殺す理由
家の近くにある遺跡。古代の人々の住居跡だと、父さんに教わった。無機質なフォルム。温かみのない材質。狭苦しい空間。よく、こんな所に住めたものだなと、感じたのを覚えている。確か『ビルディング』という、名称だったと思う。
僕は、無骨な骨組みの残る、その遺跡に入っていった。
殺人者に会う為に――。
薄暗い遺跡の中を、瓦礫を踏み締め、進んで行く。
どうして、僕はここに来たのだろう。
父さんがいなくて、僕の心は動かなくなってしまった。あいつらに会えば、何かが変わるのだろうか?
僕は、理由も解からないまま、ただ、進んだ。
壁が崩れ、幽かに洩れ込んで来る光の中に、そいつは一人、立っていた。
「こんにちは、サハラ」
柔らかく、そう、声を掛けられた。
「あんたに会うのは、三度目だ」
その言葉に、驚いたように目が見開かれる。
「服に血を付けたあんたに、ぶつかった。それが最初だろう」
あの時の事は覚えていた。父さんを殺した奴と同じである事も気付いていた。
黒い服。丁寧な物腰。僕はあの時、父さんに何て言った? 僕の勘違い? 殺人犯とは正反対?
あの時通報していれば、父さんは死なずに済んだ!?
「そうだね。君の言う通りだ」
殺人者は、肯定した。
僕は、父さんを救う機会をみすみす見逃してしまっていた。それも、僕自身の意思で!
こぶしを、きつく、握り締める。
「三人、いただろう。あんただけか?」
「セイとトキは見張りをしてくれている。他の人間に聞かれるわけにはいかないからね」
「それがあいつらの名前? あんたは」
「ハル。そう呼ばれている」
殺人者たちの名前。音を出さず、呟いてみた。口の中に、砂を噛むような不快感を覚える。
「何を知りたい?」
「どうして父さんを殺した!」
「ユキナガが望んだから。……でも、君が聞きたいのはそんなことじゃないよね」
僕は黙って、答えを要求する。
「ユキナガが、どれ程の年月を得て来たか、君は知っている? 『サノモリ ユキナガ』と、二つの名を持っているという事は、単名法の制定以前から、生きていたという証だ」
記憶にあった年号。父さんは、万単位の長さを、過ごして来た。
幾万の時――。
「お前は、父さんの事を知っているのか?」
「知っている。ユキナガは、俺たちにとって、弟のような存在だから」
弟?
「そんな父さんをお前らは殺したのかっ!?」
「ユキナガだけじゃない、今までの不老不死殺人事件、全て、俺たちが殺した」
ハルは、淡々と、表情もなく、そう告げる。
「ユキナガの同僚も、沢山殺した。それ以外の人間も沢山殺した。終わりを求めた者を、全て、殺し続けて来た」
声が、出ない。
「何で、殺した。いくら本人が望んだからって、お前らにそいつを殺す権利はないだろう!」
「権利はない。だが、義務はある」
僕は絶句した。
義務。義務で殺す。義務で父さんを殺した。
「ふっざけんな。お前、何様のつもりだ」
感情が暴走しそうになるのを、必死で抑える。
「それを、知りたい?」
僕が返事をせずにいると、ハルは、ゆっくりと息を吐いた。
「ユキナガが、昔、何をしていたか君は知っている? 彼は、クラハシ ヨシヒトの研究に携わっていた」
聞き覚えのある名前。確か、父さんが……。
「『エンドレス』の開発者」
「そう。だが、ユキナガが生まれた時、人は既に不老不死を手に入れていた。ユキナガが関わった博士の研究は『エンドレス』の無効化」
その言葉の意味するものを、すぐには理解が出来なかった。
「――不老不死は、異常だ。博士は人々を不老不死にしてしまった事を、悔やんでいた」
異常。不老不死が。僕はその考えが理解出来なかった。
不老不死であることは、幸せなことだろう。永遠の幸福の証だろう。
「そもそも、博士は不老不死を生み出そうとしていた訳ではない。本来の研究目的は、治療法の見つからない病の進行を、止める為のものだった。だが、その研究中、偶然出来上がってしまったものが、後に『エンドレス』と呼ばれるものだったのだ。病原体だけに留まらず、体全体の細胞老化を停止させてしまう、薬。」
ハルの口から語られる、聞いた事のない過去。僕は、呆然としながら、唯、その声を聞き続けるしかなかった。
「博士の発見に、世界は沸いた。『エンドレス』接種の第二世代から、不老不死にさえなれると解かってからは、その熱狂ぶりもいっそう強まり、人々はこぞってその奇跡の恩恵を受けようとした。そして、世界の大半は不老不死を手に入れ、そうでない者は、自然と、滅びていった」
それは、そうだろう。誰だって、死なない肉体の方が良いに決まっている。
僕は、父さんを殺した人間の前に立ち、父さんを殺した人間の言葉を聞いていた。頭の隅で、疑問の声が上がる。どうして、大人しくこんな奴の話を聞いているのだろう? そう思いながらも、何故か思考がまともに働かず、僕は、その場に留まり続けた。
「――だが、博士はそれに疑問を持っていた。だから、同じ疑問を持つ、ユキナガのような人達と共に、いつかそれを必要とする人々の為に『エンドレス』無効化の研究を始めた」
ハルはそこで言葉を止め、溜め息を吐いた。
「研究は、成果が上がらなかった……。そもそもが、偶然の産物であり、その解析すらも、上手くは行っていなかった。博士は、絶望した。不老不死を生み出した罪の意識に、耐えられなくなった」
「『エンドレス』が出来た経緯は解かったよ。僕には理解できないけれどね。だけど、それがあんたの言う『義務』と、どう繋がる?」
ハルは、僕の質問には答えなかった。
「――君は、俺に、何故父さんを殺した、と、聞いたよね」
「だから、今はそっちじゃなくて」
「俺たちが最初に殺したのは父さんだった」
唐突な言葉。
「今でも、はっきりと憶えている。父さんの身体に、ナイフを突き立てた感触。返り血の、温かさ。最期の表情。全部憶えている……」
ハルは目を閉じ、小さく呟いた。
「俺の名前は、クラハシ ハルキ――」
「クラハシって、じゃあ、お前!」
「そう、『エンドレス』を作り出したクラハシ ヨシヒトは、俺たちの養父だ」
養父。僕と同じ。
でも、僕とは違う。
僕は、父さんを殺された。
ハルは、父親を殺した。
「……ころしたのか? 父親を?」
「殺したよ。三人で、殺した。父さんは『エンドレス』の第一世代だったから、その身体は不老でしかなかった。だから、ナイフで突き刺して、心臓を止めて、血を流させて、そうしたら、死んだ――」
そう語る、ハルに、表情はなかった。
「父さんは、罪の意識に苛まれ、苦しんでいた。不死ではなかったから、自ら死を得る事も出来たけれど、人々を、不老不死から救いたいという気持ちもあったし、そうしてしまった事への責任も感じていた。だから、自分だけ逃げるという事が出来なかった」
「あんたの父親は死にたがっていた、とでも言いたいの?」
「そう、だから、俺たちが殺してあげた。父さんの為に……」
理解、出来ない。
「おかしいよ、そんなの! いくら本人が望んだからって、父親を殺すなんて!!」
「……そう? そう、かもね」
何の感慨もないように、ハルが言う。
「――最期に、父さんが言ったんだ。もし、自分と同じように死を願う、死ねない人間がいたら、それを叶えてあげて欲しい、と。自分の代わりに、そうしてほしいと。だから……」
僕は、慄然とした。
「その日から、それは、父さんに代わり、俺たちの、義務になった」
父親の願いを叶え、父親を殺す子供。
子供に殺され、子供に殺人を願う父親。
そんな――。
異常だ。
「お前ら、おかしいよ。本当に、人間か? だから、父さんを殺したって? 僕の父さんを、そんな理由で殺した? 義務で。お前らが」
ずっと一緒に居るはずだったんだ。なのに、奪われた。こんな、頭のおかしな奴らに。父さんを!
感情が、暴走する。コントロールが出来ない。自分の奥底から、今まで感じたことのない、どす黒い感情が湧き上がってくる。
「――父さんを返せ」
ハルは身動ぎもせず、僕の目を見つめる。
「ユキナガは死んだよ」
「お前らが殺した」
「そうだ」
「――コロシテヤル」
何も考えられない。突き動かされるままに、声を出す。
「お前ら、皆、殺してやる。僕から父さんを奪った奴を、殺してやる。お前らが殺すなら、僕も殺してやる」
「無理だ」
頭に、血が上る。強烈な怒り。やり場のない激情。
「うるさい!! 殺す、殺す、殺す、殺す!」
足元で、音。
目を向けると、鈍く、光を反射させる、ナイフが――。
「試すか?」
ハルが、言った。
耳鳴りがする。
不快感。
身を屈めて、ナイフを掴む。
痛みを感じるほどに、両手で固く、握り締め。
走る。
ナイフを、腰だめに構え。
その、勢いのままに――。




