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沖泊まり  作者: 山中 洸
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其の漆

 まだ未成年であるし、男に酌などはしたことがないおりんに、意外な役が回ってきた。支配人の寺師を酔いつぶせというトオルからの指示で、一座で唯一の女であることだけが指名の理由だった。

 普通は化粧をすると女は年齢より若くか、あるいは年齢より上に見えるものだ。年より若く、時に年より妖艶になることを求めて、それぞれの年代の女が紅を握りしめるものだが、化粧をすることで、若いのにさらに若く見えるという現象がおりんの場合は生じた。

 思えば、幼稚園の子供が母親の化粧道具をいたずらした時はこのようなものだろう。

 化粧のプロとしてトオルがいたが、そのトオルが匙を投げるほどの素材だった。

 だが、救いの神とはどこにでもいるもので、寺師がその手の趣味の持ち主だった。おりんを横に侍らせ、上機嫌で杯を重ね、一時間ほどで完全に出来上がってしまった。

「ボンサァン、ワタシやったカロレ」

 付き合いで舐めただけで、完全に出来上がっていたのは、おりんも同じだった。自慢しているつもりらしいが呂律が回らなくなっていた。

 未成年に無理を強いて、また九分九厘無理な注文だと諦めていただけに、おりんに対する感謝の念は大きかった。

 布団に寝かせ、狸のような顔に感謝をこめて手を合わせたが、どこか葬儀での仕草であることに気づいて、トオルは慌てて手の平を離した。

 誰かの話し声がするので支配人の寺師は目を覚ました。

 目を開けたが完全な暗闇だった。自分の息が酒臭いのがわかる。さっきまで狸に餌をやっていた記憶が何故かあった。

 手探りで自分の周囲を探ってみると、四方は板壁なっているようだ。起き上がって手を伸ばしてみると、天井も異様に低いのがわかった。

「おい、石を積め」

「おうよ」

「しかしなんだな、処分する金が惜しいのはわかるが、沈めてしまえなんて業突ごうつくだよな」

「このあいだ島まで魚運んで、それであそこの社長が殺されただろ。ケチが付いた船だから嫌なんだとよ」

「そんなの、こじつけだろうよ」

「いいべ、ゼニもらえるんだから。もっと石積むか?」

 ゴトゴトと石を転がす音がする。

「そんなもんだべ、あとは船底さ穴開ければ沈む」

 寺師は焦った。この船は魚を運んだあの木造船だというのだ。しかも、いまそれが沈められようとしている。

「おおい、ここにいるぞ、人が乗ってるぞ」

 寺師は声のする方向に向かって大声を出した。

「うん?何か言ったか」

「何も」

 自分はどうやらあの沖泊まりのスペースにいるようだ。

 なぜかはわからないが、沈められようとしている船に自分は乗っている。

 寺師は普通ではいられなくなっていた。

「ここだ、下に隠れる場所があるんだ。俺はここにいるぞ」

「おい、何か聞こえねえか」

「うん、聞こえたような気もする。海坊主か」

「脅かすな」

 もう限界だった。

「ここだ、ここだ、このあいだも乗ったんだ。舵の下に隠し部屋があるんだ」

 聞こえたかどうかは,わからなかった。

「おい、こっちの船に乗れ。沈めるぞ」

 染み込むように入ってきた海水が、素足を冷たく濡らすのが感じられた。

「助けてくれえ」

 足で壁を蹴った。意味不明の声を上げて幾度となく蹴り続けると壁が倒れ光が差し込んだ。何が起こったか理解出来なかったが、酔いが一気に醒めたことは確かだった。

 紀伊国屋の水槽にその箱は浮かべられていた。

 石の転がる音は海岸で拾ってきた石を転がして作った擬音だった。水が入り込む仕掛けは徳三の職人としての主張だ。声の主は一座の男たちだった。

 寺師は何が起こったかまだ判断できないまま、箱から飛び出すと、一目散に自分の部屋へと逃げ込んだ。

 その一部始終をトオルと呼び出された駐在の邦夫が見ていた。

「撮った?」

 箱から外したカンヌキを手にしてトオルが聞く。

「ああ、撮った。いいなあ、芝居。俺もやりたい」

 カメラを回していた邦夫が放心したように言う。

 ファインダー越しに見た下手な芝居でも、邦夫の芝居好きの心を動かすには十分だったようだ。

 その夜遅くにウマが紀伊国屋に戻ってきた。

「おい、ボン、俺がいないうちになんか面白そうなことやったそうじゃないか」

 ウマは仲間はずれにされたことに、少なからず腹を立てていた。

「支配人が、あの沖泊まりに隠れて島に渡ったことを確かめたかったんだ」

「らしいな。それで俺の調べの方だけどな、まず静間はまだ東京に帰ってないよ。次に顧客だが、小さな会社を入れればだいぶあるみたいだか、大口は下平不動産だな。表向きは不動産会社だがいわゆる地上げ屋で、ほとんど暴力団まがいの実力行使をすることで知られている。もしやと思って調べたらいま狙っているのが、この島だったよ。土地もかなり買収していて、リゾート島にする計画らしい」

 トオルは驚いていなかった。

「やっぱり。ヤマジイはホテルに命を懸けた人だったから、それを止めるというのはおかしいと思っていたんだ。閉めて老人福祉施設作ることで、地上げに対抗しようとしていたんじゃないかな」

 ウマは自分がこれから話そうとしていたことに先を越されたが、トオルの推察力はむしろ嬉しかった。

「その通り、山崎社長は地上げに反対していて、下平不動産の連中にとっては目の上のたんこぶだったらしい」

「それで実力行使に出たわけだ。支配人がヤマジイを殴ったことまでは聞き出せなかった。水槽の海水を抜いて、魚の買い付けというアリバイを作って、沖泊まりに隠れて島に戻ったことは確かだけど、あのスペースのことを知っていたとは思えない。漁師さんが言ってたけど出身は山梨県だというし、なんといっても海のない土地だからね。誰かに教えられたと考えるのが普通だよね。お金に困っていたらしいから動機はたぶんそれだね。それに……」

「それに、なんだよ」

「いや、それはまだ確証がつかめていないんだ。で、静間という人の出身地は?」

「うん、静間の事務所のおばさんに聞いたら、それがこの辺りの漁師町の出身だそうだ。父親の代まで漁師で、ガキの頃から手伝いをしていて、海のことなら任せろ、と言っていたそうだ」

「やっぱりね」

「また、やっぱりか」

 ウマは何故かと聞くのをやめた。

「支配人を脅かしたでしょ。やるんだったら明日しかないな」

「やるか、そうか、やるか」

 ようやく仲間に入れてもらえることになったウマが、嬉しそうに相槌を打った。

「今回は、邦兄チャンにも手伝ってもらおうと思うんだ」

「あの、芝居小憎だった駐在か」

「そう。時間遅いけど連絡してみるよ」

 トオルと邦夫が電話で話しているあいだに,ウマは座布団を二つ折りにして鼾をかきはじめていた。

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