夢の綻び
「最悪」
思わず独り言を言ってしまう。父さんが、横から僕の手元を覗き込んできた。
「二十三点? お前ホント頭悪いな」
「うるさいな、歴史は特別。他のはそんなに悪くないよ」
まぁ、良くもないけどね。
父さんがおかしそうに笑っている。腹立つなあ。
「怒らないの?」
「そうしたところで、サハラの成績が良くなるわけじゃないだろう?」
確かにそうだけどね。普通の親はこういうとき怒るだろう。父さんはちょっと変わっている。一見、放任主義とも捉えられかねない育て方だけれども、本当に助けてほしい時には手を差し伸べてくれる。そういう父さんを僕は嫌いじゃない。うちの親子関係は良好だ。
「再テストなんだろ? 勉強しなくていいのか?」
「今からするよ」
そのままリビングに居座ってテキストを広げる。父さんは隣でニュースを見出した。音量を絞ってくれているから、そんなに気にならない。
「単名法が制定されたのっていつだっけ?」
「43269」
「『エンドレス』が出来たのは?」
「28654」
「作った人」
「クラハシ ヨシヒト。サハラ、これ常識だぞ?」
さすがに父さんも呆れたようにしている。しょうがないじゃないか、歴史だけはどうしても覚えられないんだよ!
父さんは頭が良い。大抵の質問にはすぐ答えが返ってくるから、ヘタな教師やテキストよりもずっと便利だ。
「あーあ、頭良くなりたい、そういう薬ないのかな」
「その内出来るだろ、先は長いからな」
そう、先は長い。僕はまだ不死だから成長しているけど、『エンドレス』を摂取したら、完全な不老不死になる。そうしたら、ずーっと生きていける。父さんみたいに。
父さんはすっごく長生きだ。歳を聞いたら、あんまり長すぎて、自分でも解からないって笑っていた。父さんっていっても、僕の本当の父さんではない。僕の母親は、結婚もせずに僕を産んだけど、子育てをする気はなかったから、自分の先祖にあたる父さんに僕を預けたらしい。
別にこういうのは珍しいことじゃない。沢山の子供が実の親ではない人たちに育てられている。僕は父さんと血縁関係にあるから、随分とマシな方だ。
父さんに、どうして僕を引き取ったのかを尋ねたことがある。そうしたら、楽しそうに笑ってこう返した。
『ヒマだったから』
何とも父さんらしい答えだと僕は思ったね。父さんはいつも暇そうにしている。仕事をしていない訳じゃないのだけれど、それがどこかの機関の相談役ってものらしくて、全然忙しくないし、お金にも困らない。だから、子育ては実に有意義な暇つぶしとなったようだ。僕としては、子育てを放棄した母親と、父さんのヒマに感謝、という感じだな。僕は父さんが気に入っているから。
食事を摂りながら、ニュース画面をながめる。今ながれているのは、殺人事件のニュースだ。
『昨夜未明、また新たな殺人事件が発生しました。被害者は042384地区に住むコーリスト ネス ヒルツさんで、自宅で死亡しているところを発見されました。遺体の状況から、これまでの事件と同一犯であると考えられ、警察は――』
殺人事件。何度聞いても違和感がある。だって、僕たちは不老不死なのに。
死ぬことはないのに。
僕たちでも、一時的な死に陥ることは出来る。コールドスリープと呼ばれる、仮死状態になる方法だ。けれど、これは起きようとすれば、いつでも解凍することが出来る。正確な『死』ではない。
なのに、稀に、こうして『殺人』が起こる。不老不死が死ぬ。
僕には到底信じられない。だけど、死んでいる……。
「何で死ぬのだろう?」
僕は小さく呟いた。
「昔からあることだ」
その重い響きに、顔を上げる。
「時折、こうして人が死ぬ」
「どうしてこんな酷い事をするのか、僕には解からないよ。だいたい、どうしたら僕たちを殺せるんだよ。死なないのに」
誰が、どうやって、不老不死を殺すというのだ。
「……さあな」
誰にも解からないだろうよ。そんな父さんの言葉が、微かに耳に届いた。
『――依然として、捜査は難航しており、警察は付近の住民たちに情報提供を求めると共に、警戒を呼びかけています。また、これまでの事件と同様に、警察は、遺体の状況や殺害方法等については、一切情報公開せず、多くの人々から非難の声が上がって――』
ルームライトも点けず、一人佇む。暗い部屋の中、ニュース画面だけが、幽かに光を洩らす。
繰り返し流れる報道。変化のないアナウンス。その声が煩わしく感じて、出来る限りボリュームを落とした。
「またやってる」
ひとつ、溜息を吐く。
無意味なのに、こんなこと。
『――犯人たちは、一体何故こんな事をするのでしょうか。そもそも、どのようにして人間を殺害するのでしょうか。人々の間には不安の影が広がっています。一刻も早い犯人逮捕が望まれ――』
「そんな暗いとこで見てると、目、悪くなるぞ」
「ならないよ。視力なんか変わらない」
笑いながらそう答える。
「ま、そうだけど。何か、気分の問題?」
「癖だろ、それ。俺も前に言われたぞ」
そう言いながら、食事を差し出される。同時に明かりがついて、少し目がくらんだ。
「つい、な。昔よく言ってたから」
「気が遠くなる程の昔だな。お前全然変わってないぞ、性格」
「俺だけじゃないだろうが」
目の前の二人は、実にテンポ良く会話する。本当に昔から変わらない、愛すべき家族だ。
「で? 何だってこんなもの見てんだ、お前」
「いや、無意味だなぁ、と」
二人が呆れたようにこちらを見る。自分でも解かっているさ。
「それこそ無意味だと思うがな」
同意するように笑ってみせた。解かっているのにしてしまう、多分それが俺の癖なのだろう。ぼんやりとそう思った。
「次の仕事はまだ来てないのだろう? なら、しばらくは自由に過ごせるな」
「だろうな。どうする?」
「取りあえずは、道具補充が優先かな。トキはどうする?」
「その買出しに行く。どのくらい必要だ?」
「予備が、15程しかなかったから、あと50かな」
記憶を検索しつつそう返した。一人で全部を買うには、少し量が多い気がする。
「セイ」
「ああ、俺も行く。ハルは留守番な」
「解かった」
三人で出る方が効率は良いけれど、全員がここを離れるのは仕事の時だけにしている。強盗にでも入られると大変だから、この家は。
二人が、買出しの割り振り相談をしている様子を眺めながら、俺はもう一度、ニュースに意識を向ける。相も変わらず殺人事件を非難し、疑問だけを叫んでいる。
誰にも解かりはしないのに。無意味だよ。
殺す理由なんて。
殺されない者達は、知らない……。




