不変の脅威
――違和感。
ナイフを突き立てた感覚が返ってこない。
視線を動かす。
鋭い刃先は、確かにハルの腹部に在る。
だが、刺さっては、いない。
「言っただろう、無理だって」
困惑する。
肉の弾力は感じるのに、貫けない。
呆然とする僕からナイフを取り上げ、ハルは悲しそうに微笑んだ。
「俺たちは死なないよ」
「僕だって、不死だ」
ハルは首を横に振り、左腕を差し出した。服の袖を捲くり、白い素肌を晒す。
そこに、右手のナイフを、振り下ろす――。
血は出ない。
皮膚の表面に、刃を滑らす。
切れない。
「どうして」
あり得ない。こんなこと。
「お前、一体何なんだよ……」
僕たちは不老不死だ。でも傷つくし、血も流れる。
不死と言われる所以は、肉体を正常に保とうとする働きが、驚異的なまでに強い為であって、傷の治りは早いが、傷つかない訳ではない。
なのに、ハルは。
「俺たちは、不老不死ではない」
人間は全て不老不死なのだ。それ以外なんて。
「俺たちは『静止』している」
せいし?
僕の疑問を読み取ったのか、ハルは手袋を外し、左手を差し出した。
「触ってみて」
僕は意味も解からず、ただ、言われた通りにする。
咄嗟には、反応できなかった。あり得ない体温。氷のような、冷たさ。
驚いて手をもどす。
「心臓が動いていないからね」
さらりと言われた言葉。
何を言っているんだ?
「死人が動くはずないだろう」
「死んではいない。肉体の時間が静止しているだけだ」
「だから、何それ。訳わかんねーよ」
僕は混乱して頭を抱える。
「君たちの身体に在る『エンドレス』は、博士が偶然に作り上げた、それ、そのものではない」
まだ解からない。続きを促す。
「最初の『エンドレス』の被験者は、俺たちだ。今、世界中に蔓延している『エンドレス』は、俺たちが身に受けたものの、不完全なコピーに過ぎない」
「最初の『エンドレス』って」
「博士は『オールレス』と呼んでいた。『オールレス』は、あまりにも効力が強すぎ、身体の、ほぼ全ての機能が止まってしまった」
僕には『オールレス』の意味が解からなかった。ただ、何となく、あまりいい感じがせず、微かな嫌悪感を抱いた。
「心臓は止まり、体温は消えた。身体は全ての変化を拒み、髪も爪も伸びず、切ることも不可能だ。幸いといえるかは解からないが、脳の一部は活動をつづけ、思考能力はあるし、身体を動かす事も出来る。触覚もある。温度感覚は一応あるが、正常ではない。食事も、本当は必要ない」
次々と並べられる、身体の異常。僕たち不老不死とは余りに違う。
「だから、俺たちはどうあっても死なない。静止しているから」
不老不死の世界の、死なない人間。変わりがないようで、余りにも違う。
混乱しつつも、僕の中には、ハルたちへの憎しみが、消えることなく燻ぶっていた。消しようのない感情。
ハルの話を聞いて、沢山の事を知った。でも、それ以前と変わらず、僕はどうすればいいのか解からない。
父さんの事を知った。
『エンドレス』の事を知った。
殺人者たちの事を知った。
なら、僕は――。
「もういいだろう、ハル」
第三者の声に、僕は驚く。
「セイ、トキ」
「あんたらが、残りの二人か」
音もなく現れた二人は、僕とハルの間に立ち塞がった。
「年長者に対する口の利き方がなっていないな。俺はトキだ」
「俺はセイ」
トキの物言いに、反感を抱く。気に入らない。
「ハル、無茶したな」
足元に落ちているナイフをみて、セイが呆れる。
「二人とも、俺に任せてくれるんじゃなかったの」
「任せていただろう」
「サハラ」
急に名を呼ばれる。
「俺たちは、人を殺す。だが、決してそれを良い事だとは思っていない。ユキナガは俺たちにとっても大切な奴だった。殺すのは辛いし、今も悲しい」
「しかし、この行為を止める訳にはいかない。父さんの遺言であったし、死ねない苦しさは、俺たちが誰よりも知っている」
セイの言葉を、トキが継いだ。
「あんな方法で殺さずに済むなら、その方が良い。今も『エンドレス』無効化の研究は、俺たちが引き継いで行なっている。ユキナガには、間に合わなかったけれど……」
ハルが悲しげに言う。
決して死なない三人は、静かに語りだした。
「不老不死は異常だ。俺たちはそう思っている。君の目にはどう映る?」
「人は、常に変化を求める生き物だ。新たなものを欲しがり、古いものに飽きを感じる。そうして、人間は変化を楽しんで来たのに、何故、自分の肉体の変化が無い事に耐えられる」
「余りに長すぎる不変は、人に恐怖を与えるよ。なら、終わりを願う人間がいても、不思議ではないだろう。死を求めるのも、また、人間の本能であるのだから」
個性の消えうせたような声。
「――あんた達も、死にたい?」
セイとトキは反応を返さない。ハルだけが、少し辛そうに答えた。
「俺たちは三人だから。少なくとも、独りの恐怖はない」
「僕は、独りだ」
目を伏せて、呟く。
「俺たちに謝って欲しいか?」
「いらない。そうしたところで、父さんは帰ってきてくれない」
もう一度、父さんと居られるなら、僕は何だってする。でも、それはどうしたって無理な事だから。
「俺たちも、ユキナガを殺した事は悲しい。だが、後悔はしない。ユキナガに失礼だからな」
「君はどうする。サハラ」
単純な問いかけ。でも、答えがまだ見つからない。
心の奥底で、激情だけがはっきりと在る。だが、それとは違うものも、確かに存在していて、でも、見極められずにいる。
僕はまだ、解からない。
でも、答えは出さなければならない。
「一年、考える。そうして、答えを出す」
「解かった。一年後、またここで会おう。君の答えを聞きたい、サハラ」
ハルの言葉を承諾する。
一年、悩もう。そうしたら、答えを出すから。
待っていて、父さん――。




