首都カイル
今すぐにでも首都に戻りたい。アミーユお嬢様に会って無事を確認したい。
はやる気持ちを抑え、ヘルセを出た僕は街道の端で座っていた。
ポーチにしまっていた付与液の入った、ビンとペンを取り出す。まずは靴や服に《体力増強》《筋力増強》《反応速度強化》といった付与を施していく。効果は数時間しか持たないけど、切れたらもう付与すればいい。一秒でも早く戻れるなら採算は度外視だ。
数分かけて念入りに付与をすると、僕は立ち上がって体を伸ばす。手、足を動かして体の調整を確認した。
体調は万全だ……久々の全力疾走をするぞ!
駆け出すと街道に土煙が舞い上がり、目の前の景色が流れていく。正面に人がいれば、大きく飛んで避けた。悲鳴が聞こえたけど気にしない。僕の気持ちは首都にある。早く、アミーユお嬢様の元に駆けつけたい。
定期的に付与をして日中は走り続ける。
夜になる前に村に入って休み、早朝から再び走る。
わずか二日で首都に戻った。
ハンターの証明書を門番に見せて、首都へ一歩踏み込む。見慣れた光景が目に飛び込んできた。僕の知っている世界に戻れたような気がして、ほっと一息つく。
ゆっくりはしてられないけど、さすがに全速力で走るわけにはいかない。朝日を浴びながら、小走りで移動する。
「人が……少ない?」
異変にはすぐに気づいた。普段は賑やかなメインストリートを歩いているんだけど、他人をほとんど見かけない。人はまばらで何かにおびえているように見える。いつもの活気が失われていた。
僕の知っている世界が、見えない何かに侵食されているようで不快な気分だ。これ以上、気持ちを乱されたくないので地面を見つめながら歩く。
「おい。止まれ」
高圧的な声が正面から聞こえた。うつむいていた僕は顔を上げる。すると目の前に金属鎧を着て、盾と剣を持っている騎士が五人いた。胸には公爵家のマークが付いて、彼らの身分を証明していた。
「ここで何をしている?」
僕に尋問? 疑問に思いながらも、素直に従うことに決めた。
「家に帰る途中でした」
さすがに汗だくのまま行くのは、マナー違反だとわかっている。家で手早く着替え、汗を流してからリア様の館へ向かう予定だった。
「場所は?」
「クリス付与ショップです」
「あそこは少し前から店は閉まっている。人が住んでいる気配もない。まともな嘘をつくべきだったな」
僕に話しかけていた、中心に立っている騎士が手を上げる。すると残りの4人が僕を囲うように移動した。
結論を出すのが早いというレベルではない。答えありきの問答だ。うつむいて足早に歩く僕を狙っていたのだろう。客観的に見れば、確かに怪しいと言われても仕方がない。
とはいえ、普段ならもっと穏便に済ませるはずだ。何かがおかしい。
「本当ですよ。近所の人に聞いてもらえれば、すぐにわかります」
そんな疑問を抱きながらも、無害なことを証明するために必死に話を続ける。
「お前を拘束してからゆっくりと調べる」
ダメだ。こいつら、僕の話を聞く気ないみたいだ。早くアミーユお嬢様の元に向かいたいのに、拘束されたら時間がかかるどころか、もしかしたら冤罪で処罰される可能性すら見えてきた。
その前に兄さんが助けてくれるとは思うけど……時間を無駄にしたくはない。
「断ります。歩いていただけです。拘束される理由はありません」
「ほぅ……抵抗するのか。やはりお前は怪しいな」
なんで、そんな結論になるんだっ!
僕を包囲している騎士がジリジリと寄ってくる。全員手に盾を持ち、鞘に収まっている剣に手をかけている。臨戦態勢に入り、いつでも戦える状態だ。
周囲を見渡して見たけど、わずかな人たちが遠巻きに見ているだけ。誰も助けようとしない。僕は小さな溜息を吐いた。誰かが助けてくれるんじゃないかと、心のどこかで期待していたからだ。
「抵抗はしません」
この場で暴れてしまえば、正真正銘の犯罪者だ。言い逃れはできない。だから僕は手を上げて無抵抗の意思を表明した。
「良い心がけだ」
目の前の騎士が満足そうに頷く。やはりこの人たちも、一般市民は素直に従うべきだと思っているのだろうか?
「やはり素直な人間はよいな」
死んでも代わりはいる。やはり、その程度の認識なのだろう。そんな考えだから不満がたまっているのに気付けないんだ。自分立ちの足元が揺らいでいることに気付けないとは、なんとも哀れな人たちだ。
左右に立っていた騎士の手が伸び、僕を掴む。予想より力がこもっていて、思わず顔を歪めてしまった。強引に両手を前に伸ばされると、僕に話しかけていた騎士が紐を持って近づいてきた。
「そのまま大人しくしてろよ」
今からでも逆転する方法はある。けど、それは悪手だ。だがこのまま待っていても、拘束されて無駄な時間を過ごしてしまうだけ。正直、手詰まりだ。捕縛される以外の方法が見つからない。
どうするべきが必死に頭を回転させるけど、答えは出ないまま時間が過ぎ、紐が触れた瞬間に、聞き慣れた声が耳に届いた。
「俺の弟が何かしたのか?」
正面を立っていた騎士が、慌てた様子で後ろを向く。
動いた隙間から兄さんの怒っている顔が見えた。
「お前の弟だって?」
「そうだ。俺の弟であり、アミーユお嬢様の魔術の先生だ」
兄さんの一言で、僕を取り囲んでいた騎士たちの顔が真っ青になる。
パクパクと口を動かしているけど、言葉が出ないようだ。
「もう一度聞く。で、俺の弟に何をしているんだ?」
兄さんが割って入り、僕の手にかかっていた紐を振りほどく。
「兄さん……」
「よっ。お嬢ちゃんから休暇を取ってるとは聞いてる。早いお帰りだな」
僕に向ける表情は笑顔だ。先ほどのやりとりが幻だったかのように思える。
公爵家の金属鎧を着ている姿を初めてみたけど、想像していた通り似合っている。
「お前ーー」
僕を取り囲んでいた騎士が激昂したけど、すぐに大人しくなる。彼らを取り囲むように、殺気立ったダモンさんやエミリーさんが立っているからだ。彼らが身につけている金属鎧の上には公爵家のマークがあり、兄さんのハンター仲間も騎士になったと物語っていた。
ここにいたのは偶然かもしれないけど、体を張って守ってくれる。その愛情が、僕にはたまらなく嬉しい。それは、宝石のようにキラキラと輝く宝物のようだ。
わずかに残っていた野次馬も、騎士同士の争いに巻き込まれたくないと逃げ出す。普段は人通りの多い道に、僕たちだけが取り残された。
「さてと、とりあえず邪魔者には帰ってもらうか」
僕にだけ聞こえるようにつぶやくと、後ろを振り向く。
兄さんが居ればなんとかなる。一気に緊張から解き放たれた僕は「騎士に守られるお姫様みたいだなー」と、無意味なことを考えていた。
「こいつの身元保証人は俺だ。文句はないだろ?」
そんなぼけっとした僕を置いて、事態は進む。
公爵家の娘の家庭教師だと、僕が言っても騎士たちは信じることはなかった。けど、同僚である兄さんが言うなら別だ。さらに身元を保証すると宣言している。彼らに反論する余地はなかった。
「ちっ……手柄を立てたからって調子にのるなよ」
正面に立っていた騎士が捨て台詞を履く。
同僚四人を相手取って戦う気概はなかったようだ。
「行くぞ!」
いらだちを隠さず、周辺の物に八つ当たりしながら、去っていった。
街中で騎士と出会うことは少ないので、彼らの行動が普段通りなのか分からないけど、はたから見ると何か焦っているように思えた。
「間に合ってよかった」
警戒を解いたダモンさんが僕に近寄り、頭をなでる。エミリーさんとナナリーさんが、ゆっくりと近づいてきた。
「おかげで助かりました」
「よく耐えたな。あの場で暴れていたら、さすがにこちらが不利だが……結果は同じだったな」
最後まで周辺を警戒していた兄さんが、ニヤリと笑う。すごい自信だ。どんな場面でも勝てると思っているみたいだ。いつか僕も、兄さんみたいになりたいな。そう思わずにはいられない。
「色々と質問したいことはあると思うが、とりあえず移動するぞ。歩きながら説明する」
僕は頷くと、兄さんたちに守られるようにして歩き出した。




