幼少期3
「娘さんはおそらく、解離性同一性障害…平たく言って、多重人格です」
そう告げられ、聖司と那乃は激しく衝撃を受けていた。
多重人格なんて、物語の中の話だと思っていたのだ。
身近な人に起こるようなものだとは、さすがに思っていなかった。
驚いて言葉も出ない二人に、医師は淡々と話を続ける。
「現時点では、多重人格の原因が曖昧にしかわかりません。解離性同一性障害という病気であることはほぼ間違いないでしょう。しかし、原因が分からなければ治療のしようがありません。娘さんは原因をはっきり自覚していないようだし、今までの生活になにか変わったことはなかったか訊いても答えてくれないのです。ですので、今は手の施しようがありません」
医師はそう、話を締めくくった。
こちらの深刻な様子など意にも介さず、優は奥の部屋で遊んでいるようだった。
それを見つつ、那乃が震える声で質問をする。
「考えられる原因は、どのようなものなのでしょうか」
医師はため息をついて答えた。
「一般的には、小児期の間に外部から受けたストレス…わかりやすく例えるなら、虐待やネグレクトが原因のことが多いですね」
言外に「あなたたちが原因です」と責められているようで、那乃は俯いてしまった。
実際には聖司と那乃のせいではないのだが。
那乃に代わり聖司が医師に礼を述べた。
「わかりました。帰って家族で話し合ってみます。ありがとうございました」
医師は不機嫌そうに黙り込み、もうなんの返事もしなかった。
聖司が奥の部屋に優を迎えにいき、三人は診察室を後にした。
家に帰る途中のバスの中でも、聖司と那乃はほとんど黙っていた。
優は一人遊びをして無邪気に笑っている。
解離性同一性障害。いわゆる多重人格。
それが、優の不可解な言動の原因なのだという。
ことの大きさを、二人ともまだ飲み込めていなかった。
優の両親は、優の精神がおかしくなっていることに薄々気づいていたのかもしれない。
だから逃げだしたのだろう。
きっとそうなのだと、なんとなく分かってしまった。
人間の心は弱い。
どうあっても受け止めきれないものと出会ったら、逃げたくなってしまう。
逃げることが最善の道だと認識する。
それは動物である人間の本能とも言える。
でも、だからと言って子供を捨てていいわけがない。
窓の外を見ながら、那乃は優の両親は今どうしているだろうかと考えた。
那乃は子供のころに両親を亡くし、祖父母に育てられた。
自分を育ててくれている祖父母に迷惑をかけないように、必死で勉強した。
偶然聖司と出会い結婚したことを、那乃は今もありがたく嬉しく思っている。
だが幸せを感じるとき、ここに両親がいてくれたら…と何度も思ってきた。
早いうちに両親がいなくなるということが子供にどれほどの孤独をもたらすのか。
那乃はそれを、身をもって知っていた。
優は自分たちになにも言わない。
聞き分けよく大人しく、わがままの一つもない。
両親に捨てられたせいで、優の精神は成長せざるを得なかったのかもしれない。
自分と聖司が優にできることはなんだろうか。バスに乗っている間、那乃はそればかり考えていた。
家に着いてから、聖司と那乃は再び話し合い、いくつかのことを考えた。
優が多重人格になってしまった原因は、二人にはわからない。
ゆえに、原因を取り除くことができない。
もとより、大抵の場合、多重人格になってしまった本人には原因が分からないのだという。
優は自分の状態を自覚していないだろう。
だから聖司と那乃は、優本人から訊かれるまで黙っていることにした。
優がもう少し大きくなって、物心つくころになってから。自分で自分のことを決められるようになってから。
そのときに話せばいい。
そう決めるまで、聖司も那乃も散々迷った。
もしかしたらこの決断は、問題を先延ばしにしているだけなのかもしれない。
それでも聖司と那乃は、優に憂いのない子供時代を過ごさせてやりたかった。
聖司と那乃にできること。
それは、優がそのままの優で生活できる環境を作ること。
ひとりの人間として優が自由に生きられるように、二人は優をただ見守ることに決めたのだった。
そして、この二人の決断が、この後の優に大きな影響を与えるものとなるのだった。




