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沖泊まり  作者: 山中 洸
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其の弐

 おりんは始発の駅で買った二個の駅弁を一時間もしないうちにたいらげてしまい、あとは車内販売が来るのをひたすら待っている。

 乗っているのは普通電車だから車内販売はないのだが、おりんには話さなかった。

 連結部分のドアが開くたびに振り返り、そのうちドアを見つめて動かず、時折振り向いて恨みがましく、そして懇願するような眼差しをトオルに送るおりんは、お預けを命じられた犬のようで、その視線が辛かったが、無理に話題を探すよりはまだましだった。

 座長から預かってきた、とおりんが差し出した茶封筒の中身は、叔父から甥への小遣いと、多くはないが舞台のご褒美のつもりなのだろうが、金欠のトオルには泪が出るほど嬉しいものだった。月末までまだ日がある。大切に使おうと考えていた。急行券を買わずに普通列車に乗ったのもそのためだった。

 鷹ガ島のある駅に着いたのは、まだ陽はあるが夜の風が吹き始めた夕刻だった。

 観光地らしく、海や神社のイラストが描かれた大きな案内板があるが、駅前のただ一軒の干物の土産屋はすでにシャッターを下ろしていた。すぐ近くに有名な温泉街がふたつある。それに挟まれてある、忘れられたような小さな駅は、風が潮の香りを運んで来なければ寂しい田舎の駅にしか見えない。

 座員たちの泊まっているところは、宿といっても昼は食堂の座敷として利用しているところに布団を敷いて寝るだけの、民宿とも呼べない場所だった。

 トオルとおりんを迎えた一座の連中は、目の周り以外が日に焼けた、逆パンダ状態になっていた。

「ウマさん、どうしたの?その顔?」

 想像はついたが、トオルが意地悪く聞いた。

「まあ、その、生態観察、かな?」

 ウマは元新聞記者で、トオルの父である先代橘雪之丞との出会いがきっかけで芝居の世界に入った男だ。馬の脚が唯一の役どころなのだが、記者時代は強引な取材手法で知られた男だった。

 役者の日焼けは奨められないこともあって、ウマたちはせっかく海水浴場に来たのに海には入らず,双眼鏡で浜辺の水着姿の娘たちを見ていたのだ。東南アジアの土産物屋に並ぶお面のような顔は、ドーラン程度ではごまかせない。トオルはため息をつくしかなかった。

 鷹ガ島へは定期船がある。

 引退した漁船をだましだまし使っているが、屋根はもちろん、しっかりとした座席もない。島までは船縁にしがみついて三十分ほど我慢しなければならなかった。

 常時住む人間は五百人ほどで、島の中央にある弁財天を祀った神社への参拝客を相手の土産物屋と食堂で生計を立てている。山崎が経営するホテルは島で唯一の宿泊施設だった。

 トオルたち一行が来るのを待ち切れず、山崎は船着き場まで迎えに出ていた。

 以前は毎年一度必ず招いていたが、不況のせいもあって、最後に一座を招いたのは六年前だ。

 船を降りたトオルたちを、日焼けした人の良さそうな丸顔の山崎が笑顔で迎えた。

「橘君、良く来てくれたね。座長は来られないそうだけど、君が来てくれれば万万歳だよ」

 山崎はトオルが初舞台を踏む四歳のころから知っていた。

 トオルもよくなついて、山崎の膝の中で、ヌタやモズクといった酒の肴をうまそうに食べる子どもだった。だから、久しぶり会う自分の孫のようなトオルを何と呼ぶか少し悩んでいた。

 以前は『トオルちゃん』と呼んでいたが、成人した男にちゃん付けはまずいと考えた結果、苗字で呼んだ。

 トオルにしても山崎を以前は『ヤマジイ』と呼んでいたが、ここ数年の無沙汰ではそうは呼びにくかった。考えた末に『山崎さん』と他人行儀な呼び方になっていた。

「久しぶりです、山崎さん」

 ふたりの間に、少しぎくしゃくした風が流れた。

「ボンさん、見て、見て、お魚、います」

 定期船から下りると、おりんは桟橋にしゃがみ込んで、海の中を眺めながら目を輝かせていた。小指ほどの大きさの魚が群れをなしている。

「ああ、そうだね」

 オルが感情のこもらない相槌を打った。

「この娘さんは?」

 一座に若い女がいることなど以前にはなかったから、山崎が不思議そうに聞いた。

「おりんちゃんです。去年入った子です」

「そうか、そうか。しかし、不況でね、久しぶりに来てもらったのが閉館のときだなんて、残念だよ。大きくなったなあ、いや、立派になった。昔通りヤマジイでいいよ」

「はい、僕もトオルでいいです」

「そうか、そうか、まず休んでくれ。疲れただろう。みんなもご苦労さま」

 山育ちのおりんの、子どものようなまっすぐな笑顔が、トオルと山崎の距離を一気に縮めてくれた。

 鉄兜を伏せたような島の形は、船着き場からも見て取れる。

 参道が神社のある山の頂までまっすぐに伸びて、その両側に土産物屋が軒を連ねている。所々にある民家の屋根が深い緑の木々の中に埋もれるようにある風景は、以前と少しも変わっていないように思えた。

 山崎のホテルは紀伊国屋といい、和風の作りで湯治場とうじばの温泉宿のような外観だった。

 宿に向かう途中にも土産物屋が何軒かある。

 いったいどこで作っているのかと思う御用提灯のミニチュアや、根性と焼印が押されたキーホルダー、ウニの風鈴、それに混じってソフトビニールのイルカや合体ロボットのケシゴムがある。

 店番の女はみな同じような年配で、割烹着と呼んだ方がよさそうなエプロンをしている。

 どこかにコーディネーターがいて、島全体の雰囲気を演出しているのではないか、と疑いたくなるほど良く似ている。

 紀伊国屋はオーシャンビューというより、どの部屋からも白波が砕ける岩場が見下ろせる、スリルのある場所にある。

 部屋数は十と少ないが、日帰り温泉の利用客が休む大広間があるため、建物自体は大きなものになっていた。その大広間にあるステージがトオルたちの舞台になるのだ。

 さほど広くないステージだから、芝居の準備である仕込みはすぐに終わった。

 座員たちは昨日の逆パンダの日焼けを誤魔化すために、目だけを出すように顔にタオルを巻いて、船着き場でマグロように寝ていた。

「どれくらいで焼けるのかなあ」

 トオルの兄弟子の新吉が独り言のように言った。

「遠火で一時間」

 ウマが目を閉じたままぶっきらぼうにこたえた。

「焼きすぎでしょう」

 顔のタオルの位置をずらした新吉を、おりんが団扇うちわで煽いでいる。

「こら、おりん、煽ぐな。俺はサンマじゃない!」

 若手座員の新吉の剣幕を、おりんが唇を口笛の形にして、軽く吹き飛ばした。

 マグロの干物ができるまで、山崎は趣味で始めたという陶芸の工房へトオルを案内した。

 ホテルのすぐ横に作られたプレハブの工房は、轆轤ろくろや電気窯、そして焼き上がった作品を並べておく陳列棚もある本格的なものだった。

「トオルちゃん、どうだなかなかのもんだろう。ここにいる時が一番幸せなんだよ」

 縁台の隅の粘土の粉を手で払って、トオルの座る場所を作りながら、山崎が子どものような笑顔になった。勧められるままに座ったトオルが、不思議そうな表情を作る。

「ヤマジイ、作品の幅というか、いろいろな種類がありますね」

「わかるかい。そうなんだ。この島は焼物の土が取れないから、どうせならばと全国から土を取り寄せているんだよ。勉強になるしね」

 陳列棚には陶器があったり磁器があったりバラバラだが、それは素人ならではの楽しみ方だとも言えた。

「好きなのを持って行っていいよ」

 何か趣味で始めたばかりの人間には、陶芸に限らず、自分の作ったものを他人にくれたくなる時期がある。

 作品を手にとって眺めていたトオルに、粘土に被せてあった日本手拭の両端を無理に作った作家気どりの神経質そうな顔で揃えてから、山崎が少しだけ恩着せがましく、そして十二分に自慢たらしく言った。

 トオルが手にしていたのは、少し大きめの、茶碗というより漬物などを入れると似合う、鉢と呼んだほうが良さそうなものだった。

 焼物は焼くと小さくなるがその計算を間違えたのだろう。焼成温度も低かったのか、白い釉薬ゆうやくが融けきらず、途中で流れるのを止め、でっぷりとした作りになっている。それが景色と呼ばれる焼物の風情になっているとは言い難かったが、山崎はその抹茶まっちゃ茶碗に何と銘を付けようかと悩んでいるとも言った。

 それらしいものが焼けるようになるまでは、まだまだ時間が必要だ、とトオルは思った。


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