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沖泊まり  作者: 山中 洸
8/9

其の捌

 翌朝、トオルの睨んだ通り、支配人は朝一番の渡し船に乗った。

 トオルは、誰か後ろで糸を操る人間がいる、と踏んでいた。

 支配人は顔色が蒼白で、座っている粗末な木の椅子が音を立てるほど震えている。

 一緒の船に乗った一座の中に駐在の邦夫も混じっていたが、気が付くことはなかった。

 もっとも、派手なアロハシャツを着てサングラスをかけた邦夫は、普通の精神状態でもわからないほど、見事なまでに一座に溶け込んでいた。

 トオルが今回の事件の処理に邦夫を誘ったのは、邦夫に手柄を立てさせたいという思いと同時に、推測が勝っている今回の事件には警察官の証言と事後の処理が必要だ、と考えたからだったが、誘われた邦夫は役者気分で舞い上がっていた。

 港に着くと,トオルとウマ、そしておりんの三人は他の一座のメンバーに分かれを告げた。

 「あとから行くから」というウマの言葉を深く追究しようともせず、昼飯の心配を始めるような能天気なメンバーたちなのは、時として助かるものがある。

 おりんを連れて訪れた以外では初めて歩く町だった。

 海水浴場もあるが、漁港が近いため。潮の香りと魚の匂いが入り混じり、風はねっとりとしていた。

 海岸に沿って走る細い道から幾本もの坂道が、丘に向かって伸びている。

 寺師は漁協になっている建物の角を曲がると、細い坂道を登り始めた。

 行き着いたのは自動車修理工場を思わせる建物だが、やはり漁業関係のものなのだろう、天井から下がったクレーンのチェーンが異様に冷たく光っている。奥が事務所になっているようだ。

 寺師が中に入って行ったことを確認してから、トオルたちは芝居の衣装に着替え始めた。手慣れたもので、紅を注し、父親の形見の着物に着替えるのに三分とはかからなかった。

 初めて見る邦夫は、目を白黒させながらも、間違いなく羨ましそうな顔になっている。

 プレハブの中では寺師が大声になっていた。

「だから、いつも電話で連絡をとっていた男に会わせろって言っているんだ」

「一体誰のことだい?」

 十人ほどの男たちの中で年嵩の男がこたえた。男は端から寺師を相手にしていないように見えた。

「電話でいろいろ言ってきていた奴だよ。お前らの仲間だろ」

「知らないねえ、もちろんあんたが紀伊国屋の支配人だってことは知ってるけどね」

 小馬鹿にした物言いだが、いかにも慣れた、地上げ屋らしい口調だ。

「あの船に乗っていたことをしゃべっちまったんだよ」

「だから」

 とぼけたもの言いを続ける。

「どうしたらいいか、あの男に聞きたいって言っているんだ」

「その男っていうのがわからないんだから仕方がないだろう」

 とことん、とぼけ続けるつもりらしい。

 そこに曲が流れ始めた。

 ……すきま風がカーテンを揺らし 西日が心を揺らす

   窓辺の小さな陶人形 伸びた影の先には誰もいない

   六畳一間のアパートがとても広く感じます

 さよなら、じゃなくて、ごきげんよう

 そしてあしたは、こんにちは

   短い言葉をくり返し

 歩いていくことに決めました……

 父親の先代雪之丞の形見の衣装に身を包んだトオルが曲に合わせ舞った。一体なにが始まったのか理解できないでいる男たちに舞いを終えたトオルが挨拶をする。

「お初にお目にかかります。私、鶴田亀之助一座の橘雪之丞と申します」

「何なんだ、こいつ。お前の連れか?」

 地上げ屋の男が寺師に聞いた。寺師は首が肩に埋まるほどすくめて否定する。もっとも、昨夜の出来事が一座の連中の仕業だということは、薄々感じていた。否定しながらも、やっぱり、と思っていた寺師にトオルが女形の口調で話し始めた。

「ホテルを取ったのはアリバイが怪しまれた時のためですね。あれだけ忙しく出入りしていれば逆に覚えていないと言っても通じます。賢い計画ですね。さて、支配人、お尋ねします。あなたは幾度、山崎社長を殴りました?」

「しっ、知らないよ。俺は社長を殴ってなんかいないよ」

「それでは、あの船の隠しスペースに隠れていたのはなぜですか?昨夜ご自分から隠れていたとおっしゃっていましたよね」

 トオルが寺師にたたみかけた。

「そうだ、俺も見ていたし聞いてもいた、夕べは、しっかりと」

 奇妙な物言いで口をはさんだのは邦夫だった。何か言いたくて、というより芝居の世界に参加したくてうずうずしている。

「支配人、もしかしたらあなたは山崎社長を殺していないかもしれないのですよ」

「えっ?なんだって。い……いや、その手には乗らないぞ。俺は島へは行ったけど社長を殴ったりはしていない」

 奇妙な間は、自分自身に言い聞かせるようなものだった。

「そうですか、殺人と殺人未遂とでは罪が大きく違うんですけどね」

 寺師の心が大きく動いたのが手に取るようにわかった。懸命に頭の中の天秤を調節しているらしい。

「もし、一回だとしたら……?」

「だとしたら、あなたは社長を殺していません」

「どうしてだ」

 口をはさんだのは地上げ屋の男だった。

「支配人が使った茶碗は焼きがあまくて、とても人を殴り殺せるようなものではなかったのです」

「脆かったし、手ごたえもなくあっさり割れたなぁ」

 トオルの言葉につられたのか、支配人はその夜の行動を認めるように言った。

「それじゃ、いったい誰が殺したっていうんだ」

 じりじりと遠火で焼くようなトオルの物言いに焦れたように、床に捨てた煙草を足でもみ消しながら、地上げ屋の男が言う。

「支配人に殴られて気を失った山崎社長を殴って殺害した人物が他にいたということです」

「誰が」

「その男は頭が良く、そして極めて冷静な人物です」

「だから誰なのかと聞いているんだ」

 トオルのゆったりとした物言いに焦れたように、地上げ屋の男は歯を食いしばって吐き捨てるように言った。

「その男は社長の頭を硬い磁器の壺で殴って殺します。それでもその磁器に残った自分の指紋を消しませんでした。事件となれば当然現場検証で工房の中の指紋が採取されます。その時に指紋が拭きとられた壺があったのではかえって不自然で、それが凶器だと教えるようなものですし、詳しく鑑定すれば証拠が必ず見つかります。指紋をそのままにして、前日に工房を案内され、その時に手に取ったことにしました。そしてその男こそが支配人に船の沖泊まりのスペースのことを教えた人物です」

「誰なんだ。それは?」

 すがるような視線で寺師がトオルに尋ねた。

 トオルが舞台の衣装に着替えて事件の解決にあたることには理由があった。芝居という独特な世界に相手を引き込むことで、真実を聞き出すことができると考えてのことだった。

「俺は一回しか殴ってないぞ」

 寺師は先ほど曖昧に返答した自分を打ち消すようにハッキリと言い切った。

「そうですか、やっぱり。その男がまだ生きていた山崎社長に止めをさした、支配人あなたを使って事件を起こした張本人なんですよ」

 ゆっくりと呼吸を整え、踊りでわずかに乱れた裾をつまむようにして直してから、

「もう出ていらっしゃってもよろしいのではないですか?」

 トオルは事務所の奥の部屋に向かって静かに声をかけた。

 ドアがゆっくりと開いて、現れたのは税理士の静間だった。

「やはりおいででしたか。泊まり客を装って支配人の行動を見届けたことからも、ご自分で書いた筋書きを最後までご覧にならないと気が済まない性分のようですからね」

「確かに、損な性格です」

 自信に満ちた静かな口調だった。恐れや怒り、困惑といった弱者の部分を表に現さない人物であるらしい。人懐っこそうな笑顔も消えていない。

「もう、何もお話しする必要はなさそうですね。あとのことはここにいる駐在さんが処理してくれます」

「駐在?あっ、あんた、駐在、気がつかなかった」

 たとえ駐在とはいえ、警察が関係していることに驚いた支配人が、素っ頓狂な声を上げた。警察官を証人にすることがトオルの目的のひとつだった。

「警察官を連れてくるとは準備が良いですね」

 静間のそれはしかし社交辞令のように、通り一遍のものに聞こえた。

「ありがとうございます。でもこの人は私の知り合いで、友人として立ち会ってもらっただけです」

「まあ、どっちでもいいことです。ただどうして沖泊まりのことを私が支配人に教えたと思ったのですか」

「失礼ながら生い立ちを調べさせていただきました。あなたはこの港町近くの漁村のご出身で、小さい頃からお父さまの漁を手伝っていたそうですね。沖泊まりのことを知っていても不思議はありませんから」

「なるほど、もうひとつよろしいですか。どうして私が漁師町の出身だと思ったのですか」

「それは、あの宴会の夜、あなたは魚に関して非常に詳しかったからです。でも釣りはなさらないとお見受けしました。釣りの話に乗ってこない釣り人など絶対にいませんからね。だから残る可能性は漁師だと考えました」

「なるほど。見事ですね」

 しかし静間の話しぶりまだ落ち着いたもので、何か確たる後ろ盾と自信があるように感じられた。

「さて、今度は私が伺う番です。いまのあなたの自信がどこから来ているのか教えていただけませんか。観念した人のものではありませんよね」

 トオルが柔和な表情のまま静間の顔を射るように見た。ふたつの感情を同時に表現する役者ならではのトオルの視線を、静間はしっかりと受け止めた。

「あなたは私がもと漁師の家に育ったと見抜いた。そう、もと漁師だから知っていることなのですが、ここの海の底は特殊で、船で三十分と行かないうちに三千メートルを超える海溝、つまり深い部分があります。もしそこに重りを付けた人間を沈めれば、死体は水圧で二度と上がることはありません。これ以上の完璧な殺害方法はありませんよ」

「なるほどそこに私たちを沈めるというのが自信の裏付けですか。当然、先ほどからカメラが回っているのもご存じですよね」

 横からカメラの扱いに口を出すウマと小競り合いを続けながら、今日はおりんが慣れない手つきでハンディーカメラを回していた。

「出番ですよ」

 静間が壁に寄り掛かっていた男に声をかけた。

 大柄というより、二メートルはあるかと思われる長身で、ポロシャツから突き出た腕は尋常ではない筋肉の鎧で覆われていた。ゆっくりと歩み出て、自護体と呼ばれる柔道の立ち方をしてから、両手を少し前に出して構えた。

「俺にやらせてくれ」

 トオルたちの中から進み出たのは、駐在の邦夫だった。

 サングラスを外して大男の前に進み出た。開始の合図こそなかったが、空気は柔道の試合場のものになっていた。

 邦夫は腰を低くして両脚を刈る攻撃に出た。男は軽く体を左にかわした。予想以上に敏捷な動きだった。

 最初の攻撃をかわされた邦夫は腰から下を男に密着させるようにしながら、脇にねじ込んだ腕で相手の体を持ち上げようとした。しかし、男は動じる素振りさえ見せず、邦夫の襟首をつかんで体を入れ替え、右足で邦夫を払うようにした。大型選手が得意とする払い腰だ。

 邦夫の体が男の腰を中心に大きく回った。

 背中から落ちれば命が危ないと思われるほどの技の切れだ。

 邦夫は両脚を縮めて足からコンクリートの床に落ちた。受け身という点では失格だったが、命を守るギリギリの選択だ。

「強いぞこいつ。俺だって三段を持ってるんだぞ」

 床を転がって逃げてから、倒れたままで邦夫が振り絞るように言った。

「それはそうでしょう。彼は不祥事さえ起こさなければ大学はもちろん全日本でも登り詰めることが期待された逸材でしたからね」

 トオルは静間の自信の裏付けを見せつけられた。

 ウマから鉄扇を受け取り、この大男との闘い方をイメージしていた。

 しかし、トオルが動き出す前に動いたのはおりんだった。

 手にしていたカメラをウマに突き出すように渡すと、スタスタと男の前に進み出て、小さく礼をしてからピョンピョンと跳ねた。明らかに試合の気分でいる。

「おりんちゃん」

 止めさせようとオルが声をかけると同時に、おりんは男の胸元に飛びついた。

 大木にとまるセミのような格好だったから、男は薄笑いを浮かべながら虫を振り払うような動きを見せたあと、簡単には取れないと思ったのか、おりんをグイと押し出すような足の運びを見せた。

 と、おりんは男の足元に素早く背中から潜り込んだ。潜り込むというより背中を向けて小さくなったといった方が正解かもしれない。

 男の脛のあたりにおりんの尻が当たる、極めて低い姿勢の背負い投げだった。

 男はそれに躓いたようにやや前のめりになった。

 おりんはその瞬間を見逃さなかった。脛を擦り上げるように小さくなったまま腰を上げると、わずかだか男の体が宙に浮いたように見えた。

 足の裏が床から離れた刹那におりんはさらに尻を高く上げた。男の体が空中で水平になった。と同時におりんはふたたび小さくしゃがみこんだ。

 ウマから習った柔術ならばここで手を離すのだが、おりんは相手のシャツの腹のあたりを無理やりに掴んだまま、上半身を下に向けた。

 男は脳天からコンクリートの床に落ちた。

 鈍い金属音を思わせるような音がした。

 男は完全に白目をむいて泡を吹いている。

 何が起こったのかわかっているのはおりんだけだった。

「大丈夫か?死んだのか?」

 邦夫が足を摩りながら心配そうにトオルに聞いた。

「大丈夫でしょう。あの太い首だもの。多分」

 トオルも、正直、自信がなかった。

 誰の合図があったわけでもなかった。事務所にいた男たちが全員トオルたちに襲いかかった。しかし、最終兵器とも呼べる男が始末されて逃げ腰になっている男たちは、トオルの鉄扇やウマの古武術の敵ではなかった。大男を気絶させたおりんには誰も挑んでこない。床にのたうちまわる男たちから視線を外して、

「あとは頼んだよ、邦兄ちゃん」

 トオルが芝居の世界から帰って来た。

「ああ、任せろ。もうすぐ俺の柔道仲間の刑事も来るから。それにしても面白かったなあ。いいなあ芝居は、やっぱり」

 邦夫は眠れる獅子が目覚めたような興奮を覚えていた。しかしトオルは寝た子を起こしてしまったと後悔していた。

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