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Velut Luna〜月は狂気の証〜

彼は人々から求められ、そして恐れられた。


アドルフ・ヒトラー。言わずと知れたナチスドイツの総統にして、世紀最悪の独裁者と悪名高い男だ。その彼は70年程前に自殺した。史実にはそう語られている。人類史全体の時間で考えれば70年前などついこの間の話だ。それなのにも関わらず、この男には謎が多すぎる。

まず、生前のヒトラーは乖離性人格障害、つまり多重人格障害だったと言う説がある。私個人としては真実なのではないかと思っている。第一次世界大戦終結後のボロ雑巾のようにされたドイツをあそこまで変えた天才があんな間抜けな死に方をするなどと到底信じられない。

そして彼の死の真相だ。先も述べた通り、歴史の教科書やインターネット調べれば彼は自殺したと言われている。だが、ナチ党員にヒトラーがどう死んだのか尋問をすると、青酸カリの使用や安楽死、銃で死んだなどとバラバラの発言をする。Uボートで逃げて日本に渡ったなどという話もある。つい最近では彼の頭蓋骨とされているものをある考古学者が検査した結果、それは女性の頭蓋骨であることが判明した。

なんてふざけた話だ。一体全体こいつは何者なのだ。


起こして話しかけるべきか、見なかったことにするべきか。それともここで殺してしまうか。もし、史実の通りの男ならば今すぐ殺して、この先の憂いを断つべきだろう。私の推論、つまり多重人格を持っているのだとすれば、彼の力は我々にも有益なものになるだろうが、イカれた方の人格が出た時を考えるとそれはそれで面倒だ。しかし、我々の現状としても人手が欲しいのもまた事実。考えた。ひたすら考えた。しかし、我々は二人揃って優柔不断だった。


「あー、イタタタタ。この年で野宿なんてするものじゃないな…」遅かった。目覚めてしまった。それにしても、なんて人間臭い第一声だ。とても第三帝国の総統などとは思えなかった。

「ぬ、人だ!日本人か?それとも中国人?朝鮮人?まあいい、そこの東洋人!ここはどこだ!?我がドイツ国の周りにこんな場所があるとすればスイスくらいなものだ。しかしアルプスは見えない。それに私はベルリンにいたはずだぞ?そんでもって死んだはずだ!頭にワルサーの銃口押付けて打っ放してやったんだからな。だが、一昨日目が覚めたら大草原でアホ面晒して寝てたでわないか。お前達たちは何も知らんのか?」流石は演説の天才。よく喋る。

貴方より1日遅く来たようです。そう言うと、彼はため息をついた。案外彼は普通の人なのかもしれないと思わせる表情だった。


お互い1度冷静になりここに至るまでの経緯を話した。改めて話を聞く限り、ベルリンで自殺したのは本当のようだ。目が覚めてからはひたすらこの森の中を進んでいたがこんなに長く歩くのは軍の訓練以来らしく、疲れ過ぎてそのまま今いる場所で寝落ちしてしまったらしい。それにしても一昨日目が覚めたとなると時間の流れが完全に狂っている。70年前の人間が一昨日ここに来たのに対し2016年の人間がつい今朝方にここに来ているなんてなんともおかしな話だ。

そろそろ日も暮れてしまいそうな時間のため明朝ここを出発することに決まった。


夜が明け出発の準備に取り掛かった。昨日は何も食べていなかったため酷い空腹感に襲われた。その空気を感じたヒトラーはかなり大きいキノコを2つくれた。「森の動物たちが食べていた。多分毒ないから火で炙って食うぞ。」本当にいい人過ぎて驚きだ。自殺した人が言うのも変な話だが、このいつ死ぬか分からない状況で貴重な食料を分けるなんてそれこそ聖人でもない限りしないと思う。死のうとは思ったが今のこの状況が何も分からないままでは死ぬ気にもなれない。きっと3人ともそう思っていたのだろう。とりあえず今はその好意を有難く頂戴しよう。


腹ごしらえを済まし出発した。森の中をただひたすら真っ直ぐに進み続けた。冬頃にやる体育の長距離走で同じコースをアホみたいにずっと走り続けた時と似たようなものを感じた。そう、あの終わりの見えない地獄だ。進めども全く景色が変わらない。私は走るのも歩くのも嫌っているつもりは無いが、ずっと同じことをしているのはひどく不快だ。

もういい加減うんざりした頃にヒトラーは見つけた。流石は元軍人、素晴らしい観察力だ。そこには4本の線が交差したものと馬の蹄の跡だ。馬車通った跡だろうか。それに並走している馬の足跡と思われるものも見つけた。しかも割と新しく見える。つまりこの跡が示す方向に向かえば何かしらある。3人とも大喜びだった。


「何か」を見つけたのはギリギリ日没前のことだった。森の中にログハウスを発見した。中には明かりと人影がある。だが、この家にはあまりにもおかしい点がある。それは通常の一戸建ての家の高さの半分程度しかないことだ。我々が入口から入ろうと思ったら、匍匐前進とまで言わないがかなり屈まなければならない。


暫くすると扉が開いた。かなりの筋力が窺える体躯をしているが、扉の大きさから想像していた通りの背丈の小ささだ。武装もしていて体格に合わないような巨斧を両手に持ち、重そうな鎧を着ている。身長は頭の位置が丁度大人の男性の鳩尾辺りに来るのだろうか。話を聞いてみようと思い草壁さんが声をかけた。

「すみません、今お時間宜しいですか?」そう訊ねた彼女に対して小人は持っている斧を構え叫んだ。「何故ブラナ人がここにいる!?皆逃げろ!」うん、とんでもない誤解をされているな。しかもこの小人、私に襲いかかってきた。私は武道の業を齧った程度ではあるが知っている。彼からはあの時お世話になった師範と似たような風格が出ている。真正面からやり合って何とかなる相手ではないことは分かったから私は真っ先に両手を上げて降参の意思を表明した。2人も目の前の男について何か感じるものがあったようで敵意が無いことを示すと、男の斧が私の体を真っ二つにする寸前で止まってくれた。「てめぇらどういうつもりだ?ブラナ軍がうちのお頭追ってきたんじゃないのか。」1から説明を願いたい。そう聞いたらきっと彼は今の戦況を答えるのではないかと思った。そうなると申し訳ないが0どころかマイナスからせつめいしてもらわなければなりそうだが思い切って聞くしかない。ここはどこで、あなた方は何者なのでしょうか。


呆けた顔をしていた。想像していたものから斜め上にズレた質問をされていると言わんばかりの顔だ。新作映画発表の記者会見で、出演者に「先日大統領選に勝利した○○氏についてどう思いますか?」という質問を投げかけるようなものだ。本当に申し訳ない。こちらは何もしてないが本当にすまない。頭の中は謝罪の言葉で溢れていた。

「ガハハハハッッッ!お前ら面白いな!謝る必要は無い。むしろ早とちりして襲いかかったこと、誠に申し訳ない。」そう言ってこの強面小人は頭を下げてきた。


ヒトラーに出会った時と同様、こちらの事情を話した。生前(?)何の職業をしていたか、何故自殺したか。自殺して目が覚めたら訳の分からん場所で寝ていたことも。私とヒトラーの話は淡々と進んだが、草壁さんの話が終わった時この男は号泣し始めた。何でも娘がいるらしい。男は泣きながら彼らのことについて話してくれた。


とりあえずここは黄泉の国では無いことが分かった。古今東西、こちらの世界では2016年の日本の技術どころかナチスドイツの技術レベルすら無い。文明レベルなら5,6世紀のヨーロッパ、アーサー王の時代に近いと思われる。我々がいる場所はブラナ帝国という所でその東部にある大森林地帯にいる。ロカ族にとっては聖地のようなものらしい。南には大草原が広がり人のいる所まで歩こうと思ったら最短距離でも半月はかかるということだ。

この男の名はイグナシオ、ロカ族の戦士を束ねている。このロカ族はいわゆるドワーフと言うと我々にも親しみがあるだろう。鍛冶技術に優れ、とてつもない腕力を持っている。彼はその戦士長ということだ。彼は妻と娘がいたが、今やっているこの戦いではぐれてしまったらしい。草壁さんの話を聞いて号泣したのは、娘とその姿を重ねていたためということだ。

そしてこのロカ族、今まさに帝国に対して内乱を起こしているということだ。帝国の行った選民思想政策で、あらゆる民族が虐げられている。どこかのゲルマン民族至上主義を思い出させる。そう思いながら横にいるおっさんをじっと見る日本人が2人、若干冷や汗を流すゲルマン人が1人居た。帝国全臣民の内約7割がこのブラナ人で、ロカ族は5分にも満たない。残りの3割は全て少数民族だ。にも関わらずそんな少数で国に喧嘩を売ったという。私とヒトラーは呆れて何も言えなかった。我々のような冷静な人間にとってこんな勝ち目の無い戦い方は絶対にしない。ヒトラーは言った。「もっと考えて戦わねば勝てる戦も勝てなくなる。選民思想を言う皇帝もアホだが、お前たちはそれ以上だ!」貴方がそれを言うのか。選民思想の代表者が何を言っているのだか。「お前達のように士気に溢れた兵士であふれていることも大事ではあるが、決定打にはならない。鉄を曲げる腕力があってもその腕で摂理を曲げることは叶わないからな。戦術、戦略とはそういうものだ。お前たちの軍にはそういった方向性を上手く定める頭がいない。ならば私がなってやろう。お前達の頭脳となり、この戦争でブラナ帝国と言う巨岩をお前達の腕力で粉砕し、尊厳を取り戻させてやる!」罵ってから持ち上げる。淡々と褒めたりアドバイスするよりもずっと効果が出る手法だ。人前で喋る人間にとっては当たり前のスキルだ。この天才がそれを知らないわけがない。

イグナシオは希望の光を見た。この男ならきっとやってくれると、そう確信した。この話をすぐに彼の上司である族長に伝えに小屋の中へ入った。


しばらくして「入ってくれ」と言われたのだが、これまた入るのが結構大変。想像以上に天井が低いのだ。我慢して奥へ進み、ようやく目的の部屋まで辿り着いたを中へ入ると今度は大分広さに余裕が出来た。部屋には他のロカ族の者と、椅子に座った少女がいた。この少女が現ロカ族の女王、イサベル・デ・グレイシアだ。イグナシオに続いてイサベルと来た。恐らくロカ族はスペイン系の名前をつけるのだろう。「全く関係ないがお前達スラヴ系の顔してスペイン系の名を名乗る。しかも喋る言語はドイツ語とは一体全体どうなってるんだ?」ヒトラーはそう言った。確かにそうだ。何故か彼らは日本語を… このおっさん今ドイツ語と言ったぞ。スラヴ人の顔というのは東洋人の我々にはさっぱり分からないから置いておくが今彼はドイツ語を聞いてるらしい。普通に考えて民族が違うことを考えれば言葉が違うことは当たり前、更にヒトラーの口から日本語が出てきた時点で色々考えるべきだった。謎がまた一つ増えた。

本題に戻ろう。ヒトラーは傲慢にもこの幼い女王陛下に勝利を約束してしまった。これからどうするつもりなのか。イサベル女王は彼に問う。お前の望みは何かと。幼いながらもかなりの威厳を感じた。それに対してヒトラー元ドイツ国総統は答えた。「要求は2つ。情報と…享楽だ。急に訳の分からん所に飛ばされた我ら3人はこの世界について何も分からない。そこで皆には我々の情報収集の拠点となる場所を用意し、我々の質問には嘘偽り無く答えてほしい。そして、2つ目は玉座にふんぞり返って偉そうにしている皇帝が恐怖に震える顔を拝んでやろうと思っているだけだ。」なんて悪そうな顔してやがる。流石は政治家だ。当時のイタリア、日本政府はどんな顔してこいつと付き合ってたのか見たいものだ。「ハハハハ!良いだろう!お主を宰相にする。好きなように妾たちを使えッ!」この少女、恐ろしいほど肝が据わっていらっしゃる。このセンスのセの字も感じられないちょび髭をいきなり宰相に任じるなんて…「イグナシオが認めた男たちだ。それだけで信頼には十二分に足るものだ。歓迎の席を設けよ!逃亡の身故に大したもてなしは出来ぬが、少しでも長かった遭難生活の疲れ癒してくれ。」Yes, your majesty.たった今から彼女は我ら3人の主君となった。


ヒトラーがこれからどうするかは皆何となく理解しているが、誰も我ら東洋人2人についてほぼほぼ何も理解していないため宴の席では色々質問攻めされた。私は端的に言えば科学者だ。だが、この世界にはファンタジーらしく科学ではなく魔法が通っているということだ。そのため魔法を学び、更に我々の世界の科学が通じるかをまず検証したいと伝えた。草壁さんは売れなかったとはいえダンサーだ。身のこなしは恐らく抜群に優れている。しかし、戦場で真っ正面から殴り合うことは体格的に線の細い彼女には向いてない。性格的にも優しくてお人好しな部類に入ると見た。戦場に直接介入は似合わないし、一同揃ってそんなことはさせたくないと反対した。そこで私とヒトラーは情報収集をやってもらえるか頼んだ。要するにスパイだ。捕まったら何されるか分かったものではないが我々の今の状況的にはどうしても必要な役割だ。その旨を伝えると彼女は快く了承してくれた。やはりお人好しなのだろう。

それにしてもこんなに高揚感溢れる日は初めてのことだ。今明確に何がしたいだなんて初めて思った。簡素ながらも温かい宴は幕を閉じ、皆それぞれ床につこうとした。何人かは酒で酔い潰れて寝てしまった。ヒトラーもその1人だ。仕方ないから彼を部屋まで運ぶとしよう。


空には煌々と満月が照っていた。


部屋に着くとヒトラーがだいぶ眠そうだが少し目が覚めた。そんなヒトラーと私にに草壁さんは一つ提案した。「ヒトラーさん、佐々木さん!突然なんですけど提案があります。今後恐らく、いや間違いなくお互い長い付き合いになると思います。更にこれから大きな組織と戦おうとしています。そこでより親密な関係になる第1歩としてお互い名前で呼び合いませんか?」私は承諾した。断る理由も無いし、彼女の言っていることは理にかなってると思う。

「ふざけるな東洋の猿共。この私を誰と心得る。第三帝国の総統アドルフ・ヒトラーであるぞ…」

眠気か混じった声で、そのまま眠ってしまった。しかしその目は初めて会ってからさっきまでのヒトラーの目では無かった。ただ酔っ払っていただけか、それともあれが彼の本性なのか。

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