移ろわぬ時
皮膚を突き破る、感触。
骨を砕く、音。
破裂する、肉塊。
降り注ぐ、赤。
途切れる、命。
舐める、炎。
消滅する、存在。
残る、臭い。
いつもの、こと。
いつもの、こと……。
いつもの、道を歩く。学校からの帰り道。友達と話し込んでいて、少し遅くなってしまった。
「父さん心配しているかな」
最近は少し物騒だから真っ直ぐ家に帰りなさいと、学校から言われたばかりなのに。一人反省してみる。
「まあ、まだ人通りもあるから大丈夫だと思うんだけど」
こういう時、一人で歩いているのは、やはり少し心細い。しょうがないのだけどね、同じ方向に帰る子がいないのだから。出来るだけ人の多い道を選んで歩くが、不安からか視線が定まらず、ふらふらと人に当たりそうになりながら足を急がせる。
「……っと、わ」
うわ! ぶつかってしまった。
「ごめんなさいっ!」
「いえ、大丈夫ですか?」
「あ、はい。僕は全然」
黒い服を着た相手の人に、そう答える。僕より少しだけ年上に見えた。
「よかった。こちらこそすみませんでした」
そう言って軽く頭を下げると、その人は、連れの人達の所へ駆けて行った。僕は何となくそれを目で追う。
「やっぱ、あの位の歳が良いよなぁ」
今日にでも父さんに相談してみよう。そう思いながら、ふと、自分の肩に意識が向いた。
「――血?」
微かに赤い色が付いている。でも、僕は怪我なんかしていないから。
「え? さっきの人」
慌てて振り返ってみたけれど、その姿はもう見えない。
「大丈夫かなぁ?」
心配しつつも、どうすることも出来なくて、僕は仕方なく、そのまま家に帰った。
「ただい…ま……」
玄関を入ると、目の前に父さんが立っていた。一体何事かと途惑う。
「サハラ! 遅いぞ!」
「えっ、あ、ごめん、友達と喋っていて」
びっくりした。こんな父さんを見たのは久しぶりだ。――こわ。
「あの、ほんと、ごめんなさい」
俯きつつ、父さんの顔を見上げながら素直に謝る。
父さんは少し怖い顔をしていたけど、大きなため息をひとつ吐くと僕の頭の上に手を乗せてきた。
「心配させるな」
「うん。ごめん」
「何もなくて良かったよ」
そう言って、父さんはやっと笑ってくれた。
「また殺人事件が起こったんだよ。お前の学校のある地区だ」
「え?」
父さんに言われるまま、ニュース画面を見ると、そこには見覚えのある町並みが映っていた。
「――って、これ、僕の通学路の近く」
その事実に愕然とする。こんな近くで人が死んだ。今までニュースの中でしか知らされていなかった感覚の薄い現実が、自分のこんなに身近な場所で起きてしまった。その事実の重さに、紛れもなく恐ろしさを感じる。
「だから、心配していたんだ。大丈夫か?」
父さんは僕の青褪めた顔を見て、そう声をかけてくる。
僕は頷くことで返事をし、そのままニュース画面を見入る。
現場は、通学路から、少し脇に逸れた所。遺体が発見されたのは、僕がその辺りを通り過ぎた少し後のようだ。
唐突に、ある人が思い浮かぶ。僕がぶつかってしまった人。黒い服を着た人。
「まさかね」
自分の想像力の貧困さに苦笑いが出る。馬鹿らしい。
「どうした?」
「いや、ちょっと、これがさ」
そう言いながら、父さんに、肩の赤色をみせる。
「サハラ! 怪我したのか!?」
「あ、違うよ、僕じゃなくて、ぶつかった人が」
慌てて首を横に振ってから、その時の事を笑って説明した。
「――でね、怪我していたからって事だけで、短絡的に結び付けちゃって。ダメだよね、ホント」
「……その人、事件現場の方から歩いて来たのか?」
「うん、そうだけど?」
「黒い服で、ぶつかったら血が付いた?」
「あの、でもホントに僕の勘違いだからね! あの人、すごく丁寧だったし、物腰も柔らかかったし、そんなひどいことする殺人犯とかとは、正反対みたいな人だったんだから! ね?」
何やら真面目に父さんが考え込んでしまったようなので、僕は必死に否定した。僕のせいで、何の関係もないあの人が警察に疑われでもしたら、申し訳ない。
「――そうか。解かった」
どうやら、通報は思い留まってくれたようだ。良かったぁ。
僕は、これ以上父さんを考え込ませたくなくて、早々に話題を変える。
「あのね、父さん。僕、次の誕生日に『エンドレス』をしようと思うんだ」
唐突な言葉。父さんは驚いた様に僕を見返した。
「それは、少し早くないか?」
僕の行為に対して、滅多に反対する事のない父さんだが、これには、流石に疑問の声を返す。まあ、そうだろう。『エンドレス』を接種すれば、もうそれ以上成長は出来ない。大抵は、体の出来上がる二十歳前後にするものなのだ。
「解かっているよ。でも、二十歳にまでなると、結構身が重くなっているし、スタミナも落ちてるだろう? 長い人生なんだ、体力がないのは嫌だからね」
僕にとって、今のように身軽じゃなくなるというのは、耐えられない事なのだ。
父さんは少し考え込むように、僕から視線を外した。
「ひとつ、尋ねるが。お前、子供つくれるか?」
「は?」
コドモ?
次の瞬間、質問の意味を理解して、僕は思わず赤面してしまった。いや、父さんの言う事は尤もで、『エンドレス』接種に対して、必要最低限の条件がそれなのだけれど。
僕は出来るだけ平常心を取り戻そうと、一人努力をしてみる。
「大丈夫だよ」
声、震えなかったかな?
「そうか。なら、サハラが自分で決めたことだ。好きにするといい」
そう言って、父さんは賛同してくれた。
「ありがとう、父さん!」
「サハラも成人か。俺はもうお役御免かな?」
父さんは笑いながら、僕の頭を乱暴に掻き回す。
「何言っての、まだまだ面倒見てもらうからね。僕、子供だから」
そう、僕は子供だから、ずっと父さんと一緒に居るんだ。大好きな父さんと、ずっとずっと一緒に生きて行くんだ。
この、終わりなき長い人生を、一緒に――。
「――一緒に居たんだ、ずっと。だから、お前のことはよぉーく解かってる。不器用だってな」
「何でぶつかるんだ、あそこで? ハル」
「ごめん」
頭の中で言い訳を並べながらも、口には出さず、謝っておく。それを言ったところで、この二人に勝てはしないのだ。ずっと一緒に居たから、よく知っている。
「別に構わないけどな、情報は流れてないようだから」
セイが、手元の端末を操作しながら教えてくれる。トキもそれを覗き込みながら、画面に目を走らせる。
「殺人現場付近に服に血を付けた奴がいました、なんて警察に伝わったら疑われるに決まっているからな」
「それはヤだよなー」
「煩わしい」
「……ごめん」
面倒なことには関わりあいたくないと言われ、もう一度謝る。警察に疑われたところで、それを晴らすのは容易だが、出来る限り避けたいのは当たり前だ。
「ま、次からは気を付けるよーに。色々と、面倒だからな」
セイの言葉に、すぐさまトキが反応する。
「お前、ハルに甘過ぎるぞ! もう少し厳しくしろ」
「何言ってる、俺が言わなければ、お前が言ってたに決まってるだろうが。トキもハルに甘いんだよ。自覚なしか?」
「…………」
「えっと、トキも、セイも、本当にごめん。迷惑かけて。だから、二人とも、その……」
俺は、二人を交互に眺めながら、喧嘩だけはやめて欲しいと、声をかける。
「喧嘩なんかしないよ。なあ、トキ」
「ああ。ハル、二度と面倒は起こすなよ」
二人の答えに、胸をなで下ろす。
「解かっているよ。気をつける」
たった三人の家族なのだ。これからも共に居る、大切な家族なのだ。だから、諍いはないほうが良い。ずっと、永遠に、一緒に居るのだから――。




