ターニャ
旅をするには準備が必要だ。食料やマントといった道具はもちろんのこと、モンスター用に武器も準備しなければいけない。
「ニコライおじいちゃん、ポーションを買いに来ました」
長期休暇の初日。いくつもの店を渡り歩き、準備を進めていた僕は、最後にニコライおじいちゃんの店に入った。
ぐるりと周囲を見渡して見たけど、閉店ギリギリに到着したので、お客は僕だけのようだ。
「おう久々だな。ポーションは高いぞ。クリスの坊主に買えるか?」
しかめっ面をして乱暴な言葉遣いだけど、嬉しそうに話しかけてくれた。来店を喜んでくれているのだろう。
「これでも結構、稼いでるんです」
「そういえば、家庭教師になってたな」
僕の懐が温かいと知ると、口を大きく開けて豪快に笑う。
両親が死んでお店を引き継いだけど、利益はほとんどなかった。余裕のない生活をしていたせいで、色々と心配をかけていたんだ。でも今は、アミーユお嬢様の家庭教師をしている。安定した収入、余裕のある生活。安心させることができて、本当に良かった。
「で、何個欲しい?」
僕がお金に困っていないとわかると、急に態度を変えた。
ニコライおじいちゃんがカウンターの上に肘を置き、グイっと体を前に出す。
「2本。それと付与液も少し買い足したいんだ」
僕は家を出る前に書いたメモを目の前に出す。
「わかった。コウ! これを持ってこい!」
ニコライおじいちゃんは僕が反応するよりも早く動き、メモを奪い取ると、隣に控えていたコウ君に指示を出した。
「は、はい!」
手持無沙汰になった僕は、慌てて商品を探すコウ君の後ろ姿を眺める。
最近になって孤児院から引き取られたばかりだ。まだお店に置いてある物を覚えきれていないのだろう。メモと商品の棚を交互に見ながら目的のポーションを探している。
なんだか昔の自分を思い出すようで、微笑ましい光景だ。
ニコライおじいちゃんも眉を下げて同じように眺めていたけど、すぐに僕の方に顔を向ける。
「その格好、どこかに行くのか?」
パンパンに膨れた荷袋。そしてポーションを買うことから、首都カイルの外に出ると予想したみたいだ。
「ヘルセです」
「あそこは……そうか、お前は優しいな」
場所を言っただけで僕の目的が分かり、ニコライおじいちゃんは悲しい目をする。
「普通ですよ」
出来る限り気にしてない素振りで言葉を返す。
余計な迷惑はかけたくないからね。
しばらくお互いが沈黙していると、ニコライおじいちゃんが首を横に振ってから口を開いた。
「悪い。湿っぽくなったな」
「ううん。気にしないで」
「昔から優しいところは変わらないな……それと、この前はターニャが世話になったな。あいつに代わって礼を言う。ありがとう。坊主のおかげで助かった」
つい数ヶ月前、ハーピーを討伐したときの話だ。
特殊個体を倒した後にターニャの所に戻ったらハーピーの死骸が数匹転がっていた。黒騎士が護衛としての役目を果たしたのだろう。
直前に僕と会わなければ、彼女は生きていなかった。それは間違いない。
「幼馴染だからね。当然だよ」
だから間に合って本当に良かった。
思いは届かず、会うことすら稀。それでも大切な人には変わりない。
「その当然が出来ない奴は多い。胸を張っていいぞ。全く、坊主とあいつがくっつけば――」
「しつこいとターニャに嫌われますよ?」
「ん? そうか。坊主にとっても面白い話じゃないしな……悪かった」
余計なことを言った自覚はあったようで、気まずそうな表情をする。
僕もこの話が続いても楽しい訳ではない。話題を変えようと口を開いた瞬間、乾いた鈴の音と共に店のドアが開いた。
「お父さんいるー?」
振り返るまでもない。ニコライおじいちゃんを「お父さん」と呼ぶ女性は一人しかいない。ターニャだ。
軽い足取りで僕の方に近づいてくる。
「やっぱりクリス君だー! いらっしゃいー」
先ほどの会話を思い出し、なとなく顔を合わせたくない。声が聞こえても振り返らなかった。
でも僕の気持ちを知らないターニャは、前に回り込んで顔を覗き込む。
「無視は良くないよ?」
「ごめん。ターニャいたんだね」
「もー。ボーっと、しすぎ。この前の凛々しいクリス君はどこにいちゃったのかな?」
「幻だったんじゃない?」
「そんなことないよ。おかげで元気なんだから」
そう言うとターニャが僕から離れる。
不思議に思った僕が振り返ると、頭を深く下げていた。
「助けてくれてありがとう。お礼、遅れちゃってごめんね」
「無事でよかった。それに後処理で忙しかったんだ。遅れたことも気にする必要はないよ」
慌てて駆け寄り、頭を上げさせる。
そんなことをさせるために助けた訳じゃないんだ。
「それでもお礼が言いたかったの」
間延びした声、心優しいターニャ。だけど芯は強い。僕がお礼を受け取るまで引くつもりはないようだ。
昔から変わらない、なんとも彼女らしい態度だ。
「お礼は受け取るよ。だからいつものターニャに戻って」
元々、張り合うつもりのなかった僕は、すぐに白旗を上げる。
「お礼を受け取ってくれてありがとう!」
すると瞬時に、思いつめたような表情から笑顔に切り替わった。
やっぱり敵わないなぁ。
「さっきから気になってたんだけど、どこか行くの?」
お礼の儀式が終わったターニャは、僕の持っている荷袋を見ながら質問をした。
「休みをもらえたから、墓参りに行こうと思っているんだ」
「……そっか」
ターニャは僕の両親とも仲が良かった。死んだと分かった時は二人で一緒に泣き、食事も喉を通らなかったほどだ。
もしかしたら、僕より彼女の方が引きずっているかもしれない。
「いっぱいお世話になったから、私も一緒に行きたいけど……」
「その気持ちだけで十分だよ。子供も小さいんだし、それに遠くに行ったら旦那さんが心配しちゃうよ」
「うん……」
もし独身だったら、無理をしてでも僕に付いてきたはずだ。でも実際は違う。旦那さんと生まれたばかりの子供がいる。僕みたいに身軽な独身とは違って、自分勝手に動けないんだ。
その事実を突きつけられたターニャはうつむいていたけど、しばらくすると思い出したように顔を上げる。
「そうだ。私の代わりに、これを持って行ってもらえないかな?」
背中のリュックから細長い陶器を取り出した。
「これは?」
「クリス君のお父さんが好きだった、自家製のお酒」
あぁ……懐かしい。毎晩、みんなが寝静まった後に、一人で飲んでいたお酒だ。
夜中に目覚めた時、無言で飲んでいる姿を見て、「この世界の大人も大変だな」と思ったものだ。いつか一緒に飲みたいなと考えていたけど、それは叶わなかった。
「ありがとう。きっと喜ぶよ」
声が震えている自覚はある。目に涙もたまっている。子供の頃の思い出が次々と蘇り、感情があふれ出しそうだ。
「危険なモンスターがいっぱいるんだから、気をつけるんだよー」
そんな気持ちを察したターニャが、そっと僕を抱きしめる。人妻の抱擁だ。
女性の柔らかい感触が服の上から伝わってくる。少し汗ばんだ匂いが僕の鼻孔をくすぐり、先ほどの感情を上書いた。
「う、うん」
「本当だよ? ちゃんと、帰ってきてね」
抱きしめられたまま耳元で、ささやかれた。
他人が見たら恋人が別れを惜しんでいるように見えるだろう。でも、それはターニャの評判を下げることになってしまう。僕はわずかに残った理性を総動員して、腕を動かし、体を離した。
「分かってる」
「本当に?」
「本当に、だ」
もう話すことはなくなった。でも二人とも動こうとしない。じっと、見つめ合っている。
一児の母とは思えない、昔から変わらないターニャから目が離せず――。
「あの……」
幼い少年の声で我に返った。
僕は今、何をしようとした!? 何を考えていた!?
経験したことがないほど、心臓が早鐘を打ち鳴らしていた。
「コ、コウ君!」
慌てて後ろを振り返ると、カゴにポーションと付与液を入れたコウ君が立っていた。
この場から離れて頭を冷やしたい僕は、中身を確認せずに受け取ると、金貨を彼に手渡す。
「ありがとう! これで足りるかな?」
「はい!」
「か、買い物も終わったから帰るね!」
「おう。また来いよ!」
僕はモンスターから逃げるように店を飛び出すと、全速力でクリスショップへと向かう。その間ずっと、ニコライおじいちゃんの笑顔が僕の脳裏から離れなかった。




