騎士の面子
「どっちに行く?」
「家で体を洗ってから、アミーユお嬢様のところに行く予定だよ」
「そのまま行けばいいのに……キレイ好きなのは変わらないな」
僕の隣を歩く兄さんが呆れた顔をしている。この世界の平民は、頻繁に体を洗わない。二日に一回ぐらいだ。でも僕は毎日入るし、汚れたと思ったら何度でも入りたくなる。これは前世からすり込まれた習慣だから変えられない。
短い会話も終わり、しばらく無言のまま進む。
クリスショップの前に着くと、僕は鍵を取り出し、ドアを開ける。停滞した淀んだ空気が出迎えてくれた。
「埃くさいねー」
「誰も人が入らなかった証拠だから、良いことだよ」
店内に入ったエミリーさんとナナリーさんが手で口を押さえながら、店内に設置された椅子に腰掛けた。ダモンさんは店の前で立ったままだ。おそらく、周囲を警戒してくれているのだろう。
「換気するね」
そういって僕は、店内に設置された窓を開ける。
「この街の異変に、どこまで気づいている?」
カウンターに肘を置いて作業を見守っていた兄さんが質問をした。色々とわかっているんだろ? そんな表情をしている。
いやいや、僕は兄さんほど勘は鋭くないよ。鈍いからこそ色々と気づけていなかった。今だって知らないことばかりだ。
「公爵家のパーティーが襲撃されたって話は聞いたよ」
だから僕が持っている情報なんて、こんなものだ。日々の生活にとらわれ、周囲の情報を集めるのを怠ったツケを払うときが来たのかもしれない。昔のようにのんびりとした生活を送ることはできないだろう。そんな予感があった。
「それなら、その事件から話そう」
兄さんの話を聞く前に、桶に水を入れて店内に運ぶと、上半身裸になって、タオルを濡らして顔や体を拭く。走り続けて酷使したほてった体に、冷たい水が心地よい。汚れも落ちていくので、落ち込んだ気分が復活していくようだ。
……いや、現実逃避は止めよう。チラリとテーブル席に視線を移す。
「意外に引き締まった肉体だね-」「さすが兄弟? 顔も悪くないのに」「なんであれでモテないか不思議だねー」といった声が聞こえるけど無視だ! 無視!
知り合いだし、そこそこ仲が良い。エミリーさんには魔術だって教えたことがある。なにより2人とも兄さんの彼女だ。家族に裸を見られて恥ずかしがる方がおかしい!!
そう思い込むことで、兄さんの話に集中することにした。
「襲撃はパーティー初日に発生した。犯人は臨時で雇ったメイドと執事の二名だ。理由はわからんが、目的は有力者の子供だったようだ。首都でも有名な富豪の子供を捕まえると、逃走した」
狙いは子供!? 僕は思わず体を拭く手が止まり、兄さんを凝視する。
「アミー――」
「お嬢ちゃんなら心配することはない。最初は狙われていたが、お前が渡したゴーレムのおかげで、あっさり諦めたぞ」
「そう、それは良かった」
アミーユお嬢様が無事だと聞いて、港町ヘルセから感じていた焦りが吹き飛んだ。被害者が出たのに安心するなんて、冷たい人間なんだと思いはするけど、こればかりは仕方がない。親しい人を優先してしまうのは人の性だ……と、思う。少なくとも僕は、身内を優先してしまう自分勝手な人間なのは間違いない。
「その後は、どうなったの?」
「メイドは俺が捕らえた。だが、もう一人は逃げられてしまった」
体を拭く作業を再開しながら、兄さんが話した内容について考える。
公爵家に入り込むだけでも大変なのに、襲撃して逃げ出すとは……。間違いなく一般人ではないし、戦闘に特化したハンターでもない。裏で暗躍する仕事に慣れている人間が犯人だろう。
「なるほど……捕らえた人から情報は手に入ったの?」
「いや、取り調べる前に何者かに殺されたよ」
「え?」
「警備していた騎士も殺されていたから、任務に失敗したヤツを殺す人間が潜んでいたんだろう」
実行犯の他にも仲間……といって良いのかな? が、いるのであれば、それは個人の犯行ではない。組織的な後ろ盾があると考えた方が良い。
裏の世界で生きる人間が所属する組織が襲撃してきた。
僕が思いつく程度のことだ、兄さんだけじゃなく他の人たちも同じような結論を出しているはずだ。
それに問題は犯人捜しだけじゃない。パーティー参加者の子供が誘拐され、犯人は取り逃がすか死亡。警備を任されていた騎士団の信用問題に関わる。当然、非難の矛先も公爵家だけじゃなく、そちらにも行くはずだ。
「手がかりはなし、騎士にも被害が出た。面目丸潰れだね」
「ああ。強引な捜査を続けている」
「だからあんな態度だったんだね」
恥は雪がなければならない。
傷つけられた名誉は回復しなければならない。
侮られたのであれば制裁しなければいけない。
権威と暴力を見せつけなければ、彼らの存在意義はなくなってしまう。
さきほどの強引な尋問は内心からあふれ出る焦りから来るものなのだろう。冷静さを失っているから、ロジカルな考えはできず、強引に物事を進めようとする。
彼らには同情するけど、近寄りたくはないな。
ふと気になって、部屋にいる三人を見る。特に変わった様子はない。みんなが焦っていないのは、騎士になりたてだからかな?
そんなことを考えながら、服を着る。
「着替えも終わったようだし、そろそろ嬢ちゃんに会うか?」
「付与液を補充してからね」
カウンターの奥にある棚から減っていた付与液を補充すると、クリスショップを後にした。
護衛されるようにして見慣れた道を歩く。検問があったけど、兄さんがいたので顔パスだ。ピリピリした空気とは関係なく、順調に進みリア様の館に入る。
エントランスの広いホールには、アミーユお嬢様がメイドのメイさん、カルラさんを引き連れて歩いていた。
物音に気づいたアミーユお嬢様がこちらを向く。足を止め、持っていた本が音を立てて落ちる。力が抜けたような顔をしていたかと思うと、僕に向かって全速力で走ってきた。
このまま僕に飛びつくのか? と思って構えていたけど、淑女としてのマナーを思い出したのか急停止する。
「クリス先生! いつ帰ってきたんですか!?」
乱れた青い髪と服を整えながら、見上げるようにして質問をした。
尻尾があれば激しく動いていただろう。そう思ってしまうほど、全身で再会した喜びを表現していた。
「ついさっきです。事件のことは聞きましたが、元気そうで安心しました」
「先生のおかげです! でも、人前で使ってしまったので、いろいろな方から出所を聞かれてしまいました」
アーティファクトは貴重品だから、当然の結果だろう。これで色々とバレてしまっても、アミーユお嬢様を守れたから後悔はない。むしろ、守れなかったときの方が後悔しそうだ。
「ちゃんとごまかしておいたから安心してください」
背伸びをして顔を近づけると、小声で教えてくれた。
子供らしくない仕草に僕は思わずドキリとする。
「アミーユお嬢様、どこかに行く途中だったのでは?」
僕は慌てて距離をとり、先生としての仮面をかぶる。アミーユお嬢様の前では、頼れる格好いい先生でいたいのだ。
「お母様のところい行く途中でした。クリス先生も行きます?」
「そうですね。帰宅の挨拶をさせてください」
挨拶は早いほうが良いだろう。
それに少し聞きたいこともあったのでちょうど良い。
「ここなら安全だ。俺たちは仕事に戻る」
僕のことを護衛してくれたけど、本来であれば犯人を捜さなければいけない立場だ。無理をしてでも一緒にいてくれたことに、感謝の言葉しか思い浮かばない。
「兄さん、ありがとう。助かったよ」
「じゃ、またな」
普段通りに手を軽く上げて挨拶した兄さんは、何事もなかったかのように館を去る。ダモンさんは無言で、エミリーさん、ナナリーさんも小さく手を振って別れの挨拶をした。
「では、アミーユお嬢様、一緒に行きましょうか」
「はい!」
見送った僕らは、リア様の部屋に向かって一緒に歩き始めた。




