
再び遠い目をする明人。
苦虫かみつぶしたような顔になっている。
「あぁ、あるんだね」
「…やらかしたと本気で思った」
「まあ、同情はするよ。何もしてあげられないけど」
「話せただけでもだいぶすっきりした。いや、こんなこと話せる人間流石に限られてるから…」
「男に言えば殴られるし、女の子に言えばそれはそれで反感買うしね」
「まあ今日は流石に目の前で持ってるのに言い訳できないしな…」
「それにしてもバレンタインでもらえなくて嘆いてる人は見たことあるけど、貰いすぎて嘆いてる人は初めて見たよ。ほんと世の中っていろんな人いるんだね」
「不思議なものを見る目で見ないでくれ…やりたくてこうなってるわけじゃないから」
「あぁ、でもこんなに貰ってるなら私からあげる必要は無いかな」
ぽろっと漏らす渚。
その言葉に明人が大きく反応した。
「え?」
「え?って私がチョコあげるかどうかの話だけど」
「え?くれるの?渚が?俺に?」
「え?なんでそんなにびっくりしてるの?あげたらおかしいかな?」
「いや、渚のことだから忘れてるかと」
「う、わ、忘れるわけないじゃないですかーやだなー」
思いっきり渡す側なことを忘れていたのは内緒である。
「いやでもくれるって言うなら超欲しい」
「え、なんでそんなに目キラキラしてるの?義理チョコだよ、義理チョコ」
「友達からチョコ貰ったことはほぼ無いから嬉しいんだよ」
「あんなにチョコ貰ってるのに?この上まだチョコが欲しいの?」
「いやしんぼみたいに言うのやめてもらっていいか。いや…くれてる子達には申し訳ないんだけど、普段の接点があまり…」
「まぁ確かに知らない人から渡されてもって感じだよね」
「好意は嬉しいけどさそりゃ。でもやっぱ友達から貰える方が嬉しく感じる」
「はぁ、そういう言い方やめてもらっていいですか?ちょっとドキッとするんだよね。ちょっと待ってね持ってくるから」
ということで一旦席を外してチョコを取ってくる渚。
すぐに戻ってきて明人にチョコを手渡した。
「はいということでハッピーバレンタイン神谷君」
「ハッピーバレンタイン。ありがとな」
「あ、ちなみにちゃんと食べてね。後で感想聞くから」
「ああ、帰ったら一番で食うから」
「流石に本命チョコから食べてあげなよ。私の後日でいいから」
「なんだよ。食べろって言う割にはそこの押しはいいのな」
「だってほら、いっぱい食べるんでしょ?あんまりあげたことないのに、食べて味忘れられても嫌だから」
「…はははっ。そういうこと?じゃあ渚のはどっか別の日に渚のだけ別で食べることにするよ」
その言葉を聞いて渚の顔が一気に赤くなった。
「っ~~~!何だろう、何なんだこの敗北感はっ!なんか負けた気がして悔しい!」
「え、バレンタインって勝負の場だったっけ?」
「勝負の場だけどそういう勝負じゃない!ほんと神谷君そういうとこ!」
「え、えぇ!?」
理不尽怒りに声を上げざる得ない明人であった。




