Statu Variabilis〜天地逆転の産声〜
気になる。気になってちっとも眠れやしない。くしゃみが出そうで出ない時と似たような感覚だ。あの時のヒトラーの目は何だったのだ。最初に出会った時とは別人の目だ。人の目を見て媚びへつらう様な生き方をした私だから分かる。人の目の色はあそこまで変わらない。変われるわけがないのだ。その目には胃が冷える錯覚さえ覚えた。
明くる朝、打倒ブラナ帝国についての会議を始めた。先も述べた通りロカ族はブラナ軍に大敗して間もない。原因は至極単純、戦力不足。よくフィクションでは絶望的戦力差を戦略戦術で巻き返すという話はあるが、そんなことを言えるようなレベルでは無い。こちらの数のまま正面からブラナ軍を破ろうと思ったら一人最低千殺がノルマになってしまう。全くもって現実性が無い。よくもまあ喧嘩を売ったものだ。会議を始める時もロカの戦士1人はヒトラーにどこから攻めるのかを聞いてきた。私はそこまで軍事に詳しくないし、恐らく春さんもそれは同じだろう。平和ボケ真っ只中の日本国ゆとり世代は余程どハマりしない限りその手のネタには疎い。そんな我々でも思う。お前達、一体どこまで脳筋なのだ…ヒトラーに限っては呆れて失神しそうになっていた。
では、0いやマイナスから説明しよう。戦いにおいて士気は重要、されどそれは両軍が拮抗している時だ。どんなことにしても元気があれば何でもできるわけではないということである。最大重要要素はなんと言ってもやはり数なのだ。数が増えるだけで戦術、戦略の幅が大きく変わる。たった5人で陣を作ったところで100の兵を止めることは不可能に近い。だが50の兵であれば最低でも時間稼ぎはできる。
ブラナ帝国ではロカ族だけでなく、様々な民族が現体制において被差別対象となっている。それが全体の3割だ。この猪突猛進バカ民族だけでの反乱ならただのボヤ騒ぎと何ら変わらないが国民全体の30%が内乱に出たらそうは行かない。それ故に他民族との連携というのは非常に重要になる。当面は他の民族と連絡を取り合い、機会を待つことになるだろう。
次にこの国全体の状況だ。統治者、即ち皇帝がパン・ブラナ主義を声高に唱え、他民族を侵略しあらゆる国に戦争を吹っかけた。その結果諸民族は差別に苦しみ、日々の圧政に怯えながら暮らしている。最近は落ち着いたらしいが、ついこの間まで東方の大国ウッコ共和連邦とドンパチやっていたとのことだ。
ウッコは超多民族国家として繁栄していて、民族同士の協調性が極めて高いことで有名。建国以来他国領へ侵攻したことは無いが、逆に領土を侵されたこともまた無い。まさに鉄壁の国、守に関してはこの世界最高峰だろうとも言われている。
対してブラナ帝国は民族の自尊心を高めることで攻撃力を強化。現皇帝に変わってからその国土は3倍になり今のところ負け知らず。この間までをウッコ攻めていたのに、今は北の島国プリドゥエン国を攻めている。ブラナ軍は陸戦を得意としているが、プリドゥエンを攻めるには海戦を避けることは出来ない。故に中々攻めきれない状況が続いているが圧倒的物量差で押し切られようとしている。
プリドゥエンは一民族によって構成された国家だが、民族としての誇りはそこまでのものではないらしい。しかし、郷土に対する愛情が強く産まれた場所と死ぬ場所が同じという人が少なくない。島国故にやはり海戦はかなりのもの。周辺各国の中でもプリドゥエン海軍のクオリティーは最高のものだという評判だ。
帝国の西と南には海があり南の海を越えると大きな島がある。入ったら2度と帰ってくることは無いと恐れられ、人々から暗黒島とも呼ばれている。西の海の果てには大蛇が住みついていて、その縄張り内に入ったら2度と日の目を見ることは無い。
ここまで聞いて思った。我々の世界の地理とこの世界の地理はほとんど同じなのだ。まずこのブラナ帝国の位置はスペインからフランスにかけての西ヨーロッパ。ウッコはドイツから東。プリドゥエンはブリテン島。西の海は大西洋。南の海は地中海、暗黒島はアフリカ大陸。気候まではまだ把握しかねるがかなり共通点が多く親しみ易い。
地理が分かったところで改めて今後の方針を考える。まず、他民族との同盟についてだ。ロカ族は他の民族とあまり交流しないが唯一ルートゥーズ族とは縁がある。ルートゥーズ族は身体的特徴は特に無いが、遊牧民族で古今東西あらゆる情報は彼らの元にあると言われるほど情報収集能力には長けている。そんな彼らが現在いるのは我々3人が目覚めた草原をまっすぐ行った先にいるという事だ。
早速彼らに会いに行こうと春さんは言ったが、ヒトラーは首を横に振った。何事もそう簡単には行かない。ロカ族は現在逃走劇の真っ最中だ。ルートゥーズ族に会うということはあの草原を最低2日は走らされる。遮蔽物は一切無しだ。追手に見つかったら矢の雨が降り血の水たまりが出来上がるだろう。
さて、どうしようか。こういう時は大体代表者数名で行くのがお決まりだ。今回もそれに習おう。イグナシオは主戦力であるため当然残留。そのためロカ族からはイサベル女王自らが行くことになった。そこへヒトラーも同伴すると言い出した。私は戦争に詳しい彼には出来れば残ってもらいたいと思った。それを聞くと彼は答えた。「私の本職は政治家だ。断じて軍人ではないし元々画家志望の文化系だ。そんな私の得意分野が弁舌にあるのは我々より未来の時代から来た君になら分かるだろ?こんな下らない所を死に場所に選ぶようなら君たちもそれまでの存在だ。そんな馬鹿共とこれから先を進もうとは思わん。ただ一つだけアドバイスはしておこうかな。
この森はロカの民にとっては聖地、つまりホームだ。故に彼らは帝国軍より地の利がある。だからといって真正面からは戦っても勝ち目が無い。」あとは自分で考えろ。そう言わんばかりの目をして出立の準備に取り掛かった。
軍議は解散し各々準備を始めた。ヒトラーは旅に出るため問題にはならないが、私と春さんに関しては武器など持った試しもない。この世界の文明レベルでは到底銃を作るなど不可能。そこでロカ族は急拵えの槍を我々に用意した。
古典武器にも色々ある。剣、槍、弓は代表格だが、戦斧を使う者、功夫映画では双節棍使いなどもいる。そして我々が渡された槍はありとあらゆる武器の中でも戦闘の初心者向けなのだ。この理由は槍の持つ攻撃範囲にある。剣で戦うにはお互いの距離が近くなければ出来ない。槍であれば持った時点で相手とある程度の距離を保つことが出来る。
しかし、武器を持ってもやはり戦力にはなれそうにもない。今一度ヒトラーの助言について考え、明日からの拠点防衛戦に備えよう。