もう一個
「それじゃあ咲希さん呼ばなきゃな」
そう言って入口すぐのカウンターに置いてある呼び鈴を鳴らす。
以前までは声で呼んでいたが、これがある以上これ使った方が楽なので。
「はーい!ちょっと待って!」
上から声が響いてくる。
下は呼び鈴になったものの、結局咲希は声で返してるのであんまり変わってない気がする。
どたどた慌てた様子で咲希が階段から駆け下りてきた。
「ふぅ、お待たせしました」
「いやそんなに急がなくて大丈夫ですよ?終わったの報告だけですから」
「いや待たせるのもなんか違うでしょ?いつもありがとうございます。最近なんだか売れ行き激しいから補充してもらえるの助かります」
「みたいですねー。繁盛してきてるみたいで良かったです」
「いやほんと、雅彦さんに手伝ってもらったおかげですよ?ほら、ネットのブログとかから流れてくる人も結構いるみたいなんで」
「あ、そうなんですか?そりゃよかった。やった甲斐があったってものですね」
「ほんと助かります。それにこの前は物理的に売り上げに貢献してもらっちゃったし?」
「この前…ああ、悠太連れてきた時ですかそれ」
「そうその時です」
「ああ、むしろうるさいの連れてきて申し訳ない方が大きいくらいで…それにかなり安く泊めてもらっちゃいましたし」
「いいですってそんなの。友達泊めるんだし?まあうるさいのは本人に喝入れたら多少落ち着いたから全然。まあ実際に悠太、さんでしたっけ?リアルで会えたのは面白かったんで」
「あはは…それなら良かったんですけどね」
「むしろ、私の方が幻滅されてませんかねあれ?」
「いやむしろ物凄い喜びようだったんで大丈夫だと思います」
「あらそうなんですか?それなら杞憂だったかな?」
「あの後帰りの車の中でまた絶対行くって言ってたんで大丈夫だと思いますよ?」
「ふふふ…リピーターになってくれるならそんな嬉しいことはありませんけどね。…あ、そうだ。少し時間いいですか?」
「え?ああ、大丈夫ですよ?」
「すいません。ちょっと待っててくださいね。すぐ戻るんで」
そう言って自販機の前からキッチンの方へと入っていく咲希。
割とすぐにキッチンから戻ってくると、その手には一つの箱が握られていた。
「はい、これどうぞ」
「え?俺にですか?」
「ええ、そうですよ。今日バレンタインでしょ?」
「あ、もしかしてチョコです?」
「もしかしなくてもチョコですよ。普段から散々お世話になってますし、渡すのが筋ってものでしょ?遠慮せずに受け取ってくださいよ。一応そのために買ってきたんですから」
数ある自分用のチョコの一角なのだが。
まあ、一応その分余分に買ってきているので渡す用と言えば渡す用ではある。
「じゃあ、ありがたく頂きますね。ありがとうございます」
「あ、聞いてなかったですけど、チョコ大丈夫ですよね?渡したはいいけど食べれませんじゃ色々と悲しすぎるんで」
「あ、大丈夫です大丈夫です。普通に食べます。全然」
「ああ、ならよかったです」
「…いやでも嬉しいですね。咲希さんからチョコ貰えるとは思ってなかった」
「渡しますよ。仕事の方でもお世話になってますし、最近だとわざわざ足やってもらってる割合も相当高いんで…あ、なんで義理ですよ」
「ああ分かってますよ。流石にこれ本命と勘違いはしませんって」
「まあ手作りでも無いしそれもそうか?あはは」
「いやでもほんとに。俺人生でバレンタインにチョコ貰った経験まずないんですよ。本命はもちろん、義理すら無くて、貰えるだけでも嬉しいんですよ」
「またまた。私すら貰ったこと数回くらいあるんだから、あるでしょ?」
「いやほんとに、義理すらまともに無くて…というか咲希さん貰った経験あるんですね?」
「え、ああ、ありますよ。小学生とかそんな時ですけどね」
嘘ではない。
が、性別は今とは違う。
言ってから気づいた。
「へえ、そうなんですか。まあなんか咲希さんなら貰ってても違和感ないなぁ」
「何言ってんですか。こんなずぼらで適当な人間にチョコくれる聖人そうそういませんよ。だからなおのこと、雅彦さんなら貰ってそうだなって思ったんですけどね?」
「はは、面目ないというかなんというか…いかんせん女子と接点が無い人生だったもので…」
「ああ…そういえば悠太さん偶に言ってましたねそんなこと」
ネット上で喋っていると定期的にそのことが話に出るのである。
毎回悠太が叫んで終わるのが常だったりする。
「ええ、高校も大学も男子校だったり、女子が少なかったりでほんとに接点無くて。仕事場も仕事場だからなかなかそんな話す仲になる女の方いなかったんですよね。ほんと、咲希さんと渚ちゃんくらいなものですよ」
「そうなんです?」
「ええ。いやほんと、バレンタインチョコなんて妹以外から貰ったの初めてじゃないかなぁ…」
「またまた、さっき渚からも貰ってるでしょ?」
「あ、知ってましたか」
「そりゃ当然。買うの隣で見てましたからね」
「あ、一緒に買いに行ってたんですね。姉妹仲いいなぁ」
「あはは。まあ仲はいいと思いますけどね。でもそっちの兄妹仲も負けてないんじゃ?」
「確かに?渚ちゃんにも同じようなこと言われました」
「ふふ、でしょうね。じゃあチョコ確かに渡しましたから。適当に食べてくださいね。そのまま捨てられたら泣きます」
「捨てませんよ!食べますから!そんな勿体ないことしませんよ!」
「冗談です。そんなことする人だと思ってませんよ。じゃあ、スイマセン長々と引き留めちゃって」
「いや全然。チョコ、ありがとうございます。大事に食べますね」
「はーい。じゃあ、お疲れ様です。またお願いしますね」
そうしてまた階段を上に上がって行こうとした咲希を雅彦が呼び止めた。
「はい。…あ、そうだ、咲希さん。ちょっと先の話なんですけど、来月のこの日、来ても大丈夫ですか?」
「え?えーっと、この民宿にってことですよね?今のとこ外に出る予定は無いので大丈夫ですけど、どうかしました?」
少し間を置いて雅彦が口を開いた。
「…お返し、直接渡したいので。お邪魔じゃ無ければ」
「え、ああ、ホワイトデーか!」
「そうですそうです!大丈夫ですか?」
「ええ、全然、というかそんなお返しとか別にいいですよ?」
「いや流石に貰いっぱなしもできませんよ。お返しさせてもらっても?」
「そういうことなら。あ、来てもらう分には全然大丈夫なんで、何時でもどうぞ。あ、来る前に一言連絡貰えると嬉しいですが」
「ああ、大丈夫ですよ。知ってますから。妹のこともありますしね」
その一言で咲希が何かに困ったような顔になって呟いた。
「…お兄さんはこうやって普通に連絡とかしてくれるのに、美船どうしてああなった?」
「…どうしてでしょうね?いや、俺が甘やかしすぎたか…?」
「ふふ、確かに。シスコンですもんねー」
「否定できませんね…はは」
「じゃあ、お待ちしてますよ。あ、まあどうせネットとか仕事とかでまた会うとは思いますけど」
「まあそうですよね。じゃあまた今夜」
「そうですねーじゃあまた今夜」
「失礼します」
「ではではー」
そう言って咲希が雅彦を見送った。
外に出てきた雅彦の手にはチョコレートが2つ。
「…駄目だ、悠太には絶対言えなくなった。末代まで呪われそうだ」
このことについては口をつぐむと心に誓った雅彦であった。




