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児島成得の後悔  作者: さき太
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第二章

 成得(なるとく)は酷い頭痛と戦いながら業務をこなしていた。ここのところずっと大昔の悪夢にうなされる毎日を送っていた。元から睡眠が浅いのにこれでは身も心もまともに休まらない。しかも悪夢は起きているときにさえ頭を掠めていく。何かに集中していなくてはそれに気持ちが持って行かれそうだというのに、平和になった今はそこまで没頭する仕事がなくて、成得は自分の意識を保つことに必死だった。

 自分がこんな状態であることを外に漏らすわけにはいかない。そう思って、いつも通りの薄ら笑いを浮かべ軽薄そうな口調を貫くが、本当に少しでも気を緩めれば叫びだしそうな衝動に襲われて成得は疲弊していた。なんで今更と思う。なんで今更、大昔に殺した奴が夢に出てきて自分を呪うんだろう。忘れたことはない。二度とあんなことを繰り返さないために忘れるべきじゃないと思ってきた。そうやってずっと自分を戒めて行動してきたはずなのに、今更あの時の後悔が、あの時の苦痛が鮮明に思い出されて、成得は押しつぶされそうになった。

 成得は席を立って外に出て、新鮮な空気を吸って気分転換をはかってみたが、沈鬱とした気持ちは変わらず、頭痛もおさまらなかった。ふと視界に沙依(さより)の姿を捉えて、成得は彼女を抱きしめたい衝動に襲われ、それを抑えた。大昔、この身体に生まれる前、彼女と兄妹だった頃、辛くなるといつも彼女を抱きしめていた。無邪気に自分に大好きと言っては満面の笑顔を向けてくる妹が愛おしくてしかたがなかった。無条件に自分を受け止めてくれる妹の存在が自分の支えだった。あの頃のように彼女を抱きしめてその存在に癒やされたいと思うが、あの頃と違って彼女は子供ではないし、まして妹ですらない。それでも数年前までずっと彼女を捕まえてはちょっかいを出してきたが、もうあんなことはできない。そう考えて、自分に大好きと言って自分の唇を奪った彼女の姿を思い出して成得は苦しくなった。もう彼女は妹じゃない。彼女が自分をそういう目で見ているのなら尚更、もう近づけない。そんなことを考えて成得は視線を落とした。

 「お前が勘違いさせるからこうなったんだ。自分のしたことは自分で責任をとりなさい。」

 遠い昔に亡くなった養父の声が頭をよぎって成得は意識が持っていかれた。

 「どうして?」

 そう呟いて、口から血を吐き出す大昔に自分の部下だった者の姿がそこにあった。殺すならどうして助けたりなんかしたんだ。突き放すならどうして優しくなんかしたんだ。全て受け入れたふりをして結局裏切るのか。どうして?どうして?どうして?自分が殺した沢山の人物が代わる代わる目の前に現れて、それぞれの口でどうして?を繰り返した。

 「それでいい成得。譲ってはいけない線引きははっきりさせなくてはいけない。助けたいと思うなら尚更、自分は特別だなどと言う勘違いはさせるな。何をしても許されるなどという勘違いはさせるな。線を越えれば誰であっても容赦はしないと態度で示し、絶対にその線を越えさせるな。超えさせたらそれはお前の責任だ。その時はこうやってちゃんと自分の手で責任を果たし、自分の立ち位置を示しなさい。」

 養父がそう言った。どうしてこんなことをしなくちゃいけないんだ。俺はただ、本当にただ助けたかっただけなんだ。助けたかっただけなのに。殺すために手を差し伸べたんじゃない。

 「一つ綻びを許せば全てが崩壊する。広い視野を持ちなさい。目の前のことに囚われて全体を見失えば全てが失われる。自分が本当にしなくてはいけないことはなんなのか、それを成すためにはどう在るべきなのか、ちゃんと学びなさい。」

 俺が本当にしなくてはいけない事ってなんだ。こんな思いをしてまでしなくちゃいけないことってなんだよ。何を学べって言うんだ。俺にどうしろって言うんだ。酷い頭痛がして、叫びだしそうな衝動に囚われて、成得は自分の腕を思いっきり壁に打ち付けた。

 意識を強制的にこの場に戻して成得は肩で息をした。解ってる。だから俺は特別はいらない。大切な何かなんていらない。そんなもの作ってもしもの時に殺せなくなったら、その綻びが全てを崩壊させる。だから俺の心の中に入ってくるな。俺の心をざわつかせるんじゃねぇ。お願いだから、俺の中から消えてくれ。自分に笑いかける幼い妹の姿が、自分を抱き寄せた沙依の温もりが思い出されて成得は苦しくなった。特別なんかじゃない。俺はそんなもの求めてない。俺はこのままでいい。このままでいないと。そう考えて成得は何のために?と思った。もう自分のしてることは意味が無いんじゃないか、自分がしてきたことの意味なんて本当は何もなかったんじゃないか。そう思ってまた頭痛がした。

 何のために俺はあんなに殺してきた。何のために俺はあの人を殺した。そんなことをしてまで俺はなにがしたかった?俺は何ができた?俺は・・・。いや、自分がこの身体に生まれた後、この国にたどり着いた後やったことは無意味じゃない。国のため、皆のため、偏見や差別のない誰もが普通に生きられる社会を作るため、その社会を守るために必要だった。間違ったことも沢山やった。失敗したことも多々ある。結果、助けたかったはずの誰かを沢山殺すことになった。その全てを糧に生きてきた。そうしてやってきたことは全て無駄じゃない。その時はそうするしかなかった。それ以外の選択はできなかった。何かを守るには、何かを犠牲にするしかなかった。より大勢を救うためには見捨てなければいけない命があった。最低限自分で這い上がり生きていけない者は見捨てる他なかった。そこまで全てを網羅し助ける術も力を自分は持ってはいなかった。今だってそんなもの持ってない。だから自分は選択するほかない。どんな決断になっても、迷えば全て失うなら迷っている暇なくより多くを救う道を選択するしかない。そこに迷いが生じれば判断が鈍るから、特別はいらない。その考えは間違ってはいないはずだ。そう考えて、成得は、でもそれももう必要ないんじゃないかと思った。兄貴が精神支配で間違った偏見を払拭させた今、戦争が落ち着いた今、平和になった今、もう俺が頑張る必要なんてない。俺が頑張らなくても、兄貴がいれば、兄貴なら、俺よりもっと上手くできる。誰かを見捨てなくても、誰かを切り捨てなくても、きっと皆助けられる。兄貴が意地を張るのを止めた今は、もう俺は必要ない。そんなことを考えて成得は胸が詰まった。

 ふと別の思い出が頭をよぎって、成得はまた酷い頭痛に襲われた。養父が自分に語って聞かせたコーリャン狩り廃止に至るまでの奮闘の歴史。聞かされた当時は解らなかった事実が今の成得には重くのしかかった。自分が死んだ後、自分の家族が自分のために戦ってくれていたなんて、知らなかった。自分の妻が自分を心から慕ってくれていたせいで兄の能力が効かず、自分の子供達がそんな母を慕う想いから兄の能力を破り、自分の家族がコーリャン狩りに真正面から反対したせいで酷い仕打ちを受けて殺されたなんて知りたくなかった。こんな事実気が付きたくなかった。

 「もし何かあって次郎(じろう)様がこのまま戻らなくても大丈夫です。家の事も子供たちの事もわたしが護ります。こういう時、女はとても強いんですよ。だから家のことは気にせず貴方は行ってください。」

 「心からお慕いしていた貴方とこうして添うことができて、かわいい子供たちにも恵まれて、わたしは本当に幸せです。たとえ貴方の胸の中心にわたしはいなくても、貴方は本当にわたし達家族を大切にしてくれて、本当にわたしは幸せでした。わたしはもう充分でございます。だから次郎様、自分の思う通りにしてください。ここは意地を張る場面ではありませんよ。」

 妻だった人の姿が脳裏をよぎり成得は胸が詰まった。柚香(ゆずか)、お前は本当に次郎のこと心から愛してくれてたんだな。次郎はあんなどうしようもない奴だったのに、次郎が本当は別の誰かを想ってたって気がついてたくせに、それでもお前は俺を愛してくれてたんだな。俺の事なんて想って、庇って、頑張ってくれなくて良かったのに。周囲に流されちまえば良かったのに、どうしてお前はそうしなかったんだ。どうして・・・。そんな思考が頭を巡って、成得の頭の中で誰かが全部お前のせいだと言った。お前の身に起きたことは、お前の周囲で起きたことは、お前が見た不幸は、全てお前のせいだ。お前が悪い。全部お前が悪い。お前のせいで。全部お前がやったんだ。お前が弱かったから、お前が選べなかったから、お前が逃げたから、お前が余計なことをしたから、お前が、お前が・・・。

 「いつまで仕事をさぼっているつもりですか?」

 (かえで)の声がして成得の意識は現実に引き戻された。

 「暇なのは確かですが、職務時間中にあまり堂々とさぼり続けるのはいかがなものかと思いますよ。現状に対し軍人の数は溢れかえっていますから、仕事をしないのなら退役してしまえばいいのに。本当、目障りです。」

 相変わらずの無表情と単調な口調でそう言って、楓は成得の隣に並んで町並みを眺めた。

 「平和になったおかげで誰も彼も浮かれていますね。全く、脅威が何もかもなくなったわけでもないのに気楽なものです。ですが、大衆にこんな日常が訪れた今、それを維持し護るのがあなたの役目ですよ。それができるのはあなただけです。しっかり働いてください。」

 そう言う楓の声に耳を傾けながら、成得も町並みを眺めた。本当に平和になった。本当に皆浮かれている。平和になると暇になって、暇になると違う何かを始めるんだな。やらなくてはいけないことじゃなくて、やりたいことをするように、いや、やりたいことができるようになるんだな。やりたいことができるようになると、みんなこんな風に和やかになるんだな。そんなことを呆然と考えて成得は酷い枯渇感に苛まされた。

 「俺じゃなくてもこれを維持して護る事なんてできるし、行徳(みちとく)高英(たかひで)がいるんだ、俺よりあいつらの方が上手くやるだろ。」

 そう言っていつも通りの薄ら笑いを浮かべる成得に楓は、能力はあってもそれをするとは限らないですよ。と言った。

 「兄貴は責任感が強いから、意地張るのをやめた今はこれまでの罪滅ぼしに全てを掛けるよ。あのくそ兄貴のことは嫌いだけど、あいつはそういう奴だから信じて大丈夫だぞ。」

 そう言って成得は楓の頭を撫でると仕事に戻った。


         ○                        ○


 成得は一人河原で酒を呑んでいた。

 何も考えたくないのに、余計なことばかり考えてしまう。目が覚めていても悪夢がいつもすぐ隣にいて自分を責めてくる。俺のせいだって事は解ってるからもう責めてくんなよ。俺にどうしろって言うんだよ。俺だってあんなことしたかったわけじゃなんだ。でも、そうする以外どうすれば良かったんだよ。だからもう同じ事繰り返さないようにしてきただろ。お前達みたいな奴出さないようにしてきただろ。他のことは全部捨てて、それ以外何も望まないで生きてきただろ。そんなに俺のこと許せないならさ、俺のこと殺してくれよ。お前らが俺に死んで欲しいって言うなら、それで気が済むなら、この命くれてやるから、だから好きなように殺してくれ。もう生きている意味なんて、生きる理由なんてないんだから。でも自分じゃ死ねないから。だからさ、誰か俺を・・・。

 また酒を煽ろうとしてコップが空ことに気が付き酒を注ぎ足そうとして瓶の中身もまた空な事に気が付いて、成得は新しい瓶の封を開けた。酒に溺れれば少しは気が紛れるかとも思ったが、酒は何も忘れさせてくれなかった。悪夢を忘れることも、酔いつぶれて意識を手放すこともできないまま、成得はただ酒を消費していた。

 「お前、こんな所で一人で何やってんだよ?花見って季節でもないだろ。」

 そう声を掛けられて、声のした方を仰ぎ見るとそこに隆生(たかなり)が立っていた。

 「うわっ、これ一人で空けたのか?空いてない瓶もまだまだあるし、しかも全部強い酒ばっかじゃねーか。どんだけ呑む気だよ。」

 そんなことを言いながら隆生が隣に腰を掛けてきて、成得はお前も呑むか?と訊きながら彼に使い捨てのコップを一つ差し出した。

 「平和になったし、暇になったし、ちょっと自分の限界に挑戦してみようかと思ってさ。いままで溺れるほど酒呑んだことなんてなかったからな。正体なくなるほど泥酔するくらい呑んでみようかと思ったんだけど、なかなかそこまで酔えないもんだな。」

 いつもの薄ら笑いを浮かべながらそう言う成得に隆生は呆れたような視線を向けて、これだけ呑んで酔えないとかお前どんだけだよ、と言った。

 「だいぶ治安が良くなったとはいえ、こんなとこで酒盛りなんかして泥酔したら危ないぞ。只でさえお前は人からよく思われてないんだから、正体なくしたお前なんか見つかったら何されるかわかんねぇだろ。」

 酒を口にしながらそう言う隆生に成得は、よく思われてないどころじゃないだろと言った。

 「酔っ払ってここで寝てたら、寝てる間に刺されてたりしてな。」

 そう言って笑う成得を見て、笑い事じゃないだろと隆生は溜め息を吐いた。

 「軍人ってのは平和になるとお役御免だからな。まだ多少はいざこざもあるけど、たいしたことないし、ついこの間まで非番だろうが何だろうがしょっちゅう呼び出しされて、戦場に出て戦い続けてたのが嘘みたいに今は何もなくなったからな。戸惑う気持ちはわからなくはないけど、あんま自暴自棄になんなよ。」

 そう言われ、そんなんじゃねーよと呟いて、成得はまた酒を煽った。

 「じゃあ何でこんなとこで一人で酒盛りなんてしてんだよ。お前も大概面倒くせーな。自暴自棄になってないっつーなら、家で一人で呑んでろ。人気のないところで一人で酔ってるから皆さん好きなだけボコってくださいって背中に書いてあんぞ。」

 そう言いながら隆生は成得のコップに酒を注いだ。

 「溜まってるなら吐いちまえ。酔ってるときの戯れ言なんざ、何聞いたってその場限りで忘れてやる。」

 そう言われ、成得はこのお節介めと思った。本当に余計なお世話だ。

 「余計な詮索するならどっか行け。」

 そう言って成得が殺気を乗せた冷たい視線を向けると隆生は、本当面倒くせーなと呟いた。

 「ほら、呑め。正体なくすぐらい呑みたいんだろ。ならコップに注いでちびちび呑んでないで、もう瓶のまま一気にいっちまえ。」

 そんなことを言いながら隆生が肩に腕を回して酒瓶を口に突っ込んできて、成得は噎せ返った。

 「お前な・・・。」

 「余計なこと考えるな。ほら、次いくぞ次。しゃべってるとまた変なとこ入って咽せるぞ。」

 「ちょっ、やめろよまじで。お前、なんなんだよ。俺を殺す気か。」

 焦ったようにそう言って睨んでくる成得を見て隆生は声を立てて笑った。一通り笑い終えると隆生は成得を離して、その場に仰向けに横たわった。

 「こう暇になると余計なこと考えちまって面倒くさいな。あの時ああすれば良かったとか、自分がこうしてればとか、意味のないことだってのは解ってんだけどどうしても考えちまう。平和になったからこそ、ここに至るまでに死んだ奴らのこと考えちまったりさ。今まではそれが頭よぎってもそれを糧に戦い続けてこれたのがそうもいかなくなって、自分の中のもんとどう折り合いつければいいのか解んなくてさ。後ろ振り向かないで生きていけたら楽だとは思うが、そうもいかないから困る。」

 その隆生の独白を聞いて成得は意外そうな顔をした。

 「俺でさえこうなんだから、お前はもっとしんどいだろ。お前はずっと人がしたがらない決断をして全部背負ってきたんだからさ。」

 そう言って隆生に笑いかけられ、成得は苦しくなった。知った口叩くんじゃねーよ。俺が何してきたかなんて何も知らないくせに。お前には俺の気なんて解かるわけないだろ。お前と俺じゃ違うんだよ。そんな悪態を心の中で吐きつつ成得は隆生の言葉に絆されて、彼に胸の内を吐き出しそうになっている自分に気が付いて泣きたくなった。これは酒のせいだ。そう思う。彼がここにいることを許してしまったのも全部酒のせいだ。酒の飲み過ぎで判断が鈍ったんだ。酔ってないつもりでも充分自分は酔ってるんだ。そんなことを思いながら成得は胸が締め付けられて、苦しくて、叫んで全てを吐き出してしまいそうな衝動を抑えつけた。そんな成得を見つめて隆生は小さく笑った。

 「ガキの頃からあんだけお前の世話になってるのに、俺が何も解ってないとでも思ってるのか? 何も言わなくったって伝わるもんは伝わるんだよ。お前のこと悪く言う奴も多いけど、解ってる奴は解ってるってのに、お前のその態度本当に腹立つな。あんまり悲劇の主人公ぶるなよ。うざいから。」

 そう言うと隆生は、本当平和になるとみんな余計なこと考えて面倒くさいと呟いた。

 「暇になったせいか沙依の奴も急に色気付きやがってあれこれ訊いてきて面倒くさいんだよ。好きな奴ができたらしくて、どうやって相手と距離を縮めるもんなのかとか、どうやったら関係が変わるのかだとか、知るかそんなもん。俺の恋愛遍歴まで掘り下げてきて、まじでうざい。そんなあいつ見て、あいつは脳天気でいいよなと思うけど、でも、昔のあいつのこと考えると良かったなって思うよ。あいつ本当に人形みたいだったからな。何されても泣きもわめきもしなけりゃ大した反応もしない。甘味食ってる時と春李(しゅんり)に遊ばれてる時ぐらいしか、あいつが人らしいと思うところがないくらいだったのが、今は本当に生き生きしてるし、よく笑うようになって、感情表現も豊かになって。そんな今のあいつ見てるとほっとする。」

 起き上がりそう言いながら酒を煽り目を細めて満足げにしている隆生を見て、成得はなんとも言えない気持ちになった。

 「お前、沙依と付き合ったりしないの?昔からあんだけイチャイチャしてるくせにお前らがくっつかないのが不思議でしかたがないんだけど。」

 そう言う成得に隆生は怪訝そうな顔をして、いつ俺があいつとイチャイチャなんかしたんだよ、と言った。

 「いつもしてるだろ。お互いの非番が合うといつも二人でつるんで、訓練所で遊んで、二人で甘味なんか食って、お互いの食ってるもん分け合ったりしてさ。どっからどう見てもいちゃついてるようにしか見えないから。」

 「つるんでるって言ってもお互いに非番の日は訓練所行ってるから、いつも通りの休日過ごすとかち合うだけで待ち合わせすらしたことないし。俺もあいつも甘いもの好きだから、流れで甘味処行って、違うもん頼んで分け合うのっておかしいことなのか?それに、あいつと茶しながらくっちゃべってるとお前が現れてあいつに抱きついて色々ちょっかい出してきて、なんかばたばたして解散までが定番だろ。どこら辺があいつといちゃついてることになんだよ。」

 そう言うと隆生は、そういえば最近お前全然来ないよなと呟いて不思議そうに成得を見た。

 「ふと思ったんだけど、お前もしかして沙依のこと好きなのか?今までのあれってもしかして俺とあいつが一緒に居るの邪魔しに来てたってことなのか?」

 そう問われて成得は呑んでいた酒が変なところに入って咽せそうになって、反射的にバカじゃないのと言っていた。

 「ガキじゃあるまいし、あいつのこと好きならあんなことすると思うか?好きな女に嫌われるようなことして何の得があんだよ。そもそも俺は特定の相手を作る気ないから。女なんて適当に欲求発散できる後腐れのない相手とたまに遊べれば充分なの。」

 そう自分にはそれで充分。特別な存在なんていらない。特別な存在なんて作ったらいけない。友達も恋人も必要ない。いや、必要ないんじゃなくてさ、そんなの作ったら、俺は。俺はまたあんな思いしなきゃいけなくなるんだろ。なんかあったらまた殺して、それで、お前らだって俺のこと恨むんだろ。どうして大切な誰かを手にかけなきゃいけないんだよ。どうして、大切な誰かに恨まれなきゃいけないんだよ。だから殺さない方を選べないなら、大切なものを作らなければいい。最初から嫌われて憎まれてれば、裏切られたような顔されずに済むから。だから、本当、俺に近づくなよ。まじでお前ら俺の中に入ってくるな。俺の事なんて理解してくれなくて良いから。俺に心なんて許さなくて良いから。俺の事なんて大切に想わなくて良いから。本当、俺なんかの傍にいたって良いことないから。俺が手にかけなくったってさ、俺と関わったって良いことないから。そんなことが頭の中を巡って成得はまた酒を煽った。

 「隆生、お前さ。戦争がなくなって平和になったところで俺が普通に生きられると思うか?解ったようなこと言うけどさ、俺がどれだけ人の恨み買うようなことしてきたと思うよ?平和になったからって、俺を恨んでる連中が俺がしてきたことを許せるわけがないだろ。特別な誰かを作るって事は、それに相手を巻き込むってことだぞ。俺のせいで俺が大切だと想った誰かになんかあったら俺、耐えられないから。無理だから。そんなことになるくらいならずっと独りの方がいいんだよ。本当、余計なお節介してくんなよ。迷惑なんだよ。」

 そんなことを言いながら成得は瓶を掴んで酒を飲み干した。

 「お前ら本当。俺の中に入ってくるな。俺はもうあんな想いしたくねーんだよ。」

 立ち上がりそう叫んで、成得はふらついてその場に座り込んだ。

 「何があったか知らねーけど、お前、なんか色々こじらせてんな。」

 呆れたような隆生の声が聞こえ、成得はうるさいと思った。

 「お前さ、自分の中に誰かが入ってきてるって感じてる時点でお前自身がそれを求めてるって事じゃねーのか?繕うのやめて素直になっちまえよ、面倒くさい。昔がどうだったかなんて知らないけどさ、今の龍籠でお前とつるもうなんていう奴がそんなことでどうにかなるほど軟弱な訳ないだろ。そんなくだらないことで自分追い込むとかお前バカだな。」

 そう言う隆生の声が聞こえて成得はうっせーなと呟いた。


         ○                        ○


 夜の街を彷徨いながら成得は適当に一夜の相手になってくれる相手を探していた。誰かの温もりが欲しかった。誰かを感じていたかった。少しの間だけでも悪夢を忘れられる瞬間が欲しかった。そんなことを思いながらしばらく彷徨い続け、平和になると適当な相手はそう見つからないんだなと思った。相手に余計なものを求めない割り切った関係が持てる相手というのは、あの緊張下だったから溢れていたのかと思う。あの緊張下だったからこそ、誰もが誰かを求めていた。自分の存在を確かめられる相手を、一時でも自分を満たすことのできる相手を、余計なことを考えずただ欲望に忠実になれる相手を、現実を忘れさせてくれる相手を、そんな相手を多くの者が求めていた。そうやって誰かを求めて彷徨う誰かが見当たらないと言うのは良いことなのだと思う。そう言う相手が見当たらないからといって、割り切った関係ができない相手と何かするつもりはない。割り切った関係ができる相手でも同じ相手と逢瀬を重ねるつもりもない。こんな自分にとったら今は生き辛い世の中だと思って成得は空を仰いだ。

 ようやくそういう相手を見つけて成得は声を掛けた。中身のない他愛もない会話をし、お互いの意思を確認し、成得は声を掛けた女性と連れだって二人きりになれる場所に足を向けた。

 暫く歩いて、成得は急に足を止めた。そんな彼に疑問符を浮かべ、どうしたの?と訊く女性の額に口づけをして、成得は自分にしなだれていた女性をそっと引き離した。

 「悪いな。なんか今日はそんな気分じゃなくなっちまったわ。他を探してくれ。」

 そう言って成得は女性の頭を撫でると別れを告げた。文句を言いつつ去って行く女性の後ろ姿を見送って、成得は一つ溜め息を吐き女性が去っていた方向と違う方へ歩き出した。

 「全く、人の楽しみ邪魔しやがって。」

 歩いて行った先の人影に成得は不機嫌そうにそう声を掛けた。

 「たまたま見ちゃっただけで、別に邪魔するつもりとかそんなつもりはなかったんだけど。」

 そこにいたのは沙依だった。そう言う沙依を壁際に追い詰めて成得は、じゃあ何でこんなとこにいんだよと言いながら彼女に覆い被さり、焦った様子の彼女に、いいから顔を隠してろと耳打ちをして、人が通り過ぎるのを待った。本当、なんでこんな所に居るんだよと思う。こんなところお前の生活圏内じゃないだろ。人の気配が完全に遠のいたのを確認して成得は沙依から離れ、彼女に自分の上着を頭から被せると、その肩を抱き寄せて歩いた。そうしていると彼女の存在が酷く近くに感じて成得は胸が詰まる思いがした。そうやって彼女を隠れ家の一つに連れ込んで、成得は彼女をベットに突き飛ばした。横たわる沙依を見下ろし冷たい視線を向ける。戸惑った様子で自分を見上げる彼女と目が合って、成得は胸が締め付けられた。

 何だよ。俺が女と歩いてたら酷く傷ついたような顔しやがって。お前と俺はそんな関係じゃないだろうが。何で急にお前が俺のこと意識なんかしたのか知らないけどさ、俺なんかに惚れたっていい事なんかないから。どうせ惚れるなら隆生にしとけよ。お前ら昔から仲良いんだしさ。本当、なんで俺なんだよ。やめてくれ。そんなことを考えながら、成得は上衣を脱いでそこら辺に投げ捨てると沙依の上に跨がった。

 「人の邪魔したんだから責任とってお前が相手してくれんだよな?」

 そう言いながら、成得は精一杯の侮蔑を込めて沙依を見下し薄ら笑いを浮かべた。

 「まさかこの界隈がどんなところか知らない訳じゃないだろ。こんな所うろついてるってことは、お前もそういう相手探してたってことだろ?見かけのよらずとんだ淫乱だったんだな。それとも自殺志願者かなんかか?それか、痛めつけられたり、人を痛めつけることでしか自分の存在確かめられなくなった異常者か?なんにせよ、女がこんなとこにいたらどんなことになるか解ってんだろ?」

 そう言って成得は沙依の服に手を掛ける。違う。そんなんじゃ。そう言ながら抵抗する彼女を無視して成得は無理矢理彼女の服をはぎ取って彼女を抑え付けた。一糸まとわぬ姿の沙依を目の前にして、成得は下卑た笑みを浮かべる。

 「本当、お前いい身体してるよな。良い眺めだ。」

 酷く冷たい声で酷く冷酷な視線を向けてそう言いながら、心の内で成得は泣きたくなった。自分に手足の自由を奪われて、半分泣きそうな顔で何故か困ったように自分を見上げる沙依を見て辛くなる。何してんだよ。そんな顔したって何にもならねぇぞ。もっと激しく抵抗してさっさと逃げろよ。お前ならできるだろ。お前はこんなんで萎縮して動けなくなるような女じゃないだろ。術式でも何でも使ってさ、俺のこと殺したっていいから、俺がお前にこれ以上酷いことする前に本当俺の前から居なくなってくれ。俺のことなんて嫌って、憎んで、軽蔑して、そんでもってもう二度と俺に近づくんじゃねーよ。じゃないとさ、じゃやないと、俺・・・。

 「大した抵抗しないって、お前そんなに俺としたいの?ただの欲求のはけ口が優しくしてもらえるとか思ったら大間違いだぞ。」

 できるだけ非情に見えるように見下してから成得は沙依の耳に顔を近づけそう囁いた。お願いだから、本当にさっさと逃げてくれ。俺はお前を傷つけたい訳じゃないんだ。でも離れてくれないなら、もう二度と近づこうとなんか考えないようにさ、お前のこと本当にめちゃくちゃにするぞ。そんなことを考えながら酷く苦しくなって、成得は沙依の首筋に顔を埋め、目を閉じた。

 「いや、こんな風にナルとしたいとか思わないんだけどさ。」

 沙依の少し困ったような呑気な声が聞こえてきて成得は怪訝な表情を浮かべ顔を上げた。

 「お前、今の状況がどういう状況か解ってる?」

 思わずそう口に出して、本当にただ困ったような顔をしている沙依を見て気が抜けたところを引き寄せられて、彼女の胸に顔を埋めた状態で抱きしめられて、成得は思考停止した。

 「ちょっ、お前、何してんの?」

 「どうしたらいいのか解らなくてさ。」

 「どうしたらって、ここは抵抗して逃げるところでしょ。間違ってもこんな風に抱きしめたりしてくるところじゃない。」

 その成得の言葉を聞いて沙依は笑った。

 「ナルってさ、詰めが甘いよね。わたしのこと無理矢理するつもりなんてないって自分で言っちゃってるよそれ。」

 「いや、するつもりだったよ。お前がそんな呑気に話しかけてきてこんな意味の解らないことしてこなかったら、本当にしてたよ。本当お前何がしたいの?意味が分からないから。」

 そう言うと沙依が、ナルが泣いてるように見えたからさと言ってきて、成得は胸が締め付けられた。

 「ナルはわたしを遠ざけたいからわざと酷いことして嫌われようとしてるだけでしょ。でもわたしはナルを嫌いになれないし、近くに居たいからさ、どうしたら良いのかわかんなくて困ってるんだ。どうしたら良いか解らないけどとりあえずさ、わたしは辛いときにこうやって抱きしめてもらって、その人の心臓の音聞いてると安心できて楽になれたから。わたしがしてもらって嬉しかったことをしようと思った。それだけ。」

 本当に困り果てたような声で沙依はそう言った。

 「今更遠ざけようとしても無理だよ。ナルが繕ってるだけだってわたしもう知ってるもん。だってナル、わたしのこと助けてくれたじゃん。わたしのこと受け止めてくれたじゃん。わたしのこと支えてくれたじゃん。わたしの罪を一緒に背負ってくれるって言ってくれたじゃん。」

 そう言って沙依は成得の頭を優しく撫でた。

 「この界隈がどういう所かは知ってたよ。小さい頃からコーエーや隆生に近づいちゃダメだって言われてたし。わたしも気が抜けてたとは思うんだけど、実はスリに遭ってさ、追いかけてたら入り込んじゃって、それでナルが女の人と歩いてるの見ちゃってさ。ナルが特定の相手作らない主義なの知ってるし、わたしの気持ちが迷惑だっていうのも解ってるんだけど、でもわたしナルのことが好きだからさ。ナルが次兄様だったから、ナルに次兄様重ねてお兄ちゃんとして好きって訳じゃなくて。わたしは男の人としてナルが好きだから。だから、ナルが女の人と歩いてるの見たら苦しくなっちゃって、よく解んないけど動けなくなっちゃって。でも本当に邪魔するつもりとかじゃなかったんだ。」

 そう言うと沙依が少し考えるような素振りをして、本当に欲求のはけ口になってあげても良いよと言ってきて、成得はバカじゃないのと言っていた。

 「前世の記憶を取り戻してさ、わたし気が付いたんだ。次兄様(つぐにいさま)は辛くなるといつもわたしを抱きしめにきてたから、ナルがわたしのこといつも抱きしめにきてたのもそういうことなんじゃないかなってさ。それだけナルは辛いことが沢山あって、本当は誰かに受け止めて欲しかったんじゃないかなって思った。でも、どうしたらナルが楽になれるのかわたし解らないからさ、ナルがして欲しいことなら何でもしてあげたいなって思う。ナルがわたしをぎゅっとして安心できるなら好きなだけしたっていいし。わたしの気持ちが迷惑ならそれに応えてほしいとか言わない。同僚とか知人っていう距離のまま、それ以上は近づかなくていい。でも、それ以上の距離は開けられないよ。ナルともう関わらないとかそんな約束はできない。嫌いにもなれない。何かあったら助けになりたいと思う。だってわたしナルのこと大好きだもん。ナルがわたしの罪を一緒に背負ってくれるって言ってくれたみたいに、わたしもナルの背中のものを一緒に背負ってあげたいと思う。ナルの辛いも苦しいも全部受け入れて、受け止めて、ナルを楽にしてあげたいなって思う。だからさ・・・。」

 「それで俺の都合の良い女やろうってか?本当、バカじゃね。自分のこともっと大切にしろよ。」

 「ナルに言われたくない。そう言うならナルも自分のこと大切にしなよ。そもそもナルが自分のこと大切にしてたらわたしもこんな風に考えなかったと思うんだ。」

 「そもそも何で俺なんだよ。俺お前に惚れられるようなことした覚えないぞ。」

 「恋に落ちるのに理屈なんていらないって誰かが言ってた。」

 「なんだよそれ。」

 そう言って成得は小さく笑った。

 「そうだナル。わたし思いついたよ、わたしにできること。」

 沙依の脳天気な明るい声が聞こえて、成得は疑問符を浮かべた。

 「おやすみ。」

 耳元で沙依の声が聞こえて、成得の意識は遠のいた。遠くで誰かが唄う声が聞こえた。優しい響きのその声に成得は全てを委ねて夢の中へ落ちていった。


 「成得。」

 誰かに声を掛けられ成得が目覚めると、そこに養父だった児島一寿(こじまかずひさ)の顔があった。それが酷く懐かしい気がして成得はなんとも言えない気持ちになった。

 「よく頑張ったな。よく成し遂げた。」

 今の平和な町並みを眺めながら一寿にそう言われて、成得は俺じゃねーよと言っていた。

 「全部兄貴がやったんだ。俺じゃない。」

 「そんなことはない。この平和はお前が努力し、積み上げ、お前が掴み取ったものだ。自信を持ちなさい。我々の夢をお前が成し遂げた。ありがとう、成得。お前は本当に自慢の息子だ。」

 そう言われて成得は胸が詰まった。

 「お前には色々と背負わせて辛い思いをさせて、悪かったな。お前は根が本当に優しい子だから、途中で耐えられなくなって挫折するのではないかと思っていたよ。でもお前はやり遂げた。お前は本当に強い子だ。こんなに立派になって、俺は本当に嬉しいよ。」

 そう言われて成得は泣きたくなった。

 「本当さ、とんでもないもん背負わせやがって。俺一人残して、俺に全部押しつけて、俺がどんだけ辛かったと思ってんだよ。父さんのせいで俺は・・・。」

 そう言って言葉を詰まらす成得に一寿は、解ってる、解ってるよと言って彼を抱きしめた。

 「あんな風に別れたくなんてなかった。ずっと俺の前に立って俺の指針でいて欲しかったよ。もっと教えてもらいたいことも沢山あったしさ。戦場で死ぬならともかく、あんな死に方ないだろ。父さんが一線越えたから殺さなきゃいけなくなったって解ってるけどさ、他の誰かに父さんを殺されたら俺、そいつのこと恨んじまいそうでさ、許せなくなりそうで、だからって見逃すなんてできないし。でもさ、あの時はああするしかなかったとしてもあんまりだろ。俺は父さんを殺したくなかった。殺したくなんてなかったんだ。あんなことしたくなかった。本当は死んで欲しくなかった。」

 そう言いながら成得は父にしがみついて泣きじゃくった。

 「悪かった。本当に悪かった。お前は本当に頑張った。もうお前がそんな思いをする必要はない。」

 そう言って一寿は成得の背中を優しくさすった。

 「俺はお前にずいぶんと重いものを背負わせて、お前を縛り付けてしまったね。成得。ここまで頑張ってきたお前に俺は教えたいことがあるんだ。聞いてくれるか?」

 そう言われて成得は顔を上げた。

 「いいか成得。俺はお前に非情になる必要性を叩き込んでその覚悟を決めさせた。そうしてお前はそれを胸によく頑張ってきた。お前はもういざという時に腹が決められない男じゃない。これからは次の段階に進みなさい。」

 「次の段階?」

 「今度は大切なモノを絶対に殺さない覚悟を決めるんだ。もうお前には解るはずだ、超えさせてはいけない線を越えさせないためにはどの段階で何をすべきなのか。そして相手の本性を見抜く眼力も身についただろ。誰でも彼でも殺すときのことを考えるのはもうやめにしなさい。どうやったら殺さないで済むのか、それを考えて対処し、それに心血を注ぎ、もう二度と大切な者を殺さないで済むように努力しなさい。」

 そう言って一寿は微笑んだ。

 「お前にならできる。なんていっても、お前は俺の自慢の息子だからな。俺を越えていけよ成得。お前なら、俺ができなかったこともきっとできるさ。」

 最後に、成得愛してると言い残して一寿の姿は消えた。



 「とうたま、どうちたの?」

 そう声がして、成得が意識をそちらに向けると不思議そうな顔をして自分を見上げる子供達と目が合った。自分にじゃれついてくる子供達の相手をしながら、成得は胸が締め付けられる思いがして子供達を強く抱きしめた。

 「とうたま?」

 「だいじょうぶ?どこかいたたいの?」

 かわいい盛りに別れた娘と息子。あの時俺はどんな選択をしていれば良かったのだろう。最後に自分が目にしたときと同じ姿の子供達を強く抱きしめて、その感触を確かめて、その温もりを実感しながら、成得はそんなことを思って泣きたくなった。

 「次郎様、子供達が苦しそうですよ。」

 そう声がして、かつて成得が次郎だった時に妻だった人が現れた。

 「柚香。」

 そう名前を呟くと彼女は微笑んで、子供達を成得の腕から解放した。解放された子供達は駆けていき視界から消えていく。

 「そんな泣きそうな顔をして、どうかしたんですか?」

 そう問われて成得は言葉を詰まらせた。そんな成得を優しい眼差しで見つめながら柚香は彼の頬をそっと撫でた。

 「次郎様。次郎様はわたしと夫婦になったことを後悔しておいでですか?」

 「俺と一緒にならなければ、お前も子供達も酷い目に遭わずにすんだだろ?」

 「わたしが訊いているのはそういうことではありませんよ。次郎様はわたしと一緒になって幸せだったのかどうかをわたしは知りたいのです。」

 そう言って柚香は笑った。

 「わたしは幸せでした。心からお慕いしていたあなたと所帯を持ち、かわいい子供達にも恵まれて、あなたは本当に家族を大切にしてくれて。わたしは本当に幸せでした。こんなに幸せでいいのかしらと思うくらい、次郎様と一緒になることができてわたしは幸せでした。」

 そう言うと柚香は成得を真っ直ぐ見つめた。

 「少し口が悪くて、意地っ張りで、素直じゃなくて、でも本当に優しくて、真面目で、正義感が強くて、照れ屋で、とてもかわいらしくて。そんな次郎様のことがわたしは本当に大好きでした。あなたは本当に良い夫で、良い父親でしたよ。子供達もあなたのことが本当に大好きでした。」 

 そう言われて成得は胸が詰まって、苦しくなって俯いた。俺はそんな良い奴じゃない。俺はそんな想ってもらえるような奴じゃない。俺はさ・・・。

 「次郎様、わたしを見てください。」

 そう声がして成得は顔を上げた。

 「次郎様。わたしは、あなたにわたし達の思い出を辛いものにして欲しくはありません。わたし達を思い出すのなら、わたし達といた時が幸せだったと、あなたの心を温め支える思い出でありたいです。」

 そう言って柚香はそっと次郎を抱きしめた。

 「わたしがお願いしたことを覚えていますか次郎様。わたしはあなたに、あなたを心より慕ってた女がいたことをどうか忘れないでいて欲しいと願ったのですよ。あなたが別の誰かを想っていたことは知っていました。その誰かと一緒になることができないからわたしに逃げてくれただけなのだと解っていました。どんなにあなたをお慕いしても、わたしがあなたの一番になることはできないのだとずっと感じていました。あなたと夫婦になった初めの頃は、そんなことに感情が縛られて胸が締め付けられることもしばしばありました。それでも、わたしはずっとあなたが愛おしくてしかたがありませんでしたよ。そして子供ができて母になるとそんなことはどうでもよくなりました。愛しいあなたの傍にいて、愛しい子供達に囲まれて、あんなに暖かな家庭を築くことができて、それ以上何を望む必要があるのだろうと。気が付けば心からそう思っている自分がいて、わたしは満たされていたのです。だからあなたに解って欲しかった。わたしがどれだけあなたをお慕いしていたのかということを、あなたを愛していたかということを、そしてそれを覚えていてくださるのなら、それだけで本当にわたしは充分だと思ったのでございます。わたしの愛をあなたが受け入れてくれたこと、それが重要で、それで充分なのでございますよ。」

 そう言って柚香は優しく成得の背中をさすった。

 「次郎様。何故わたしがそれほどまで満たされる事ができたか解りますか?それはあなたがわたしをちゃんと愛してくださったからです。あなたの一番にはなれなくても、あなたから愛されていると、大切にされていると実感することができたから、わたしは幸せだったのでございます。いつだってあなたの優しい愛を感じ、それに包まれていると確信しておりました。子供達もまた同じだったと思います。だからわたし達の家庭にはいつも暖かいものが溢れていたのですよ。」

 そう言って柚香が笑う気配がして、彼女は成得から離れた。

 「次郎様。あなたを信じ想い続けたことに後悔はありません。わたしの人生に後悔などありません。わたしはあなたと共にあれて幸せだったと忘れないでください。わたしの思い出を勝手に辛いものにしないでください。いくら次郎様でも勝手にわたしの人生を不幸だったことにすることは許しませんよ。」

 そう言って柚香は成得を押して背中を向けさせ、その背中に額をつけた。

 「素直じゃないところも子供みたいでかわいらしくて好きでしたが、あまり意地を張っていても良いことはありませんよ。自分の心に嘘を吐いてはいけません。自分の心と向き合うことから逃げてはいけません。自分自身から逃げることなど誰もできないのですから。」

 柚香はそう言うと成得の背中をぐっと押した。

 「愛しています、次郎様。幸せになってください。」

 そう声がして振り向くとそこにはもう柚香の姿はなかった。



 誰かが唄う声が聞こえて、成得がその方に意識を向けるとそこには次郎だった時の生家があった。縁側に腰を掛けて唄っている幼い妹と目が合って、成得は沙依?と声を掛けていた。

 「この姿でもナルはわたしを沙依だと認識するんだね。」

 そう言って幼い姿の沙依はなんとも言えない顔をした。

 「ナルの夢に入ったときナルの夢の中のわたしはこの姿だったから、やっぱりナルの中ではわたしより末姫(すえひめ)の存在が大きいんだなって思ったんだけどさ。この場所でこの姿でいるわたしを見てわたしだって認識するって事は、ナルの中で末姫とわたしは同じで、今は末姫よりわたしの存在の方が上なんだね。なのにナルの夢の中のわたしがこの姿なのはこの頃のわたしのことがナルの中でずっと引っかかってるんだね。」

 そう言う沙依の横に腰掛けて成得はそうだなと呟いた。そして一度目を閉じて、少し考えて成得は口を開いた。

 「俺が家を出たときのこと覚えてるか?」

 「次兄様、ある日突然いなくなっちゃって帰ってこなくなっちゃったよね。寂しかったな。」

 「あの時、兄貴と三郎(さぶろう)が結婚して出てったのをネタに、行き遅れにほぼなりかけてた姉貴をからかって喧嘩になってさ、かっとなった姉貴が俺みたいなのが残ってるから安心して嫁いでいけないんだなんて言ってきて、売り言葉に買い言葉で、ゆくゆく俺のせいで結婚できなかったとか言われるのも癪だし出てってやるとか言っちゃって、そのまま出てってさ、それで気まずくなって帰れなくなったの。」

 そう言って成得は仰向けに寝転んだ。

 「姉貴がそれ気にしてんのも解ってたけどさ、そもそも元を辿れば俺がからかったのが悪いし。なのに素直に謝ることとか、他にも色々と向き合うことから逃げてそのまま実家に寄りつかなくなって、時間が経てば経つほど自分の中でそれがこじれていってさ。父さんがおかしくなったの気が付いてたのに、父さんがお前に異様な執着を向けてるのを気が付いてたのに、俺は姉貴が毎日実家に通ってるんだからなんかあったら姉貴がなんとかするだろって、全部姉貴に押しつけて見ないふりして、それで何もしなかった。それであんなことになったんだ。俺は気が付いてたのにお前を助けなかった。助けに行かなかった。頭では色々考えてたくせに、結局行動に起こそうとしなかった。柚香に諫められてあいつが背中を押してくれて、ようやく重い腰上げて駆けつけた時にはもう手遅れだった。お前も父さんもこの家ごと綺麗さっぱり姿を消してて、俺の千里眼でも見つけられなくなってた。全部俺が素直じゃなくて、言い訳ばかりして、逃げてばかりいたから悪いんだ。」

 そう言って成得はごろんと転がって横を向いた。相変わらず縁側に腰を掛けて庭の方を見ている沙依を横目で見ながら声を掛ける。ん?と振り向く沙依に、ここと言って自分の隣をぽんぽん叩くと、意味が解らないと言った調子で小首を傾げながら疑問符を浮かべられて、成得はいじけたようにここに来てと声を掛けた。のそのそと這い寄ってきて自分の隣に横になった沙依を抱きしめて、成得はその存在を確かめた。いつだってこの温もりに癒やされた。いつだってこの存在の確かさに支えられ、これを失いたくなかった。失いたくないと思ってしまったから、手放したくないと思ってしまったから、触れてはいけないと思った。離れなくてはいけないと思った。離れていなければいけないと思っていたから、何もできなかった。自分が止められなくなるのが怖かったから、自分が傷つきたくなかったから、言い訳をして、誰かのせいにしてずっと逃げ続けた。

 「ここが俺の夢の中ってことはさ、これは全部俺が見たいから見てるって事?」

 成得のそのぼやきを聞いて、沙依は違うよと言った。

 「ナルが見たい夢は現実で見ている悪夢の方でしょ?これはずっとナルの中にあったのにナルが見ないようにしてきた、ナルの見たくない方の夢だよ。」

 沙依のその言葉を聞いて成得は暫く黙り込んだ。そう、ずっと見えないふりをしてきた。気が付かないふりをしてきた、何も解らないふりをしていた。

 「本当はさ、解ってたよ。兄貴が全部悪いわけじゃないって解ってた。兄貴がわざと自分が全部悪いように言ってたって知ってた。でも俺は責任を全部兄貴に押しつけたんだ。俺は兄貴が羨ましかった。自分が上手くできないとき、兄貴の能力があればこんな問題たいしたことじゃないのにとか、兄貴ならもっと上手くやっただろうにと思って辛かった。俺は兄貴が妬ましかった。それで自分の中の怒りを全部兄貴に向けて、兄貴のせいにして、自分の後ろめたさを全部兄貴に押しつけた。俺は結局兄貴に頼りきりで兄貴に甘えてただけなんだ。本当は俺が許せなかったのは俺自身なんだ。俺は一番自分が許せなかった。」

 そう言って成得は抱きしめる腕に力を入れて沙依をきつく締め付けた。

 「本当は解ってた。自分が愛されてたって。大切に想われてたって解ってた。でも、自分に後ろめたいことが多すぎて、その愛をいつだって俺は素直に受け止められなかった。」

 そう、解ってた。解ってて人から向けられた愛情に甘えてたくせに、ちゃんとそれに向き合ってこなかった。甘やかされるだけ甘やかしてもらっていて、そのくせ相手を拒絶していた。

 「解ってたよ。夢を見せることがどれだけ残酷なことなのか。最後まで夢を見せ続けられないなら、最初から夢なんて見させるものじゃないって、解ってた。それでも俺はダメだったんだ。手を差し伸べちまった以上、できる限りのことはしようと思った。でも、ダメだった。何回も繰り返してればさ、最初から立ち直れるかそうじゃないかなんて大抵解るよ。一見大丈夫そうに見えても本当はダメな奴も解るよ。そう言う奴がさ、本人も頭では解ってても自分じゃ抑えられなくて一線越えちまうことも解ってた。でも、解ってたのに俺はやめられなかった。今ならそう言う奴らを手放せる。でも、あの頃はダメだったんだ。外に居場所なんかないのに放り出せなかった。放り出さなければ出さないで自分で殺すことになるの解ってたのに、手元に置いてた。俺が殺した全員が全員俺を恨んで死んでいったわけじゃないって解ってる。弱いから生きていけなかっただけだってのも解ってる。俺から離れてった奴皆が皆、本当に俺を憎んでた訳じゃないって解ってる。あいつらもまた自分の弱さから逃げようとしただけだって解ってる。解ってるよ。解ってたけど、それでも俺は辛かったんだ。耐えられなかった。父さんが俺を独り残したくないと思ってたのも解ってた。自分が死んだ後の俺を心配してたのも解ってた。それでもあの時はああするしかなかったって解ってた。解ってたけど、辛かった。あんなことしたくなかった。いつだって上手くできなくて、上手くいかなくて、俺は間違った事ばっかやって、後悔ばっか募ってって、今度こそとか、次こそとか考えて繰り返さないようにしても結局上手くいかなくて、自分の思ったようにはいかなくて、どうやったら自分が望んだようにできるのか解らなくて、それで諦めたんだ。俺はもう無理だと思った。無理だった。俺は自分で始めたことからさえも逃げたんだ。逃げたくせに中途半端にずっとそれを引きずって俺は・・・。」

 「結局、諦め切れなかったんだね。それでナルはずっと辛かったんだね。」

 自分が詰まらせた言葉を継ぐように沙依が紡いだ言葉が優しく響いて、成得は胸が詰まって涙が溢れた。気が付くと沙依の姿は現在の彼女の姿になっていて、成得は彼女に抱きしめられていた。彼女の心音が耳に心地よく響く。優しく頭を撫でられて、成得は全てを彼女に委ねた。


 ふと目が覚めて、目の前に心地要よさそうに寝息を立てる沙依の顔があって、成得は心臓が止まるかと思った。あまりにも無防備なその寝顔に苦笑が漏れ、その頬をつねってみる。起きる気配のない彼女を見て、全く、ガキみたいな寝顔しやがってと呆れたように呟いて、成得はそっと彼女を抱きしめた。そうやって確かめた彼女の存在の確かさに安心感を覚え、胸に暖かなものが広がって、成得はその温もりに溺れそうになった。目を閉じて、彼女をもっと感じたいと思っている自分を認識して、成得は沙依から離れた。

 起き上がって、自分の頬の涙の後を拭う。自分が見たものが沙依の術式によって見せられたただの夢だということは解っている。強制的に自分が押し込めていたものを吐き出させられたのだと解っている。でも、それで心が軽くなっているのを感じて、自分の悪夢が薄れているのを実感して、成得は少し胸が痛んだ。

 「全く、術式使って俺寝かしつけたなら、さっさと服着ていなくなれよ。なんでお前は裸のままここで寝てんの。バカじゃないの。本当、下まで全部脱がなくて正解だったな。脱いでたらお前が寝てる間に俺何してたか解んないぞ。」

 いつもの薄ら笑いを浮かべ、そんな軽口を叩いていつも通りを取り繕いながら、成得は沙依に掛け物を掛けた。そっと沙依の頭を撫でて、小さくありがとなと呟いて、成得はベットから立ち上がった。床に落ちている上衣を拾って身支度を調え、沙依に解るように裏通路の地図を残し、部屋を出る準備をする。

 「まだ割り切れない事も多いけどさ、お前の見せてくれた夢のおかげで前に進もうって気にはなれたよ。もう人に甘えっぱなしでいるのも意地張るのも止めて、ちゃんと腹くくろうと思う。でもいきなりは無理だからさ。いきなり今までの全部を変えるなんてできないから。少しずつ今まで向き合ってこなかったものと向き合っていこうと思う。少しずつ変わっていこうと思う。だからさ、お前の気持ちと向き合うのはもう少し待ってて欲しい。今はまだ受け止められないから。」

 寝ている沙依にそう声を掛けて、成得は部屋を後にした。


         ○                        ○


 あるお互いの非番が重なった日、沙依と隆生はいつも通り甘味処でお茶をしながら他愛のない会話をしていた。

 「もうさ、本当怖かったんだって。朝家に帰ったら、コーエーが仁王立ちで待ち構えててさ、あの威圧感で見下ろされて、あからさまに怒ってますって感じの低い声で誰と何処で何してたのか訊かれてさ。めちゃくちゃ怒られたんだよ。コーエーにあんなに怒られたの初めてだよ。行徳さんが止めてくれなかったら仕事で出掛ける以外に外出させてもらえなくなる勢いだったんだよ?今までだって外出にいちいち許可なんてとったことないのに。確かに無断外泊は初めてだけど、でもさ、わたしとっくに成人してるのに、たった一回無断外泊しただけであんなに怒ることないと思うんだ。」

 そう愚痴る沙依に隆生が呆れたように、そりゃかわいい姪っ子が何の連絡もなしに朝帰りしたら怒るだろと呟いた。

 「お前さ、高英はお前のこと小さい頃から世話焼いてあれだけ過保護にしてたんだぞ。あいつにとったらお前は姪っ子というより愛娘みたいなもんだろうし、そんなお前がなんの連絡もなしに帰ってこなかったら心配するのが当たり前で、朝帰りなんて発狂もんだろ。今までだったらあいつの能力の精神支配でお前の行動筒抜けだったからあいつもやきもきしないですんだんだろうけど、今はそれができないんだから余計さ。そもそもなんで急にお前に対するあいつの過干渉が止められたんだ?今まで通りでいたらあいつもそんな風にならずにすんだだろうに。」

 そう言う隆生に、沙依は行徳さんがコーエーに子離れしろってさと言った。

 「今までは行徳さん、わたし達最初の兄弟の記憶を縛るのに能力使ってたけどそれが必要なくなって他のことに労力割けるようになったから、この機会にコーエーを矯正させるとかなんとか言ってた。わたしももう子供じゃないし過保護にして甘やかすのをいいかげんに止めて子離れしろってさ。わたしもコーエーがいつでも護ってくれるって思って甘えてないで、面倒見てもらわなくても自分でなんでもできるようになれって言われた。」

 その沙依の答えを聞いて、隆生はなるほどねと呟いた。

 「あいつの過保護っぷりは確かに異常だったからな。あとお前、あいつがいないと戦う以外本当に何にもできなそうだもんな。行徳が強制的に引き離そうとするのも解る気がするわ。家事全般あいつがしてたって話しだし、お前の作る軍隊飯まじでくそまずいって有名だし、お前もしかして家事全般できないんじゃないのか?」

 「いや、ちゃんと家事全般できるよ。ちょっと昔やらかしたせいでコーエーに家では何もさせてもらえないだけで、ちゃんとできるから。そもそも軍隊飯なんて誰が作っても似たり寄ったりじゃん。わたしが特別下手な訳じゃない。」

 「只でさえ過酷な状況でお前が食事係になった日にはしゃれにならないから、実際の作戦時にはお前を食事係にしないって噂になってるぞ。誰が作っても似たり寄ったりのもんをそれだけ酷く作れるって、相当ヤバいだろ。実際普段やってないならできるって方が信憑性ないからな。高英に家事全般禁止されるようなことやらかしたって事実が、お前の家事能力の低さを表してると思うんだけど。」

 「もう、そんなに言うなら今から隆生の家行こう。掃除でも洗濯でも何でもできるところ見せてあげるから。あと、家にあるものでちゃんと食べれるもの作ってわたしがちゃんとできるって、噂が間違ってるって証明するから。」

 沙依がそう勢いづいて言うと、お前バカじゃないのと声がして、二人の座っているテーブル席に成得が着いた。

 「そうやって気軽に一人暮らしの男の家に行くとか言うとか、高英に怒られたの全く響いてないだろお前。女がのこのこ一人暮らしの男の家に上がり込むとかありえないから。そのうち本当に外出禁止にされるぞ。」

 呆れたようにそう言いながら、成得は品書きをとって、こん中で甘ったるくないものってないの?と訊いた。

 「わたしが今食べてるわらび餅とかそんなに甘ったるくないよ。一つ食べてみる?」

 そんなことを言いながら沙依が一つ竹串に刺して差し出してきて、成得はそれを受け取って食べた。

 「うまいな。うまいし確かに甘ったるくはないけど、一皿その量なのか?その量を一人で食うのはちょっとな。別に甘いもん嫌いじゃないけど、あんまり量食えないんだよ。今、隆生が食ってるようなのは論外な。そんなもん食ったら確実に気持ち悪くなる。よくお前そんな甘ったるそうなもんをそんな量食えるよな。」

 特大の餡蜜を食べる隆生に視線を向けながらそう言う成得に、沙依がじゃあ磯辺巻きとかは?お団子だけど、甘くないしおいしいよ。なんて言ってきて、成得はそれを注文した。

 「お前がこうやって普通に間に入ってくるって何か変な感じだな。」

 隆生にしみじみとそう言われ、成得はああいうことはもうやめることにしたのと答えて、暫く黙り込んでから少しばつが悪そうに、今度から俺もこの中に入れてくれる?と言った。そんな成得の様子を見て、隆生が吹き出す。

 「しおらしいお前とかまじで笑えるな。何だよその態度。何お前、仲間に入れて欲しかったのか?」

 「うっせーな。お前のその無神経さ、本当に腹立つんだけど。」

 そんな風に言い合いをする二人を見て、沙依が小さく声を立てて笑った。

 「なんだよ、お前まで俺のこと笑うの?」

 そうふて腐れたように言う成得に沙依は別にナルを笑ったわけじゃないよと言った。

 「こうしてるの何か楽しいなと思ってさ。」

 そう言いながら沙依が暖かい眼差しを向けてきて、成得は目をそらした。

 注文した磯部巻きが運ばれてきて、成得はそれを手に取り少し考えてから団子を沙依の方に向けた。

 「お前のちょっともらっちゃったし、これ少し食うか?」

 そう言うと沙依がそのままかじりついてきて成得は固まった。ナルありがとう、おいしい、と言いながら幸せそうに団子を頬張る沙依の姿を眺めて、成得はお前行儀悪いなと呟いた。

 「食べるなら串を持ってちゃんと受け取ってからにしろよ。ってか、まず食いつく前に返事しろよ。」

 そう小言を言うと沙依が疑問符を浮かべながら見上げてきて、成得はため息を吐いた。

 横で隆生がニヤニヤ笑っているのを視界に捉え、成得は不機嫌そうな視線を彼に向けた。目が合うと、仲よさそうで何よりだなと言われ、成得は怪訝そうに顔を顰めた。

 「こいつの朝帰りの相手お前だろ?いったいいつからそんな仲になったんだよ。お前、女遊びやめねーと高英に殺されるぞ。」

 そう言われて成得は一瞬思考が停止する。

 「は?お前何言ってんの?」

 「お前が沙依連れ込んだって噂になってるぞ。こいつの朝帰りも事実だし、それで今のお前等の様子見れば、噂が本当でお前等付き合いだしたんだなって思うだろ。」

 そう言う隆生に、沙依が付き合ってないよと答えた。

 「わたしの朝帰りはさ、わたしが熟睡しちゃって気が付いたら朝だっただけだよ。確かに途中までナルと一緒だったけど。ナルはわたしが無法地帯っぽくなってる界隈に入り込んじゃったの見つけて、人目に付かないように別の場所に出れるところに連れてってくれただけだよ。女の人といるの邪魔しちゃったし、ナル苛々してたから、ナルの気晴らしになればなってナルに夢封じかけたんだけど、寝てるナル見たらどんな夢見てるのかなとか、そういう好奇心とか、まぁ色々欲が出てきて覗いちゃおうと思って自分もナルの夢の中入ってさ、そんなことしてたらそのまま本当に寝ちゃって気が付いたら朝だったんだよ。別に本気でナルの精神を夢に封じ込めるつもりで術式かけたわけじゃなかったから、どっかでナルも普通に起きたんだと思うんだけど。わたしが起きた時にはナルもういなかったし、ナルは術が解けて目が覚めたらわたし置いてささっと出てっちゃったんだと思うよ。」

 しれっとそう言う沙依に隆生はそれそのまま高英に言ったのか?と訊いて、肯定する沙依を見てため息を吐いた。

 「高英が外出禁止にしようとした心境が手に取るように解る気がする。なんつうかさ、お前危機感なさ過ぎだろ。色々突っ込みどころ満載だけど、まず、あそこら辺はまともな奴は近づかないから絶対入るなってガキの頃から言ってんだろうが。あそこらは大の男でも何があるか解らないんだぞ。本当、もうあいつの加護がないんだからちゃんと自分で気をつけろよ。」

 そう怒られて沙依は小さくごめんなさいと言った。

 「珍しく素直だな。」

 少し驚いたようにそう言う隆生に沙依は、コーエーに散々怒られたからさすがに学習したんだよ、とふて腐れたように答えた。

 「わたしの気が抜けてたことは確かだけどさ、国内にそんな危険地帯が放置されてるのが問題だと思うんだよね。戦争も落ち着いたし、わたし達は国内の治安強化に努めるべきじゃないかなって思うよ。うちの連中も穀潰しの役立たず扱いされてイライラしてるし、それを解消するためにもああゆうところ整備させたりとか、今隆生のところがやってる巡回にうちの人手も加えてもらって見回り強化したりとかできたらなって考えてるんだけど、どうかな?あとはあそこに溜まってた人たちのはけ口を別の所に作ったりとかも必要かなとは思う。内部で大きな暴動が起きないように配慮はしなきゃいけないと思うし。そうやって色々考えてはいるんだけどさ、どうしたらいいか思いつかないから一緒に考えてほしいな。二人とも一緒に頑張ってくれる?」

 そう沙依に問われて、隆生は当たり前だろと答え、成得は言葉に詰まった。そんな成得に視線を合わせ沙依が言葉を紡ぐ。

 「楓さん達から話しを聞いたんだけどさ、ナルのお父さんが目指した誰もが普通に暮らせる社会をナルもずっと目指してたんでしょ?だからさ、今よりずっと平和で穏やかな未来をわたし達みんなで目指そうよ。わたしや隆生だけじゃないよ。一緒に頑張ってくれる人は沢山いるよ。だから、ナル。皆で頑張ろう。わたしもその夢が素敵だなって思うからさ、一緒に頑張らせて欲しいんだ。」

 そう言って笑う沙依を見て成得は胸が詰まった。隆生が肩を抱いてきて、泣きたかったら泣いてもいいぞとか言ってきて、成得はうっせーな誰が泣くかと悪態を吐いた。そんな態度を隆生に笑われて、お前本当に腹立つな、等と言いつつ成得は満更でもない顔で小さく笑った。


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